帝都怪奇浪漫奇譚

藍澤李色

第1話 親友、国木田独歩曰く。

 ザンギリ頭を叩いてみれば、魑魅魍魎の声がする。

 文明開化と共に訪れたのは、『分冥開化』と呼ばれるもうひとつの大変革だった。

 帝都に『霊穴』と呼ばれる謎の暗い穴が出現し、その周辺で怪奇現象が頻発するようになったのだ。

 この現象は、今のところ帝都近隣だけのものらしく、倒幕の呪いだ開国の呪いだと、ずいぶんと世間を騒がせた。

 とはいえ、十年、二十年と経てば、それもまた日常のひとつとなる。

 明治の世は長い。すでに怪奇現象など日常の一部、娯楽のようなものとなりにけり。

 少なくとも、しがない若手小説家である田山花袋にとってはそうだった。

 今日も怪奇現象など気にすることもなく、親友であり作家仲間の国木田独歩と居酒屋で飲んでいる。

 大柄な身体に丸眼鏡。目の悪さが目つきの悪さに繋がって、いまいち風貌が冴えない花袋とは違い、独歩は小柄で品が良く、流行りの洋服もさらりと着こなす美丈夫だ。

 そんな見目麗しい男が、開口一番にこうのたまった。

「花袋、聞いてくれ。今月の、社の家賃が払えない」

 どこから突っ込んでいいのかわからないが、花袋はこう答えた。

「……独歩、先月もそんな話をしていなかったか?」

「していた気がするな。まぁ、いつものことさ」

「いつものこと、じゃねえよ」

 独歩は、作家や歌人、画家の仲間たちと一緒に、『独歩社』という雑誌社を立ち上げていた。しかし、主力となる婦人誌以外は、なかなか売上が立たないようだ。

 作家が日銭を稼ぐために、他の職に就いていることは珍しくもない。文学一筋で食べていくのは難しい。若手作家や詩人の多くは、教師や編集者、記者などの仕事についている。花袋だって、編集の職についている。

 ただし、独歩のように、自分で会社を経営している人間は、そう多くないだろう。よく言えば向上心がある。悪く言えば無謀。自分の筆名を社名にしていることからも、その自信家な一面がチラついている。

「こんなところで飲んでる場合か。会社が立ちゆくように考えろって」

 呆れ半分に独歩の話を聞きながら、花袋は舐めるようにちびちびと酒を飲む。独歩はといえば、ふふんと得意げな顔で腕を組んだ。まったく褒めていないのに、その態度はどういうことか。

「僕だって考えてはいるさ。ここはひとつ、帝都に蔓延る『怪奇』をネタに、ひと山当ててやろうじゃないか」

「は……? 『怪奇』って? そんなもんが雑誌のネタになるのか?」

 帝都において『怪奇』話は、すでに娯楽の一種である。少なくとも、弱小出版社の窮状を救う起死回生の一撃を放つネタになるとは思えない。

 しかし、独歩は妙に自信ありげな様子である。

「もちろん、普通に『怪奇』を調査するだけじゃあダメさ。少なくとも最初の一手は、民衆の好奇心を大いに刺激するものでなくてはならない」

「そんなこと言ってもなぁ。帝都の『怪奇』ネタなんて、今更取り上げるようなものじゃないだろ。売り上げに貢献するってなると、相当だぞ」

「ただの『怪奇』じゃあない。世間を騒がせている事件にまつわる『怪奇』を題材にするのさ。たとえば――臀肉事件の犯人にまつわる『怪奇』の本ならどうだ?」

 臀肉事件。その言葉に、耳を疑った。

「臀肉事件って、麹町で起こったあの事件か?」

「そうさ」

 独歩は鷹揚に頷く。

 ――臀肉事件とは、数年前に麹町で起こった猟奇事件である。罪のない少年を殺し、その尻の肉を削ぎ落して持ち去るという異常な犯行は、世間を震撼させた。

 そんな事件に関する本であれば、確かに売り上げは見込めるだろう。

「新聞で連日話題になっている、臀肉事件をはじめとした野口男三郎事件。運良く野口を担当する弁護士と知り合う機会があってな。これはネタにするしかないと思ったわけさ。センセーショナルな報道に便乗する形になるが、上手くやれば独歩社はしばらく安泰だ」

「でもよ、臀肉事件は確かに残酷で奇妙な事件だけど、『怪奇』とは関係なくないか?」

花袋の素朴な疑問に、独歩はますます得意満面になった。聞いてくださいと言わんばかりの態度に、花袋はやや真顔になる。

「それが、聞いてくれたまえよ。犯人とされる野口は、事件は『怪奇』に取り憑かれたせいで起こった、自分には責任能力はないと主張しているのさ」

「は? いや、もしかしてお前、俺を呼んだ理由って、まさか」

「そのまさかだよ、花袋。同じ『霊感』持ちのよしみで、付き合ってはくれないかね?」

 ――『怪奇』。明治に入ってから、帝都で起こるようになった奇々なる現象の数々。『怪奇』の出現は、様々な価値観の変化をもたらした。

 その中のひとつが、『怪奇』を感知してしまう『霊感』持ちの人間が増加したことだ。

 『霊感』持ちは帝都のいたるところにいる。たとえば、まさにここにいる男二人組のようにだ。

「この二人で行くと、野口の話の信憑性がわかるという寸法さ」

 帝都に『霊穴』が発生するようになって以来、怪奇の話に事欠かないが、人は適応する生き物である。『霊穴』のあるところにいけば、何かしら感知できる者が現れるようになった。

 怪奇を察知できる人間の能力は『霊感』などと雑に括られているが、これがなかなか侮れない。中には『霊感』をあてに、探偵紛いの真似をする者もいるほどだ。

 つまり、独歩もそういった輩と同じように、『霊感』を有効活用しようというわけである。

「僕は『怪奇』を視ることができる。君は『怪奇』の匂いを嗅ぎ分ける」

 確かに花袋には嗅覚が鋭くなる『霊感』がある。『怪奇』に近付くと、奇妙な臭いを嗅ぎ取ってしまうのだ。しかし、臭いだけで、具体的に何が見えるわけではない。

 しかし、独歩の持つ『霊感』は『怪奇』が見えるというものだ。あくまで見えるだけなのでそれと気づかないこともあると言うが、花袋の『霊感』と合わせれば、かなり『怪奇』を察知する精度が上がる。

「僕ら二人が力を合わせれば、きっと『怪奇』の正体がわかるとも。誰もが気になる事件の正体を、探ってみたいと思わないか?」

 花袋はため息をついた。

 この親友は自分とは違い、お洒落で品が良く、友達もたくさんいて、いつでも自信に満ち溢れている。

 そして持ち前の強引さで、どちらかというと奥手な花袋を散々に振り回す。

「そもそもどうして、俺が手伝う前提になんだよ……。俺はお前の会社の社員じゃないぞ」

 独歩が「ふふん」と鼻を鳴らして、笑う。花袋からしてみれば何ひとつ笑っている場合ではないのだが、もちろんこの親友はそんなことを気にしていない。

「協力してくれたまえよ。共に旧態依然とした文壇に牙をむいた、君と僕との仲じゃあないか。なぁ、花袋?」

「お前な……」

 花袋は再び、深く長くため息をついた。

 わかっている。この男はこうと決めたら、花袋がなんと言おうが聞かないのだ。巻き込まれるこちらの身にもなってほしいのだが――。

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