第45話 ぎらり

 それでも、わからないからって、何もせずにはいられない。

 正解なんて知らないけれど。声を、かけよう。


「……せっかく皆で頑張って描いたのに、燃やされちゃったね。

 僕としても……今までの人生で一番の大作だった。朝から晩まで張り付いて。絵柄を決めるところから考えると、この四ヶ月はずっとあの絵のために動いてた。


 絵が大きすぎて、脚立を使わないと描けないなんて、本当に新鮮でさ。しかも、机の上で描くよりもバランスを取るのが圧倒的に難しくて……。ちょっと描いては、距離を取って見直して。修正したはずなのに、何故かやっぱりずれてて。自分一人じゃ描けなくて、キーファたちに見てもらいながら、どうにかこうにか下書きした。


 一回、脚立の頂上から落ちたときにはひやっとした。ティアが受け止めてくれたから怪我もなかったけど、死ぬかと思った。


 スフィーリアの作ってくれた絵の具はとても描きやすかった。でも、日本で描いてきた画材とは違うから、慣れるのに苦労した。何度も失敗して、どうにかこうにか慣れていった。


 ミィナは手先が器用で、絵の具の扱いも慣れるのが早くて、手伝ってくれるのはすごく助かった。今はまだ僕より技術がないかもしれないけど、あと数年もしたら、すぐに僕を追い越してしまうかもしれない。

 ただ、それは僕としても悔しい気がするから、僕ももっと腕を磨いて、いつまでも先を進んでいたいなって思ってるんだ。


 今までにないほど熱中して、来る日も来る日も描き続けて。ときどき、自分は一体何をしているんだっけ? なんて頭がおかしくなることもあってさ。それは流石にまずいかなぁって思ったりもした。


 そして、僕が絵を描くことに夢中だった間、ずっとずっと、すぐ側にスフィーリアの姿があった。

 朝起きた瞬間にスフィーリアの姿があって、絵を描くときも、食事をするときも、ずっとスフィーリアがいた。一日中描き続けて、疲れ切ったところで、スフィーリアの顔を最後に見て眠るのが、すごく心地良かった。


 スフィーリア。僕を、この世界に招いてくれてありがとう。

 すごく大変な日々なんだけど。

 同時に、この上なく楽しくて、幸せなんだ。


 昔は、独りぼっちでも、絵を描いているだけで楽しかった。幸せだった。

 でも今は、仲間と一緒に作品を描いていく楽しさも喜びも知った。

 すぐ側にいてくれる人がいることの幸せも知った。

 僕はもう、昔の自分には戻れない。スフィーリアの隣以外で、生きていける気がしない。

 好きだよ、スフィーリア。

 僕に、たくさんの幸せをくれて、ありがとう」


 なんでこんな話をしているんだっけ。

 途中から、よくわからなくなる。スフィーリアを慰めるための言葉じゃなかったっけ?

 そんな雰囲気じゃ、なくなったけれど。

 胸に宿る言葉を、ただ、紡いでいく。


「ねぇ、スフィーリア。

 僕はまだ、今の幸せを、思い出話になんてしたくないんだ。


 一度、邪魔は入った。

 滅茶苦茶ムカつくし、悔しいし、惨めだ。

 だからこそ、こんなところで終わってたまるかって、思う。

 どうにかして、あの絵を、きちんと描き上げたい。


 あの絵は、僕たち五人だけの絵ってわけでもないんだ。

 ナギノアの町で、たくさんの人と関わって、期待もされている。

 皆で協力してお守りも作って、売り歩いたよね。少し簡素な絵柄で、ルキアルト教の神様も、他の種族の神様もたくさん描いて、それをお守りにしたら、喜んでもらえた。あれのおかげで、僕たちへの期待も高まってる。壁画も楽しみだって、言ってもらえた。


 スフィーリア。

 落ち込んでいるところ、悪いけど。泣いているところ、申し訳ないけど。

 僕に、力を貸して。

 僕は、あの絵を完成させたい。

 でも、一人じゃ無理だ。僕は、絵を描くことしかできないから。


 力を貸して。

 僕に、絵を描く場所と、道具を、用意して。

 期限は、二ヶ月。

 課された試練なんてもうどうでもいいけど。

 町の皆も、心待ちにしてる。

 だから、描きたい。

 僕に、描かせてくれ。

 ……これは、スフィーリアの恋人としてのわがままだ。僕に、力を貸して」


 心から訴える。

 スフィーリアから、すぐには反応がない。

 しかし、数分待つと、スフィーリアがむくりと体を起こした。

 深く深く息を吐いて、ぐしぐしと袖で目を擦る。


「……アヤメは、思っていたより優しくないのね。わたしが泣いているのに、黙って力を貸せだなんて」

「ごめん」

「バカ」

「ごめん」

「嫌い」

「ごめん」

「嘘。……好きだよ」


 スフィーリアが、赤い目で僕を見つめる。


「好きだよ。一生、ずっと、好きだよ」

「……僕も好きだよ。一生、好きだよ」


 見つめ合っていたら、何故かおかしくなって、どちらからともなく、声を上げて笑ってしまった。

 その笑いが納まった頃に、スフィーリアがすっと立ち上がる。


「……仕方ない。恋人のわがままに付き合ってあげよう」

「うん。ありがとう」


 僕も立ち上がる。


「付き合うとしても……どうしたものかな。礼拝堂が全焼しちゃったし……」

「魔法でどうにかできない?」

「聖女の力は万能じゃないの。治せるのは人の傷だけ」

「……いっそ、洞窟にしちゃう? スフィーリア、土魔法は使えるから、それで土造りの礼拝堂を作って、その壁に描くとか」

「現実的な案ではあるかな。ちょっと見栄えが悪いけど。まぁ、とにかく、皆のところに戻ろうか。わたしが取り乱しちゃって、皆、心配してるだろうし」

「だね。行こう」


 表に出ると、キーファたち三人は僕たちを心配などしていなかった。

 それよりも、集まってきていた近隣の住人たち十名弱に状況を説明していた。いや、近隣の住人だけじゃないか。普段は中心街にいる自由兵の顔も見える。たまたま近くにいたのか、誰かの魔法で飛んできたのか。


「よぉ、お二人さん。なにやらクソな聖女もどきに、礼拝堂が燃やされちまったんだって?」


 ドワーフのおじさん、ギージャが言った。年齢は三十半ばで、顔はおじさんだし、筋肉質な体格なのだけれど、身長は低い。


「……そうなんですよ。ちょっと、トラブルがありまして」


 僕が答えると、ふむふむとギージャが頷く。


「礼拝堂、建て直してやろうか?」


 なんでもないことのように言われて、一瞬、言葉の意味がわからなかった。


「え? 建て直す……? できるんですか?」

「そっくり同じものを作るなんて無理だし、無料でとは言えんが、建て直すことはできる」

「えっと、どれくらいの期間で?」

「急げば一ヶ月かな」

「一ヶ月……」


 一ヶ月で建て直して、そこから一ヶ月で壁画を描く。

 できるだろうか。

 二ヶ月かかって、半分程しか終わらなかったのに。


「お願いします」


 スフィーリアが頭を下げる。


「おう。わかった。じゃあ、急いで人を集める。俺は一旦帰るぞ。おぅい、魔法使い。俺を町まで送ってくれ」

「我はユトピスだ。いい加減覚えろ、クソドワーフが」


 エルフの青年が吐き捨てるのを聞き、ギージャがにやりと笑った。

 二人の自由兵は、ユトピスの魔法ですぐに町に飛んでいった。行きもああやってここまで来たのだろう。

 それは、さておき。


「……ねぇ、スフィーリア。一ヶ月で礼拝堂を建て直して、一ヶ月で壁画を描くってことかな? できると思う?」


 少し弱気になって尋ねてみたら。


「一ヶ月で終わらせて」


 きっぱりと言われてしまった。


「……マジで言ってる?」

「マジ」


 スフィーリアの目がマジである。

 青い瞳がぎらついている。


「そうする理由は?」

「わたしの意地。あのクソ聖女の鼻を明かしたい」

「……なるほどね。じゃあ、仕方ないか」


 ふぅー、と長く息を吐いて色々と諦め、続けてぼやく。


「恋人のわがままを聞くのも、彼氏の務めだ」


 スフィーリアがニッとかっこよく笑う。


「わかってるじゃない」

「おかげさまで。よし、そうと決まったら方法を考えないと。この二ヶ月と同じことをやってもダメ。方法は変えないといけない。となると、まずは……」


 僕の弟子である、三人娘の方を見る。


「悪い、皆。一ヶ月で壁画を描き直すことになった。今までのやり方じゃ無理だし、皆にも頑張ってもらわないといけない。作業ができない一ヶ月で、今の十倍くらい絵の腕を上げてくれ」


 三人の顔がややひきつる。


「……大事な絵を焼かれて錯乱しましたね」

「まさか、そんなハードな日々を送ることになるとは思いませんでした」

「料理店で働いていた頃の方が楽だったかもしれませんね」


 キーファ、ティア、ミィナが嘆き節。でも、その目はギラリと輝いている。

 この三人も相当ショックだったろうに、心は折れていない。

 逞しくて、頼りがいがある。


「絶対、描ききるよ」


 僕の宣言に、スフィーリア含め、四人が大きく頷いた。

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