魔剣技師ムーリーの、甘味食堂 2
クリスが大鹿狩りに出た日の翌日――昼下がり。
ミガイノーヤ領の領都ケミノーサの町中を、バッカスとクリスは歩いていた。
「ムーリー・クー……ね」
バッカスは、クリスから返してもらった腕輪を手の中で弄びながら、その名前を口にする。
「バッカスは知ってる? 魔剣技師らしいのだけど」
「魔剣技師って二つ名のパティシェなら知ってる。まさか本当に魔剣技師だったなんて思わなかったが」
「向こうも似たようなコト言ってたわ」
魔剣技師同士というのは、以外と接点がないのだろうか――と苦笑しつつ、クリスは訊ねた。
「ところでパティシエって?」
「ん? ああ、ニーダング王国で使われている言葉でな。
料理人の中でも特に甘味を専門としている職人のコトだ」
「甘味ッ!」
「ま、そういう反応するよな」
目を輝かせるクリスに、バッカスは小さく笑う。
海の向こうにある美食王国ニーダングならいざ知らず、この国――ヤーカザイ王国ではまだまだ甘味は珍しい部類だ。
砂糖が金と同じくらいの値段をしていた時代というのは、とっくに終わってはいるものの、まだまだ庶民が気軽に――とはいかない。
それに、美味しい甘味料理というのもまだまだ少なく、貴族であるクリスであっても中々食べる機会がなかった。
「ま、俺も興味が無いワケじゃない」
「魔剣に?」
「魔剣も甘味も、だな。
誘ってくれたコトに感謝するぜ」
「どういたしまして」
クリスは、最初こそ一人で行くつもりだった。
だが、バッカスに腕輪を返しに行った時、ふとした思いつきで誘ったのだ。
普段、食事を食べさせて貰っているだけだったので、こういう感謝をして貰えると借りを返せているようで、少し安堵する。
「昨日、彼と話した限りだけどはわざわざニーダング王国からレシピを取り寄せて甘味を作っているらしいわよ」
「なおさら、興味が湧くな。
美食王国のレシピ……料理のモノにしろ魔導具のモノにしろ、取り寄せんのも結構大変だからな」
「あの国は閉鎖的な印象があるわね」
「他に無い外交手段を持っているから強気なってるだけだろうよ。
二百年前――美食屋や魔導母が作り出した品々は、当時の国の方針としては、世界中に広めたかったらしいけどな」
「今の王家には、欲が出ちゃったのかしら?」
「さて、その辺は何とも言えないな。
でもまぁ、知り合いに言わせると年々外交が下手になっているらしいからなぁ……」
とはいえ、そんな話はバッカスが気にすることではない。
「あ。あそこの路地のところのお店みたい」
「なるほど、あれか」
クーの甘味亭。
それがお店の名前のようだ。
女性受けしそうな可愛い店構えだ、
クリスが一緒でなければ、バッカスは入るのを躊躇したかもしれない。
「お邪魔します」
「いらっしゃいませー」
クリスに続いて店の中へと入っていくと、カウンターから男性の声が聞こえてくる。
「あら、クリスちゃん」
純白の髪の頂上を、ホイップクリームやソフトクリームの
それが、こちらへと声を掛けてきた男性のようだ。
「ムーリーさん。こんにちわ。さっそく来ちゃいました」
「ふふ、ありがとう。そちらの方は?」
カウンターの男に訊ねられ、紹介しようとしてくれるクリスを、バッカスは制して一歩前に出た。
「初めましてだ、ムーリー・クー。
俺はバッカス・ノーンベイズ。魔剣技師として、そしてひとりの旨いモノ好きとして、アンタに会ってみたくてな」
「あら奇遇ね。アタシもアナタに会いたかったわバッカス君」
「魔剣の話をしたいところなんだが、今日はアンタの料理を食べに来たんだ」
「そうね。お客様として来店されているんだから、魔剣のお話はまた今度にしないといけないわ」
お互いに笑い合うと、ムーリーが席に案内してくれた。
店内はやはり女性的な可愛らしさに溢れた内装になっている。
これがムーリーの趣味なのか、女性客を増やすための飾り付けなのかは分からないが。
「持ち帰りも出来るのか」
「ええ。甘味に限るけどね」
「甘味以外もあるのか?」
「甘味だけのお店って難しくてね。ふつうの食事も出してるの」
「なるほど」
「よかったら、最後にお持ち帰りの甘味とかどうかしら?」
「考えておくよ」
美味しければ、持ち帰るのもやぶさかではない。
遊びに来たと称して食事に来る常連客が多数いることだし、保存の効く焼き菓子くらいは、常備しておくのも悪くないだろう。
「こちらがメニューよ。
決まったら、お店の子に声を掛けてね」
そう言うと、ムーリーはウィンクをして厨房があると思われる場所へと消えていった。
「見慣れない名前の料理が多いわね」
「そうだな」
うなずきながらも、バッカスとしては見覚えのある料理名の多さに驚いていた。
「甘味以外の、食事メニューも豊富だな」
「そうね。アナタはどうするの?」
「今日は昼がまだだし、食事と甘味のセットとかもいいな」
「私もそうしようかしら?」
食事と甘味を一緒に注文すると、ドリンクが一品無料になるようだ。
(何となく、前世の売り方を思い出すな……)
こうやってメニューを見て注文するお店も、この世界にはあまり多くない。
それ故になおさら、不思議な感慨を感じるのだ。あるいは帰ることのできない魂の故郷への郷愁か。
(アラビアータ、
サヴァラン、マリトッツォ、ホットケーキ……。
他にも色々あるが――やっぱ過去に俺みたいな転生者がいたのは間違いないよな)
明らかに地球の言葉で名付けられた料理を見るに、発案はその人物だろうと想像がつく。
(ニーダンング生まれの料理にこういう名前が多いってコトは、怪しいのは美食屋辺りか……ま、二百年前の人物となりゃ確かめる術はねぇし、気にするだけ無駄か)
今はむしろ地球の味に近いモノを味わえるかもしれない状況を楽しむべきだろう。
(先輩転生者もやっぱ地球の味が恋しくなったのかね?)
誰とも知れぬ先輩に思いを馳せていると、クリスが声を掛けてくる。
「バッカスは決まった?」
「ん? ああ、そうだな……」
改めてメニューをざっと眺め、興味を引かれたのはパスタだ。その中でも海鮮料理ともいえるペスカトーレが気になった。
甘味の方はといえば――
「お? これもあるのか」
――メニューを眺めていて、持ち帰り不可の料理の一つが目に入る。
「決まったぞ」
「そう。それじゃあ、注文をお願いできる?」
「はーい」
手を挙げながら、クリスは近くにいた従業員に声を掛ける。
「先に注文してくれていいぞ」
「そう? それじゃあお言葉に甘えて……
「俺はペスカトーレを。甘味はお汁粉で。飲み物はアヤミヴァイの花茶を頼む」
「以上でよろしいですか?」
従業員の言葉に二人がうなずく。
そうして、従業員が厨房の方へ行くのを見送ってから、クリスが訊ねる。
「アヤミヴァイってあまり聞かない品種ね」
「アマク・ナヒア原産の緑色の花茶だ。あまり出回ってはいないんだが、個人的には結構好きなんだよな」
アヤミヴァイの花で作った花茶は、前世で言うところの抹茶に近い風味がするのだ。
前世にそこまで思い入れはないバッカスだが、それでも初めて飲んだ時に不思議な郷愁を覚えた。
それ以来、見かけると飲む程度には気に入っている。
「貴族としてそれなりに色々と口にしてきたつもりだけど、やっぱり世の中にはまだまだ知らないモノが多いわね」
「気にする必要もないだろ。人間が生涯に知れる世界の知識なんざ、世界規模で見れば一割にも満たないだろうからな」
その生涯を生まれ故郷の村だけで過ごす者だって少なくない世界だ。
逆に、食事に限らず様々な教養や文明文化に触れられる環境の方が稀少なのである。
どうしても様々な文明文化を触れたければ、行商人や旅する何でも屋――冒険者にでもなるしかない。
あるいは、貴族――それも外交などをする文官か。
どれであってもハードルが高いのが、この世界だ。
「バッカスって、時々見た目以上に老成した達観っていうのかしら? そういうのを見せる時あるわよね?」
「実は人生二週目なんだって言ったらどうする?」
「他の人が口にしたなら与太扱いだけど、貴方が口にするなら信じてもいいわよ?」
いつものように冗談めかして口にするも、クリスから想定とは違う返答をされてしまった。
そのことに戸惑い、僅かに固まったバッカスは誤魔化すように頭を掻く。
「……その返答のされ方は初めてだな」
「戸惑う貴方が見れたのは、ちょっと嬉しいかも知れないわね」
なんで戸惑う顔を見て喜んでいるのかは分からないが、とりあえずバッカスは口を尖らせる。
「そうかよ」
そうして、ぶっきらぼうに返すものの、少しだけ顔は赤くなっていた。
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