第26話 第三章 交わす刃と言葉②

 ――偉大とは何だ?


 その問いかけに、シルビアならばこう答える。


 ――他者を支配する圧倒的な力だ。


 人々から尊敬を集め、施しを与える者こそ偉大である。――そんな戯言を昔聞いた時は、笑いすぎて腹がよじれる想いであった。


 シルビアは、とある商業ビルの屋上に佇んでいる。時刻は、正午を僅かにすぎたあたり。屋上から地面を見下ろすと、ネクタイを締めた男女が行き交っている。


「ハハ、懸命に歩め」


 俯瞰してみた景色は良い。他者を踏みつぶしている気がするから。――ああ、しかし、見下ろされるのは嫌いだ。


 視線は下から上へ。憎たらしいほど堂々と、ディメンション・スマイル本社がそびえている。


 真四角の巨大なビル。捻りも何もない建物は、イワサの実直さが表れているようだ。


 シルビアは、唇の端を上げ、歪んだ笑顔で見上げる。


「お前を必ずワッチにひれ伏すであろう。見ておれ……。おい」


 隣に立つドレッドヘアーの男は、恭しく膝を折り、首を垂れる。シルビアは犬のように男の顎を撫で、情欲を掻き鳴らすような声で囁く。


「準備は整ったか?」


「あ、ああ。けどよ……」


 ドレッドヘアーの男は、心地よさそうな面持ちとは裏腹に、言葉を詰まらせる。


「何だ? はっきり申せ」


「これからディメンション・スマイルを占拠するんだろ? だ、大丈夫かな。ほら、俺、あんたの指示でヒューリのギア攻撃しちまったじゃん。あれで、警察から事情聴取に応じろって言われんだよね。これ以上、ヤベー橋渡ったらどうなるか」


「大丈夫だ。その件はワッチが何とかする」


 ドレッドヘアーの男の顔は、まだ晴れない。シルビアは聞こえぬように舌打ちをし、優しく頭を抱きしめた。


「ワッチが嘘を言ったことはあるか? DGの社長を捕らえ、お前の前に引きずり出してやったろう。武器も、資源もやった。ワッチは嘘を言わん。なぜだか分かるか? それは働き者が大好きだからだ。……今回も大丈夫じゃ。お前の会社は今、同業他社の中でも強者の部類に入る。さあ、ワッチにその力を見せてみろ。お前の魅力で、ワッチを酔わせてくれまいか?」


 甘く、蕩けるように……。それは、毒と呼ばれるものだと、男は知らない。


 思考は鈍り、ただの道化と化した男は、考えもなく部下へ指示を飛ばす。それは、己を破滅させる選択だ。なぜならば、シルビアには、お前を救う気持ちなぞ微塵もないのだから。


「さあ、始めようぞ。ワッチが世界を牛耳る戦いを」


「それは無理ね。シルビア」


「ッ!――上か」


 鋭い女の声。それは毒針のようにシルビアの神経に刺さる。


 上空からワイバーンの背に乗った女が二人現れた。


一人はマリアだ。手綱を握り締め、巧みにワイバーンを操っている。そんな彼女の腰に手を回した小鞠が、人差し指を突き付ける。


「なぜ、ワッチの動きが!」


「さあ? なぜでしょう」


 ――あ、まさか。


 シルビアは、周囲を見渡すが、頭に思い浮かべた人物がおらず舌打ちをする。


「おっと、誰を探しているのかしら?」


「白々しい! ワッチを笑うな」


「……笑うなんてそんな。ねえ、ひとつ質問良いかしら?」


「なんだ?」


「どうしてあなたは私や永礼の人に喧嘩を売るのかしら? イワサさんは、まあ最大の商売敵だからとして、私やヒューリは関係ないでしょ」


 声音は穏やかだが、有無を言わさぬ迫力が小鞠の瞳にはあった。


 シルビアは、内心の混乱を悟られぬよう表情を固め、吐き捨てるように言った。


「……あの小僧は、忌々しい男の息子だからだ。……お前に対して敵意を抱くのは、そうさな。認めたくはないが、美しいからだ」


「え?」


「驚いた顔まで見惚れるほどの美貌よな。……だから駄目だ。美しさはワッチの武器だ。知っているか? ワッチが生まれはキ・レだ」


 小鞠とマリアは息を呑む。――殺戮波濤の救いなき【キ・レ】。そこは、生きた地獄。落ちた世界。醜悪の坩堝と評される異世界だ。


 殺戮、戦争、無慈悲、強奪、絶望、情欲、艱難辛苦。あらゆる苦痛が内包された世界ゆえに、ここだけはどの異世界も関わりたがらない。


 シルビアは、輝きを失った瞳で虚空を睨む。


「貴様らには、言葉で言っても分からん地獄があった。地獄の姿を生まれながらに知ったのだ。……そこから、偶然別の世界【ハーヴェスト】に渡り、バルファッソ家の養子となった。――なあ、美とは女の武器だ。キ・レで命を護れたのも、ラーラ・キューレの社長として名を馳せたのも、全てワッチが美しいから。――なのに」


 シルビアは、煌めく紅の髪を掻きむしった。


「ワッチに匹敵する美、いや凌駕する美があった。卑しくもお前は、ワッチと同じ社長として名を広めた。それでいて、ワッチと違い純潔のまま麗しの社長として君臨する。……許せない。ワッチのような地獄を歩まず、何が新進気鋭の女社長か!」


 激しい感情と共に吐き出された息が、白い霧となって風に巻かれた。シルビアは、射殺せと怨念を瞳に込めて敵を睨む。


 小鞠は、呼吸を忘れたような顔で瞳を受け止めていた。そのまま時は止まるかに思えた。


 しかし、だらしない笑い声が、空気を両断する。


「へへ、姉さん方美人じゃねーの。シルビア姐さん。あいつら、もらって良いか」


 ドレッドヘアーの男……いまや名実ともにつがい街で唯一の民間軍事会社社長である。


もっとも、だらしなく口を開き、舌なめずりしている姿に、その肩書は重たいようだが……。


 女三人は、冷えた瞳で「死ね」と一蹴した。


「馬鹿は放っておいて、戦いだ。お嬢さん方に、戦場を生き抜いた女の強さを見せつけてやろうぞ」


「言うじゃない。マリア!」


「はい! ワタクシと小鞠社長が揃えば、勝利はもらったも同然ですわ」


 小鞠とマリアは、姉妹のように似た笑顔で……恐ろしい笑顔で拳を握った。


「おっと、てめーら出番だ! しくんじゃねえぞぉ」


 ドレッドヘアーの命令で、静は動へ移ろう。


彼の隠れていた部下たちがビルの屋上をはじめ、周囲一帯に展開していく。


 ある者は木陰から、またある者はスーツを脱ぎ捨て、企業戦士から兵士へと変貌した。


千や二千ではきかぬ、多数の軍勢。銃や杖を手にする者どもが、獲物を狩るような目で小鞠たちを睨んでいる。


 シルビアは、冷笑する。


「勝利はもらったは同然? 見よ。ワッチが準備に準備を重ね用意した軍団を。すぐに軍用ギアも来る。イワサとお主の戦力はすでに把握済み。日本が平和ボケしている国であることは把握している。次からはもっとたくさんの戦力を用意しておくことだ」


「……フ」


 信じられないが、劣勢に立ったはずの小鞠からそれは零れた。


 彼女は手元を隠していたが、堪えきれずエレガントだが大声で笑う。


「何が、可笑しい」


「あなたが可愛らしくってついね」


 小鞠が手を振ると、ディメンション・スマイル本社から多数の兵士とギアが出動する。


 その数、地と空を埋め尽くすが如く。


「馬鹿なこれほどの軍勢をどうやって……」


「それには私がお答えしよう」


 スピーカー越しの声。それは、ディメンション・スマイル本社入り口から。


 自動で開閉する両開きのドアが開け放たれ、イワサが外へ歩み出た。太陽光を弾く大理石を規則正しく鳴らしながら、彼はジャケットを投げ捨て、ネクタイを外し、シャツの第一ボタンを開放。続いて腕をまくり上げてから、手に持ったスピーカーを使った。


「ちょっとした企業秘密なのだがな、実は我が社の中には小ぶりのゲートがあるのだ」


「は、ハア?」


 シルビアは、口をあんぐりと開けた。が、すぐに咳払いで誤魔化す。


「馬鹿を言え。ゲートが一つの会社に占有されるなぞ、あり得ぬ。ゲートは使い方次第で、各世界を征服できる代物。いくらお前の会社でもあり得ぬであろう」


「いいや、そうでもないさ。……君は確かに凄い業績を上げているね。けど、知るべきだ。御社と我が社では、絶望的に会社としてのレベルが違う。


 君の会社が王ならば、我が社は神だ」


「自惚れるな。傲慢ここに極まったな」


「いいや――ただの事実だ」


 イワサは、銀縁眼鏡を外し、地面へ投げ捨てた。鋭い刃のような瞳が、距離を隔ててなおシルビアを射抜く。


 知らず彼女は、よろめきながら数歩後ずさる。


「各異世界と協定を結んでいてね。ゲートを占有する代わりに、当社は異世界がよりよく回るように手助けすると。そして、ゲートは有事の際にのみ、各異世界の権力者の許可を得て使用できる。


 君は随分多くの権力者を抱き込んだらしいが、あいにく私の手札の方が多いのだよ。さあ、お嬢さん。経営者たるもの責任を取る時が来た。大人しく投降するもよし、我らに噛み潰されるよし、選びたまえ」


 シルビアは、震えている。屈辱、怖れ、感情はミックスされて見分けがつかない。


 だが、膝は屈しない。ここで諦めることを、心の何かが引きとめている。


(何だ? この状況で、ワッチは高揚しているのか。なぜ、いやどうでいい)


 シルビアは、気丈にも笑って見せた。


彼女の意思は、瞳越しにイワサへ通じたようだ。


 彼は残念そうにため息を吐き、腰に帯びた刀を抜き放つ。


「人はいつになれば、賢しく生きられるようになるのか。残念でならない。各員、攻撃を許可する。ここら一帯の一般人は退避済み。気にせず戦え。損害は気にするな。私が責任を負い、金も払う」


 昼間のオフィス街。ここは戦場となった。

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