第24話 第三章 蠢く影が表に出る時⑦

 ――マジか。


 小鞠の準備が整うまで外で待つことにしたヒューリ。


 建物から一歩外へ出れば、冬の容赦ない冷気に歓迎される。今日はどうやら冬の神様とやらが元気に活動しているらしい。


 ブラックスーツの上から羽織った茶色いミリタリージャケットでは、なかなかに厳しい戦いになりそうだ。冷気が針のように鋭く服を貫通し、鳥肌が立つ。だが、ヒューリは、ブルブルと身体を震わせながら、律儀に外で待つ。いや、本当は律儀ではなく、小鞠と顔を合わせるのが照れ臭いだけだ。


「はーい、お待たせ」


 そんな男心を知ってか知らずか、小鞠は裏口から外へ飛び出すと、彼の腕に自らの腕を絡めた。


「お、おい。まだファンがここらをうろついている頃だろ。見られたらどうするんだ?」


「問題ないわ。私、好きな人がいるから皆のものにはならない。応援するならそのつもりでって公言してるから」


「ストロング過ぎんだろ。鋼鉄アイドルかよ」


 良いわね、そのキャッチフレーズ、なんてどこまで本気かわからない顔で彼女は笑った。


 夜の帳に沈む町。天から降り注ぐ自然の光から、人工の明かりへとバトンタッチする。


 ヒューリたちは、騒がしい会場の入り口方面から背を向け、人気のない場所へ歩を進めた。  


 ここは、つがい街の中心街である心坂だ。ディメンション・スマイルの本社がある一帯は、関連会社が林立するオフィス街だが、少し外れれば先ほどのコンサート会場しかり、娯楽のための施設が立ち並ぶ。


 小鞠は、どこに行きたいんだろうか? 疑問を頭の中で転がしてみる。……映画、カラオケ、ボウリング。人並みに彼女はそういったものも好きだが、ここ最近休みなしで働きっぱなしで疲れているだろう。


 だったらと、ヒューリはそのまま人気のない場所を直進し続け、ピタリと歩を止めた。


「わあ」


 小鞠の感心したような声。そこは、都会の喧騒を避けるように存在するオアシスだ。街を貫くように流れる小川。それに面した歩道は、静かな安らぎが友のように寄り添っている。


 シン、と水辺に近い分、冷たさが増すので長居をするつもりはない。だが、ライブ終わりで火照った彼女には、ちょうど良いのかもしれない。


 ヒューリは、少しゆったりとした調子で歩みを再開しつつ、隣を盗み見た。


 小鞠は、艶やかな紫の和服の上から瑠璃色の長羽織を纏っている。サラリと流れた青髪、耳元で煌めく真っ赤なピアス。風に乗って、爽やかな香水の匂いがした。


 いつもと違う彼女は、普段の何倍もの魅力を放つ魔女と呼ぶに相応しい。


 一挙一動から目を離すことは困難だ。


 ――ああ、修行不足も良いところだ。けど、やっぱり俺は。


 その続きの言葉を、はっきりと想うのは止めた。想ってしまえば、自らを律することは難しいと思えたから。


「何?」


「い、いや」


「もう、何なの? あ、もしかしてこのピアスかしら。お店で見て一目ぼれしてね。どう、似合う?」


 彼女は、人差し指で耳たぶを軽く弾いた。まったく見当違いだが、ヒューリとしてはありがたい。高鳴る鼓動を沈めるように、努めて冷静に深呼吸しつつ所感を述べる。


「まあ、な。悪くはねえんじゃねえか。アクセサリーはろくに知らんがな」


「知ってる知らないはどうでもいい。気に入ってくれればね」


 小鞠は、はにかんで頬を赤らめ、ヒューリの腕を引っ張った。


「行こ?」


 ライブの疲れをまるで感じさせない軽やかなステップで、踊るように進んでいく。小鞠は、わかりやすく浮かれている。


 ――妖艶な美貌に、気高い強さと優しさ、少女のような純真さを兼ね備えた彼女は、ヒューリにとって眩しすぎる。


 どんな大富豪も、どんな権力者も、どんな英雄も、きっと彼女が自分のものになれと命じたならば、容易く膝を屈しただろう。


 あらゆる可能性が小鞠の前には広がっている。それなのに、どうして彼女はヒューリの手を握るのだろう。握られた手の温もりは、ヒューリの冷えた手を温めてくれる。


 疑問ばかりだ。彼女に問うても、あなたを愛しているからと告げられるだけ。小鞠にとってヒューリを愛するのは当たり前の話なのだろう。だが、ヒューリにとってそれは当たり前ではないのだ。


 どこかに自らの疑問に答えてくれるものはないだろうか。そんな馬鹿げた考えに釣られて、周囲を見渡した。


「……待て」


 ヒューリは、足を止める。おかしい。人気がまるでない。


 確かに、人があまりいない場所を求めて歩いた。しかし、この道は、普段であればカップルが数組は歩いている場所だ。


 人気が絶えたゴーストタウンを思わせる光景に、ゾワリと鳥肌が立つ。


「ヒューリ」


 硬い小鞠の声。導かれるように右を見たヒューリは、目を見開いた。


 強烈なバラの香りが、脳髄を貫く。


 胸元が大胆に開いた黄金のドレスを翻し、銀のヒールで地を踏む女。小鞠とは系統が違うが、こちらも誰もが蕩けるような美を発露している。その女の名は、


「シルビア・バルファッソ! お前、何のつもりだ?」


 咄嗟に小鞠を庇う位置に飛び出し、ヒューリは懐からナイフを取り出す。


 シルビアは、夜風に揺れる前髪を手で押さえつけ、値踏みをするように細い瞳を動かした。


「……イワサに鼻は似ておるが、他はイマイチじゃのう。母親似か」


「あなた一体、どういうつもりかしら?」


 小鞠の声は、警戒心と敵対心が含まれている。ヒューリから見えないが、背後で鋭い視線も投げているだろう。しかし、シルビアは意に介さず、流麗な足取りできっかり二歩分こちらに近づいた。


「フ、こうやってプライベートでお会いするのは初か。では、まずは挨拶からだ。ワッチは次元商人のシルビア・バルファッソ。お前らの敵だ」


 優雅な一礼。彼女が淑女としての教育を徹底的に受けていることを示している。


 思わず頭を下げたくなるが、それは止めておいた。


シルビアは、不快に感じた様子もなく、むしろ愉快げに唇の端を吊り上げる。


「フフ、そう宣言されれば、動かぬが道理か。よい、不遜だが許そう。さて、時間も惜しい本題に入ろう。……どこにしまったか。ああ、これだ。そら!」


 一枚の封書が、滑るように飛んでくる。咄嗟に受け取ったヒューリは、頬をひくつかせた。――それは、茶色い封書だ。現代ではめったにお目にかかれないシーリングスタンプで丁寧に封をされている。まったく嫌みにもほどがある。


 ヒューリは舌打ち交じりに開封し、中身を改める。


 一枚の紙片。ご丁寧なあいさつから始まるそれは、イベント参加のお誘いであった。


「ラーラ・キューレ社とエンチャント・ボイス社で行う交流会……。俺とリベンジマンのタイマンだと」


「貸してヒューリ」


 小鞠は、横から奪うように紙片を受け取り、素早く視線を動かす。読めば読むほど彼女の顔に、苦悩の色が深く反映されていった。


「何が目的?」


「別に大したことではない。これはワッチの用事ではなく、あの男の要望だ。ほら、挨拶をしろ」


「! 小鞠」


 小鞠を引っ張り、ナイフを振るう。散る火花が、傍らを流れる川面に投射される。


 不届き者は、煤けたマントを揺らめかせ、距離を取った。


「久しいの小僧」


 前に見た時と寸分変わらぬ姿と憎悪を携え、リベンジマンが幽鬼のように立っている。人の絶えた場所でその姿は、季節外れの怪談を思わせる。


「フウ、ああ、もの悲しい。お主の成長を待ってから切り殺そうとしたが、あまりに鈍重な成長具合だ。あの男の才には遠く及ばぬ。だが、悲しきかな。お主は、落ちこぼれとはいえ放浪永礼流の継承者。見逃す道理はない。優しく殺す道理もない。ゆえに考えた。


小僧、お主が愛する次元決闘とやらで、引導を渡してやろうと。フ、フフ。自らが得意とするもので敗れるのは、死よりも屈辱だろうな。そして、その苦しみのなか孫が死んだと知れば、きっと永礼 ハルカゼは苦悩するであろうよ」


「ッ、黙れ! そこで何でジジイの名前が出てくる。お前は何なんだ!」


「我はリベンジマン。永礼 ハルカゼに敗れ、誇りを失いし者。かつて気高き火の担い手、赤き絶望をふるまう者……人を喰らいし人類の敵として名を馳せた暗黒の化身。今は、その燃えカスなり」


 リベンジマンは、深くかぶったフードを外し、それからローブを脱ぎ捨てた。静寂が場を満たす。


「嘘だ……」


 果たしてそう呟いたのは、ヒューリと小鞠のどちらであったのか。


 リベンジマンの上半身は包帯に巻かれている。赤黒い血のようなものが染みを作り、お世辞にも清潔には見えない。だが、そんな事実などどうでもよい。特筆すべきは顔面だ。


 くすんだ赤い鱗、大きく裂けた口、ナイフのように尖った歯、爬虫類のような瞳。それは、数多の伝承で語り継がれ、尊敬と畏怖を集める者。人はその者を、ドラゴンを呼ぶ。


「お前、ドラゴンの頭……。リザードマン、じゃねえよな」


「あんな下等生物と一緒にするな。我はある世界にて、あらゆる生き物の頂点に立つ絶対者であった。しかし、ハハハ、あああ、しかしのう。下等生物一人に倒されるなぞ夢にも思うものか。みっともなく、こんな姿になってしまって。ゆえに我は復讐せねばならん。永礼 ハルカゼの大事なものすべてを踏みにじってな」


 静寂が重圧に取って代わられる。


 肺がまともに動かず、呼吸が浅くなる。冷えた体から絶え間なく汗が流れて落ちゆく。


 燃えカスなどとんでもない。灰にこんな力はないだろう。


 屈しようとする意志。しかし、ヒューリは歯を食いしばり抗う。


 ――爽やかな香水の香り。命の重みは、一つではないのだから。


「ああ、そうかよ。ジジイの復讐ね。あいにくもうハルカゼ爺さんは寿命で死んだけどな」


「フフ、それはありえぬ」


 なんの根拠があっての返答だろうか? リベンジマンは、ワニのように大きい口を開け、大気を震わすように笑う。


「あの、化け物じみた男が簡単に死ぬか。奴は次元の放浪者。寿命なんぞ自然の摂理で死ぬなぞ、ハルカゼにあってはならぬ」


「お前、何を知っている?」


「……ただ教えるとでも? 力なき者に知る権利は訪れぬ」


 ヒューリは、ため息を零す。――まったく、情けない。舐められるのは慣れっこだが、甘んじては男が廃る。


 拳を握りしめ、眼前の敵を睨む。


瞳に宿すは、次元決闘者としてのプライド。心に灯るは、叛逆の意思。迸る感情は、喉からあふれ出た。


「俺が勝ったら教えろ。その代わり、俺が負けたら命をテメエにくれてやる」


「ヒューリ、駄目よ」


 ヒューリは、すぐには答えなかった。代わりに小鞠の手を握ると辺り一面に声を轟かせる。


「悔しいだろ、小鞠。俺はお前の頑張りを知ってる。お前は凄い奴だ。学生で会社を立ち上げて、アイドルにもなっちまって。オールワールドフェスティバルに参加できたのも、かなりお前が尽力してくれたからだ。


 なのに、あのバカ女とめんどくさい復讐野郎は、大会を滅茶苦茶にしやがった。どんな恨みがあるか知らねーが、何でもかんでもやっていい事にはならない。


 ――チクショウ。だから、やってやろうぜ。俺はリベンジマンに試合に勝って、永礼のしがらみを一つ消す。お前は、皆と協力してシルビアを止めろ。やられぱなしってのは性に合わない。だろ?」


「ヒューリ、あなた……」


 小鞠は、ヒューリの手を握り返す。力強く暖かな感触。冬の寒さも、野暮な復讐心も、決して届かない確かな絆がそこにある。


「ええ。シルビア、乱神を壊そうが無駄よ。あんたのたくらみはここで終わり。裏でコソコソしてウザったい。下品な女は、これだから嫌いなの」


「なん……だと」


 シルビアの顔から余裕の笑みが消えた。よほど痛撃だったに違いない。


 してやったり、と小鞠が見下すような王者スマイルを浮かべる。


「ああ、そうか。そんなに全面戦争がお好みか。了解したよ、小娘。ワッチは、お前が気に入らない。そう、永礼の関係者が気に入らない。……試合は、一週間後。ここつがい街で行われる。さあ、互いに無様な喰らいあいをしようぞ」


 シルビアの宣戦布告に、誰も異論はない。ぎらつくような闘志を持ち寄り、とことんぶつかり合おう。言葉で交わすは無粋。我らは不器用ゆえに、拳を握り締める。

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