第22話 第三章 蠢く影が表に出る時⑤

 ――きっと、氷の精霊に抱きしめられるってこんな感じだ。


 カルフレアは、冷えた廊下を眺め、そう思った。


 ここは、エンチャント・ボイス社が誇る特殊倉庫だ。


 長方形の巨大倉庫には、エンチャント・ボイスが所有する巨大兵器を含む武器類が保管されている。


 街の郊外、それも深夜と呼べる時間帯。普段は整備員が闊歩する廊下は、人の温もりが宿らぬ冬の寒さが支配している。


 この寒々しさを寂しい、と思う。カルフレアは、人と関わるのが大好きだ。エンチャント・ボイスに入社する前、グリフォンと一緒に異世界中を旅した。


 そのグリフォンは元人間で、名をシャーリアという。


 悪い魔女に騙され、魔獣へ変じられた彼女を救うための旅。とはいえ、恋人と一緒なのだから孤独に潰されることもなかった。


 ――だが、「人と出会いたい」という気持ちは芽吹く。初めは、小さなつぼみに過ぎなかったそれは、旅をするごとに花開いて行く。


 所詮、人は一人でできることに限りがあるのだ。誰かがいないと、すぐに尻もちをついて起き上がれなくなる。何でもできる、一人でも……なんて、強がっている奴は世界の広さを知らないのだ。


 だが、今日に限っては、誰もいないことがありがたい。


 彼は、重く引きずるような足取りで廊下を進み、大きな両開きのドアの前で止まった。そこは、巨大倉庫の中でも一際大きい一角だ。


 カルフレアは、慣れた手つきでドアの横に備え付けられたテンキーを操作し、ドアを開放。補助電灯だけで照らされた空間は、自らが小人だと錯覚するほど広い。


「ハア、やっぱあるよね」


 倉庫の端に、漆黒の鎧武者が鎮座している。全身を幾本もの太いワイヤーで拘束されているのは、いつもの光景。だが、外部装甲が外され、内部が剥き出しになっている姿を、カルフレアは知らなかった。


 静かな姿は、鍛冶屋の横に放置された冷たい鉄を連想させる。戦いの時になれば、血管のようにオゴが機体内部を巡り、黒い輝きを放つ。――ああ、あの猛々しい姿はここにはない。


 カルフレアは喉を鳴らし、近くにあった作業テーブルにアタッシュケースを置いた。


 中を開けると、長方形の物体が八つ、銀色のスティックが同じく八つ入っている。


 彼は震える手で長方形の物体を取り出すと、スティックを差し込む作業を開始した。


 まったく、俺は何をやってるんだろうな。知らず、言葉が零れた。


 カルフレアはいつだってシャーリアのために生きている。どんなに他の女に視線が泳いでも、……時に遊んでも、心に抱くは彼女だけ。


 だから、どんなこともできる。たとえ、友を裏切ることになろうとも。


「……フ、ウ、うあ」


 だが、溢れる嗚咽は止められない。涙も鼻水も、どうせ誰も見ていないのだ。拭いもせずに流した。涙は寒々しく天板へ落ちて小さな水たまりを作っていく。


 ――ブウウウウウ。


 低いうなり声のような音。カルフレアは顔を曇らせ、ポケットからスマホを取り出した。電話の主は、見ないでも分かっている。


 乱暴に涙を拭い、それからスマホを耳に当てた。


「何だ?」


「何だとはご挨拶じゃない。首尾の方はどうなっている?」


「今、爆弾を取り付けるところだ」


 クスクス、とくぐもった笑い声がスピーカーから流れる。この電話の主、シルビアの顔を思い浮かべて思わず舌打ちをした。


「おおっと、許せ。分かっていると思うがな、ここで躊躇しようものなら、この獣の命はない」


 野鳥のような声が、途切れ途切れに耳へ届く。人の言葉ではないが、苦痛と悲しみを抱いた声だ。


「よせ! ちゃんとやるって。黙って、結果を待っていろ」


「おお、それは僥倖だ。それで――」


 何かをまだ喋っていたが、最後まで聞かずに切る。


手に持った爆弾は、最新型のプラスチック魔素爆弾だ。――魔獣ドーン。その血は、流体の爆弾に等しい。僅かスプーン一杯ほどの血に火を接触させるだけで、砲撃並の爆発を引き起こす。そんな恐るべき血を、この爆弾にたっぷりと練り込んである。


 カルフレアは、作業の手を止め、スティックが刺さった爆弾を睨んだ。


「こんなものが爆発すれば、乱神はもう終わりだ。あいつ、怒るよな」


 分かりきった独白は、自らの心を殴るだけだ。見えない流血を避けるように、作業へ没頭する。


「――こんなものか。問題は、これをどこに取り付けるかだけど……」


 カルフレアは、作業テーブルに備え付けられている整備用デバイスを操作し、乱神の機体データを確認する。爆弾の設置なぞ映画でしか見たことがないが、データを見ればどこが脆いかがよくわかった。


 ――なんとかなりそうだ。嬉しくはないが。


 深く長く息を吐き、喉の奥からせり上がってくるものをこらえ、機体へ向かう。――だが、背後から鳴った電子音に出鼻をくじかれた。


(どっから? ん、さっきのデバイスにメッセージが)


 差出人不明のメッセージ。この整備用デバイスは、外部とは切り離され、社内ネットワークにのみ接続されている。考えられるとすれば、エンチャント・ボイスの誰かから送られているメッセージのはずだが、その文面の書き方は見覚えが無かった。


(一体誰だ? まったくわからん。けど、この情報は……)


 カルフレアは、食い入るようにメッセージを眺める。


 内容は、なんといってしまえば良いのか。……そう、眉唾物だ。カルフレアの顔が、詐欺を目撃したような表情に変化する。


「本当かな。ああ、でも……なるようにしかならん、か」


 ――その十五分後。乱神が保管されている倉庫で、派手な爆発音が轟いた。

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