第4話 第一章 不穏な空気③
――エンチャント・ボイスの休憩室。
ここは、魔法も科学も繁栄した世界において、時代に取り残された場所である。
六畳一間の畳部屋。中央には丸いちゃぶ台、部屋の片隅には時代遅れのブラウン管が茶色いテレビ台の上で圧倒的存在感を放っている。
和風びいきの小鞠社長の意向で、このデザインになった時は、「ギャグだろ」とヒューリはごねた。だが、住めば都とはこのこと。今となっては、ヒューリが一番この休憩室を使っていた。
「ダリ―な」
「先輩……そういわずに」
だらけた様子で寝転ぶヒューリと、正座でお茶をすする護。
これから彼ら二人は、イワサから託された極秘任務を遂行しなければならない。
オールワールドフェスティバルは、開催日まであと三日に迫っている。
開催場所は異世界【エーア】。ゲートを通ればすぐに行けるとはいえ、試合のために異世界に行くのだ。当然、準備に追われていた彼らは、任務遂行をなかなか果たせずにいた。が、ようやく実行のめどがついたのである。
……しかし、ヒューリの顔は抜け殻のようにやる気が抜け落ちていた。
「先輩、そろそろ行きましょうよ」
「……んああ、待てって。もうしばらくだらけようぜ」
「さっきからそればっかですよ」
テレビ画面の下部に開いた穴から、ニュースキャスターの声が吐き出されている。
――本日未明。推定時刻は、統一表現時刻深夜三時頃、【ドラーン】の首都に住まう古龍グレート・シャイニードラゴンが、何者かの手によって殺害されたと発表がありました。
「なんか、物騒ですね」
「へ、ドラゴンぶっ殺す元気あるなら仕事しろっての。犯罪者の考えは分かんねえな」
「あ、確かに。仕事して誰かの役に立てば、感謝されるし、自分の価値も上がるのに、何してるのか」
「ほんとそれな。……ドラゴンが殺されたのかー」
あ、とヒューリは声を上げた。
「やんべぇ、護早く行こうぜ!」
「急に、どうして……あーなるほど」
「偉大なるドラゴンが、お亡くなりになりましたわ!」
「チィ、遅かったか」
休憩室のドアが、勢いよく開かれる。
現れたのは、お姫様、といった表現が似合う女の子だ。
年の頃は十七歳ほど。金糸のような金髪をツインテールに結び、彼女が動く度、結び目から毛先まで筒状となったツインドリルが、景気よく揺れ動く。目鼻立ちのはっきりとした可愛らしい顔は、猫のような瞳と八重歯のおかげでより魅力的に。黒に紫の差し色が入ったメイド服――ゴスロリっぽくも見える――を可憐に着こなす彼女は、ヒューリたちの同僚であるマリア・ゴールドスタインだ。
見た目の印象から幼く見えるが、長い手足と胸部の膨らみ、ヒューリとそれほど変わりない背丈から、その印象はすぐに却下されるだろう。
彼女は、黒のおでこ靴を脱ぎ捨て、畳にズカズカと侵入。そして、ヒューリの胸倉を掴み、涙目で訴えた。
「ヒューリ、あなたに分かって? グレート・シャイニードラゴンは、いっだいで、すんばらしいドラゴンでしたわ。ああ、嘆かわし。ドラーンに住まう人々の悲しみが、ワタクシの胸にまで届いてきますわ」
「お前、ドラーン出身だっけ?」
「ノン。ワタクシは誉あるキング・ゴールドの出身ですわ。しかし、ドラーンとキング・ゴールドは、ワタクシ、お友達だと思ってますの。だって、どちらの世界もドラゴンを友と呼び、神と呼び、兄弟と呼ぶ、ドラゴンの良き隣人として繁栄してきた世界ですから」
「いや、どれ何ですかそれ?」
「全てです護」
「おわ! テメエ、クソ女!」
マリアは、ヒューリをポイ捨てし、護の鼻に人差し指を突き付けた。
「ドラゴンは、人よりも大いなる存在なのです。それを、それをぉぉぉ」
「あわわわ、泣かないでください」
「あら、ハンカチ、気が利くわね、どうも。チーン」
「うわ、僕のハンカチが!」
「お返しするわ。それでどこまで……そう、ドラゴンを殺した輩がいる。許せませんわ」
「ああ、そうかい」
悲しげに、己のハンカチを眺める護。そんな哀れな後輩の肩に優しく手を置いたヒューリは、戦線離脱を敢行した。彼女のドラゴン話は、校長先生の長い話が可愛く思えるほど長文かつ暑苦しい。一日は優に過ぎるだろう。
――逃げるしかねえ。ヒューリは、そう心で叫び、休憩室のドアに手を伸ばした。
「逃げる気! させませんことよ」
マリアは、ドアとヒューリの間に挟まるように、己が身を滑りこませる。
ヒューリは、ギョッとして手を止めようとするが、速度がつきすぎた手は、意志に反して直進する。
「ああーん!」
時が止まった。
ヒューリの手は、がっしりとマリアの胸を鷲掴みにしている。顔を赤らめる護は、両手で顔を隠す。
マリアは、視線を胸に向け、それからプルプルと体を震わせた。
「お、おい」
「こ、この、変態いいいいいいい!」
マリアは、ヒューリの手を弾き、胸を両手で覆い隠す。猫のような瞳に涙が溜まっていき、遂には雫となって頬を伝う。顔は赤く熟し、上目遣いにヒューリを睨む。
――ドキリ。
ヒューリは、心臓の辺りを撫でる。普段は意識していないが、マリアは麗しき美女である。
先ほど手に触れた暖かくも柔らかな感触が、脳内に再生されそうになった。
「ぬ、ぬうぁああ煩悩滅却」
ヒューリは、脳内映像の誘惑を、全力の首振りでキャンセル。
ついでに、わざとらしい咳を盛りだくさん。
それから、極めて冷静を装った声で言った。
「あ、あー、あのな。わざとじゃない。事故、なんだよ。分かるよね?」
「ひ、ひっく、うえ……。わ、ワタクシを穢しましたわね。は、初めては小鞠社長に差し上げるつもりでしたのに」
「いや、だから人聞きの悪い。事故だっての」
冷や汗がヒューリの全身を濡らす。こんな焦りは試合中でだって経験したことがなかった。
(な、何とかしねえと。小鞠が見たらなんていうか。ひとまず、座らせて落ち着かせないと)
使命感にも似た想いに突き動かされ、ヒューリはマリアに一歩だけ近づいた。しかし、マリアの拒絶たるや、凄まじく。耳をつんざく大声で、悲鳴を上げた。
「いやあああああ、犯される! 助けて、小鞠社長ぉおおおおおおおおお!」
「ちげええええええええええええええええ。話を聞け、テメエええええ!」
――ガチャリ。
護がなぜか入り口から最も遠い場所に移動し、ちゃぶ台を盾代わりに構えた。
部屋の空気が、張り詰めた雪原の如く冷える。
「しゃ、社長おおおおお」
マリアが、何者かに飛びつく。
ヒューリは、表情を強張らせ、扉を開けた者の認知を拒絶する。――拒絶するが、視界の隅に映る見覚えのある和服の裾が、何者かの正体を明かしていた。
「ヒューリ、どういうこと?」
ビクリ、とヒューリの肩が震える。恐る恐る、それはもうゆっくりと顔を上げ、鬼の顔と対面する。
――嫉妬の鬼。つまりは、軽蔑に満ちた視線をヒューリに投げかける千島 小鞠の姿が、休憩室の入り口にお見えになっていた。
「いや、事故で――」
「あ、あのケダモノ。ワタクシの胸をこう、鷲掴みしましたの。ムニュ、じゃなくガ! って感じでした。女みたいな顔しているから油断してましたわ。やっぱり、男は獣なのです」
「……そうね、怖かったね」
小鞠は慈しむ手で、マリアの頭を撫で、それから彼女を上がり框の上に座らせた。
「嘘つき」
「え?」
ボソリ、とした声。
聞き逃したヒューリが、もう一度と問うその前に。
――パッシィイインっと、子気味良い音が鳴った。
ヒューリの頬が痛む。
呆けた顔のヒューリが頭の位置を戻すと、瞳から幾筋もの涙を零す小鞠と目が合う。
「私のこと、お嫁さんに貰ってくれるって言ったのに。浮気なんて」
「いや、言ってないけど」
「結婚して、白くて立派な一軒家購入したら、子供を三人産んで、犬を飼うって予定でしょ。ボーダーコリーが良いわね。それで、室内は和のテイストにしましょう。慎み深さを感じさせながらも、ゴージャスにね。で、夫婦の部屋は防音にするから、子供達にアレは、聞かれないわ」
「おい、何の話?」
「なのに、私と子供たちを捨てるの!」
「落ち着け。マジで落ち着け。俺とお前は結婚してないし、子供いないし、ペット買ってねえし、白い家に住んでない。そもそも俺は賃貸マンション、お前はここの居住スペースに住んでるだろ」
「そんなこと聞いてない!」
「聞けよ、それが真実だっての」
小鞠は、マリアを抱きしめ、大声で泣いた。
「社長おおおおお。あのゲス野郎、ぶん殴りたいですわああああ」
「えええええん。私もよおおおお! 一緒に拳で分からせてやりましょうね」
「何で? お前ら、人の話を聞け! 泣きたいのは俺の方なんだよ」
鬼が二人、ゆらりと立ち上がる。
護は、くわばらくわばらと口にし、そっと両耳を手で塞いだ。
※
――数十分後、顔に痣を作ったヒューリの姿を、社用車の助手席で見かけることができる。
「裏切りもん」
「い、いやー、すいません。あの二人、僕怖くって」
軽い調子のセリフであったが、護の顔は青ざめている。かなり本気でそう思っているな、とヒューリは察した。
「俺のほうが怖かったっての。チ、思いっきり殴りやがって」
「まあまあ、社長たちだって、半分ノリでやってると思いますよ」
「だとしたら、余計たち悪いっての」
ヒューリは、運転席に座る護の肩を叩き、周辺を見渡した。
ここは、ヒューリたちの住まうつがい街の港。異世界同士が繋がったとはいえ、なにも大陸・島同士の貿易が絶えたわけではない。今日も日本は、世界中の国々と品物や価値観を交えている。
早朝の清々しい朝日が、理路整然としたコンテナ街を照らす。荷物の積み下ろしは終わったのか、人気のない様はひっそりとした森を連想させる。
(良い静けさだ。修練向けだな)
ヒューリはそんなことを思いながら、視線を止めた。先ほどから気付いてはいたが、改めて確認するとその倉庫はやけに目立つ。なにせ、コンテナが並ぶ場所から離れた所に、ポツンと一つだけ建っているのだ。
ヒューリは、顎で一人っきりの倉庫を指し示す。
「なんでここに一つだけあるんだ?」
「え? ああ、あの倉庫ですか。あれは元々沢山あったみたいですが、ここの隣のブロックに移転するにあたって撤去したみたいです。この倉庫も来月には取り壊す予定みたいですね」
「フーン? で、こんな建物に何の用だっけ?」
「先輩……小鞠社長の話聞いてました?」
ヒューリは、力強く首を振った。
仕方ない人だ、と護は小言を二、三呟く。
「ええっと。ですから、この倉庫が民間軍事会社の倉庫である可能性があるんです。表向きは、海運関連の会社が所有していますが、どうも違うみたいですね。
この街にいる二つの民間軍事会社、【DG】と【ブラッククロウ】。そのうち、ブラッククロウの兵器がここに保管されているらしいっす」
「フーン。っで、ラーラの奴らがコソコソここで連中と会ってんのか? 何でか知らんが、ほっとこうぜ」
「先輩、ラーラの動向が気にならないんですか? オールワールドフェスティバルの予選は、地獄だったでしょ。苦労して他の会社よりも好成績を収めて、やっと参加が認められたじゃないですか。もちろん、ラーラの人たちも相当苦労したはずです。
なのに僅差でうちにラーラは負けてしまった。普通の会社なら、それまでの話ですけど相手は、あのラーラです。あくどい手なんて、当たり前の怖い会社っす。そんな人たちが、僕らの街で怪しい動きしてるんですから、絶対なんか目論んでますって」
護は、強く拳を握る。だが、ヒューリはどこ吹く風といった様子。ドリンクホルダーに手を伸ばし、コーヒーをすすった。
「あちち。目論んでても、ぶっ潰せば良いじゃん。それまで放置でOKだろ」
「先輩! もう、そういうとこっすよ。次元闘技だけは凄いですけど、それ以外からっきしっすよね」
「まあな。――ったく、分かったよ。睨むなって、仕事する。ここで見張っとけばいいのか?」
「いいえ、忍びこむっす。その前に、ちょっとデータ確認するんで待っててください」
護は、ドリンクホルダーに差し込んでいた巻物を開く。中身は白紙だ。護は、紙の表面に手を置き、【オヌ、教えたまえ】と唱えた。――途端、白紙は文字を浮かび上がらせる。
この巻物は、ディメンション・スマイルが妖力能力者向けに開発したデバイスだ。妖力を流せば、超高速で操作ができる優れものらしく、護はスマホではなくこちらを主に使っている。
「妖術って便利だよな。物を浮かせたり、身体能力を強化したりよ」
「そうっすか? 魔法のほうが風とか炎とか出せて強そうですけど。それに、身体強化は魔法でもできますしね。
そういや、考えてみれば不思議っすね。元は妖力も魔力も、万物の源であるマナを変換して作った力なのに、どうしてできることが違うんでしょう?」
「妖術とか魔法とか使えねー俺が分かるかよ。俺は、残念ながらただの平凡な人間だよ」
不機嫌にそう吐き捨てたヒューリ。すぐに護は、嫉妬しているなと理解した。
「そんなに卑下しないでも。だいたい妖術も魔法も使えずに戦える先輩のほうが凄いっすけど」
「あ? なんて」
「いや、何でも……そういや、何でラーラの社長さん、先輩と小鞠社長を敵視してんすかね? いくら何でも敵視しすぎっていうか」
「お前、喋ってばっかいないで、情報をチェックしろよ。――ああ、でも確かに」
それは、ヒューリも思っていた。次元決闘一辺倒のエンチャント・ボイスと違って、あちらは複数の部門を展開している次元商人だ。正直、会社として規模では完敗している。
たかが一部門のライバル如きに向ける敵意にしては、苛烈に過ぎると感じていた。
「俺を敵認定してる理由は知らんが小鞠のほうは、あれかな。……案外、会社としてどうのってより、女として嫉妬してんのかも。あいつアイドルやってるせいか、美の女神、世界で一番美しい女社長とか呼ばれてんだろ。ラーラの社長、自分の美貌に自信もってそうな女だから、我慢ならねーんじゃねえか」
「へえー」
護が、ニヤニヤと笑う。
普段、護はこういった意地悪な顔をしない。それだけに、ヒューリは不快さに唸った。
「な、なんだよ」
「そんなこというってことは、小鞠社長のこと、ちゃんと綺麗な人って思ってるんすね」
「な、はあ?」
「社長に言ってあげれば喜ぶのに」
「うるせえな」
ヒューリは、護の頭を力いっぱい殴りつける。
「痛い!」
「く、俺も痛い。この石頭」
「自業自得でしょ。まったくもう。……ん、この倉庫の見取り図と情報が見つかりましたよ。ネットの書き込みの情報なんで、あんま信ぴょう性ないかもですけど」
ヒューリは、横から巻物を覗き込む。建物の見取り図と関連情報が見やすいレイアウトで表示されていた。
「これ、リフォームされてるのか」
「そうみたいっすね。天井に床をつくって、強引に天井裏部屋を確保したみたいっす。他に目ぼしい情報はなし。んー、これ以上情報を探っても無駄みたいですね。誰もいないと思いますけど、万が一を考えて慎重に侵入しましょう」
ヒューリは、胡散臭そうな顔で倉庫を睥睨し、肩をすくめた。いつまでもここで車を停めていれば怪しまれる。今ならば人がいない。もう、覚悟を決めるしかなさそうだ。
「わかった。おい、行こうぜ」
「そうっすね。はい、これ」
「ハ?」
間の抜けた声がヒューリの口から零れた。
護が差し出してきた物。それは、黒い毛糸で編まれており、目と口の部分に丸い穴が開いている。これは、いわゆる目出し帽と呼ばれるアイテムだ。
「おい、ナニコレ?」
「僕らが探っていることを、ラーラの人たちにバレてはいけません。だから、これ被ってください」
「いやだよ、恥ずかしい。つか、これ余計目立つじゃん。自分から俺怪しい人ですってアピールしてるみたいだろ」
「……顔がバレなければ大丈夫っすよ。ほら、行きましょ」
やや投げやりな口調。護はドアを開け、倉庫に向かいつつ躊躇なく目出し帽を被った。
ヒューリは、リスペクトの念を込めた瞳で、その背中を見送る。
「……あいつ、マジかよ。俺も、被らないといけない、のか?」
ヒューリは、舌打ち交じりに車のドアを開けた。潮気を含んだ風が、ヒューリの長い黒髪を揺らす。――なぜか粘り気のある悪寒が、背中を駆けた。
「……なんか、気ノリしないぜ」
声は再び吹く風にかき消された。
やる気がなくても、これは仕事である。ヒューリは、仕方ないとため息を吐き、緩慢な動きで目出し帽を被った。
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