♰Chapter 18:断罪の予兆
オレは〔約定〕と事を構える二日前――つまり空属性の魔法の修練を終えたあとに再び情報屋のもとを訪れた。
まだ昼間ということもありカフェ内の照明は絞られておらず、人もマスターとオレ、そしてもう一人以外にはいない。
「こんにちは。例の件はしっかりと調べておきました……と言いたかったのですが、どうして死んだ魚みたいな顔をしているのでしょうか。もっとも今日に限らずいつも死んだみたいですけどね」
今回はℐの方が先に来ていたらしい。
服装や性格のコーディネートは昼下がりの小休憩に落ち着く勤め人といったところか。
見事なまでに裏社会で生きている空気感を消し、むしろこちらが素のℐなのではないかと疑いたくなるほどに型にはまっている。
珈琲を飲む所作にすら、繊細で神経質な印象を抱かせた。
――幾つもの顔を持つℐには毎度感心させられる。
「ああ、すまない。情報を貰えるか?」
「ええ、もちろんです」
ℐは鞄から小型のケースを取り出すとそれをカウンターテーブルに開いて置いた。
そこにはメモリが二本と青いスティック状のキーホルダーが入っている。
「黒のメモリがマップ関連、濃紺のメモリが人物関連です。キーホルダーの方はこの後すぐに約束を取り付けてあります」
オレはそれらを満遍なく確認すると、そのまま本報酬を渡して去ろうとする。
だがその行動はカップをソーサラーに置く音に阻まれた。
「まあ、そんなに焦らないでください。今回は貴方の求める情報の質が少しばかり違いました。そのうえで言います――ℜ、貴方は自分を大切にすると誓ってください」
「オレはいつだってオレを大切に使っている」
オレの言葉には反応せず、ただじっと飲み干されたカップを見つめている。
「ℐ、お前はオレのことを少なからず知っている人間だ。それを他人に売りつける商売道具にしないことには感謝もしている。だが情報屋として、相手の内面に深く踏み込まないという不文律は守ってくれ」
「もちろん、分かってはいます。適度な距離感こそ私の仕事に必要な物。でも私は貴方が小さい時から見てきました。その結果として、ℜが人を信用しない理由を知っていましたし、貴方がその中に私の情報以外のものを含めていることも理解しています。いくら感情移入しないように言われても少しくらい心配したくなるというのが人情というものですよ」
ℐは幾ばくかの現金を置くと席を立つ。
「ああ、そうでした。今回の件に関する本報酬は結構です。その代わり――」
――死なないでくださいね。
すれ違いざまに耳元の言葉を残すと、振り返ることなくカフェを出て行った。
「死ぬな、か」
たった十数年。
人間が生きる時間の中で普通にしていれば折り返しにも満たない些末な時間だ。
いや些末、というには語弊がある。
ただそう。
その言葉をかけられたという事実が初めてだったのだ。
暗殺者になるより以前は、オレも人の子ゆえに平穏な日常を送っていた。
今は朧気にしか記憶に留まっていないが母親と父親の温かな存在がいたように思う。
喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりしていたのだろう。
だから日常生活において“死”という単語自体と無縁だった。
だが時の流れと共に暗殺者となり“死”は日常になった。
生きるための死ではなく。
死ぬための生でもなく。
ただ生きるための生を、死ぬための死を謳っていた。
要するに心が伽藍洞だったのだ。
殺伐としたその状況に他者の心配をするものなどただの一人としているはずもない。
むしろ、いつ誰に背後を撃たれてもおかしくなかったほどだ。
「マスター、ブラックコーヒーを頼む」
「かしこまりました」
余計なことに頭のリソースを割くことは愚行だ。
仕事前の気付けにマスターの淹れる珈琲はちょうどいいだろう。
――……
茜色の陽光が高層ビル群の硝子に反射して宝石のように輝いている。
昼と夜の狭間にあるこの時間帯は都心において指折りの光景だ。
オレは行政区である第一区の隣りに位置し、オフィス街として知られており、様々な大企業が闊歩する第二区に来ていた。
しかし、光ある所に影があり、影ある所に光があるように、目を見張る街並みの中には裏に生きる者もいる。
オレが狭い路地に入っていくとすぐにその証左が現れ始めた。
「ってえなあ! おいッ‼ どこ見て歩いてんだクソガキ‼ 気を付けやがれ‼」
すれ違いざまに肩を当ててきた男はそう言うと去っていこうとする。
「待て」
「ああ⁉ てめえぶつかっておくだけじゃ飽き足らねえって――」
男の首を掴み、壁に押し付ける。
「ぐええええええ……⁉」
「盗ったものを出せ」
「わ、分かった……‼ わがっだからああ‼」
オレの腕から解放された男はすぐに財布を投げ渡すと駆け出していく。
それはちょうどこれからオレが向かう道の先でもある。
「発展の裏の衰退……というわけでもないだろうな。挑戦という訳か」
第二区は文字通り中枢行政区たる第一区のお膝元だ。
〔ISO〕の警備も十全に行き渡っているので余程の馬鹿でもない限り犯罪を起こそうとはしない。
先程の男は相手の力量がどの程度のものか見極めるためのものだろう。
幾つかの分岐を超えると小さな広間に出た。
ちょうど五人の死体が上がった現場と受ける印象は近い。
違う点は十人程度の生きたごろつきが溜まっていることくらいだ。
会ったばかりの一人はオレの顔を見ると一瞬怯えた表情を見せるも、すぐに威嚇じみた睨みを利かせてくる。
……やはり軽い挑戦だったようだな。
オレは先程ℐからメモリと共に得た青いスティック状のキーホルダーを投げ渡す。
「依頼だ」
すると一番奥でこちらを見ていた男が立ち上がり、仲間からキーホルダーを受け取るとその中身をわずかに届く太陽光にかざす。
そしてオレの正面に立つと話し始めた。
「俺はここら辺のガキを束ねている
「ああ、話は通っているはずだが受けてもらえるか?」
「難易度が青ってことは中級程度の内容だろ? なら受けてやるさ。俺たちはゲーム感覚で遊んで、そのうえで稼ぎも入る。あんたみたいな依頼人にとっては望みが叶う。ウィンウィンだ。まあさすがに何の実力もない屑の依頼は御免だから踏絵はするけどな」
灰を名乗った男は静かに笑うとキーホルダーをポケットにしまう。
「それで詳細は?」
オレはℐから貰った黒のメモリを手渡す。
「お前たちにはメモリが指定する箇所の中でも第一区、第五区、第十二区、第十九区の四区に爆薬を設置してもらいたい」
辺りがざわつくも灰の鋭い視線で一斉に沈黙する。
「なあ、依頼人さん。それは上級クラスの依頼だぜ? 青じゃなく紫のキーホルダーを持ってくるべきだったんじゃないのか?」
「間違いはない」
灰はオレと視線を交錯させると切り込んだ。
「……あんたは誰だ? そう簡単にあの情報屋が色目なんて使うわきゃねえんだ。もしあんたが何も口を割らないなら俺たちは対価に見合うだけの行動しかしないっつう信念のもと、お断りさせてもらうぜ」
「――
「「「「「――‼」」」」」
その場にいた全員が息を呑む気配を感じた。
ただ一人――灰を除いてだ。
「なるほど、な。あの鴉なら法なんざ糞くらえだ。いけ好かねえあの野郎のことも訳ないな。ははっ! 久しぶりに大物からの依頼で嬉しいぜ、俺は! なあ、お前らもそうだろ!」
その一言にざわめいていたごろつきたちが口々に頷き始める。
「あんたが界隈の鴉ってことはまあ、必要なことなんだよな、これは」
「ああ、お前たちの協力がなくして為すべきことは成せない」
オレ一人だとどうしても時間が足りない。
ただでさえそんな状況だというのに、往来する通行人の目も気にしなくてはならない。
だからこそ、人数が多く一般人が避けるようなごろつきが役に立つ。
加えて彼らはごろつきの中でもプロフェッショナルに近い根からのゲーマーだ。
上手くクリアしようとすることへの情熱は徹底的にミスを撲滅する。
「そうかい。ならもう何も異論はねえ。期限は?」
「できる限り早く。最大待って明日一杯までだ」
ひゅーう、と灰の口笛が響く。
「なかなかハードなクエストだな。骨が折れそうどころの話じゃねえ。でもまあ、俺たち好みのジョブでもあるよな――行くぞ、お前ら。他の仲間にも声かけて余裕で終わらせてやるぜ。あんたは楽しみに待ってな」
そう言ってオレの隣りを通り抜けようとする灰に静かな耳打ちをする。
オレのために働く者へのささやかな餞別だ。
「明後日の夕方以降は都心の近くにいない方がいい。特に今から行くところには」
「……忠告、感謝するぜ」
オレの意図をはかりかねたような間があったが、彼らは思い思いに去っていった。
好奇、畏怖、憧憬。
色味が違えどオレの暗殺者としての名は裏社会においてただひたすらに便利だ。
「ただ素顔を晒したことはややマイナスだったかもな」
時には人間らしくミスをしてみたくもなるのだ。
――……
久しぶりに自宅に帰ってきた。
一人に住むには大きい二階建ての家だ。
とはいえ、水瀬の洋館や東雲の屋敷のような特徴はこれといってない。
傍から見ればの話だが。
「半年ぶりだな」
玄関を上がると書斎へと向かう。
そこには書斎机と天井までびっしりと詰められた本棚がある。
ちなみに書斎には二階まで上がる階段も取り付けられており、吹き抜け構造になっている。
オレは本棚の中から一冊を抜き取り、最後のページに挟んであった栞――特別な磁気を帯びた――を手に持つ。
それから書斎の絨毯を目繰り上げ、地下へ通ずる入口に入っていく。
端末に栞型カードキーを通し、片隅にぼんやりと光る指紋認証装置に手を触れた。
ここまでが隠し部屋に入るための手順だ。
そのままオレは地下へ続く階段を降り、四畳半の狭い空間に出る。
明かりをつけると、半年前から変わらないファイリングされた書類の数々と椅子、机に加えてその上に置かれた複数のコンピュータといった様々な物が空間をより狭くしていた。
すぐに電源を起ち上げ、ℐから受け取ったある人物に関するデータ情報を閲覧していく。
依頼した情報のほかにも追加的に調査したようで、順序良くそれらがまとめられていた。
スクロールするうちにとある情報に目を奪われる。
「……元暗殺組織〔血盟〕の所属。オレと、同じ」
これがℐの不自然な気遣いの原因か。
オレはこれまで〔血盟〕に所属する人間を全て暗殺してきた。
己の益のためにオレを殺戮兵器として利用し、殺すべきではない人間を殺させたから。
――今はそんなことはどうでもいいな。
ただオレは過去に騙され、償い切れない罪過を抱えてしまった。
その報復として構成員のすべてを屠った――はずだった。
だが――
「オレが〔血盟〕を消す前にはすでに始末済みの記録だったはず……。なのにどうして彼は生きている
過去にこんな噂があった。
ℜと呼ばれたオレに匹敵するほどの暗殺者がいると。
コードネームはℌ。
数名の幹部を除いてオレや他の暗殺者は顔すら知らない無面の暗殺者。
組織からすればオレが暴走した時の保険という立ち位置で彼を飼っていたのだろう。
だが彼は一級の保険であったにもかかわらず、与えられた任務で失敗し始末されたはずなのだ。
ここに生死の矛盾が生じている。
スクロールを続けると本命の情報が記載されていた。
「伊波が〔血盟〕のメンバーだったことは想定外だがそれ以外の読みは概ね当たりか。最優先すべきは伊波の行動に関する報告――そして情報漏洩をしたこと、何より〔血盟〕のメンバーであった以上、処理も必要だな」
最悪の想定に陥ることは防ぎつつ、〔幻影〕に伊波が〔約定〕側として暗躍していることを認識させなければならない。
その帰着が”死”であることを祈るがそうでなかった場合、〔幻影〕側にも内密に手を下すことが必要になるだろう。
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