♰Chapter 2:新たな魔法使いの誕生

午前七時半に高校の屋上で起床したオレは学生鞄の中をまさぐっていた。

そこから朝食用の携帯食を取り出して嚙みちぎる。

食感もさることながら味も下位にランク付けされる管理栄養食だ。

だが、そのデメリットを覆して余りあるメリットがある。


――時間の節約だ。


不測の事態が起こった場合において、即時行動するために最適な食物なのだ。

味気ない食事を終えると屋上から教室に向かう。

この時間帯ならば朝練のある部活動やごく一部の早朝組がいるだろうと判断してのことだ。

したがって、堂々と自分のクラスに向かっても不都合なことはない。

途中で見つけた手洗い場で身だしなみを整えてから教室に入る。


「おはよう、八神くん」「やあ」

「……おはよう」


クラスメイトで登校していたのは水瀬と伊波の二人だけのようだった。

ちなみにオレの席は水瀬の隣であり、伊波の正面だ。

運がいいのか悪いのか、奇跡と言っていい確率で固まっている。


水瀬が〔幻影〕を組織だと話していたからには他にも紛れているのかもしれない。


「昨日は本当にごめんよ。改めて僕は伊波遥斗いなみはると。気軽に遥斗って呼んでほしい」

「そう望むならそうしよう」

「決まりだね」


伊波はそっと傍に寄ってくると水瀬に背を向けてオレに耳打ちをする。


「それでそれで⁉ 昨日のユウとの話は纏まった?」

「いきなりだな。距離が近いってよく言われないか?」

「ああー……そういえば何回か言われたかも。でもこれが僕の性分だしね」


オレはパーソナルスペースが狭いことにうんざりしつつも伊波に応える。


「仮相棒になった。といってもそれくらい水瀬から聞いているんじゃないのか?」

「まあまあ、昨日の今日でユウと会ったのはついさっきなんだ。ことの経緯はまだ全然」


伊波はオレを解放すると柔和な笑みを浮かべて水瀬に視線を向ける。


「……二人で何の話をしているかは、まあ予想できるから放っておくわ。でもあまり人前でやると気分を害する人もいるから気を付けてね」


水瀬に疎外感を与えてしまったらしく、若干悲しそうにする彼女に伊波は両手を合わせて平謝りをする。


「ごめんよ。と、それはそうとユウ、八神くんに用があったんだよね?」

「オレに?」

「ええ、八神くん――私と連絡先を交換してほしいの」


水瀬が制服から小型デバイスを取り出し、交換画面を差し出してくる。


「もちろん、八神くんが嫌じゃなければだけど……」

「構わない」

「あ、僕も八神くんの連絡先ほしい! いいかな?」


オレも二人と同様に小型デバイスを取り出し、手早く交換を済ませる。


水瀬は黒猫、伊波は小さな薄黄色の花を咲かせる植物のアイコンだった。

こうしてみるとアイコン非表示のオレはつまらない人間だと思う。


「これでお互いに連絡を取り合えるわね。八神くん、早速だけど今日の放課後一緒に帰りましょう。私の家で貴方の魔法使いとしての能力を解放するから」

「分かった。何か用意するものはあるか?」

「大丈夫よ。特別用意するものは――気持ちくらいかしら。魔法使いになることにはメリットもあればデメリットもある。同じ人でありながら一般人と魔法使いとでは見える世界がまったく異なってしまうから」

「ああ、肝に銘じておこう」


一抹の不安が無いと言えば嘘になるが、もとより自分の命に大きな価値を見出してはいない。


非業の結末は約束された贖いの先にある。


一通りのやり取りが終わると伊波が手を挙げる。


「じゃあ僕から一つだけいいかな? 僕もユウの家に行っていい? 八神くんがどんな感じか見てみたいし」


オレが伊波を見るとちょうど視線がかち合った。

人当たりのいい穏やかな微笑みを向けてくる。

だがそんな彼に水瀬ははっきりと断りを入れる。


「駄目よ。伊波くんも知っているでしょう? 少なくとも〔幻影〕において、魔法使い同士で固有魔法が何かを探るのは禁止よ。今回みたいに魔法能力を解放する役割の担い手と固有魔法保持者本人が明かした場合を除いてね。もし八神くんが通用魔法以外に固有魔法を発現した場合に貴方が傍にいるとそれは都合の悪いことになるのよ」


水瀬がにべもなく切り返すと、伊波は頬を掻きながらそうだね、と納得した様子を見せる。


「これで本当に最後だよ。彼が『第一位階』の魔法使いだったら――残念」


そこで言葉を切ると驚くほどの速さで着席する。

同時に教室の扉が開かれ、何人かの生徒が入ってくる。

時刻は八時十五分を指しており水瀬は読書を、伊波は小型デバイスを弄り始めていた。

どうやらこの話はまたのお預けになりそうだ。



――……



「八神くん、行きましょうか」


担任教師によるHRが終わると水瀬が堂々と話し掛けてきた。

オレはその言葉に黙って頷き、一階の階段裏スペースまで彼女を連れていく。


「どうしたの? 昇降口はあっちよ?」

「水瀬、よく聞いてくれ。お前は学校での自身の立場を理解しているか?」


その言葉に水瀬は疑問符を浮かべている。


暗殺者でありながら初めての学生デビューを果たしたオレにとって、現状は普通の高校生がどういうものなのかを手探りしているところなのだ。

そこに眉目秀麗な注目の的――水瀬が衆人環視のなか、名指しでオレと帰ることを口走ったのだ。


出来る限り面倒くさいこと、利にならないことは回避したい。


「水瀬は今かなり注目されているんだ」

「私が……? どうして?」

「無自覚も困りものだな。お前は容姿がいい。落ち着いた雰囲気と凛とした気品もある。一言でいえば、男子にも女子にもお近づきになりたいと思う生徒が多くいるんだ。それなのにお前は伊波とオレとしか話さない。明らかに羨望と嫉妬の眼差しが向けられ――」

「それはきっと気のせいよ」


水瀬は青玉の瞳を伏せ、オレの言葉を遮った。


それは現実を直視しようとしない人間特有の棘だ。

いや、彼女の場合は少し違うかもしれない。


――人と関わりたい気持ちとそれを恐れる気持ちの狭間で混沌としている。


暗殺者としての活動を続けるオレにとって、人間の雰囲気や態度、表情から感情を推察することは比較的造作ないことだ。

時には標的の弱点を突くために、その人物と親交を深めることもした。

その行為を根本的に支えた技術がまさに感情を的確に読み取る力だった。


彼女の場合は出会ったばかりで断定することは早計だが、少なくともそのような兆候を感じる。


「……そうか。お前がそれでいいならいい。だがオレにとってはかなりのストレスだ。だからもう少しクラスに馴染んでくるまではああいうことは止めてくれ」

「……ええ、分かったわ。配慮が足りなくてごめんなさい」

「別に謝る必要はない」


微妙な雰囲気にしてしまったことに一抹の申し訳なさはあるが、それでも間違っていたとは思わない。



――……



水瀬とほとんど中身のないことを話して歩くこと、数十分。

周囲の景色は高層ビル群の固い景色とは打って変わって自然の柔らかい景色に変わりつつあった。

背の高い木々の狭間から黄昏に揺れる空を見ることができ、葉を透過した夕陽がこの場を照らしている。

ファンタジー世界のような景色を楽しめるほかに、自然のマイナスイオンを浴びることができるいい土地だ。


そんな街外れな場所に位置する雑木林を進んでややもすると、やがて煉瓦塀と鉄門が見えてくる。


「アクア・シャロウズ」


水瀬はそう発声すると鉄門を開け、その先へ進んでいく。

門の内側は一層綿密な石畳で舗装されており、より歩きやすくなっていた。

だが門を潜ってなお、彼女の家は見えない。


「水瀬、さっきのは?」

「あれは合言葉みたいなものよ。それを知っている人だけが私の家まで辿り着くことができる」


それとなく小型デバイスの画面を見ると圏外表示になっており、この周辺から外部へと連絡を取ることは難しそうだ。

逆に言えばここはある種の密室空間であり、何をされようとも外に知らせるすべはないということになる。


オレの態度は読み取れるものでは無いがそれとなく警戒を強めつつ、自然に会話を続ける。


「仮に合言葉を言わずに門を潜ったらどうなるんだ?」


水瀬はその歩みを止め、オレの方を振り返る。


「ふふ、どうなると思う?」


長い黒髪がふわりと揺れ、綺麗な微笑みのなかに楽しげな様子が伺える。

相手が軽い気持ちで臨んでくるのならば、こちらも合わせるのが道理だろう。


「……一生出られないとか、取って食われるとか」


オレの間抜けな回答に水瀬も苦笑を隠しえない。


「私の家を何だと思っているのよ……。まあいいわ。答えはね、五分も歩けば雑木林の外に出られるのよ。この場所は常時発動の魔法によって、合言葉を言わないと気づかない間に転移させられてしまうのよ」


つまりは合言葉を唱えた者だけが本来の空間――水瀬の家に辿り着く。

逆に唱えなかった者は魔法によって気付かないままに雑木林の外へ出ているということか。


本当に魔法というものは面白い。

世界の法則をことごとく打ち破ってくる。

過去の偉い学者に留まらず、現代の彼らでさえ卒倒してしまうだろう。


「魔法は凄いな。多くの不可能を可能にしてしまう。それはそうと『アクア・シャロウズ』は『水瀬』を表すだろう? お前のことが少し分かったよ。面白いな」

「な、何が面白いって言うのよ。まったく全然どこにもそんな要素はなかったはずよ」


水瀬は普段はクールで物静かな少女だが、からかいやちょっかいに対する免疫がない。

それにこういう細かな点にこそ人間の本性が現れる。


例えば普段は優等生を偽って上品に振舞っていたとしても、本性が人を貶めがさつな性格であったなら必ず細かな振る舞いに破綻が生じる。

ゆえにオレが人を判断する時には大衆が着目する大きな行動よりも、他人が目を付けないような何気ない行動に注意を払うようにしている。

今日の授業のとき、彼女は消しゴムを落としたことに気付いていなかった。

それを拾って渡したときには驚いた顔をしていたな。

こういう様子にも彼女が意外と抜けているという点が現れている。


自分でも気持ち悪いと思うが、意識的・無意識的に関わらず人を分析してしまう。

これはもうオレという一人の人間に組み込まれたプログラムだ。


「……冗談だ。先へ行こうか」


それから程なくして緑葉のトンネルを潜ると広大なガーデンが視界一面に広がった。

色とりどりに咲き誇る春の花々。

穏やかな風にそよぐそれらはのびのびと育っている。

だがその優雅なガーデン以上に目を引くものが洋風の邸宅だ。


「……予想と随分と違ったな……。こんなに立派な豪邸に一人暮らしなのか?」

「ええ、そうよ。と言ってもそれは今日で終わり。これからは八神くんも住むことになるからね」

「……は?」


一瞬何を言われたかが理解できなかった。

今は亡き暗殺の師に「一人で百人相手取れるようになれ」と言われた時にもここまでの空白は無かった。


常識的に考えてそんなことはあり得ない。

あってはならないはずだ。


全く予期していなかった言葉に内心で戸惑いを覚えたが、すぐに意図するところを推測する。

恐らくは仮相棒となったオレがどういう人間かを見極めることが目的の一つとしてあるのだろう。

魔法の技術を得てから逃亡することも想定内のはずだからな。


「これから多くのケースで私と貴方は一緒に行動することになる。だったら合理的かつ効率的な選択はこれしかないわ」

「オレはそれ以前のことを言っているんだ。倫理的にアウトだろう。オレだって男だ」


品のない言葉で暗喩してみたが水瀬に動じる様子はなかった。


「私は気にしないわよ。だって八神くんは何もしてこないでしょう?」


見た目の繊細さに反してその言動は半ば暴挙とも取れる。

オレはオレに危害が及ばない限り手段を取ることはないが、やはり良くはないだろう。

たまには結果が変わらなくとも無駄な過程を踏んでみるのも悪くないかもしれない。


「断固拒否する」

「私といるのは嫌? 無理強いはしないけど魔法を教えるときとか、お互いが何を考えて何を大切に思っているのかを知るためには最善の手だと思うんだけど」

「確かに一理はあるな……分かった。水瀬がそれでいいなら構わない。ただし条件だ」


潔い手のひら返しを決めるオレだが提示すべき条件はきちんと出す。


「条件?」

「オレを水瀬の部屋から離れた部屋にしてくれ。これだけの建物だ、空きは多いだろう?」

「決まりね」


当面の居場所が決定すると洋館のなかに足を踏み入れる。


威風堂々とした外装に見合って、内装も相当に豪華だった。

レッドカーペットが敷かれ、著名な画家が描いたのだと思われる風景画が壁面を彩っている。

そんな日当たりのよい大広間に迎えられ、水瀬に案内されるままに一階の一室へと通される。


「どこか好きなところに座っていて。私は飲み物を淹れて来るから」


水瀬はそう言うと一度部屋を出て行った。


時間を与えられたオレは室内を一通り見回す。

ここは今時にしては珍しいアンティークな柱時計が時を刻んでおり、その近くには革張りのソファやブラウンのダイニングテーブルが配されている。

その他にも整然と家具が置かれており、全体的に一昔前の西洋建築を思わせる。


大窓から差す夕陽が室内を橙色に染めるなか、煉瓦造りの暖炉の上に置いてあった物に目が留まった。


「これは……写真、か」


光の反射で中身が見えなかったため、オレが写真立てを手に取ろうとした時だった。

扉の向こう側に人の気配を感じたため、そっとソファに座った。


「お待たせ。八神くんの口に合うかは分からないけど」


ややもすると戻ってきた水瀬は両手に銀盆を持っており、その上に二セットのティーカップと銀製のティースプーン、そしてシュガーポットが載せられていた。

それを手慣れた様子で置くと湯気の立つ紅茶を注ぎ、テーブルの上に置く。


「お砂糖はどれくらい必要かしら?」

「一つ頼む」


オレは礼を言うとティースプーンで混ぜてから口を付ける。

途端に爽やかな風味が鼻を突き抜けていく。


「これはアールグレイ、だな。香りづけに使っているのはベルガモットか?」


水瀬は少し驚いたような顔をする。


「ええ、そうよ。西欧から取り寄せたものを使っているわ。紅茶を飲まない人には分からないはずだけど、八神くんは紅茶をよく飲むのかしら?」

「それなりにな」


そこで柱時計が午後五時の時報を知らせた。


「時間もいい頃合ね。早速貴方の力を解放したいところだけど、まずは私たち〔幻影〕がどんな存在なのか、より詳しく話したいんだけどいい?」

「ああ、頼む」


水瀬は膝の上に手を置き、とうとうと話し始める。


「改めて〔幻影〕に所属する私たちの目的は、人々に牙を剥く組織・人物を止めること。そしてそれらの犠牲になる人々が出ないように抑止することよ。組織体系としては七人の『守護者』と呼ばれる魔法使いが所属しているの。私はそのうちの一人、[宵闇]の二つ名を持っているわ」

「伊波も守護者の一人か?」

「いいえ、彼は、そうね……私の付き人、かしら。数年前から私を師事してくれているの。こんな私を選ぶなんてどうかしているわ」


そうは言いつつも口の端がごくわずかに緩んでいるのは嬉しいからだろう。

だがすぐに唇が真一文字に引き結ばれる。


「話を戻すわね。七人の守護者のなかには情報を統括して他の六人に伝達する役割を担う『盟主』も含まれているの。様々な作戦の指示も概ね盟主が下すことになる」


そこまで話すと水瀬は紅茶で唇を湿らせる。


「もちろん、〔幻影〕は七人だけの組織じゃない。『守護者』の一部は〔幻影〕の内部に小規模の部隊を持つ場合もあるの。『盟主』もその一人で諜報部隊を纏めているわ」

「その口振りだと他にも小規模な部隊があるようだな」

「そうね。暗殺部隊に私兵部隊、非常勤の協力者を抱えているところもある。いずれにせよ、〔幻影〕にはそれなりの規模があるわ」


とにかくどんな状況にも即応できる要素を詰め込んだ組織が〔幻影〕と言えるのかもしれない。

味方にすれば心強く、敵に回せば厄介と言ったところだ。

それはつまり〔幻影〕が特別な組織であることを意味する。


「それで今朝伊波くんが言っていたことだけど、私たちは『魔法使い』と『一般人』のほかに前者のなかにも区分を付けているのよ」

「それが『位階』、か」

「ええ、天使の階級になぞらえて『第一位階』、『第二位階』、『第三位階』の順に強力な魔法使いに区分しているのよ。具体的には『第三位階』は通用魔法のみを扱える魔法使いを、『第二位階』は通用魔法に加えて固有魔法を扱える魔法使いを、『第一位階』は第二位階のなかでも一つも二つも抜けて強力な魔法使いを指す。〔幻影〕の『守護者』は例外なく『第一位階』の使い手ね」


情報の波に押し流されそうになるが今は『第三位階』から順に強い魔法使いになっていくということだけを知っておけばいいだろう。

幸いにして水瀬の説明は順序立てられているために理解しやすいものではある。


「伊波は『第一位階』じゃないのか?」

「彼は『第三位階』よ。そして八神くん、貴方も限りなく『第三位階』だとは思うけれど『第二位階』の可能性も秘めているわ……いいえ、『第二位階』が濃厚かしら……」

「なぜそう思う?」

「雰囲気が他の高校生の男の子たちと違うもの。貴方は年齢の割に大人びていて達観している印象を受ける点でね。『第三位階』より上になるとより特別な雰囲気を纏っている人が多いから」


水瀬にも確かに言いようのない冷たさが漂っているようにも感じる。

言葉遣いや態度に表出するものではなく、本能的な部分がそう告げるようだった。

それを『特別な雰囲気』と例えるにはいささか不適当にも思うが、オレは自身が普通ではないことを鮮明に自覚している。


本当に神様がいて一度だけ願いを叶えてくれるのだとしたら、この世界にオレという人間が生まれないことを強く望むくらいの人間だからな。


オレの静かな溜息が聞こえたわけでもないだろうが、水瀬が終わりを告げる。


「今日はこれくらいにしておきましょう。一息に説明してしまうのも疲れるものね」


それから水瀬は言葉を切ると部屋の照明を落とした。

すでに太陽は地平の彼方に沈み、明かりが消えるのを待ち兼ねていたように夜闇が浸食する。

今日は快晴であったこともあり、月明かりが淡く差し込んでいるので視界はそう悪くない。


「今から八神くんの『魔力回路』を活性化させるわ。一応言っておくけれど、変な気は起こさないでね」

「起こすわけがないから安心しろ」

「それはそれで複雑な気持ちになるものね」


オレは水瀬と軽口を交わしながら窓辺に招かれると、彼女の左手がオレの左手と重ねられる。


「ッ」


反射的に手を引きそうになったが何とかその衝動を堪えた。

オレにとって自分の意思以外で他人に触れられることは禁忌に近い。

恐怖と言い換えてもいい。


そんなオレの様子に鋭敏に気付いた水瀬の碧眼の双眸が緩められる。


「大丈夫よ。私の瞳を見ていて」


月の銀光を鋳溶かしたような清廉な声音による詠唱が静寂に響く。


「――」


祝詞にも聞こえる不思議な言葉を紡ぐたびに青の軌跡が足元に複雑な紋様を描いていく。

次の瞬間にはより一層の輝きを増し、同時にオレと彼女を起点に波状の風が巻き起こった。

それは重厚なワインレッドのカーテンを纏めていたタッセルを解き、室内の布という布を靡かせる。


「これで八神くんは正式に魔法使いとしてのプロセスを踏んだわ。どう……? 何か違和感はあるかしら……?」

「特にはな――」


――い。

そう言おうとしたのだが、言い切ることはできなかった。

代わりに鈍器で殴打されたような眩暈と眠気、そして火照ったような不快な熱さ。

それが最後に感じたことだった。

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