十三本目 白と赤、チェリー

 家に帰ると同窓会の案内が届いていた。高校を卒業して何年たつのだろうか? ……数えてみると十何年か。細かい数字なんて思い出す気もない。


 思えば、高校を卒業してからというもの、人生がずっと下り坂のような気がしていた。高校の時は友人も周りにいて、何より彼女がいた。想い出は美しく見えるというけれど、思い出だからって訳じゃないっていうのを最近、実感している。


 それはつまり、現状に救いがないからか? もしかしたら、そうなのかもしれないと思ってしまうこと自体、俺自身がだいぶ参っている証拠なのかもしれない。


 俺ってなんで生きているんだろう、なんて若い疑問を持つことさえ諦めている気がする毎日。何か新しいことをしてみないと、このまま死んでしまいそうな気がしたから、十年ぶりに煙草を買うことにした。


 休みの日に煙草屋に行った。ライターもマッチも灰皿も禁煙したときに全部捨てたから、それらも買わないといけない。煙草屋を検索すると、近くには全くなく、電車に乗っていかなければならない場所にしかなかった。


 時代とともに、煙草を吸うのも結構面倒なものになったんだな。そんなことを考え出すと、煙草を再び吸うこと自体、選択を間違ったような気がした。


 若いときはそんなこと、全く気にしなかった。もちろん、他人への迷惑ってことも。だから今一人なのかもしれない。因果応報って奴だな。



「チェリーってあります?」


「チェリー?」


「あの白と赤のパッケージで桜が書いてある、昔からある銘柄です。ソフトパックの」


「ああ……。懐かしいね。あれは随分前に無くなったよ?」


「無くなった?」


「廃番ってこと。うちじゃ結構売れてたんだけどね。確か震災の影響だったかな。メーカーにとっちゃ、歴史のあるなしなんて関係ないんだよ。売れているかどうかで全部決まっちまう」


「……」


 内心、そんなことあるか、と思っていた。もう煙草をやめた人間がこんなことを言うのはおかしいか? いやおかしいだろうな。それにしても、だ……。廃止って。まさかのまさか、だ。確かにそんなにメジャーな銘柄ではなかったけれど。ショックだ、端的に言って。チェリーなんてどこの自販機にも入っていたんだぞ?


 店員が気の毒そうに俺のことを見る。その感じを鑑みるに、おそらく、今でも時々問い合わせのある銘柄なんだろうな。だとしたら、廃番なんて馬鹿な行為じゃないか。……いや、今日の今日までそれを知らなかった自分が一番馬鹿、だな。


「どうする? 他の銘柄にするかい?」


「じゃあ……ゴールデンバット」


 中原中也が吸っていた銘柄だ。彼の詩のタイトルにもなっていた。俺はあの詩が好きなんだ。


「バット? ゴールデンバット?」


「そう」


 店員の様子が少しおかしい。


「……お客さん、もしかして、最近煙草買っていなかった?」


「多分、十年ぶりとかそのくらい」


「じゃあ知らないのも無理ないのかな。バットも無くなったよ」


「……」


「まさかって思うよね。でもさ、チェリーはともかく、バットを吸っている人って見たことあった? ないよね。だから、有名な銘柄なんだけど、廃止も仕方ない、というかね……。ところで、古くからある銘柄が好きなのかい? じゃあハイライトとかピースとかはどうかね。ホープもあるけど」


「じゃあ……ショートピースで」


「はいよ。一つ? 二つ?」


 そうか、ピースは十本入りか。


「じゃあ二つ。あとライターを一ついただけますか?」


 千円で払ったが、お釣が驚くほど少なかった。俺が吸わなかったこの年月で煙草は随分と高級品になったらしい。さっそく吸おうと思ったけれど、周りを見ても煙草を吸っている人なんて誰もいない。そういえば、煙草をやめてから気にしてなかったけれど、煙草を吸っている人って随分少なくなっている気がする。そりゃ店員が言うように、チェリーもバットもなくなるのも、無理がないのかもしれない。


 暫く探すと、窓に喫煙可能と大きく張り出された喫茶店を見つけたので入る。盛況していて、空いている席は一つしかない。そこに座って早速さっき買ったピースに火をつける。


 ……煙をゆっくりと吐く。


 こんな感じだったっけ。煙草自体がそもそも久しぶりだし、フィルターなしの煙草なんてなおさらだ。しばらくぼんやりと煙草を吸いながら、窓の外を歩く人たちを眺めていた。


 色々な人の足の動きが俺を高校時代の記憶に連れていく。……昨日届いた、同窓会の葉書のせいだろう。というか、今時葉書なのか? ……あ、俺、誰の連絡先も知らねーなそういえば。思うところあって縁を切ったんだ、自分から。そう考えるとよく葉書が届いたもんだな。



「ねえ、十年後って何していると思う?」


「十年後、ねぇ……二十七歳とかってことかな」


「そう。ねぇ、もう結婚していると思う?」


「結婚」


「うん。別におかしくないよね?」


「そうかもしれないけれど、まだちょっと俺には想像できないな」


「でもさ、そういうのをきちんと考えられていたら、大人って感じがしない?」


「……そうかもしれないな」



 煙草を挟んだ両方の指が熱い。両切の煙草はぼんやりしていると火傷する可能性があるってことをすっかり忘れてた。現実に戻ってきた俺は灰皿で煙草を消す。


 やっぱり、チェリーが吸いたかったな。とは言えっても、無くなったものを望んでも仕方がない。



 店を出て家まで歩く。俺がチェリーを吸っていたのは大学から社会人三年目程度だったと思う。初めて吸った煙草がチェリーで、時々、ゴールデンバットを吸っていた。


 それ以外の煙草なんて考えられなかった。思えば、良いタイミングで煙草をやめられていたのかもしれない。阿呆みたいな警告文なんてなかったし、二十三時までなら買える自販機がそこらじゅうにあった。



「私達、もう付き合って四年になるよね」


「うん、そうだね。明日で丁度四年かな」


「もう、終わりにしたいんだ」


「え? 終わり?」


「そう。私達の関係を終わりに」


「……」


「沈黙は、肯定? 否定?」


「……どちらでもない。だけど……。俺は、上手くいっていると思っていたんだけれど、どうやら俺の思い込みでしかなかったみたいだね」


「ごめんね」



 その時の帰りに、自動販売機の中で、矢鱈と目立っていたチェリーを買ったんだった。



 家に着く。テーブルの上の葉書を手に取る。それを持ったまま、シンクでまたピースに火をつける。


「……行ってもいいかも、しれないな」


 独り言。短くなったピースを、水で消して捨てる。


「……いや、やっぱりやめるか」


 この程度のことさえ、即決ができない。しかし、うまくいかないのなら、上手くいくようにするしかない。なんと言ってもギアは俺だ、俺自身だ。


 吐き出した煙は、しばらくの間漂って、やがて消える。それは希望か、それとも……知らないが、やっぱり、チェリーが吸いたいよ。ピースじゃなくて、さ。

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