無垢
フェナスは気絶した少女を家の中に運ぶと、隅にあった寝台に寝かせた。やり方は乱暴だったものの健やかに寝息を立てている姿を見て、ほっと安堵の息を吐く。
腹部はあざになるだろうが、なるべく少ない力で済むよう加減したのだ。後遺症のようなものはないだろう。
看病するように、そっと少女の寝台に腰掛ける。
魅了の魔法のせいでよく見えているのかもしれないが、見た目はただの美しい少女だ。長いまつ毛に白い肌。起きている時は感じなかったが、彫刻めいた美しさがある。とても、魔女とは思えなかった。
少女を魔女と推測したスフェーンは警戒を解く様子もなく、視線だけで退くように促した。フェナスが腰を上げると同じ位置に滑り込み、少女に向かって口の中で小さく呟く。
「
沈黙の魔法だ。以前見たことがあった。会話が制限されるわけではないが、魔法のための言葉が発せなくなるらしい。
小さな光が少女に飲み込まれていく。抵抗されないのは、眠っているからかもしれない。
「言葉を使わずに魔法を使っていたようなので、気休めではありますが」
難しい顔でそう付け加えると、ため息を吐く。少女の横から立ち上がれず、項垂れたままだ。普段立て続けに魔法を使うことなどない為、疲労が激しいのだろう。
それでも、警戒するに越したことはない。少女の敵意が完全に消えたのかわからない。
剣は未だ腰につけたままだ。重みを意識しながら、スフェーンと少女を見つめた。また使う機会が来れば、少女でも切らざるを得ない。気は進まないが。
「それにしても」
暗い考えから頭を離して、ぐるりと室内を見回す。こぢんまりとした家は、フェナスが十歩も歩けば端から端まで歩いてしまえるような広さだ。
その広さとは裏腹に、家の中は小綺麗にまとめられていた。
家具類は古いが綺麗に磨かれている。
「中は随分と綺麗だね。小さい子が一人で住んでるとは思えない」
「それこそ、魔法を使っているんでしょうね。
できるだけ触れないようにはしているが、スフェーンの目は好奇心で爛々と輝いている。先程までの厳しい表情が嘘のようだ。
この研究馬鹿のある意味での一筋縄っぷりに、軽いため息が出た。
暖炉では火が焚かれ、部屋を暖めている。大鍋は暖炉の中で火にかけられていて、常に何かが煮えているのかくつくつと音を立てて食欲をそそる匂いを発していた。
その上には束になった香草類が等間隔でぶら下がって干されていて、家の主人が几帳面であることを物語るようだった。
森の奥であることを忘れそうになるほどの室内だ。
あの年齢の少女が一人暮らしとは思えないが、数々の品が一人であることを裏付けている。少女以外の生活の痕跡がないのだ。食器類は一人分、先程少女を寝かせた寝台も一つだけだった。
「なんで、こんなところに一人で……」
「今の時点ではわかりませんね」
フェナスの呟きにスフェーンが応える。どちらにせよ、少女が目覚めなければなんの疑問も解決しない。
爆ぜる炎の音を聞きながら、二人は無言の時を過ごした。
*
「貴女は――に――陸――へ――」
なぁに、きこえない。
「塔に――と行きなさい、愛しい娘」
かあさま?
ねえ、わたしいやなことされたの。かあさまにあいたいの。
なでて。いいこだねっていって。
「――おいで、こちらへ」
やだ。ひとりじゃいけない。
それにまだ、たりないよ?
「もう良いのですよ、こちらに来るには十分です」
「さあ」
「私達に、会いにおいで。黒髪の剣士と一緒に」
*
寝台の軋む音と、泣き声がした。
フェナスとスフェーンが振り返ると、いつの間にか、少女が寝台の上で身を起こしていた。その目からはぼろぼろと涙が溢れている。
「かあさま、あいたい」
泣きじゃくりながら母を呼ぶその姿に先程までの敵意はなく、ただ寄る辺のない少女がいた。
二人は思わず顔を見合わせる。目が覚めればまた敵意を剥き出しにするとばかり思っていたのだ。そこにきてこの弱々しい様子に困惑するばかりだ。
「先程は怖い思いをさせて申し訳ありません、御嬢さん。私達は怪しいものではないですよ」
スフェーンがそう声をかけると、びくりと少女が肩を震わせる。涙に濡れた銀色の目が、怯えたように見つめていた。
少女は寝台を飛び出すと、フェナスにしがみつく。スフェーンの方を見もせず、拒絶を露わにした。
「やだ、おじさんきらい」
「おじさん……」
少なからず衝撃を受けた顔をしているスフェーンに苦笑して、腰にしがみついている少女を見下ろした。気絶までさせたのに、何故こちらには懐くのか。少し不可解ではある。
だが怯えて話もできないよりはマシだ。そう考え直して、亜麻色の髪を撫でた。
少し怯えたように震えるのが手のひらから伝わったが、抵抗するわけではない。しがみついた手から力が抜け、フェナスの方を恐る恐る見上げる少女に、笑いかけた。
「怖い思いさせてごめんよ。ちょっと、話が聞きたいだけだったんだ」
「おはなし……なあに?」
見上げてくるその目は、まだ涙に濡れている。先程泣き声に混じって聞こえた母への愛慕も相まって、少し胸が痛んだ。
一つ一つ、確認していく。
「まず、ここには一人で住んでるのかい?」
「うん」
「父さん母さんはどこに?」
「……わかんない」
幼さ故に何も伝えられていないのか。魔法が使えるということは、貴族の落とし胤なのかもしれない。その力故、隠されて育てられたのか。疑問が膨らむ。
「でも、あのね」
思考は少女によって遮られた。視線を再び落とすと、そこに涙はすでにない。寧ろ興奮気味だ。
「塔にね、きなさいって」
「塔……?」
聞き覚えのある言葉だ。どこでだったか。考えるフェナスを他所に、少女は興奮気味に続けた。
「いっぱいとおくに、あるの。おはなでできてるの。
おねえさん、わたしをつれてって。
おねえさんといっしょにって、かあさまが」
「かあさまって、一体どこでそう言われたんだい?」
「ゆめなの。いつもおしえてくれるの」
「夢?」
どうも要領を得ない。少女が口を開けば開くほど、不可解な情報が増えていく。それを当てはめるべき知識がフェナスの頭の引き出しにはなかったのだ。
「うん、あのね。
かあさまは、かみさまなの。だからゆめであえるの。
でも、塔ではほんとのかあさまにあいにいけるのよ!」
落ち込んでいたスフェーンが弾かれたように視線を上げる。
フェナスは意味がよく理解できず、まじまじと少女を見つめる。
少女は嘘など知らない無垢な顔で、にこりと笑んだ。
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