森の少女
土埃の多い街道を、奇妙な男女が連れ立って歩いている。
その取り合わせに、道行く行商達が奇異の目を向けていた。片方は傭兵風、片方は貴族風とあらば、酷く目立つ。
その視線に苛つきながら、フェナスは乱暴な足取りで歩いていた。もしもに備えて胸当てをつけ、腰に長剣を佩いている。戦いにも対応できる装備だ。
その後ろをのろのろと歩んでいるのはスフェーンだった。
寝不足のせいか、体力不足のせいか。手に持った杖に縋り付くように歩いている。長衣の裾が土埃に煤けて汚れて、何とも情けない姿を晒していた。
「フェナス……森、まではどれくらい、ですか」
上がった息を唾を飲み込んで抑えながらスフェーンが問うてくる。くるりと振り返ったフェナスは苛立ちで剣呑になった金色の瞳を向けると、腰に手を当てて怒鳴りつけた。
「だから! あんたにはキツイって言ったんだよ!」
情けなく眉を下げる男の腕を取り、乱暴に街道の端に引き寄せる。このままでは他の通行人の邪魔になる。
途端スフェーンは道端にしゃがみ込んだ。余程疲れていたのだろう。
普段から体を鍛えているフェナスと、引き篭もって研究に没頭しているスフェーンではそもそもの体力が違う。
自然、フェナスが歩調を合わせてやるしかないのだが、あまりにも遅々としか進まずに苛立ちが増すばかりだ。
騾馬にでも乗せて荷物として扱ってやればよかったか。後悔先に立たずとはまさにこの事だ。天を仰いで盛大に後悔する。
だが付いてきてしまったものは仕方ない。
諦めたように溜息を吐くと、彼の前に背を向けてしゃがみ込んだ。
「日が暮れる前に着きたいんだよ。ほら、乗りなよ」
う、と唸る声と、行商人たちの嘲笑が聞こえる。だが仕方のないことだ。恥をかくのは自分も同じである。
何が悲しくて、男を背負わなくてはならないのか。
「……嫌だと言ったら置いていくんでしょうね、貴方は……」
何とも悔しそうな声が聞こえた後、背に体重が預けられる。小さく掛け声をかけてスフェーンをおぶると、歩き始めた。背の男は居心地悪そうに時折身じろぎしながらも、大人しくしている。
「すみません……」
「もういいよ。あんたの駄目っ振りには慣れてるから」
軽く答えると、再び地面を踏み締めて歩き始める。大分地面が悪くなってきた。森が近いことの証だ。
スフェーンをおぶったまま、フェナスは道を急いだ。
*
森の中は薄暗かった。
夕刻というには早い時間帯だったが、木々に日の光を遮られたその森には既に光は届かない。
腰につけた魔石の
道は獣道というには細すぎる。だが、木々が導くように道を作っていて寧ろ整った印象さえあった。まるで、奥へ奥へと誘い込むようだ。
フェナスは眉を顰めながら周囲を見渡し、ポツリと呟く。
「なんだか、イヤな森だね」
「そうですね。まるで奥に行ってほしいかのようです」
スフェーンも同意するように頷いた。おぶわれて多少体力が回復したのか、フェナスと並んで歩いている。いつでも魔法が使えるよう、その手には杖を握りしめていた。
その様子を視界の端に捉えながら、フェナスも腰の長剣の感触を確かめるように柄に触れた。手に馴染んだ感触が、不安を多少なりとも払拭してくれる。
半刻も歩いただろうか。少し開けた場所に出た。そのぽっかりと空いた空間に、家が一軒立っている。苔むしたその外観は、ともすれば廃墟に見えた。
だが煙突からは、ゆらゆらと煙が上がっている。人が生活している証だ。鼻をくすぐるのは料理の良い香り。ハーブや煮た玉葱の香りも混じっていた。腹が減っていれば、思わず扉を叩きたるほどだ。
だからこそ、違和感がある。
こんな森の奥で、噂の魔女以外がこんな生活を営めるのだろうか。
狩人ですら、普段は街にいる。狩小屋にいるとして、そこまでの調理はなかなかしないと聞く。
「……こりゃあ、当たりなの、か?」
「ただの隠遁生活を営む御仁という可能性も否めませんけどね」
声を潜めて、言葉を交わす。抱いている違和感は同じのようだ。
フェナスはスフェーンに警戒するように合図すると、家の前に立った。中からは、微かな人の気配がする。それが魔女なのか、果たして別の何かなのか。考えながら少し汗ばむ拳で扉を叩いた。鈍い音が森に響く。
「誰かいるかい?」
問いかけに、ぱたぱたと軽い足音が室内から聞こえた。音もなく開いた扉の向こうには、可愛らしい少女が佇んでいる。
亜麻色の三つ編みに、大きな銀色の目。商家の娘と言われても違和感のない小綺麗な見た目をしている。扉から注ぐ灯りの逆光の中でも、その美しさは際立っていた。
少女はにこりとフェナスに微笑みかける。
「おきゃくさま!」
桜色の唇からまろび出た舌足らずな言葉は弾んでいて、心底嬉しいと言わんばかりだ。その敵意のなさに、フェナスは少々面食らった。その可愛らしさに警戒心すらどこかへ行ってしまいそうになる。
魔女の想像図とはかけ離れたその姿は、噂はやはり眉唾だったのではないかと思わせるものだった。
思わずスフェーンを振り返ると、対照的に彼は険しい顔をしている。珍しい表情だ。最大限の警戒を浮かべている。
「フェナス、少し下がりなさい」
固い声と共に肩が掴まれる。それに従って後ろに下がると、スフェーンはフェナスを背に庇うように立った。
その様子を少女は黙って見ている。不思議そうに小首を傾げ、唇に手を当てて考え事をしているようだ。
「おきゃくさまじゃ、ない……?」
「お客様に
スフェーンの言葉にフェナスは目を瞬く。自分がいつの間にか、魔法をかけられていたということだろうか。確かに少女に敵意はないと油断はしていたが、それも魔法の効果か。
「……? わかんない」
少女はやはり不思議そうに首を傾げている。まるで自分の行動がわかっていないようだ。
スフェーンはそれには応えない。代わりに口の中でごく短い言葉を唱えた。
「
それは相手を眠らせる魔法だ。いきなり年端も行かぬ少女にぶつけるものではない。
フェナスは慌てて止めようとした。だが、それが少女に届く前に弾かれたような破裂音がした。少女は眠ってなどいない。動きもしていない。なのに、魔法を弾いた。
スフェーンが息を呑む音が聞こえる。それは、想定外のことが起きた証だ。
少女は不快そうに眉を顰めると、スフェーンに向かって手を伸ばした。
「なにするの! あなた、きらい!」
少女が何をするかはわからない。フェナスは咄嗟に剣を抜き放つと、スフェーンの前に躍り出た。
剣を盾のように構え、防御の姿勢を取る。
剣に重い『何か』の一撃が加わる。
それを力技で跳ね返すと、少女へと距離を詰めた。銀色の目が驚いたように見開かれているのが見える。それに多少の罪悪感を抱きながら、くるりと剣を返すと少女の鳩尾に叩き込んだ。
「ごめんよ」
喉が潰されたような声が聞こえて、少女がその場にくずおれる。その体を受け止めると、肩に担ぎ上げた。
剣を鞘に戻しながら振り返ると、スフェーンが呆れたようにこちらを見ている。その額には、脂汗が浮かんでいた。
「無茶をする……下手を打てば死んでいましたよ」
スフェーンは杖でフェナスの前方の森を示した。見ると、木が一本切り株と化している。それはフェナスが先程『何か』を跳ね返した方向だ。
自分でもよく跳ね返したものだ。背筋に冷や汗が垂れる。
担いだ少女と切り株を見比べながら、恐る恐る尋ねた。
「これ、この子が?」
「ええ。
そこらの下級貴族よりよほど強力でしたけど」
それを力技で跳ね返してしまったのか。自分の膂力に感心してしまいそうになるが、スフェーンの咎めるような視線は少し居心地が悪い。
誤魔化すように肩をすくめると、少女の様子を伺う。気絶したまま、動く気配はない。
「この子、何者なんだ?」
「わかりません。ですが、少なくとも人間とは思えません」
スフェーンは困惑の表情を浮かべる。逡巡の後、付け加えた。
「噂通り、魔女なんでしょうね」
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