第46話 煩雑と簡素
俺の名前は奥洲天成。
俺の母親は病的な教育ママだった。現役東大法学部か医学部以外は認めないという有様だった。
俺は理解力はある方だったと思う。だが、致命的に記憶力が足りなかった。
俺は幾つかの英単語を忘れてしまい、これが致命傷となって東大に落ちた。
東大合格のみに全てをかけていた母は狂乱し、そして……
『寝ている間に部屋を密封されて七輪で無理心中って悲惨よねぇ……』
「東大でなければ合格できたんだ……」
『いや、問題はそこじゃないと思うんだけど……』
「俺の記憶力がもう少し高ければ……」
『あかんわ、こいつ。教育ママに魂まで毒されている』
俺は女神にまで匙を投げられた。
女神は記憶力がない人のことを考えられる人になりなさいと、俺を鎌倉時代に転生させた。
転生など初めてのはずなのだが、何故か「日本に転生するのは初めてだ」などと思ってしまった。一体どういうことだろう。
「天成。お前は記憶力がないと言うのだね?」
「はい、師匠様。拙僧は記憶力がありません。何と罪深きことでしょう」
「気にすることはない。人は皆、記憶力がないものなのだ。記憶力がある者は特別なのだよ」
「左様でしょうか」
「仏の道も同じだ。全ての行を行える者とそうでない者、両者の間にどれほどの差があるというのか? だが、世間は難しい行をこなすものを立派だとみなす風潮がある」
「拙僧もそう思います」
「それではいけない。仏に救いを求めることはもっと簡単であるべきはずなのだ。私は思い切って『南無阿弥陀仏』だけを唱えればいいのだと提唱してみようと思う」
「何ですと!? 『南無阿弥陀仏』だけ?」
「そうだ。それを一心不乱に唱え続けていれば、救われる。そうでなければ、この救いのない世の中を生きるのは苦しいのではないか?」
「師匠様! それならば記憶力のない拙僧もこなすことができます」
俺は瞳よりも太い涙を流した。
数年後、師匠様は入寂し、俺は師匠の教えを更に深めていた。
「皆の者、仏にすがるには難しいことをする必要はありません。『南無阿弥陀仏』を唱えるのです」
「天成僧正、私の母は口が効けなくなって、念仏を唱えることができません」
ある者が年老いた母を連れてきた。
「心配無用。最強の方法というものがある」
「さ、最強の方法?」
「そう。最強の方法、それは無詠唱! 唱えることもないのだ! ただ、思えばよい。高い壺を買う必要も、高い経典を買う必要も、高い札を貰う必要もない。無詠唱こそ最強の仏の呪文なのだ!」
俺の宣言に、民衆が歓呼の声をあげた。
"女神の一言"
な、何か方向性が違うような……?
今回の話は特に何かの知識というわけではなく、作者がツィッターで『無詠唱』の話題を見たので、何となく作ってみました。
でも、昨今の宗教は、科学に推されていて存在価値を発揮しようとやたらとややこしくなっているのも事実で、そういう間隙をついてカルトなどが存在しているのかもしれません。
中世も簡素な宗教が流行りましたが、現代でも必要とされているのかもしれませんね。
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