第27話 本当は映えない三国志

 俺の名前は奥洲天成。

 こんな名前だが、俺は『三国志』が大好きである。三国志と名前のつくスマホゲームは全部やっているくらいで、毎日寝不足だ。

 それがたたって、居眠り運転をしてしまい、そのまま崖下へと消えていった。


『巻き添えになる人がいなくて良かったわね……』

 おお、女神がいる。ということは転生できるのか?

 三国志の時代に行きたい。関羽や馬超、典韋や許チョといった猛将のカッコいい姿を目に焼き付けたい!

『ち、ちょっと、人の裾にすがりつかないでよ! 分かったわよ、中国に送るわよ!』


 かくして、俺は三国時代の長安に転生した。

 うーむ、やはり戦乱の時代であるせいか、町を歩く人間に活気が見られない。軒並み、死んだ魚のような目をしている。

「ひぃっ、董卓様のおでましじゃ」

 董卓?

 ということは、今は董卓が長安を支配していた頃か。

 ということは、呂布なんかもついているということだな。

 赤兎馬を駆る呂布。これも様になるに違いない。

 どんな様子か見てみよう。俺は通りの外れに跪いて、董卓一行が来るのを待った。

 しばらくすると、ガタガタとした音がして、馬車が見える。

「うん……?」

 前方に騎馬武者を率いてはいるのだが、その姿が何とも冴えない。二人とも薄汚い布を頭に巻き付けている。鎧も非常に地味で、上も下も黒っぽい魚鱗甲の鎧だ。


 キングダムの信を更に地味にしたような恰好である。全員が全員そうだということは、あの中に呂布がいたということなのか?


 まあ、呂布が派手なのは三国志演義においてであって、実際にはそんなにカッコいいものではなかったという話もある。

 兵士達の服装というものも、現代の軍隊を見るに派手である方が少ないのも事実だ。だから、ああいうものなのかもしれないが、何かあのアルマジロみたいな鎧を見ていると、燃えるものがなくなってくるなぁ。


"女神の一言"

 ゲームに出て来るような派手な鎧は、宋以降のものが多いようですね。

 三国志演義やそれに伴うものが出来たのは明代、で、当時の鎧などを着ていることになったのですが、鎌倉武士や戦国武将が自衛隊の服を着ているようなもの、といっても言い過ぎではないのかもしれません。


 三国時代は凝った意匠のものを作るだけの技術力はなかったですし、経済力もなく、見栄えのいい鎧を作ることはできませんでした。

 そもそも、三国時代は戦乱の時代ということで、民衆の数も少なかったということがありました。その少ない民衆で政権を支えなければいけない⇒税金が重くなる⇒少ない民衆がますます少なくなる、という悪循環の繰り返しでした。

 結果としまして、三国時代は漢代と比較して非常に人口が少なくなっていました。

 それでいて上の方では、政争をガンガンやっていて……。

 絶対に行きたくない時代の一つと言えそうですね。

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