第33話 繋ぎ止めたくて


「葉那、これ付けていい?」


 首輪みたいな革のチョーカー

 彼女はいぶかしげに見て首を横に振る。


「嫌よ」

「可愛いと思うけど」

「ペットみたいじゃない。貴方の支配欲に付き合うのはごめんだわ」

「じゃあ葉那が俺に付けるのでもいいぜ」

「――何言ってるの?」


 眉をひそめてまじまじと俺を見る。


「葉那は俺のものだし俺は葉那のものだから」

「ああ、そう……じゃあ貴方に付けるわ。その方がましよ」

「よろしくご主人様」と、首輪を差し出す。

「付けろって?」

「付けるのはご主人様の仕事だろ?」

「いいわ……首を出しなさい」


 後ろから首に手を掛けられ、ベルトが巻き付き遊革さるかわに通される。


「貴方意外と首が細いわね……これ女ものでしょ? 入るわよ」

「まあ美形男子だから」

「ナルシストね」ぐい、と首が締め付けられた。

「いや、もういっこ緩く……」


 一つ穴が緩められてバックルが留められた。


「はい、できたわ。満足?」

「何か命令して」

「そういう趣味はないんだけど……」

「やっぱり躾けられる側がいいだろ?」

「霧崎君は変態なの?」

「親父だったら?」

「躾けられたい……」


 葉那は素直に告白して脚をもじもじさせた。

 そんな彼女の足元に跪き、靴を履かせるが如くその足首を丁寧に持ち上げる。その唐突な挙動に彼女は目をしばたいた。


「な、なに」

「とりあえず脚を舐めようと思って」

「貴方が普段してることじゃない……」

「首輪があったら葉那も興奮するかも」

「しないわよ」 


「ん……」


 構わず脚を舐めると、葉那は目を細める。

 気持ち良さそうではあるが確かにいつもと変わらない。  


「よし、交代だな」

「――え?」


 彼女が戸惑っている間に、手際よくするりと嵌めた。


「きつくない?」


 華奢な首に指一本入るように留める。


「きつくはないけれど……て、そうじゃなくて。私はやるなんて言ってないでしょ」

「試しに」  

「いやよ」

「俺も上手くやれるから」


 余分のベルトを引くとクイと彼女の顎が引き上げられた。


「だから――そういうの、やめてってば……!」

 


 *

 

 帰ると黒猫がしなやかな足取りで姿を現す。

 毛並みがビロードの様に美しい。首には緋色の首輪が嵌まっている。

 立ち止まって様子を伺い、帰り主を確認すると駆けて胸に飛び込んで来た。 


『霧崎君……帰ってくるの、遅かったじゃない』


 猫は葉那になって、顔を擦り付ける。

『寂しかったんだから……』

 潤んだ瞳で見上げて


『今からたっぷり、可愛がってよね?』


・・


「――ん……」


 目覚める。ベッドには一人だ。

「……夢か」はあ、と溜め息を吐いた。

「そんな訳ないもんなあ……けど超可愛かった」


 脇に置いた携帯電話を確認する。

 返信はない。

 未だほんのりヒリヒリする左頬に手を当てた。 


『いい加減にして』


 調子に乗って平手打ちを受けてしまった。

 葉那は帰ってしまい、電話は出ないし留守電を残しても音沙汰はない。

 冗談半分だったが、思った以上の拒否反応を受けてしまった。

 ――『支配欲』?

 夢に迄出てくるとなると否定しづらい。


 ここのところ彼女との関係は停滞している気がしてならない。仲が悪い訳じゃない。安定しているとも言うのかもしれない。


 ただ、二年毎と言っていた勤務地の任期や葉那が「家」から与えられる猶予期間を考えると、気が気でない。今日明日が来てしまったら、十中八九葉那はまた別れを告げるだろう。

 このまま葉那の求める「節度ある関係」を続けても、葉那が選ぶ結婚相手に、俺はいない。


 変わらない彼女の考え。

 変わるべきは自分なのだろうか?

 

『ご両親にプレゼントを――』


 いつかの彼女の言葉が頭を過ぎった。 



 ***



よう!」


 実家の玄関でばふ、と抱きついて来た母親をそのまま引きずるようにして廊下を進む。


「これ……母さんに。と、あいつについで」


 スカーフ。もう一つの箱にはネクタイピンが入っている。


「よ、よう……これを……これをお母さんに?」


 うる、と瞳を潤ませると受け取って抱きしめ、涙をこぼし始める。


よう……とても……とてもありがとうございます。お母さん、嬉しいです。ずっとずっと大切にします」

「はいはい」


 適当にあしらい階段を上がる。自分の部屋は時を止めたように様子を変えず、また埃一つなかった。掃除は家政婦に依るものだとは思うが――

「……」 

 置いた覚えのない写真が机に飾ってあった。恐らく幾つもない、三人が揃った家族写真だ。母親が度々部屋に来ているのだろう。

 家から出したくない――それは娘の親だけの気持ちではないのかもしれない。


 

「夭、夭、」


 少しは孝行に耐えようと思ったが、ソファに掛けているだけで気が滅入る。

 ほぼゼロ距離で抱き付いて、胸元から顔を覗き上げながら跳ねんばかりに揺すぶられる。これがまだ幼い姪だったりしたら分かるが、だ。または、たまに帰省した時の飼い犬だと思えば可愛げもあるかもしれない。

 彼女じゃないが、何故父親は――

『ペットみたい』そんな声が脳裏を掠める。


「母さん、うちに首輪ってある?」


 ほんの出来心で聞いてみた。


「首輪……たくさんありますが、どのようでしょうか」

「……ペット用?」

「あ――はい、あります。今お持ちしますね」


 期待に応えられることが嬉しかったのか、母親は思い当たったように答えるとすぐさま弾みを付けてソファを降りた。

 

「はい、夭。お使いになるのですか?」


 戻ってきた母親は笑顔のままそれ――犬用と思しきリード付きの首輪を差し出した。記憶の限り犬は飼っていないし今もその気配はない、が。

 

「何でこんなものが家に?」

「旦那様に遊んで頂くのです」

「どうやって?」止せば良いのに自分が悪い。

「ええと、このように付けて、」

 

 母親はそう言って、躊躇いなく自分の首にそれを嵌めた。やっぱり――

 

「わ、分かった。もういいから……」


 犬の首輪を着けた母親が目の前にいる。記憶に残したくない異様な光景に顔が引き攣る。

 と、

 ガチャリ

 最悪なことに最悪なタイミングで、重い玄関扉を開けて誰かが家に入って来る物音がした。慌てて首輪それを外そうと手を伸ばす。


「ん? 夭輔ようすけ、帰っていたのか」

 

 ――しかも最悪な人物が。  

 冷や汗が垂れる。

 全く(殆ど)無実なんだが、母親にペット用の首輪、それに手を掛ける自分。

 状況を説明できない。


「夭輔に遊んでもらっていたのか?ロゼット」


 しかし父親は動じることもなく、にこやかに声をかけた。そしてくい、と自然な動作でリードを引き取る。


「しかしを忘れてしまった様だな」


 母親はハッとした様子で、犬なら耳が垂れそうにシュンとした。


「ごめんなさい、旦那様……けれど、夭が求めてくれて、」


 するならちゃんと説明をしてほしい。

 言語能力が乏し過ぎて全く不要な誤解を生みそうだ。


「違う――」


 そういう俺も乏しくて、精一杯否定する以外の言葉が出なかった。しかも焦りながら。


「夭輔も遊んで欲しいのか?」

 全く動じない微笑が怖い。

「違います――ごめんなさい」

 悪くないのに、恐怖を拒絶するあまり謝ってしまった。


「母さんに似て素直で可愛いな、夭輔……俺もお前を育てたかった」


 にこりと笑う。本当に育てられなくてよかった。



 *   


「お母さんは昔に、子供の頃から一緒だったお犬を亡くしてしまっていて……とても悲しいまま、リズお犬の真似をするようになってしまって。気味の悪いと言われて全部焼かれてしまったのですが、ロゼは止められずにになってしまったのです。でも旦那様は忘れる必要はないと仰って下さって、首輪を付けている時だけにするようにして、治っていったのです。旦那様とだけの秘密の約束だったのですが、懐かしくて……ごめんなさい」


 紅茶を並べた居間で、母親はしゅんと耳でも垂れるようにそう告白した。その隣の父親は何も言わずにティーカップを傾けている。この『美談』をどういう気持ちで聞けばいいのか分からない。どちらにせよ知る必要は無かった筈だ。誤解を増長させるような言動はどうかと思うが……母親はともかくコイツはわざとだろう。しかし元はと言えば俺が悪い……のか?


「いや、もういいから――聞いて悪かった」

「夭は悪くありません。お母さんがしっかりしていなくて、」

「ロゼット、それは?」


 この時ばかりは丁度良く、父親がちらと二つの箱に目を向ける。泣き出さんばかりだった母親は途端に、前後の何もかもを忘れたようにパッと表情を明るくした。


「夭から頂いたのです! ロゼと、こちらは旦那様に」 


 母親は嬉しそうに小箱を手渡す。父親はそれを開けると目を細めた。


「ありがとう。嬉しいな、お前から贈り物を貰える日が来るなんて」


 しみじみと眺め、ピンをシャツの胸ポケットに差す。一応役人なので適当かと思ったが好みまでは記憶に無く、シルバー色の飾りもないオーソドックスなものだ。


「そうだ、飲みに行かないか?」 

「いや、用事が――」 


 反射的に断ろうとするが


「俺もお前と


 負い目を突く絶妙な言葉選びをされて、萎縮してしまった。

 だから苦手なんだよな……



 ***

 


 連れて来られたのは官庁街に近いクラブだった。葉那が言っていたような紹介制の高級クラブに違いない。隣に見知らぬ女性が座って、居心地が至極悪い。

 ――何がしたいんだ?この親父  

 朗らかな談笑に興味は無く上の空だった。 

 どうにか切り上げて、早く葉那に会いたい。


女性の扱いエスコートを知られたら、きっとどんな方も射止めてしまわれるでしょうね」


 唐突に――名前を呼ばれて、面食らう。

 黒髪を結った和服姿の若い女性がはんなりと微笑んでこちらを向いていた。

 その知性的で品のある佇まいは、ほんの少しだけ葉那を思い出させた。


「お任せくださいませ」 

 






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