短編滔等

御手洗孝

問答は月夜の晩に。

 全てのモノには始まりがあって、終わりがあって。

 だから、夜は明けるし、日が暮れる。

 明るい星は薄灯りの中にぼんやりと、それでもそこに自分が居ると、存在していると主張して。

 そんな日常、そんな時。

 一匹の猫は舞い降りた。

 右を向けば白であり、左を向けば黒である猫の姿は不思議と明ける夜空に似て。きらりと光る水晶のように澄んだ瞳は星々に似て。

 チラリと視線を走らせた猫はフゥと小さな溜息をついた。

「あぁ、あそこか」

 一番高く聳え立つ塔の上。長く、風に揺れる髪の毛を持った人影を瞳に映し、とんと身軽に地面を蹴る。

 月の光に照らされてきらりきらりと光り輝く体は一蹴りで彼方に見えたその影の足元に降り立った。

「おい、お前。此処からどうするつもりだ?」

 見た事のある猫の姿形をした、見た事のない瞳を向けてくるそれに、一瞬戸惑った風を見せた女はにっこり微笑んで答える。

「あら、やだ。しゃべる猫なんて初めて」

「間の抜けた返事だな。ボクが聞いているのはそんなことじゃない」

「そうね、でも答えるよりもそう思ったんだから仕方ないでしょ」

「変わった人間だな」

「えぇ、だから此処に居るのよ」

 微笑みは悲しく月光に映え、彼女の視線は天上の星と変わらず光り輝く地上に注がれた。

「それで、お前はどうするつもりなんだ?」

「決まってるじゃない。あの空の星に仲間入りするの」

 そう言った女は一瞬瞳を伏せて首を振る。

「いいえ、違うわね。私が行くのはあの地上の星の中だわ」

「ふぅん、己で己が分かってる」

 ニヤリと牙を見せて笑う猫の言葉に女は視線を絡ませてゆっくり瞼を閉じた。しかし、すぐにその瞼は開かれる。

「って、思ってるんだな。幸せなヤツ」

 女の眉間に皺がより、浮かべていた笑顔は奥へと潜んだ。

「幸せ? 私が幸せだって言うの?」

「だってそうだろ? 己で己が分かってるなんて奢ってるやつは幸せな頭の持ち主さ」

 ニシシと牙と牙の間から空気が抜けていくような笑い声をたてる猫に女の皺は更に深く刻まれる。

「偉いって言うのと偉そうって言うのは違う、同じように悲しさと悲しみは違うんだぜ」

「……言いたい事の意味が分からないわ」

「意味? 意味なんか無いさ。ただ当たり前は当たり前であっている。けれど当たり前じゃない当たり前もあるんだって知っておかないと駄目だって事」

「本当に良くしゃべる猫ね。貴方一体なんなの? ううん、何者なの?」

「ククク、何者、ね。さぁ、何者だろう?」

「それだけ喋っておいて自分で自分が何なのかわからないの?」

「何者でもあって、何物でもない存在。それを何ていうのか。ボクが知らないだけさ」

「だったら、ただのしゃべる猫。じゃない」

「ただの猫? クッ、ククッ、クァハハハハ!」

 女の言葉に大きく笑ったその猫はふわりと体を中に浮かせて背中を丸めて転げまわった。

 よほど可笑しかったのか、空中には小さな水玉が月光を跳ね返してきらきら光る。

「結論はお前の中にあって、ボクの中には無いものさ。いいだろう、今日は特別愉快だからお前は見逃してやるとするか」

「見逃す? 見逃すって何よ」

「さぁ、その答えはお前の中だ。いや、もしかするとお前の中ではなく誰かの中にあるのかもしれない。折角の休日を邪魔されたと思っていたが、いやいやどうして。ナカナカ面白い事に出会えた。<精々>と言葉の意味通りに生きてみな」

 最後に瞳をまん丸にした猫は笑顔を口元に浮かべたまま地面を蹴って、丸い月の光の中に消えていった。

 残された女は大きな深呼吸をした後、ジッと眼下に広がる光の粒たちを眺める。

「最初から最後まで変な猫。死神、悪魔、それとも天使? きっとどれでもないわね、アレは変な猫、だわ」

 へその辺りからくすぐったく込上げてくる笑いを噴出して、女は空を見上げた。

「私は彼等の仲間にはなれないわね。いいわ、精々、私は私であり続けてやるわ」

 空に滲んでいく白さに照らされて天地共に星は見えず。

 地上の光も一つ、また一つと消えていく。

 同じようで違う日々、その一秒で変わる日々。

 そうして変わらぬ太陽が空に上って落ちて行く。

 

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