第1話 夢は夢だからこそ許せるんだよ!
豪雨が降ればいいのに。
そうすれば、あとから「聞き間違いだ」とか、「よく聞こえなかったから、もう一回話そう」だとか言えたのに。霧雨が降る中、まだあの時少年だったレオンは思う。
「僕はもう、君とはやっていけない」
残酷なことに、小さすぎる雨音は彼の言葉をかき消してくれなかった。生涯で二番目に心を許し、共に居たいと思えた幼馴染の彼は、見たこともないほどに冷たいアメジストの瞳でレオンを射抜く。
「正直、君と一緒にいて楽しかったことなんてない」
吐き捨てるように紡がれる言葉は、レオンの精神をへし折るには十分すぎた。
かなしいかな、長い付き合いのせいでわかってしまうのだ。いつもの喧嘩とは違う、冗談でもない、心からの本気の言葉だということに。
「さよなら、レオン。叶いもしない夢を、いつまでも追い続ければいいさ」
この言葉を聞いて、レオンの中で輝き続ける思い出は過去のものとなった。一緒に過ごした時間、交わした言葉、幼い頃の夢物語。それらは一瞬にして粉々になる。自分に軽蔑の眼差しを向ける彼への親愛と共に。
「……ひっでぇ夢だな」
ベッドからのそりと、レオンは起き上がる。そのまま洗面所へ行き、眠気覚ましのために顔をバシャバシャと乱暴に洗った。相変わらず自前の黒の癖毛は、あちこちに跳ねており、それが彼をさらにイラつかせる。
夢の中で見たのは、7年前の忌々しい記憶だ。思い出したくもない彼を、朝っぱらからまた考える目にあうなんて、なんとまぁ最悪な目覚めだと、自虐的な笑みを受けべる。
どうやら、夢の中の曇天とは違い、今朝のニューヨークは快晴らしい。奮発して買った防音カーテンの隙間から、チラチラと眩しい光が差し込んで、レオンの顔を照らしている。
(せっかくの天気だ、昼飯を持って散歩するのも悪くない)
暗然とした気分を変えるため、今日の計画を立てていたその時だった。
ピンポーン
レオンの動きを止めたのは、来訪者を知らせる無機質な音。これが鳴るということはつまり、二週間ぶりの仕事が舞い込んだということだ。
「いいね! やっぱり神サマは見ててくれるんだな」
洗面所を飛び出しリビングへ向かう。ソファーにかけてある黒のジャケットをシャツの上に羽織り、お気に入りのジーパンに履き替えた。久々の依頼人こと、収入源の来訪に飛び跳ねそうになりながら、玄関へと向かう。
そして鍵を開けようとチェーンに手を伸ばす、するとドアの向こうから声が聞こえた。女性の声だ。
「レオーーン、いないの?」
「なぁ゛っ!?」
慌てて鍵を外しかけた腕をそらし、音を立てずに後退する。
この時ほど上官に感謝した日はない。まさかネブラ殺しの術が、人間相手に役立つ日が来るなんて。今すぐ彼にハグしたい気分……とまではいかないが、レオンがあれほど毛嫌いしていた上官に感謝してしまうほど、彼はドア前の女性に恐怖を覚えていた。
(だが待てよ、声が似ているだけで別人の可能性もあるよな!)
戦々恐々としながら、リビングへとさらに後退し、リビングのモニターのスイッチを押す。だがそれは、余計に彼を絶望に陥れる結果をたたき出した。
モニターに映し出されたのは、見覚えのあるプラチナブロンドの髪とライトグリーンの瞳を持つ極上の美女こと、レイラ・ジョーンズだった。この女性がただの依頼人ならば、レオンは喜んでこのスーツ姿の女神をエスコートしただろう。
だが、この美しい仮面の下には、それはそれは恐ろしい一面が隠されているのだ。幼い頃から見てきたので、本能レベルで避けているのである。今すぐ警察に連絡しても、正当防衛が認められるんじゃないか? 今日俺の命日? なんて考えるほどに。
「おかしいわね、確かにここで合っているはずなのに……留守なのかしら?」
女性はあごの下に手を当てて、考えこんでいるようだ。もうすぐ帰りそうな彼女を見て、レオンは思わずガッツポーズをする。勝利の女神はまだ自分に微笑んでいると、安堵とともにそう思った。
だが——
「私、はるばるイギリスからアメリカまで、貴方を探しにやってきたの。手がかりは貴方の『アンスール探偵事務所』っていう看板だけ。凄く大変だったわ」
コツ、コツ、コツとヒールを床で鳴らす音が聞こえる。それを聞いてレオンは息をのんだ。これは彼女が苛立っている際の癖、つまりもしかすると彼女は、気づいているのかもしれないのだ。レオンが奥で隠れていることに。
「だから、ね。もしあなたが私をもてなそうとせずに、居留守を使っているとしたら……良くないことよね?」
明らかに声のトーンが先ほどより低くなる。口では笑みを浮かべているが、瞳は一切笑っていなかった。彼女の堪忍袋の緒が切れる、その一歩手前まできている、まさに死刑宣告だ。
そんな様子をモニターで見たレオンは、なりふり構わず玄関へと向かい、慌ててドアを開けた。まだ21の若さで死ぬわけにはいかない。
「すみませんすみません! だから俺の尊厳と命は勘弁してください!」
「あら、やっぱり居たんじゃない。昔のよしみで許してあげるけど、二度目はないから。じゃ、パスポート持って出発するわよ」
「うす! 今すぐ準備し……は? なんで」
彼のサファイアの瞳は驚愕に染まった。それはレイラに一発で許してもらえたことでも、いきなりパスポートを用意しろと言われたことでもない。
アパートの階段の方にいる、見覚えのある美青年を見たからだ。彼女と同色の髪、細糸のようなストレートヘアをひとつに束ねて肩に下ろし、アメジストの瞳を自分と同じように見開いている青年。
「なんでお前がここにいやがる!?……テ、セオドア!」
「はっ、テッドと昔のように呼ぼうとしたのか? 君に私をそう呼ぶ資格はないぞ、レオン」
夢の中では霧雨が、そして今レオンの胸中は雷雨のような動揺と、激しい怒りに襲われていた。彼の前にいるのは、セオドア・ジョーンズ。レイラの弟でもあり、レオンの元親友。夢の中で辛辣な言葉を投げ、冷淡な瞳で見下した、裏切者。
実に7年ぶりの再会を2人は果たしたのだ。
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