翌朝
翌朝、お姉ちゃんが寝室のカーテンを開けにいくと、隆太郎が起きていた。
「おはようりゅうくん。よく寝られた?さっそくだけど、おはようの練習する?まず体を起こそうか。」
隆太郎は、不安な朝を迎えていた。今、お姉ちゃんが言った通り、昨日の約束がずっと頭に残っていたのだ。でも体を起こす。お姉ちゃんになら、どんな失敗をしても受け入れてもらえると思って。
「すごい心配そうな顔してるよ。練習する気だね。失敗すると思ってる?失敗なんてないんだよ。失敗に見えることでも、そのあと、悔しいから次は絶対成功するぞって思うじゃん。だから、挑戦しただけで成功なんだよ。まあ、これも、握手のことを教えてくれた先生とは別の先生に教えてもらったんだけどね。あ。ノートと一緒に寝てたんだ。一方的に喋りすぎたから、何か書いてよ。」
『練習する』
「分かった。リビングに行こうか。時間を決めないと疲れるから、10分ね。その間に言えなかったら、作戦を考えて、また明日。」
2人はリビングに移動して、お姉ちゃんが言う。
「私も、人の顔を見るのはあんまり得意じゃないから、ずっとは見てないけど、ちゃんと耳は聞いてるからね。その方がりゅうくんも言いやすいかな。まあ、今日ははじめだから、この辺にしてさっそく練習しようか。15分ぐらいまでね。私が何か言ってからの方がいい?」
隆太郎は、うーんと言っているように下を向いて考えたが、顔を上げて、お姉ちゃんの顎の辺りを見たまま、止まってしまった。
「まあまあ、落ち着いて。書く?」
置いていたノートを持たせると、隆太郎は動き出して、鉛筆を持って、また止まった。
「私が質問したから緊張しちゃったかな。いいんだよ。どうしたいか書ける?」
隆太郎は何度も鉛筆の先をノートに近づけたり離したりして、じっくり考えたあと、答えた。
『わからない』
「うん。いいよ。混乱してるね。一緒にほどいていこう。練習したいのかも分からない?」
どうしよう。分からないよ。動かないよ。隆太郎の目は、いつの間にか涙で溢れそうになっていた。
「厳しいか。1回歩こう。」
隆太郎の背中を押して、家の中をゆっくり歩きながら、お姉ちゃんは続ける。
「何から言おう…1つは、気持ちは伝わってるよってこと。混乱したときに、うわー!って叫べないから、更に辛いよね。何かを握るとかでどうにかならないかな。それは私もまだどうしていいか分かってないな。自分がそうなったときも、立ち尽くすしかないんだよね。こういうのは、これから一緒に考えていこうね。それと、今は一旦中止して、作戦会議にしよう。それで今日の夜、おやすみって言う練習をするように変えるよ。いいかな?」
ここまでお姉ちゃんが言うと同時に、リビングを1周し終えた。隆太郎の頭はだいたい整理されて、軽くなった。
「じゃあ座って。作戦会議しよう。」
お姉ちゃんは隆太郎に座るのを促して、聞いた。
「歩くと気持ちがちょっとすっきりするでしょ。これから、こういうときには背中を押して歩かせてもいい?」
隆太郎は鉛筆を取って、
『いいよ』
と書いた。自分で動けたことが嬉しかった。
「分かった。さっきの気持ちを言葉にできる?」
『今は、まだ』
「うん。いいよ。辛いことは言葉にした方がいいけど、大切なことは言葉にならないからね。練習すればできるようになるさ。なんくるないさー。」
不思議そうな顔をしている隆太郎を見て、お姉ちゃんは慌てて言う。
「あれ?知らない?なんくるないさー。沖縄の言葉だよ。」
『どういう意味?』
「意味?それは…なんくるないさーって意味だよ。りゅうくん。」
隆太郎は、今日初めて笑顔になった。お姉ちゃんも笑った。
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