オール·イズ·スキル~持たざる者はどう生きる
コラム
01
椅子に座った男が、少年に髪を切られていた。
男の体には散髪ケープが付けられており、その足元には何年も前の新聞紙やスーパーマーケットの広告が置かれている。
安物の散髪用のハサミを使い、慣れた様子で髪をすいていく少年が手を止めると、男に声をかける。
「よし。終わったよ、ギンジュお兄ちゃん」
ギンジュと呼ばれた男は、側にあった手鏡に手を伸ばすと、弟が仕上げてくれた自分の髪型を確認する。
手で髪をいじりながら顔の角度を変えて、ニカッと白い歯を見せた。
どうやら仕上がった髪型を気に入ったようだ。
そんな兄を見て弟も笑顔を返した。
それから切った髪を新聞紙と広告に包んで、部屋の中をふたりで掃除し始める。
「いつもありがとな、コウギョク。やっぱおまえはセンスあるよ」
ギンジュはそんなことないと言いながら照れるコウギョクを見ると、再び鏡を見た。
彼は、いくら睡眠をとっても消えない目に下にある隈に苛立ちながら、側にあったボロボロのフライトジャケットに手を伸ばした。
ジャケットに腕を通して、また鏡を見るとキリッとした表情を作って部屋を出ていく。
部屋を出る兄に、コウギョクが一体どこへ行くのかを訊ねると、ギンジュはくるりと振り返った。
「仕事だよ。午後に何か入ってるかもしれないし、おまえのためにも少しでも稼がなきゃだしな」
ギンジュはそう言うと、手を振りながら部屋を出ていった。
コウギョクはそんな兄の背中を見ながら、表情を暗くしていた。
ふたりは施設で育った兄弟だ。
兄のギンジュのほうは、一定の年齢になると受けさせられるテストに落ちて社会に放り出されたが、コウギョクのほうはアカデミーの入学を許された。
ここ数年は施設からアカデミーに入れる人間はおらず、自分とは違って、優秀な弟をギンジュは誇りに思っている。
そんなギンジュがしている仕事とは、日雇いの肉体労働である。
主な内容は人が住まなくなった家の解体作業で、低賃金ながらも兄弟ふたりで暮らしていけるだけの金銭を手にしていた。
コウギョクは施設を出なくてもよかったのだが、彼は兄と離れて暮らしたくないと無理を言って出てきた。
そのことで当然コウギョクも働くと言ったが、ギンジュは将来のためにも、彼に勉学を優先させている。
ギンジュがこれから仕事と言ったのも、飛び込みの仕事が入っていないかの確認だ。
いくら返金の必要のない奨学金が出るとはいっても、さすがに学業に関係ないものまでは購入できない。
そういう理由から、ギンジュはこのところ仕事を増やしていた。
彼はアカデミーで、弟に恥ずかしい格好をさせたくないのだ。
「すみません。なにか仕事ってあります? なんでもやりますよ」
ギンジュがいつも働いている解体業者の事務所に顔を出すと、ちょうど仕事があったようだ。
彼は喜んでやらせてほしいと言うと、彼らの車に乗って現場へと向かった。
到着後、まずは解体する家の仮囲いから足場養生の準備に入る。
これは、道路や近隣に迷惑を掛けないための対策だ。
解体工事中には、木クズ等の破片やホコリが飛び散る可能性がある。
高いところでの作業もあるので足場を確保したり、近所へほこりなどが広がらないように養生シートをかぶせるのだ。
どうやら今回の現場は他社への助っ人という形のようだったが、日雇いであるギンジュには関係ない。
ただ黙々と作業するだけだ。
壁、屋根、梁、柱などが残っている上屋を解体し、基礎を掘り起こし撤去していく。
たまに重機を使ったり、場合によっては人力で解体する。
デジタル化だ、オートメーション化だと叫ばれてもう何年も経っているが、数こそ減ったもののこういう仕事は未だに残っている。
現場監督の指示に従って、ただ体を動かすだけ。
仕事後は全身が痛くなるほど疲れ、正直うんざりする仕事だが、だからこそ無能の自分でも金を稼げる。
ギンジュは乾いた笑みを浮かべながら、自分と同じくアカデミーに入れなかった若者たちと一緒に解体作業を続けた。
その誰もが暗く沈んだ表情をしている。
それも当然だ。
彼らは日雇い労働者なのだ。
その日その日をなんとか暮らしているだけで、将来のことなど考えられない。
以前ならば生活保護などの社会保障が低所得者のセーフティーネットとなっていたが、20XX年以降に日本は大きく変わった。
国の経済が破綻したことで、国民のほとんどが路頭に迷うことになった。
政治家たちにこの状況を変える手段はなく、彼らはこれまで貯めてきた財とコネを作って国外へと脱出した。
国を運営する者たちがいなくなったことで台頭してきたのは、経済戦争を勝ち抜いた企業――
AISは崩壊した日本を再生させるために、国民に呼びかけて能力主義を浸透させた。
能力主義が広まったことで、海外に仕事を求めようとしていた若者たちは、自分の実力で生活が変わるのだと国内に留まり、結果、日本は再生した。
だがその影響で、それまであった格差はさらに広がり、生活保護や年金などの弱者を救うシステムは消え去ってしまう。
努力しても結果が出せない者は明日の食事すら取れずに死に、働けなくなった病人や老人は一部を除いて処分された。
ギンジュとコウギョクの両親は、そういう社会の無能者だった。
ふたりの両親は、自分たちでは子供を育てられないと、AISの施設にふたりを預けたのだ。
だがそれでもギンジュからは、他の無能者たちとは違ってまったく悲壮感は出ていない。
誰もが沈んだ顔で解体作業をしている中で、彼ひとりだけが覇気のある表情をしている。
「コウギョクは晩ごはんになにを作ってるのか。ああ、考えただけで腹減ってきたぁ」
陽が沈み、廃材の分別、収集、搬出作業の途中で、分別解体は明日にやるということで今日の仕事は終了となった。
来たときと同じように車に乗り、仕事を紹介してくれた事務所へと戻る。
そこで、封筒に入った金銭を受け取る。
午後から仕事して手にしたのは7000円。
これが仕事内容に見合った金額なのかはギンジュにはわからなかったが、そんなことは彼にとってどうでもよかった。
それはコウギョクのことしか、ギンジュの頭にはなかったからだ。
弟にはいずれ、この国の法となった巨大企業AISの社員として輝かしい未来が待っている。
こんなきつく辛い肉体労働ではない幸せな暮らしが送れるのだと思うと、それだけで笑顔になってしまう。
金を受け取ったギンジュは、いつも通りに寄り道せずに真っ直ぐ家に帰る。
「ただいま。今夜はなにを作ったんだよ? 仕事中もおまえが作る晩ごはんのことばっか考えて……!? おいコウギョク!? どうしたんだよ!?」
ギンジュが自宅であるアパートに戻ると、キッチンでコウギョクが倒れていた。
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