未来にキスを……

嵐山之鬼子(KCA)

<プロローグ->

 長かった冬も終わり、そろそろ寒さを和らいで春の足音が着実に聞こえてくる3月半ばの、とある日曜の朝。

 両親が海外赴任中の霧島家では、高校生の兄・斗至(とうじ)が台所で朝食の片付けをし、小学生の妹・未来(みき)はリビングでアニメ『ふたりはアルキャロ』を観ていた。


 小学生とは言えすでに6年生で、春から中学校に進学する年頃の娘にしては少々子供っぽい番組選択だが、未来は昔からこの種の「魔法少女アニメ」大好きなのだ。


──ピンポーン!


 来客だろうか、玄関のチャイムを鳴らすという音が聞こえてきたのだが、番組が佳境に入り真剣な顔でテレビに見入っている未来は気づかない。

 妹に甘い斗至は、「しかたないな~」と苦笑いしつつ玄関に向かい、リビングに戻って来た時はかなり大きめの段ボール箱を抱えていた。


 「おい、未来、中学の制服が届いたみたいだぞ」

 「え、ホント!?」


 ちょうど今週の回が終わり、番組がエンディングに入っていたらしく、未来は嬉しそうな顔で兄の方に寄って来た。

 ワクワクした様子を隠しきれずに未来が箱を開けると、確かにそこには4月から未来が通うことになっている涼南女学院中等部の制服が、綺麗に畳まれて入っていた。


 「わぁ~♪」


 気遅れしたかのように、恐る恐る箱から制服を取り出して広げる未来。

 明治時代に創設された女学校にまで歴史を遡れる涼南女学院の制服は、その伝統もあってか、藤色の上着と臙脂色のスカートと言う、どこか明治大正の女学生を連想させる色彩を採用している。

 もっとも、流石にこのご時世に着物&袴と言うわけではなく、形としては比較的オーソドックスなブレザー&スカートだ。

 ただ、上着丈が短めで、対象的にスカート丈はやや長めかつハイウェストで腰の後ろに大きめのリボンを結ぶ形状になっている点や、制靴がローファーではなく編み上げブーツな点などは、やはりかつての海老茶式部を意識しているのだろう。


 「ねぇ、お兄ちゃん……」


 上目遣いで何かをねだるような視線を向ける妹の表情に、斗至は苦笑する。


 「あー、ハイハイ。着てみてもいいけど、汚さないようにな」

 「はーい♪」


 嬉しそうに制服一式の入った箱を抱えると、未来は二階の自室へと姿を消した。

 このあとの展開を予想している斗至は、手早く洗い物を済ませると、時間潰しのためにインスタントコーヒーを入れ、それを飲みながらリビングでしばし待つ。


 案に違わず、しばらくすると二階からトントントンと未来が降りて来る足音が聞こえた。


 「じゃーーん! 見て見て、お兄ちゃん!!」


 満面の笑みを浮かべてリビングに入って来た制服姿の未来を見て、斗至は「へぇ」と軽く目を見張った。


 涼女の制服は色彩的にはやや地味だが、デザイン自体はトラッドかつ洗練されている。

 そのブレザー(+白ブラウス)&スカートに加えて、足に白いニーソックスを履き、さらに新品のショートブーツまで身に着けて、ちょっと気取った立ち方をしてみせる未来の姿は、兄の欲目をさし引いても、なかなかサマになっていた。


 元々、性格の子供っぽさに反し、未来の身長自体は156センチと同年代の平均を大きく上回っているのだ。こんな風に女学院の制服を着て澄ましていれば、中学生どころか高校生と言っても通用するかもしれない。

 本人もそれがわかっているのか、わざわざいつものツーサイドアップにしている髪のリボンを解き、真紅のカチューシャで前髪を整えている。唇が艶々してるのは、色つきリップでも塗ったのだろうか。


 「お兄ちゃん、どうかな?」

 「えー、あー、うん、いいんじゃないか。なかなか可愛いと思うぞ」


 とりあえず、正直に思うところを口にした斗至だったが、未来はいささか不満そうだ。


 「え~~、「かわいい」のォ? ミキとしては「きれい」ってほめてほしかったんだけど……」

 「あはは、バーカ、未来にはまだ早いって。ま、心配しなくても、中学高校と涼女にいれば、自然に極上の大和撫子になれるさ。あそこは生粋のお嬢様学校らしいしな」

 「そうかな──そうなれるといいな」


 どこか遠いところを見るような憧憬の目付きになった未来の頭を、斗至は優しく撫でてやる。


 「もちろんだ。未来なら、きっとスッゴイ美少女になれるぞ。兄ちゃんが保証する」

 「エヘヘ~♪ うん、ありがと、お兄ちゃん」


 兄に抱きつくようにして猫みたいにゴロゴロと甘える妹。

 それだけ見れば、今時珍しい程の仲の良い兄妹の、心温まる光景と言えるだろう。


 しかし──。

 上機嫌な未来が着替えるために部屋に戻ったところで、斗至は冷めたコーヒーを飲み干しながら、本日三度目の微苦笑を片頬に浮かべた。


 「それにしても、あの人もスッカリ「未来」に馴染んだな……」


 斗至の瞳の奥には、先程までの妹への愛情溢れる視線とはどこか異なる、まるで面白がるような色が微かに見て取れた。


 そして、同じ頃。未来と呼ばれた娘は、二階の部屋で「アルキャロ」の主題歌を口ずさみつつ制服を脱ぎ、先程までと同じピンクのトレーナーと赤いサージのジャンパスカートという部屋着に着替えていた。

 カチューシャを外し、ドレッサーの前で髪をお気に入りのリボンで結ぼう……としたトコロで、はたと我に返る。


 「──うわ……ヤバい。また、ボク、完全に「未来ちゃん」になりきってたよ……」


 一転落ち込んだ調子で不思議な事を口走りながらも、その手は休まず、両耳の上の髪をリボンでまとめる。

 いかにもこの年頃の女の子らしい、可愛らしい髪型にまとまっていたが、当の本人はそれどころではないようだ。


 「うぅ……いくら神様の影響だからって、気をつけないと。こんなんじゃ、ボク、心の中まで「12歳の女の子」に染まっちゃうよォ」


 「未来」が口走っている「神様」云々は、別段何かの妄想とか厨二病とかの類いではない。

 まごうことなく、ソレは存在するのだ。


 なぜならば。

 この、やや背は高めで多少大人びてはいるが、誰からも愛らしい女の子にしか見られない“少女”は、本当のところは“少女”どころか女性ですらなく、すでに高校も卒業して久しい20歳前の男性に他ならないのだから。

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