16才 WPW症候群で心肺停止

みずえ

第1話 突然の心肺停止

2021年11月19 (金)

PM2:24

 携帯がなった。ハル(仮名)の学校からだ。何だろう・・・・何かやらかしたのか? 体調不良で保健室で休んでいるから迎えに来て下さいかな? と、軽い気持ちで「電話に出る」ボタンを押すと、担任が、切羽詰まった感じの声で、

「ハルくんが、体育の授業中に倒れて、心肺停止で、今、救急車を待っている状態です」

 と言った。耳を疑う。心肺停止? 何で? と。思わず口から出た言葉は「心臓が止まっているって事ですか?」だった。

 担任は「はい、そうです」と答えた。

 その後の会話は覚えていない。「病院がわかり次第、連絡します」と言われて、一旦携帯電話を切った。

 何をしたら良いんだろう・・・・っていうか、コレ、現実? 夢でも、とにかく、何かしないと・・・・と、夫の携帯に電話をする。留守電だったので、メッセージを残す。「お父さん、ハルが、学校で倒れたって。心肺停止だって。病院行きます」と。


PM2:35

 担任から電話が来た。

「今、救急車で病院に向かっている所です。市民病院です。救急隊の方と変わります」

「ハルさんのお母さんですね? ハルさんは、何か持病はありますか? 薬は飲んでいますか?」

 と聞かれ、

「wpw症候群と、アセトン血性嘔吐症があります。薬は、アレルギー性鼻炎の薬を飲んでいます」

 と答える。

「病院まで来れますか?」

「はい」

「では、タクシーで来て下さい」

 と言われた。

 電話を切った後、夫の会社に電話をして、伝言を頼もうとしたら、呼び出しして下さった。夫も、この事を無理矢理受け止めている様子で「解った。俺も、直ぐに病院に向かうから」と、乾いた声で言った。


PM2:39

 電話でタクシーを呼ぶ。状況を説明して、病院名を告げ「道が解る方でお願いします」と告げると3分くらいで迎えに来てくれるとの事。

 ハルの保険証と、財布と、自分のメガネと、ハルのメガネをバックに入れ、上着を持って、マンションのエントランスホールに行くと、もうタクシーが待っていてくれた。名前を告げて乗り込むと、何も聞かずに、発車して「一番空いていそうな道で行くから」と言って下さった。

 途中から、国道を走るので、時間的にも、混んでいるだろうな・・・・と思っていたけれど、やはり、国道は渋滞していた。少し動いては止まる、と言う感じ。スマホで調べると、病院は、そこから1.5キロ先だ。「すみません、走って行きます」と言って、おろして頂く。

 そこからは、タクシーの運転手さんに教えてもらった通りに、走る。途中、息が切れ、歩いてはまた走る、を繰り返し、3人の人に道を聞き、病院に到着した。救急外来の受付で事情を説明すると、中へ案内された。

 救急処置の控え室には、担任と体育の先生がいた。私の姿を見ると、スクッと立って、挨拶をされた。

 「ハルの所には、行けないのですか」と聞くと、担任が、救急処理室の方を呼びに行って下さった。その間に、体育の先生が、状況説明をして下さった。でも、何が何だか、良くわからない。言葉が耳に入ってこない。「意識がなく・・・・」「心臓マッサージを・・・・」「AEDで・・・・」と、あり得ない言葉ばかりだし、現実に思えない。これってホントに、現実? 何で? と思う。

 その後、医師や看護師が来て、現状の説明や、同意書に署名とか言われて、内容を確かめる余裕もなく、言われた通りにサインする。こんな事より、早くハルに会いたい。触りたい。体温を確かめたい。

 どのくらい時間が経ったのだろう。やっとハルに会う事が出来た。でも、今朝、「行ってらっしゃい」と見送った時のハルじゃなかった。ホントに、死んだ様に横たわっていて、「植物人間」と言う言葉が浮かんだ。身体には、幾つかの管がささっていた。そっと手に触れてみたが、冷たかった。テレビや映画の世界にいる様だった。でも、ハルに声をかける。「ハル!ハル! 聞こえる? こっちに戻ってきて! ハル! ハル!」と。

 半開きのハルの目には、コンタクトレンズが浮いていて、涙が流れていた。少し開いた口からは、歯が見えていて、歯には、歯列矯正器具が着いている。そういうモノが、現実である事を象徴していた。

 身体は、シーツみたいなモノが掛けられてあったけれど、たぶん、その下は裸か手術着だろう。寒そうだ。「寒がりなのに。可哀想に、これじゃあ、寒いだろうに」と思う。

 そして、また、控え室に案内される。控え室では、先生達と私の3人。先生達も、目に涙を溜め、押し黙っていた。

 しばらくして、夫が入ってきた。夫は、先生方に挨拶をして、倒れた時の状況説明を聞いていた。その後、医師が入って来て、状況とこれから行う治療の説明をして下さった。

 現時点では意識がなく、非常に厳しい状況である事。これから「脳低温療法」という治療をするとの事。その治療の説明をして下さったが、何を言っているのか、良くわからなかった。頭が働かない。夫がいてくれて良かったと思う。その時に医師が放った言葉で、私の記憶に強く残っていた言葉は「非常に危険な状態です」「まだ若いと言う事、今は心臓が動いていて、自己呼吸も出来ている」という言葉だった。

 そして、また、同意書にサイン。

 医師の説明の後、先生達には、お帰り頂く。帰り際に、ハルの通学リュックを渡された。夫が受け取って、床に置いた。

 しばらくして、看護師さんが、ハルが着ていた物を、袋に入れて持って来て下さった。大きな透明ビニール袋の中に、さっきまでハルが身につけていた衣類と靴、コンタクトレンズが入っていた。ハルのぬくもりを確かめたくて、Tシャツを出して、顔をうずめる。ハルの匂いがした。

 夫と二人で、会話をする事もなく、呆然としていると、看護師さんが来て「これからハルさんはHCUに移ります。移ったら、暫くは会えませんから」と言われ、声をかけに行く。

 ハルは、幾つかの投薬の管や、モニターに繋がれ、気管挿管もされていた。そして、さっきと変わらず、死んだ様に横たわっていた。

「ハルくん、お父さんと、お母さんの所に帰って来てよ。待ってるよ」

 と声をかける。管に繋がれた手は、冷たかったけれど、ハルの手だ。細くて、キレイなハルの手。

 若くてキビキビした女性の医師が、搬送された時の状況、その後の経過、今の状況、これからの治療などを、説明して下さった。解っていたけれど・・・失礼かも知れないけれど「YES」と言う言葉が欲しくて、

「これからする事が、ハルにとって、一番ベストな事なんですよね」

 と聞く。

 医師は、力強くハッキリと、

「そうです」

 と言った。

 夫が、私の肩をポンとたたいて

「大丈夫だから」

 と言った。 

 そして、ベッドに横たわったハルと一緒に、エレベーターで上の階に行く。ベッドの手すりの隙間から、ハルの足を触る。冷たかった。そしてHCUに入って行くのを見届けた。

 もしかしたら、これが最後? そんな事はないよね? 大丈夫だよね? どんな状態でも良いから、戻ってきてよ、と心の中でハルに語りかけた。

 その後、HCU控え室で、また説明と、書類にサインをする。

「入院中に使う、簡易清拭剤、歯ブラシ、口腔内清拭用スポンジブラシ、デンタルリンスを売店で買って来て下さい」

 と言われ、こんな植物人間の様な状態なのに、歯ブラシや、デンタルリンスが必要って事は、今後、これを使う望みがあるって事なんだろうか? と思いながら、階下の売店で買って、看護師さんに届ける。その時、ハルの通学リュックに着いていたマスコットを外して「御守代わりに、ハルの近くに置いて下さい」とお願いして、渡した。きっと、こういうモノはダメなんだろうけど、看護師さんは、私達の心境を察して下さった様で、

「わかりました。ベッドの脇に置いておきますね」

 と言って下さった。帰り際に、HCUの看護師さんのご配慮で、病院のPHSをお借りして、ハルに声をかける。

「ハルくん。お父さんと、お母さんは、お家に帰るけど、必ず帰って来てよ。待ってるよ」

 夫も、

「ハル、頑張れよ」

 と言っていた。

 HCUの規則で、私達の方から電話で様態を聞くのは、あまり歓迎されないらしい。もし電話をかけて様態を聞いても、個人情報保護の関係から、折り返しの連絡になるそうだ。様々な説明の中で「何かあったら、こちらからお電話致します」と、やんわりと、何度も言われた。基本「待つ」しかないんだ、と思った。

 控え室にいる間、何度も涙が出たし、説明も聞き、同意書にもサインし、ハルの現状も見たのに、現実とは思えない気持ちもあって、ずっと頭が混乱していた。心と頭が分離されている様で、もう一人の私が、その間にいた。そして、混乱しながら、何故、ハルなの? 私のせい? 何が悪かったの? と、自分を責めていた。


PM6:30

 病院の外に出ると、もう真っ暗だった。タクシー乗り場を探すが見つからなかったので、バス停でバスを待つ。

 バスを待つ間に、職場の友人と、妹に連絡をする。もう、職場には、戻れないだろうな、と思いながら。

 駅に着くと、道行く人達が、足を止めて、同じ方向に携帯電話をかざしていた。何だろう・・・・と思っていたら、皆既月食だった。そうか、今日は、皆既月食の日だったなあ・・・・と思いながら、今はそんな事に興味はなく、足を止める事なく、電車に乗った。


 帰宅し、まず、病院で受け取った大きな透明ビニール袋の中身を出した。靴は、玄関に並べた。いつも、ハルが置く所に。そして、体育の時に着ていた体操着上下とパンツと靴下を畳む。パンツは濡れていた。恐らく、失禁したんだろう。倒れた瞬間、全ての機能がOFFになってしまったんだなあ、と思った。

 ハルが最後まで着ていた衣類を畳んで、リビングの小さなセカンドテーブルの上に置く。装着していたコンタクトレンズも。そして、ハルの通学リュックの中を確認する。制服と、お弁当箱が入っていた。お弁当の中身は、ご飯が少し残っていて、おかずは完食だった。嬉しい。今日のおかずは、ハルの好物三品(唐揚げ、ポテト、たこ焼き)だった。もしかして、これが、ハルの最後の食事になるなんて事はないよね? と、何かに問いかけていた。

 制服は、ハンガーにかける。いつもは、ハルがやっていた。たまに、面倒くさがって、そのまま床に置いてある事もあったけれど、そんな時は、私は放置していた。ハルの部屋の椅子の上にも、畳まないで脱ぎ捨てた服が山積みになっている。それらを1つ1つ畳む。今朝、ハルが脱いだパジャマも、ハルのぬくもりが残っている様で、洗濯する気持ちになれなくて、畳んでベットサイドに置いておく。

 自分のバックから、病院で渡された書類等を取り出していると、ハルの眼鏡が入っている事に気が付いた。駆けつける時に、私が入れた物だ。あの時は「目が覚めた時に、眼鏡がないと不自由だろう」と、咄嗟に思ったのだ。心肺停止って言われたのに。

 いつも、自室のドアを閉め切って、籠もっている夫に「心細いから、ドアは開けておいて」とお願いする。夫は、帰宅してから、職場に連絡を入れて、休みをもらっていた。 

 今日の夕食は、ピザにする予定だったので、冷蔵庫に、作っておいたピザが二枚入っていた。ハルの好物だ。そのピザを焼いて、夫と食べた。けれども、私は、喉を通らなかった。飲み込もうとすると、吐きそうになった。ダメだ。ハルの事を考えると、上手く飲み込めない。ハルは、お腹が空いていないのだろうか。HCUの看護師さんが、「おつらいと思いますが、しっかり食べて、睡眠をとって下さい」と言ってくれた。解っているけれど、でも、無理だ。

 食事の片付けをして、干しっぱなしだった洗濯物をいれて畳み、お風呂に入ると、する事がなくなった。テレビもラジオも付ける気にならない。本も、読む気にならない。ハルがいないと、する事がない。

 ハルの椅子に座っても、ハルのベッドに横になっても、ハルのモノがあって、涙が出る。一つ一つの品物を見つめながら、これを買った時の事、これで遊んでいる時の事、使っている時の事、いろいろと思い出された。


 何故、ハルの心臓が、突然止まってしまったんだろう。何か、前触れがあったのではないだろうか?

 ハルは、高校生になってから、時々立ちくらみをする様になった。夏休みになってからは、夜更かしが続き、食欲も低下し、立ちくらみの回数も増えたので、不摂生からくる貧血かなと思い、9月に近所の内科で精密検査をして頂いたけれど、貧血はなく、他に異常もなかった。それでも、立ちくらみは続いていて、二日程前の朝も、クラっと来たみたいで、リビングのテーブルに手をついていた。でも、直ぐにいつも通り身支度をしていた。あの、貧血と思っていた仕草が、実は、何か大きな病気の兆候だったのだろうか? それに気がついて、大きな病院に連れて行っていたら、こんな事にはならなかったのだろうか?

 それ以外にも、私が、家の中でスマホばかり見てダラダラしているハルに、口やかましく「少しは運動でもして来なさい!」と言って、スポーツクラブに行かせたせいか? 部屋が散らかっているとか、脱いだモノをハンガーにかけなさいとか、スマホばかり見ていないで勉強しなさいとか、ゴミは分別してゴミ箱に入れなさいとか、細かい事でガミガミ言い、精神的に追い詰めていたんだろうか?

 数日前に「疲れたから明日は学校を休みたい」と言ったが、連日深夜までスマホで遊んでいるせいだと思い、「そんな事で学校を休むな!」と行かせた。あれも、実は、病気のサインだったのだろうか。

 ハルの一日は、朝は、7時10分頃に起床し、少しだけパンをかじって7時半に家を出る。バスと電車を乗り継いで、△駅まで行く。そこから学校までは、徒歩20分くらい。ドアツードアで約一時間の道のり。部活は、週2回のパソコン部。帰宅してからは、おやつを食べて、スマホで遊んで、6時半頃夕食。週2~4回は、7時半頃にスポーツクラブへ行き、ランニングやスイミングをして、お風呂に入って、10時半くらいに帰宅していた。こんな生活が、ハルの身体を、病気にしたんだろうか?  

 でも、この程度の生活をしている高校生は、たくさんいると思うのだが。

 昨日は、スポーツクラブはお休みだったので、家でリラックスしながら、録画しておいた「世界の果てまでイッテQ」を見て、ゲラゲラ笑っていた。最近、お気に入りのワイングラスで、ジュースを飲んで、アイスを食べて、お菓子も食べていた。疲労なんて、感じさせない雰囲気だった。

 一つだけ、気になる事があったけれど、それは、今は書けない。あまりにも、怖すぎて。 

 夜は、ハルのベッドで寝た。でも、いろいろな事を考えてしまい、なかなか眠れなかった。電気を消した暗い部屋の中で、ハルの姿を探す。時々、祈ったり、声を出してハルを呼ぶ。そうしないと、繋がれているモノがプチンと切れそうで怖かったから。夢の中でも良いから、ハルに触れたい。抱きしめたい。でも、夢は見なかった。 

 うつらうつらしながら、朝を迎えた。

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