血の配達屋さん・スピンオフ
北見崇史
「血の配達屋さん」のショート
「ちょっとさあ、タバコ消してくんない。てか、レンタカーで吸うなよ。バカじゃないの」
運転手が吸い始めたタバコの煙に、助手席の女子大生は不機嫌を隠さなかった。
「なあ、ここどこよ。てきとうに走ってたら、わけわからなくなった」
運転していた大学生の男は、コーヒーの空き缶にタバコを放り込んだ。渋いヤニ臭さが蒸気して、車内の空気がさらに淀んだ。
「トッコロト(独鈷路戸)だって」
「北海道の地名って、謎だよなあ」
後部座席の男女も大学生だ。首都圏から来た四人は、レンタカーで北海道を旅行中である。道東の辺鄙な海沿いに美味しい牡蠣を食べさせる店があり、絶賛探索中なのだ。
「名物牡蠣番屋って、この町かなあ」
「スマホで調べるの、面倒くさいわ」
「誰かに訊いてみれば」
この土地に不案内な彼ら彼女らは、若者らしく他力本願に遠慮がなかった。
「第一ド田舎人発見」
いかにも寂れた町の一本道で、自転車を押している女を発見した。しばしストーキングした後、車が無遠慮に横付けする。
「ねえ、名物牡蠣番屋って店、どこ?」
女子大生のぶしつけな質問に、自転車を押していた女は黙っている。ひどく錆びついたブレーキレバーを握ったまま無口だった。
「このチャリやべえぞ。腐ってんじゃん」
女の自転車は、いたるところが錆だらけだ。金属に錆が浮きだしているのではなく、錆そのものをぶっかけているかのように赤かった。
十数秒が経過しても無言の行が続く。助手席の女子大生が「チッ」と舌打ちして、運転手に発進を促した。
「田舎のオバハン、使えねえ」
「でも、美人っぽかったなあ」
「あのさあ、コンビニ寄ってよ。トイレいきたいから」
車が走りだした。コンビニを求めて港の集落へと向かう。だが古びた家屋ばかりで、それらしき店は見当たらなかった。
「しかたないから、ここで借りるわ」
こじんまりとした水産加工場の前で止まり、全員が降りた。差し迫った尿意は、共通の懸念事項である。
「すみませ~ん。トイレ借りたいんだけど」
シャッターが開いていたので、勝手に入って大声を出すが返事はなかった。
「誰もいないな。って、なんか踏んだ。おっわ、魚の内臓かよ。汚えなあ」
水産加工場らしく、魚の破片が散乱している。運転手男子は、つま先立ちになっていた。
「トイレはあそこだけど、さすがにマズいか」
「挨拶はしたんだから、いいでしょう」
男子の弱気にかまわず、さっそく助手席女子がトイレに入った。
「うっ、ボットンかよ。遠足以来だわ」
汲み取り便所の底をイヤそうに眺めていると、同じく見上げている目と目が合った。
「えっ」
女子がいったん顔を上げた。幻覚の類だと自らに言い聞かせ、もう一度覗き込む。
「きゃあ」と叫びながらとび出してきた。
「どうした、痴漢か」男子たちが駆け寄る。
「便器の底に、おっきな目玉がいるう」と、トイレを指さして言った。
「はあ?意味わかんねえよ」
「ねえ、あれ見て。なんかいるんだけど」
トイレの扉は完全に閉じていない。十センチほどの隙間があるのだが、そこに目玉があった。充血した巨大な二つの眼が、ひどく尖った指先と縦に並んでいる。
「おいおいおいおい、やべえのがいるぞ」
秒速五ミリメートルの勢いで扉が押し開かれてゆく。汚らしい長腕がぬるりと落ちてきて、床に散らばった残滓を集めていた。
「おえっ、すんごく臭い」
異常な量の生臭さが吹きつけた。禍々しさが登場する予感に、学生たちは戦慄する。
「に、逃げろ」
四人は建物の外へ逃げた。
車の前で血の気の引いた顔がお互いを見ていると、彼らの足元に一匹の三毛猫がやって来た。
「今度は、なに」
「猫だな。って、臭っ」
その猫は野良生活が板についたようで、毛並みは乱れ、べっとりと濡れて生臭かった。
「にゃんこが、なんか吐こうとしているよ」
猫が、いかにも苦しそうに咳き込みながら口で地面を突ついている。四人がさらに覗き込もうとした時、突如として顔を上げた。
「うおおおー、な、なんだ」
大きく開いた口から、いかにも肉肉しい管状のモノがとび出ていた。
「なんか食べてるの」
「いや、違う」
「こいつ、内臓を吐き出してるんだ」
臓器と思しき細長い肉管は、嫌がる猫にかまわずニョロニョロと出てきて、地面にとぐろを巻いていた。
猫は地面に爪を突き立てて、なにかに抵抗しているような構えだ。
「うわああ、内臓に毛が生えてるぞ」
とぐろを巻いた肉管の側面から無数の毛が生えていた。
「いや、毛じゃない。爪よ」
それらは毛ではなかった。よく尖った爪である。ムカデの肢のような配置で、しっかりと地面を捉えていた。
「引っぱってるぞ」
肉ムカデがワサワサと前進するが、本体の意思とは無関係である。自らの臓物に引っぱられまいとして、猫が踏んばっていたのだ。
「あなたたち、仕事場にまでついてきたの」
ア然としている学生たちの背後に、赤錆自転車の女が立っていた。さらに十数匹の猫が路上にいて、彼らをじっと見つめている。いまにも不浄なモノを吐き出しそうだ。
「ここにいると、化け物に喰われるよ」
尻を蹴飛ばされたように、学生たちが車へ乗り込んだ。唸り過ぎたエンジン音が、ふらつきながら遠ざかってゆく。
女が「シッ」と手を振ると、猫たちが退散した。さらに、もだえ苦しんでいる三毛猫の頭を踏みつけて、口から出ている肉ムカデを掴んで引っぱり出した。
「ふんっ」
激しく暴れる肉ムカデをブチブチと引き千切り、瀕死の三毛猫と共にズタ袋に詰めた。それから、ホースの水で路上の汚れを洗い落としていた。
「おう、静さんじゃねえか」
暴力組織が好みそうな黒塗り高級セダンが止まった。運転手は、いかにも暴力団風の中年男であり、なぜか、後部座席には先ほどの大学生たちが押し込められていた。
「あら、その子たち知り合いだったの」
「車を擦りやがったから、事ム所でしぼりとってやるべ。〇〇大学のアホ大学生だとよ」
「息子の彼女の学校だわ」と言って、乾いた笑みを浮かべる。四人は、すでに泣き顔だ。
「お金はなさそうだけど、献血ぐらいはできそうね」
高級セダンが発進し、血の気の失せた顔たちが遠ざかってゆく。
「ラーラーラー」
女が鼻歌を奏でるが、鬱として重々しいその旋律は、けして楽しげではなかった。
血の配達屋さん・スピンオフ 北見崇史 @dvdloto
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