第5話 魔晶石の色
楽しかった一日がまた終わっていく。
アシュリンは、それぞれの家の馬車で帰途につくベラとカミラを見送ると、夕食の時刻まで少し休もうと、自室のベッドに、ごろり、と横になった。
結局あの後も、ベラとカミラはクラウスの話題で盛り上がり、やれ彼の素性を教えろとか、あの顔の傷はどうしたのか、などとアシュリンを質問攻めにして彼女を辟易とさせた。そして、問われれば問われるほどにクラウスのことを自分は何も知らないのだと気付く。これからのアシュリンの半生に庭師として関わりあう身であるのに。
フィルデルガー王国の主な宗教は、女神信仰である。それも、神話の数ある神のなかから、大地に豊穣をもたらす花の女神フランティーラを国の神として崇めている。それもあって、この国では昔から農耕、そして園芸が盛んだ。貴族という貴族、それに大商人などは、蓄えた財を惜しげもなく自らの庭へと注ぎ込む風習が根付いている。
であるから、庭師というのもフィルデルガー王国ではなくてはならぬ職業のひとつであった。身分こそ平民ではあるものの、その社会的地位は地方の下級貴族ほどに高いし、腕の良い庭師は、貴族や裕福な庶民のなかで奪い合いになるほどだと聞いている。なかでも、女神フランティーラの象徴である、薔薇を咲かせる技術に卓越した庭師を巡っては、ちょっとした刃傷沙汰も頻発するほどだという。
また、庭師が重宝されるのは、魔術の能力の高さにも依る。
アシュリンの生きる大陸には、全ての人間が、おのおのの誕生時に司祭から、「魔晶石」というちいさな石を与えられ、それを生涯肌身離さず持つ習わしがある。
魔晶石は与えられたときには無色透明の小石に過ぎないが、持ち主の人間の成長とともに、ひかりを帯びてくる。そしてそのひかりが強ければ強いほど、その人間は魔晶石を介して強い魔力を発することが出来るのだった。
魔術の種別を大きく分ければ、初級魔術、戦闘魔術、治癒魔術の三つに分けられる。庭師の用いる魔術は、日常生活で使われる魔術である初級魔術に属する。それは肥料を作ったり、木の枝を思いのままの形にしたりする効果が主で、強い魔力が必要とされる戦闘魔術や治癒魔術に比べれば、たしかにその力は低い。だが、初級魔術の中では最強の部類に入る。それもまた、庭師の社会的地位を揺るぎないものにしているのだった。
アシュリンはアカデミアで習ったそんな知識を頭に思い浮かべながら、胸元に手を差し込み、首にいつも下げている、革紐にくくりつけた己の魔晶石を取り出す。
アシュリンの手元で光る魔晶石は乳白色で、これは彼女が平均的な魔術しか使えないことを現わしている。そしてそのとおり、アシュリンはアカデミアでは初級魔術の授業をこなすのが精一杯だった。結局、彼女は伯爵令嬢という恵まれた身分にあるおかげで、今日に至るまで日常生活において魔術を使うこともない。
――そういえば、前、ライナルトに見せてもらった彼の魔晶石は、すっごく綺麗な虹色をしていたわね。
婚約者の魔晶石を見たときの驚きを、アシュリンは思い出す。それは、色こそ乳白色だったが、陽のひかりにかざすとこの上なく美しい虹色の反射光を放つ魔晶石だった。
――さすが、アカデミアで最難関といわれる戦闘魔術の研究を学んで、軍の魔術師団に入っただけはあるわね。私とは大違い。
アシュリンはベッドの上をごろごろと転がりながら、ふふふ、と軽く笑った。それは、少し寂しさをかみ殺した笑みでもあった。
――私、取り柄なんてなんにもないなあ。このまま、伯爵夫人になんて、すっ、と収まれるのかしら。いや、上手く収まれたとしても、なにを楽しみに暮らしていくのかしら。
ライナルトという頼りがいのある夫の背にもたれて、何の心配なく生きていくつもりだったアシュリンの心に、ふっと涼しい風が吹く。なるほど、ここのところの自分の落ち着きのなさは、そんな憂慮もあったからか、とアシュリンは今更のように合点した。
過ぎ去ろうとしているのは、気楽で楽しい娘時代、だけではないのだ。アカデミアで過ごした少女時代のように、なにか日々新しいものに出合い、ときには自分からなにかに果敢に挑戦する。そんなことが当たり前でなくなる日々が、まもなく自分の身を包もうとしている。それがアシュリンには哀しかったのだ。
アシュリンは唐突に胸に湧き上がった切なさに、そっ、とアメジスト色の瞳を閉じた。
そして、そんな憂いは忘れてしまった方がいいんだわ、と思いながら、ゆっくりと深呼吸をし、再び胸元の奥へと乳白色の魔晶石を戻す。すると思考は一周して、クラウスの身の上に、また及ぶ。
――それにしても、庭師なのに治癒魔術も使えるなんてね。クラウスの魔晶石はどんな色をしているのかしら。
庭の茶会で思い切りはしゃいだ疲れが、今になってじんわり沁みてきたようだ。目を閉じたままのアシュリンの意識はいつのまにか、心地よい微睡みに沈んだ。夕暮れの風が、やさしく窓から流れ込んで、彼女の頬を撫でていった。
池周りの
「クラウス。お嬢様に、お目に掛かったのか?」
「……どうしてそう思うのです?」
「この前と同じ顔をしている。あの日、朝の一仕事を終えて家に帰ってきたときも、お嬢様との顔合わせを済ませたあとも、お前はそんな顔をしていた」
クラウスは大きく息を吐くと、手に持っていた刈り込み鋏をそばの棚に置き、そのまま木の椅子に座り込んだ。彼は焦茶色の瞳を砂埃に汚れた床へと落したまま身を固くし、ひたすらに無言を貫く。そんな息子の様子を、セオドアは軽く一瞥すると、手にしていた鎌の手入れを再び続けるべく、手元に視線を移した。そして手を動かしながら、黙り込んだままのクラウスに静かに問う。
「お前はそんなに、アシュリンお嬢様が嫌いか」
「別にお嬢様が嫌いなわけでは、ございません」
「そうだな。お前は、俺が仕官しているエンフィールド家の全てを憎悪しているんだったな」
淡々とした父の言葉に図星を突かれ、クラウスの肩が僅かに動く。だが、父子の会話はそれだけで終わった。次の瞬間、家の奥から、年老いた女性のか細い叫び声が聞こえてきたからだ。
やがてクラウスとセオドアがいる部屋の扉が押し開けられ、綿の寝間着を纏った女性が姿を現わした。彼女はおぼつかない足つきで歩みながら、なおも言葉を繰り返す。その虚ろな瞳は宙を見つめるばかりで、生気はまるでない。
「……レイラ、レイラは、どこにいるの……!?」
「アニタ、起き上がっちゃだめだと、医者に言われたばかりだろうが」
セオドアは鎌を作業机に戻すと妻の元に近づき、その痩せ細った肩に手を添える。それでも落ち着かない表情のアニタの手を、そっと掴み、彼女を寝室に戻そうと手を引く。
「だって、レイラがどこにもいないのよ。あの
「ああ、レイラだったらすぐ帰ってくるさ。安心おし。さあ、寝床に戻ろう」
「レイラ……、レイラったら、ねぇ、どこに行ったのかしら……」
納得しかねる様子のアニタの背を押して、セオドアの姿が扉の向こうに消える。クラウスはそんな両親の後ろ姿を声も上げず見送っていたが、不意に、抑えがたい激情が彼の胸を駆け上がり、彼は右手を固く握りしめると力任せにそばの石壁へと拳を振るった。
次の瞬間、焼けるような痛みに拳が震えた。だが、殴りつけた石造りの壁には、傷ひとつついていない。それを見たクラウスは、己の無力さを何者かに嗤われたかのような気分になり、唇をきつく噛んだ。噛みしめながら、彼の手はズボンのポケットにある小さな皮の袋に触れ、半ば無意識にそれを取り出す。
皮の袋の紐を解けば、掌にちいさな魔晶石が転がり出る。らんらんと輝く虹色のひかりを纏った石は、窓から差す西日のなかでいよいよ激しく輝いてみせる。
それがクラウスには、まるで自らの心模様を、己の
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