第二章 痛み…家出をした「うぶすな神」は日向を求め、山の中を探し回る。

第7話 蓋然(がいぜん)の章

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登場人物・霊ろ刻(ちろこく)物語 字引 (ブラウザのみ閲覧可)

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【今日が誕生日の文月の一生は】


 命を受けた瞬間に、千年以上も昔から定められている。唯一、定めの根拠となる戸和の墓がある祠に、なにかにつけてよく来る。


「ひとつ、お前が俺との子を産む。ふたつ、戸和の末裔との子を産む。二者択一から、最近は、選択肢が増えて、沼田のおっさんも参加しているって言う話だろ?良かったな。みっつのうちから、好きな物を選べよ」


 ぶっきらぼうに、武人たけとが嫌味たっぷりに言った。


 霧深いブナとミズナラ・山栗の森にある戸和の祠の前で、従者の武人たけとと風が伝えるミズナラやブナの会話を聞いていた。


 ミズナラの樹は成長が早く、高く良く茂る。その柔軟性がある樹は、常に風を巻き込みざわざわと騒がしく話をしているが、そのおかげで樹の下は風もなく穏やかだ。


 標高七百メートルの小さな集落の地域のうぶすな神としてどこに行くのにも監視者がついて来る。今日は花婿候補の武人たけとが傍にいる。


「無駄な事であろう」淡々と、文月は関心が無いようにそっぽを向いた。


「お前さ、誰も、許してはくれないぜ」


「胡桃と武人たけとの事を集落全体が知っておるのに、言伝えの為に、武人たけとと我の子供を望む、あの者たちが恐ろしいよの。それと、ささやかな集落の権力と財産目当てに、参加する思考回路も意味不明であろう」


 文月は、ひとりごとのようにつぶやく。


「男性は多くの種をまくように、生物学的に出来ているので、問題はないのであろうが…。女性はそういう作りにはなっておらず、ゆえに問題になる」


 すると武人たけとは嬉しそうに


「俺、抱いてやってもいいよ、嫌なら精子の提供をしようか?」


「笑止」不服そうに、じっと武人たけとの顔を見て、

「好き嫌いでもなく、男女が同レベルの欲情であれば、トラブルが、極端に減少するであろう」


「沼田のおっさんは論外としても、文月は存在しない戸和の末裔と、他の女を愛する男が、花婿候補の二者択一問だから複雑なのはわかるけど、結論は出ているだろう。胡桃だって集落の人間だから理解している。考えるだけ時間の無駄だ」


 武人たけとは笑う。


「さも、当然のように…」文月がイラつく。

「結論が間違っていると、考えた事はないのか?」

 

 武人たけとを、睨みつけ、歩き始めようとした時…。


 前方の下り方向から、ガサガサと、何か気配がする。熊もよく来る場所だ。文月と武人たけとは、風向きを読み、祠の影に隠れた。



【そのころ】


 日向が、祠の中にある湧水槽から顔を出したとたんに、武人たけとの思惟が入って来た。


 とても不愉快な思惟だ。


 思わず体にぐっと力が入ったと同時に、文月がここにいる事に気が付いた。


『姉ちゃん、文月だ!』

 伝えると、そのまままた水中にもぐった。



【さっきまで】


 武人たけとと気が抜けるような無機質な会話をしていた文月は緊張した。


 戸和は滝で亡くなり、遺体は布に巻かれ、そのまま祠の中にある寝台に葬られたそうだ。文月の一族で戸和の墓と言われる由縁だ。


 そこは集落と標高がおおよそ同じだが、存在を隠すように霧が深く人に知られることのない場所だ。猫の額ほどの小さな盆地に、数人がはいれるくらいの横穴の祠がある。


 祠の中は、寝台と湧水槽が作られている。透明度が高く美しい湧水はそのまま地下に流れて行く。床・壁には、雲母を敷き詰めているので中でローソクを灯すと輝きを放つ。


 それは、不気味で冷たい感じではない。星が輝く夜空でもなく、宝石でもない。どちらかと言うと安心とか希望、憧れ、そんな言葉が似あう不思議な空間だ。


 文月はその空間が好きだ。昔は雲母で覆われた扉もあったそうだが、戸和一族が姿を見せなくなってから荒れ放題になった。うぶすな神はここを守る役目もあった。


 この戸和の墓がある祠は、戸和の滝から徒歩で下って二十分程のところにある。さらに、道なき道を少し下ると、観光地図に古い墓石がある集落跡として載っている場所へと出る。そこから、徒歩で二十分程下れば、湖畔に向かう道路に出る事が出来る。


 ときより、その道路に車を止めて集落跡へ観光客が登って来る事もあるが、それ以上祠の方へ進む人は、まず、いない。文月でさえ、集落跡から登って、祠に向かうこの道は使わない。最近では集落の人間もこの道を知らないだろう。



【滴は】


 道路に車を止めて集落跡を過ぎ、すでに戸和の祠近くにいた。日向の思惟に滴は立ち止まった。



【文月と武人たけとは】


 人が通らないであろう集落跡から登って、祠に向かうこの道に、立ち止まっている女性が見えた。一人で登って来たのだろうか?文月が怪訝そうに


「観光客がここまで、来るはずもなし」

「じゃあ戸和の末裔か?」


 武人たけとは息を飲んだ。


 次の瞬間、滴は悟った。間違いはない『豪族の子孫だ』そう思うと、体は自然と後ずさりした。


「待ちや!」


 叫びながら、文月が隠れていた祠から飛び出して来た。


 滴は一度も面識がない文月だが、目の前に立つ女性が、日向からの思惟で文月だと理解した。


 近づくまで気が付かなかった事が、不愉快だった。


 琴絵ママンと日向から、文月には感取放が使えないと聞いていたが、この状況は、とにかく厄介だ。自分達、浅葱一族は代々豪族の子孫を敬遠してきた。


 それは、豪族に嫁いだ姫の付き人だった、自分達の先祖、戸和が身重で強制的に繕いをさせられ、豪族の秘密を守る為に極寒の滝に捨てられたからだ。


 怒りがわいた。日向にも琴絵ママンにも腹がたった。滴は、怒りに満ちた表情で文月を見た。 


 集落の男たちは武術を習う。それは、昔からそうである。武人たけとも幼い頃からどんな状態でもうぶすな神を守れるように、本人の意志には、かかわらず武術を習う。いつでも、飛び出せるように気配を消して隠れていた。立ち止まったままの滴は


「もう一人いる」


 威厳に満ち力強くとがめた。その声に武人たけとがゆっくり出てきた。枯渇している文月は、突然の望みに、興奮し上擦って滴に向かって話しかけた。


「そちは、戸和の末裔か?」



【さっきまで、吹いていた風がやんだ】


 滴はまるで女王のように、ふっとほくそ笑むと参ったなと、いう顔をしてボソッと呟いた。


「豪族の子孫と従者」


 風が呼吸を止め、ミズナラの森に、小さな滴のつぶやきが木霊し山全体に反応した。両者に緊張が走った。


 滴は「はっ」顔をゆがめて小さく言葉をはくと、横を向いた。


 文月は問い詰めるように滴に向かって歩み寄った。


「我が豪族の子孫であることは、集落の人間しか知らぬ」

 

 さらに呪文のように


「仙才鬼才のある者に託せ」


 滴に投げかけると、滴は、冗談じゃないという顔で、首を横に振る。


 文月は再度、興奮気味に声を荒げ聞いた。

「そちは戸和一族か?」


 思惟が読めず苛立つ滴は、答えない。しばらくすると風が呼吸を始めミズナラの葉をゆらし、冷たく鋭い刃先のような緊張した時の扉を開いた。


 ミズナラが話しを始めると、文月はゆっくり呼吸を整え

「我が豪族の子孫と存じておるなら説明は不要であるな」


「何をおっしゃっているのかしら?この辺の地域には、落ち武者伝説があるでしょ?霧が深くてその横の男の人がお侍に見えてしまいました。どうも、お二人のじゃまをしてしまったようです」


 滴は、突き放すように言うと、夏山の日差しが天に近く木陰がやすらぎをくれる道を小走りに戻り始めた。


 武人たけとが慌てたように滴の後ろ姿を追いかけたが、一足違いで滴は車に乗って去っていった。武人たけとは車のナンバーを控えた。



【滴は、乱暴に車を駐車場に入れると】


 バタバタとキッチンに走り込んで水を飲み、そのまま土間に座り込んだ。体が震えていた。


 地下室から日向も上がって来た。濡れたまま、ガラスの部屋のリビングのベンチ椅子に身をなげ出した。琴絵ママンもさっきから落ち着かない。


 いつも冷静な感取放の使い手達が、慌てているのだ。正敏父さんがその様子に不安そうに「どうしたんだ」と声をかけた。


 その声に日向も琴絵ママンも答えない。すると、滴がキッチンから飛び出して来て


「あんたのせいよ。文月の周囲の思惟を止めたので、あの子が豪族と姫の子孫である事に気が付かなかったでしょ」

 

 叫びながら日向に走り向かった。あまりの勢いに、正敏父さんは、走り寄って滴の腕を掴んで止めた。


「滴、落ち着け、落ち着いて説明してご覧」


「父さん、さっき、戸和の墓で文月が、豪族と姫の子孫とわかったのよ」

「うん?文月って、日向が追いかけていた子か?」


「そう」

「なんでわかったの?」


「文月だけでなく、武人たけとって子が一緒だったのだけど、武人たけとからの思惟と、本人から詰問された」

 

 滴は声を張り上げた。


「お前がのんびりしているから、見つかったんだろ」

 日向が口を挟んだ。


「うるさい」

 ヒステリックに滴が叫ぶ。


「詰問って、なんて言われたのだ?」

 正敏父さんが聞いた。


「戸和の末裔だろって、仙才鬼才のある者に託せと言っていた」

「どういう意味だ」


「決まっているでしょ。豪族と姫が、戸和をひどく残酷な方法で利用して殺した時と、状況はまったく変わらないと言う事よ」


「それだけじゃ、豪族の子孫だってわからないだろ?」


「いや、自分で豪族の子孫だって」

「言ったのか?」


「うん」

「そもそも、滴はなんで、一人で戸和の墓に行った?」


「一人じゃないもん」

「えっ?日向も行ったのか?なにしに?」


「私が頼んだの」

 琴絵ママンが小さく手を挙げた。


「なにを?」

 怪訝そうに正敏父さんは、琴絵ママンに聞いた。


「掃除」


 すまなそうに、琴絵ママンは小さな声で言った。琴絵ママンの様子に、正敏父さんは慌てて


「おお、そうだな、夏だから、藻とか祠の湧水槽を見てこないとだめだな、と言う事は偶然に出会ったのか?」


 日向はイライラしながら


「姉ちゃん、そんな事よりあいつは誰だ。あの武人たけととどういう関係だ。従者って結婚する奴の事じゃないのか?」


「日向、お前、頭がおかしいの?文月って子は、豪族と姫の子孫なの。豪族の一族よ。祖先を陥れた最も避けるべき人達の事なんか、気になる訳?」


「いいから、姉ちゃん!知っていることを教えろ」


「日向!あの子は感取放が全く使えないのよ、敵、敵なのよ。私達はここに居られなくなるわよ」


『落ち着きなさい』



【お祖母ちゃんからメッセージが入った】


 琴絵ママンが


「父さん、お祖母ちゃんが落ち着きなさい。って、それから滴の車のナンバーを変えて置いたって」

 

 正敏父さんは琴絵ママンの肩を抱いた。


「車のナンバーも控えられたのか?そうか、まあ、お祖母ちゃんの機転で大事にならずに済んだんじゃないか?」


「お祖母ちゃんに何か考えがあると思うわ」


 琴絵ママンが言っているはじから、滴が折りたたむように


「とにかく、日向、戸和一族と豪族の一族は出会ってはいけないの。わかるわね」


「千年以上も昔の事を持ち出して、わからないよ。それに勘違いではないの?あの子はうぶすな神だと言っていたよ。ただの地域信仰の土着神だって。今の状態でうぶすな神である子が豪族の子孫とは限らないだろ」


「なんですって?うぶすな神ってなによ」


「俺もよく知らないよ。なんか平安時代の衣装を来て…。地域の神様が尾の滝で昔に亡くなった人の霊祭をしているって」


「尾の滝は、戸和の滝でしょ!戸和は平安時代の人よ。あんた、よく考えなさいよ」


 日向は黙った。


「滴、今日は大変だったな。疲れただろう。私たちは利用されてゴミみたいに捨てられて、死ぬ事が多いから心配だな。しかし文月さんが悪いわけではないだろう、今日はその辺にしよう。これからの事は、ママンとお祖母ちゃんと相談するから少し時間をくださいな」


 正敏父さんが二人をとめた。



【その夜】


 リビングで小さく丸まって、座り込んでいた琴絵ママンが、白いすりガラスの水槽床にはめ込んでいる、ガラス製のオイルランプの灯に照らされていた。


 正敏父さんが近づくと、つらそうに見上げた。


「お祖母ちゃんと、話がついたのか?」


 聞くと琴絵ママンが頷いた。正敏父さんは、琴絵ママンの横に座った。


「なんだって?」

「そのままで良いって」


「そのまま?何もしないのか?」

「うん、おかしいわよね」


「でも、お祖母ちゃんが言うなら反対は出来ない」

「そうね。戸和の記憶を引き継いでいるので、何か考えがあるのかも知れない」


「お祖母ちゃんも、体調が良くないから心配だけどな。判断力って体調と関連するかな?」


「あるかも知れない」


「戸和の記憶って、何を覚えているのかな?ほんと不思議だよな」

「一族で一人だけ、記憶を引き継いで行くのだけどね」


「千年以上も前の記憶だろ、感取放が平均的な私は、どんなものか興味はあるよ」


「そうよね。千年以上も代々の記憶が積み重なっているから、相当な分量だろうけど頭に入るのかしらね」


「戸和の記憶だけじゃなかったの?」

「うん」


「それは、凄いな。何人くらいの記憶だろうか?」

「さあ?」


「いずれ、君も記憶を引き継ぐ時が来るのだろうか?」

「どうでしょうか?滴か日向に行く場合もあるしね。わからない」


「何か、法則はあるの?」


「特別な場合を除き、記憶を引き継ぐのは、一族で一人とだと言うこと以外はわからない」


「特別な場合?」


「本来、身代わりは繕い師しかできないでしょ。繕い師との対象者の間に感取放の使い手が入ることによって、身代わりを引き受けることが出来るのね」


「どういうこと?感取放の使い手は繕いが出来ないのに、わざわざ、間に入る必要はないでしょ?」


「繕い師が、これ以上の身代わりが出来ない状態なのに、どうしても身代わりが必要な事が起きた場合。感取放の使い手ならば、繕い師がせおう傷を、間にはいる事によって、換わる事が出来る」


「そんな事をしたら、間にはいった感取放の使い手は、最悪、死ぬ場合もあるだろ?」


「ありうるわね」


「僕らが結婚する時に、お祖母ちゃんから、繕い師でなくても、身代わり死で、多くの感取放の使い手が早死をしている。いつ、何が起きてもおかしくない浅葱家は、悲しい記憶の方が多く、それを共に歩んで行く事が求められる。とても険しい道のりを乗り越える覚悟はして欲しい、と言われたけど、その事かな?」



【だと思う】


 琴絵ママンは頷いた。正敏父さんも軽く頷きながら


「確かに大変な家系だよな。俺以外の家族は感取放の使い手で、私が何を考えているかすべて筒抜け。さらに息子は繕い師。右手で人を治し、左手では破壊する。寝るのは水中だから、家族を作る事が不可能に近い。後天的遺伝子形質で人と違うがゆえに、隠れ住む必要がある」


「本当ね。浅葱家の女は感取放の使い手、男は繕い師の遺伝を引き継ぐからね」


 ふふっと琴絵ママンと顔を見合わせて笑った。

「随分と慣れたよね」


「そうだな、多くの人が欲しがる能力だとしても、それが、本人達にとって幸せな事とは限らないから、やっぱりあなたも子供達も心配だよ。とくに、日向は好きになった人に問題が出て来ると、繕い師は家族を作る事が不可能に近いと言う、お祖母ちゃんの言葉に心が痛むよ。戸和の息子の如月の子供から、後天的遺伝子形質が始まって以来、一人も男子は家族を作った事が無いのか?」


「如月、以外の全員が早死をしている」


「でも如月は、家族を作れたのだから、可能性はあるって事だろ?」

「そうとも言えるのかしら?」


 といいながら、琴絵ママンは正敏父さんの質問を、お祖母ちゃんに感放で伝え、答えを聞き出している。



【どうして如月は、家族が持てたのかな?】


「如月に睡眠中の鰓呼吸と言う現象は起きていなかった。滝の中で、子供を守る為に危殆を使った事が起因した睡眠中の鰓呼吸という突然変異は、影響を受けた次の世代に出るから、如月の子供達から不安定になって当然かもしれない」


「戸和の遺伝子は特別だからな」


「違うみたいよ。人類が本来持っていた遺伝子だけど環境に順応して進化した。どちらかというと無くなってしかるべき遺伝子が残っている。つまり遺伝的欠陥と考えた方が正しい」


「そうなのか?」


「戸和が、藤代軍平に拾われた時から、繕いで受けた痛手の治療を如月の父親、浅葱 壱与が専属でしていた。身近に理解者がいたが、遺伝子が脆弱化して不安定になった。身体的機能が起こす現象が初めての事ばかりで、守るすべを知らなかった。と言うことなのかも知れない」


「それで、記憶を引き継ぐ必要があったのかもな」


「戸和はそのことを理解していたのかしら?子供やその子孫を守る為に記憶をつなぐことかしら?」



【あれ、さっきの軍平って姫の父親?】


「軍平は祖父」


「文月さんは、豪族の末裔だと言っていたが」


「姫は近隣の国司の婚外子で、十三歳になるまで祖父の藤代 軍平の元に居て、姫の父親が亡くなると兄弟によって、豪族に十六歳で嫁がされた」


「鮮明な記憶だな。十六歳で嫁入りか…。早いな」

「当時の記憶が、そのまま、お祖母ちゃんにはあるからね」


「琴絵さんはどこまで知っているの?」


「私は殆ど知らないけど、今は、お祖母ちゃんと私だけが繋がっていて、情報はお祖母ちゃんから」


「こういう時は便利だな」


「如月が家族を作れたのも、薬師の浅葱壱与が全力で守ってくれたからだわ。うちの薬師も頼りになる。お祖母ちゃんも正敏さんをとても頼っている。何か問題が起きると解決するのは、薬師の仕事だから」


「僕の重要性はわかっているよ。能力がないからこそ、出来る事が沢山ある。僕の出来る事は、なんでもしてあげる」


「今まで、正敏さんを巻き込んで、これでいいのかと考えたことは何度もあったけれど、こういうことが起きると、頼もしくて正敏さんで良かったと思わずには、いられないわね」


 正敏父さんは深いため息をついて


「それにしても、初恋の相手が豪族と姫の子孫だったとは…。考えさせられるな。どうしたものか、日向を命の危険にさらすことは出来ないし、だからと言って二人を引き離す方法もないな。とりあえず、滴が一度、かけていた感放を解いたのだろう?そのまま、少し様子をみよう」


「日向が、納得するかしら?」


「滴の気持ちが、落ち着くまでの期間限定で交渉しよう」琴絵ママンは頷いた。



【文月は興奮状態のまま】


 真夜中になっても、今日の出来事を反復し考え事をしていた。


 戸和の墓から、戸和の一族と思われる女性を一人追いかけた武人たけとが、いつまでたっても戻ってこない。


 不安になった文月が、探しに出ると、下りきった先の道路で立ち尽くしていた。帰る道がわからなくなったと、何事もなかったように話をしていた。


 武人たけとは車のナンバーを控えていたが、それは文月の車のナンバーだった。武人たけとはいつもと変わらずに、早く帰ろうと、文月をせかした。


 帰りの道すがら、文月が何度、訊ねても、女性と話した内容はもとより、出会ったことさえも、武人たけとが覚えておらず、熊がいたから集落跡の方へ下ったと話すのだ。


 もともと、戸和の墓には武人たけとは一人で行かれない。道順をいくら教えても、不思議なくらい覚えられないのだ。現に集落跡に下ったが、戸和の墓に戻れなかった。


 今まで、武人たけとが一人で戸和の墓に行かれないのは、深い霧など地形のせいだと思って気にも留めなかったが、弟のさつきは迷子にならずに、戸和の墓に辿り着けるのだ。


『つまり、藤代家の人間はたどり着けるが、それ以外はたどり着けないの?』


 帰りの車の中で、さして気にも留めなかった、不可解な現象が改めて胸を突く。混乱と苛立ちは苦しく、奥歯をかみしめ、ハンドルを強く握りしめている自分に気が付いていた。


 文月は必死に考えなければと自分に言い聞かせていた。今まで、急に現れたりする日向が、戸和の子孫ではないかと疑っていたが、あくまでも願望だった。


 それが、本当に戸和の子孫が実在するのなら、日向はどうなんだろう。真偽が知りたくなった。疑惑の渦が巻きその渦は秒単位でどんどんと大きくなる。


 もうすぐ夏休みだ。休み前に日向に、もう一度、会いたいと思いながら、ハンドルを切って集落にはいる道を曲がった。


 戸和の末裔と思われる女性に出会ってから、4時間も立たないのに、集落に入るととたんに、どこに行っても集落の人間の視線が、文月の視線と合う。


 以前ほどではないが、異様な雰囲気の中、文月は車を走らせながら何かが大きく変化した事を感じていた。


 文月の周囲の感放を滴が解いたのだ。彼女に、そのことがわかるはずもなかったが、自分の疑問を確かめたい衝動と、強い監視がかかり、大学に行く事さえもできなくなる可能性が、頭を支配していた。


 家に帰ると、さつきがリビングから出て来て、横目で見ながら、何気なく文月の後をついて来る。文月の部屋の前で振り返り


「なんですの?」


「いや、おねえ様、薬草を採りに行かなくていいの?今日はどこに行ってきたの?このところ、よく出かけるけど、一向に薬草をとってこないじゃないか」


「スイカズラは取ってまいりました」


 となりの納戸を開けて、日に干した花のつぼみが大量に入っている盆笊とまだ、干しかけの葉と茎の束を指さした。さつきは小さく首を縦に振っている。


「おじい様は?」

「寝ている」


「おじい様は、最近寝てばかりいるわね。年を取ったのかしら?」


「おねえ様、見つかって大ごとにならないうちに、どうにかしてくれよ。最後は俺が、手をくださなくちゃいけない」


「別によろしいわ」

「いいって、どうして?」


「花婿を見つけましたから」

武人たけとだろ?」


「いや、それより戸和の子孫を見つけたような気がします。いえ、それ以前に対応策はとってありますから、私の代でうぶすな神を止めてみせます」


「その強気と自信は、どこから来るのさ」


「私にお任せなさい」

「大学に行ってから随分変わったよな、なんか堂々としている」


「よくお聞きなさい。私はこの呪縛から抜け出してみせましょう」


「偉そうに、どうやったら抜けられる?」


「今日、戸和の一族に会ったようです。いえ、会いました」

「嘘だろ、冗談がきついよ」


「本当です。実在するのだから探せばよろしい。戸和の墓に来ていましたので、間違いありませんわ」


「ほー」


「されど、武人たけとが全然、覚えていませんの」

武人たけとが覚えていないって?おねえ様が寝ぼけたか?」


「さつきは、戸和の墓がある場所を覚えていますか?」

「当たり前だろ」


「1人で行けますか?」

「当たり前だろ」


武人たけとは、毎回一緒に行っていますが、一人で行かせると迷子になりますのよ」


「あいつ、ふざけているのか?それより、おねえ様、監視がまた強くなったよね」


「やはり、気が付きましたか?」


 さつきは、文月の話を本気にしていないようで、さっさと話題を変えてしまい、文月もそれ以上、話をしなかった。



【すべては、これからだ】


 文月は、一晩中、部屋の中を、考えながら歩きまわっていた。



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