応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 4万字くらいのお話を完成させて、次は長編を書いてみるか、それとも短編を書くか、と考えているところの者です。
    お話を完成させることの大変さと充足感両方を味わって、それでも長編は勇気がいるなあ、と思っていたところだったので、このエッセイに勇気づけられました。
    書き方も人それぞれだし、完成までたどり着けば得られるものはきっとあるのだ、あんまり考え込まずに完成させることだけ決めて書き始めてしまえばいいのかもしれない、と前向きに考えることができました。
    筆者のお考えとは違うかもしれないけれど、ありがとうございました。

    作者からの返信

    大崎 灯さん

    こんにちは。
    こんなことを書いていますが、なんだかんだで読者に読んでもらえるのが一番です。
    長篇の構想をお持ちで、それが10万字超えなら、次回のカクヨムコンテストに照準を合わせたほうが読んでもらえるチャンスは増えます。

    PVがないと、「この作品は駄目なんだ……」そんな暗さに落ち込みやすいので、まずは手許で下書きのまま個人的な趣味のようにして長篇を書いてみて、完結できるめどがついてから新作として外に出すのが一番お勧めかもしれません。
    何度か書いていると、長篇を書く体力もつきます。

    長編作品(10万字超え)をいくつか読んだことがあるのなら、webの長編を最初から最後まで読んでもらえることがどれほど稀有なのかも分かると想いますが、必ずしも優れた作品だから読んでもらえるとも限らないのです。
    カクヨム内部で読まれなくても、他の投稿サイトなら読者がつくこともあります。

    長編作品との向き合い方は人それぞれです。
    ほとんど読者がいないのに、何十万字も一人で黙々と書き続けている方もいます。
    長篇は書き上げた時の達成感が格別なので、それを実感するだけでも書く意味はある、とわたしは考えています。

    やりたい気持ちがあるのならぜひチャレンジしてみて下さい(^^)
    コメントありがとうございました。

  • ある意味では「読まれない小説に意味はない」と言うのは正しいと私は思います。

    何故なら、難産であったり苦楽を共にしたような作品や修正しながら何とか形にしようとしてちゃんと書いていた作品、一番その作品を見ているのは「作者」だからです。

    作者が書かなくなった作品や作者にすら見限られた作品は文字通り価値なんかない。

    逆に、こうも言えるわけです。

    誰か一人にだけでも、届いたならその一人にとっては「価値は存在する」と。

    私は、そう思います。長文失礼しましたm(._.)m

    作者からの返信

    めいき~さん

    作者は見捨ててはいけませんよね。
    見捨ててしまうようなら、きっとその作品は作者にとってはそんなに書きたいものではなかったのでしょう。

    もちろん人気、読者というものは、はかりしれないパワーがあります。読者のたった一言で、急に息を吹き返すことだってあります。
    カクヨムは数字が眼にみえてしまうので振り回されてしまいますが、もともと「誰か一人でも」読んでくれるだけでも、すごいことです。

    誰か一人だけでも……。
    もし誰か一人だけでも、わたしの作品を好きになってくれるのなら、書いた甲斐があった。

    いつもそう心に刻んで書いています。

    ありがとうございました。

  • たとえ読む人がいないとしても。
    書き手が書きたいものを最後まで書き上げる。

    「自己満足のために書いても意味はない」と思うか、
    「書き上げたという一つの目標達成(成功体験)に意味がある」と思うか、
    人それぞれですよね。

    若いころ(大体、十代から三十代のころ)なら前者でした。
    今は間違いなく後者です。(現在還暦)

    チャレンジして成功するにしろ失敗するにしろ、まず行動してみることです。
    結果成功すればもちろん喜ばしい。失敗しても臆することなく新たに挑戦すればいい。

    途中で心が折れそうになっても、諦めなければいいだけです。
    いったん離れてみて、思い出したら再開しましょう。

    書くことが好きな人には豊かな人生を過ごしてほしいと思います。

    作者からの返信

    出海マーチさん

    そうですねぇ。
    十代で作家を目指される方々には、どんなにヘタでもいい、まず完結させてみようと伝えたいですね~。
    頭の中にあるものを、漫画や文章にして、表現に変えて、出力する。
    最後の場面まで運ぶ。
    ちょっと書いて人気がないからや~めた、という方法でいつか「当たり」が出るまで、というのは悪手のはずなんですが、ネットで投稿しているとPVや☆が大きく見えるので、「これは駄目だ」と想ってしまいやすいんですよね。

    PVゼロでも、自分が書きたい物語を最後まで書き通す。
    最初は、なによりもこれが大切なんじゃないかなと私は個人的には想っています。

    特にありがちなのが、異世界ファンタジー分野の方々で、もうめちゃくちゃ凝りまくった設定を最初に創るんですよ。身長体重だの、世界観の文明発達度、言語だの。
    それについては全然いいんです。
    でもそれを、漫画や文章にしてみると、途端に停滞する。どこかで躓く。物語の途中で放り出す。
    頭の中では壮大な物語が広がっているのに、そのわりには書いているものがまったく追いつかない。文章力がない。書き続ける根気がない。
    たぶんその設定とプロットをすべて書こうとしたら100万字はかるく超えるよね、っていうプロットだけを立てて、実際には書くことが出来ない。
    個人的にはそういうのが一番残念です。

    1万字で完結、10万字で完結、それを何度かやるうちに、100万字を書けるようになるんですけど、そこにまで行きつかない。

    だから最初のうちはもっと目標を近くにおいて、最後まで書き切って欲しいなと。
    文章力は天性や努力の部分もありますが、継続しないと、上達しないので。

    地味なエッセイですが、読んで下さってありがとうございました。

  • 初めまして。
    興味深く、ところどころに頷きながら読ませていただきました。
    私もプロットとかはあまり立てない感覚派でずっと書いて来た者です。
    ただあのシーンが書きたい!とひたすらにそこを目指して書き続け、あれこんな登場人物だったっけ?とみんなを知って行く感じです(笑)
    個人的な話で恐縮ですが、小学生の頃からずっと書き続けた、ノートから始まった物語のことを思い出しました。途中中断を挟みながらも10年かけて書き終わった時はものすごい達成感があり、今でも時々見返しては当時の自分の頑張りに救われることがあります。
    やっぱり創作は楽しい!と思える原点でもあります。
    今回のエッセイにまた勇気をいただいたので、これからも書いて行きたいなと思います。
    ありがとうございました(*´ω`*)

    作者からの返信

    葵月詞菜さん、はじめまして。
    なんだかこのエッセイに関してはプロットの有無に注目される方がすごく多くて、それだけプロットって書き手にとっては身近なんですよね。
    基本はプロットは立てるものです。
    ただ無くても書く人はいて、わたしはそのタイプです。
    長篇であろうと短篇であろうと、白紙画面に一行目から書き出して完結します。
    作家の宮部みゆきさんもこのタイプだそうです。

    プロットが「ない」のが良いというわけではもちろんなくて、単なる書き手のタイプの違いです。

    ジャンルがファンタジーならば、世界設定を作ってから書き始める方が圧倒的です。
    出来事年表や、その世界の言語や、通貨、事細かに設定されます。
    それなのになぜエタるのかな? と想うほどエタる方が多いの不思議ですが、脳内で構築したものすごい大作を書き切るだけの文章力がなかったり、全体の道のりが遠すぎて途中で息切れしてしまって辞めるのかなと。
    あとは最初にがっちり組んでしまうと、予定外の行動をキャラが取り出したり、新しい道を想い付いた時に、全体の辻褄が合わなくなってしまってエタるとか。
    改稿します!
    そう云って下げても、さらにこんがらかってたりして、労力のわりには進まず、そのうちに苦行になっちゃうみたいです。
    改稿して改稿して、それでもエタらずに完結まで大長編を走り抜けた方については、その物語に強い愛着がある方です。

    小学生の頃からノートに十年にも渡って一つの物語を書くとことが出来たというのは、「書ける人」の条件を満たしていらっしゃると想います。
    それだけ内面に書きたいものがあったということですから。
    web小説は長篇にとってはひじょうに不利な環境です。
    一部の人気作をのぞき、読者の反応ゼロでも長篇を書き続けるのは、作者の情熱しだいなところがあります。
    ノートに十年書き続ける。
    この姿勢がある方には、出来るんですよね、それが。自作への情熱がある方がいちばんです。

    立ち寄って下さってありがとうございました。

  • 読ませていただきました(^^)
    KACのお題の開放感で、エッセイを書いてしまったので、皆さんのを読み漁っていました。

    自分は五万字の中編がせいぜいで、長編のチャレンジは若い時に蓋が閉めれず辞めてしまいました。
    先生から、書き上げた後が本番って言われたことをよく覚えています。
    そこに辿り着けず愕然としましたよ。
    年月が経った今の方が、時間はないけど継続はできてるなぁと感じます。
    読まなくても書く矜持。
    前々から言われてますが、筋があって素敵です。

    自分はプロットはざっくり大きく作って、切り抜いたり、バラバラ散らかしてくっつけたり、パッチワークみたいなイメージかなぁ?
    シーンやキャッチコピーが先に浮かぶから、単語だけ書いてイメージツリーみたいに繋げる時もありますね。

    人により合うやり方があって、エッセイや創作論は面白いなぁと思います(^^)

    作者からの返信

    こんにちは!
    KAC2023お疲れさまでした! 参戦していなかったのでその期間は完全に違う場所を走っておりましたが、盛り上がっていましたね~☆

    こちらは、ふらっと書いたら意外にも読んで下さる人が多く、そして頂く感想が熱くて、同じ悩みを持っている人が多いのだと知りました。
    そしてなぜか皆さんプロット部分に着目されるんです(*ノωノ)
    プロットを立てないのがそんなにもレアだとは……。


    >先生から、書き上げた後が本番って言われたことをよく覚えています。
    先生とは、文学部のゼミの先生でしょうか?

    つくもせんぺいさんも言語感覚に独自のカラーをお持ちの人なので、多分どの作品を読んでもつくもさんにしか出来ない言葉の組み合わせがあると想いますよ!
    自分の好きな言葉を集めて作った色鉛筆の箱みたいなのが書き手には誰にでもあって、色の組み合わせに個性が出るのですよね。
    それが乏しい人は赤青黄色くらいしかなくて、ある人は沢山あって、そして「これはこの人の色鉛筆で書かれたものだ」と分かるような特色が作品に出る。そんな気がしています。

    「皇帝の従妹」に手を付けて下さっていますが、あれはネット小説仕様が分からないままドサッとテキストを投げこんでしまった問題作でして、、、みんな挫折していったという、、、。
    ♡をつけちゃうと「ここでみんな読むのを諦めました」と分かるので、なかなか渋いことになってました(;'∀')

    いつか分割してまた投稿しようかと想っています(´▽`)


  • 編集済

    企画に参加してくださり誠に有難うございます。

    拝読しました。僕も細かい設定ノートのようなものを作らずキャラが勝手に動くのを期待する書き方をするので共感できます。

    ただ中盤でキャラの動きがだれるんですよね。そうなったら他の作品が書きたくなります。僕自身が気分転換したらキャラも動くようになるかな?なんて(苦笑)

    そんな感じで2作品更新が止まってますね。まぁ、その2作品もいずれ書くの再開しますけど

    作者からの返信

    アサシンさん

    なぜお名前がアサシン(暗殺者)なのか気になりますが、こんにちは!

    長篇を書いているあいだに他の作品を書くと新鮮な気持ちで取り組めるのはよく分かります。大長編を書いている人も先に「外伝」を書いたりしますものね。箸休めみたいなものでしょうか。
    その時はどうにも動かなくても、そんな時はいっそのこと十年くらい寝かしておけば、また新鮮な気持ちでどんどん書けたりするのかもしれません。

    誰にも読んでもらえなくて、PVも☆もほぼゼロなのに、大長編を書き続けていらっしゃる方を見かけるにつけ、「小説家はああでなくては」と想う気持ちで書いたエッセイになります。

    企画を立てて下さりありがとうございました♪


  • 編集済

    朝吹さん、こんにちは。

    長編を書こうと思うと、
    興味深い出来事と興味深い人物が存在します。
    自分が気になって仕方ないから書いちゃう。
    興味の度合いによって…飽きるとエタる。

    長編は勝手に人が動く感じがします。
    登場人物が自分にとって魅力的だと
    いつの間にか、人生丸ごと出来上がってたり。
    リアルに徹し過ぎて、酷い目に合わせたり。
    自分の意志で筋書きが変えられないのです。
    エピソードが湧いてくる。世界にドップリ。
    中毒性があって、ヤバいです。
    でも、好きに書き散らしちゃうと、
    読まれない=評価されない…嫌われることも。
    うまくバランスをとれないか、勉強中です。
    書くこと、読まれることは、
    本当に難しいと思います。

    返信の返信。
    朝吹さん、ありがとうございます。そこまで読んで下さるのか…と、驚いたり感激したりしています。コメント凄く勉強になる…
    嫌われるのは私自身というより、読む人を不快にさせたり、傷つける可能性がある作品は嫌われることがあると捉えています。(カクヨムはその辺りは良くも悪くも大らかに思えます)
    社会問題や倫理問題は取り扱いが難しい。でも、その分思い入れが強くなる。善と悪の線引きが出来ないし、人を殺すなら強い動機や理由が欲しい。殺人犯は許しちゃ駄目だけど、そこに至るまでの道のりが頭にあると許したくなったり。葛藤しまくりです。(←ドップリです)
    お読みいただいてる長編ミステリーは、そんな着地点に悩んだ作品の一つです。不快にさせたら、本当にすみません。リタイアいつでもOKです。
    宮野は…いい子だと思います。とてもとても思い入れのある登場人物です。

    作者からの返信

    三寿木さん

    お世話になっております~。
    「口裂け女殺人事件 Lady the Ripper」は三寿木さんにしか書けないお話で、軸になる三人の少年たち(トモくん、リューイくん、宮野くん)の行く末を案じながら堪能しております。
    個人的な好みだと宮野くんです。
    第三章はまるまるトモくんが消えてしまいました。この先あとちょっとで犯人が分かって終わっちゃうんですよね。読み進めるのが楽しみです。


    最初に書いた設計図どおりに厳格にそのとおりに書く人と、何も考えずに一行目から物語を書き始める人が両端にいるとしたら、端と端が少なくて、大多数の長篇書きさんは「決めてあったけど、若干は自由に書いた」「書いているうちに途中で展開を変えた」じゃないかな~と。

    頭の中で大作を作っているのと、実際に書くのとではまったく違いますよね。
    想ったよりも動かない物語だった、書いているうちに飽きた、今はまだ書く時期ではなかった、私生活の事情によって中断、放棄、または一度寝かせる等。エタることは当然あるものと想ってます。
    筆をとめていた物語でも、ある日突然、別の形でのりのりで書けたりします。
    ただエタることを癖にしていたり、そもそも一度たりとも長篇を書き上げたことのない長篇書きさんは長篇派を名乗ることも出来ませんし、最後まで書き通すことがどんなことなのかを知ることもない。
    エタる理由が「PVがつかないから」だと、ちょっと寂しいな~と個人的に。

    「赤毛のアン」も最初は相手にされず、「この作品は駄目なんだ~」とがっかりして屋根裏に仕舞いこんであったのが、期間をあけてもう一度読んでみると、自分が書いたことも忘れて夢中で読めたそうなんです。それで思い切ってまた出版社に送ってみたらああなったと。だから売れるか売れないかは時の運もあるんだろうな~って想います。


    >長編は勝手に人が動く感じがします。
    登場人物が自分にとって魅力的だと思うと
    いつの間にか、人生丸ごと出来上がってたり。
    リアルに徹し過ぎて、容赦なく酷い目に…
    自分の意志で筋書きが変えられないのです。

    そうなんです! 登場人物が生命を持ちだすと、「おーい」ってことをやったり・云ったりするんです。誰でも他人のやることは予測不可能なのと同じです。
    作者なので、作者権限で強引に指定したキャラクターに封じ込めておくことも可能なのですが、わたしはそれはしていません。
    ミステリー書きさんだと、当たり前ですが、最初に立てた筋どおりに書くみたいですね。

    >読まれない=評価されない…嫌われることも。

    嫌われることもあるのですか……。
    あなたがこんな話を書くとは想いませんでした、とかでしょうか( ;∀;)
    わたしはもう長篇読まれない歴が長すぎて、読んでくれる人がいたら「奇跡だー」と想うほどなんですが、それでもやっぱり書いちゃいますね、長篇。トリップ感が強くて、書いている間とても倖せなんです。

    エッセイとも呼べないような書き散らしですが、眼を通して下さってありがとうございました(´ω`*)

  • とても強く共感するエッセイでした。
    書いてくださりありがとうございます。

    プロットは書くタイプですが、いざ本編を書いていくと、脳内の脚本家(と私は呼んでいます)が頭で物語が違う方向に書き換えてしまうので、あまり意味がないタイプです。
    それでもいちおう大筋決めて……あとは勢いで、のような書き方をしています。

    読まれなくてメンタルが壊れそうになることもたびたびありますが、それでもきちんと区切りをつけてあげないと、と常々思っています。楽しいのももちろんですしここまで書いて放り投げるのはあまりにも無責任だなあとも思います。

    ……などと自分語り失礼いたしました。
    各所各所とても頷きながら読んでおりました。
    私は書きたいものがありすぎて長編になるタイプなので、区切りをつけるのが一苦労ですがちゃんと完結させてあげようと改めて強く思いました。

    素敵なエッセイ、ありがとうございました。

    作者からの返信

    猫茶とすかさん

    こんにちは!
    プロットを立てない人も珍しいのでしょうが、最初に立てたプロットから全くはみ出さずに長篇を書ける人も珍しい気がします~。
    多少はあそびを持たせていたり、途中で変更が入っても大丈夫な程度には自由度を残している人がほとんどなのではないでしょうか。

    Aはこういう性格。
    Bはこういう性格。
    AとBはこういう関係。
    事前に決めていても、Cを相手にした時はAもBもまた違う一面が出てくるのは当然のことだと考えています。人間も同じですよね。
    いざ人物が動き出して会話を始めると、あれれこの人こんな人なの? と意外な面を見つけることになるのがわたしにとっては当たり前なんです。
    思いがけない事態になりかけた時に、プロットをしっかり組む人は意識的に正道に戻す、
    プロットを立てない人は成り行き任せでそのまま進めていく、そういう違いはあるのかなと。

    読まれなくて心が折れる問題は、もう永久不変にそこにあるというか笑
    読まれない限り続くというか笑
    読まれる努力をしてみても、異世界転生ハーレム以外はどうも無理なのね~と早々に心が折れる仕組みになっているというか……!

    そんな時には、ほとんど☆もPVもないのに大作を仕上げている大勢の人たちを見ることで、勇気が出てきます。
    誰でも基本にあるのは、この物語を書き上げたいから最後まで書いた。それだけなんですよね。
    その力は強いと想います。

    なんかもうしんどいな~という時には、番外編の短篇から先に書いたり、しばらく離れてみたり、みなさん工夫されているようです。

    読んで下さってありがとうございました(^^)

  • 度々失礼致します。
    物語を完結させる、カクヨムにて執筆活動を始めた時に未熟ながら心掛けている事です。PV数がつかないとヘコみ、悩み、挙句の果ては作品を削除したくなる。そんな時にこのエッセイを読むと「完結させた事は無駄ではなかった」と励まされます。

    >彼らの顔も暮らしている家も風景も、はっきり見えています。
    >登場人物のやることにわたしも一喜一憂しています。
    ここまでの境地で書かれているのがスゴイ!こうなると人物が作者の手を離れて自在に動きまくるんだろうなぁ。

    余談ながら私は執筆する前に紙に書きまくるプロッターです。去年仕上げた作品では2人の主人公を章別で動かしていたため、物語のタイムスケジュールまで作ったもののなかなか上手く行かず発狂しそうでした?ww
    巨匠・鳥〇明先生によると「設定は甘く作っておいた方が後々改変しやすい」そうなのでほどほどにするべきか??

    ともあれ力づけられるエッセイでした。

    作者からの返信

    naimedさん、こんにちは

    プロットの有無に焦点を当ててコメント下さる方が多くて意外だったのですが、もちろんプロットは立てるものです。
    プロッターであることは物語を書く上では大きな利点です。プロットを立てている時が一番楽しいという方も大勢います。
    一方で立てない方も極少数ですがいるんですよ~。宮部みゆきさんもプロット立てないそうです(ただし推奨はしておられない)

    設定をゆる~くしておく利点は、書き始めると他キャラとの絡みで思いがけない面や想定外の行動をやり出したり、最初のプロットを捨てても「こっちの方が面白い!」と新しい展開を想いついたりするからじゃないでしょうか。性格口癖なんかをいくら細々と設定していても、作者にも予想できないことをやりはじめるのが「キャラが命をもつ」ということでしょうし。
    かといって暴走されても困りますので、がちがちにプロットを組んでその通りに書く方は、「そっちじゃない」と手綱をしっかり握っているみたいです。
    連載ものとは違い最後に編集がくる映画なんかだと監督が平気で「こっちとこっち繋げちゃえ」って編集したりするので、最初のプロットなんかあってないようなものであることもあります。

    中篇でも長篇でも、初心者や下手な人ほど、とにかく完結まで持ち込むことは一番力になると想っています。
    読者などいない状態で完結させて長篇を応募するのが当たり前だった時代だってあるのに、可視化する分だけPVの有無は毒ですねぇ。
    PVがない=駄目なんだ……ってなりがちです。
    自分の好きなお話を書くんだ! という気持ちだけは忘れないようにしています。

  • 細かいプロットを完成させていながらラストまで書かないとは、なんとももったいない方もいらっしゃるんですねぇ。
    私もプロットはきちんと作るほうです。正確に云いますと(キャラなど細かい設定は別にして)年間スケジュール帳に予定を書き込むような感じでざっくりとした流れを決め、書きながら次の部分のプロットを一日の時間込みの予定のようにして細かく書き加えていく、というやり方をしています。
    そして10万文字超の長篇であっても、最後まで書き終えて何度も推敲を繰り返してからの連載にしています。書きながら連載できる人、すごいなあと思います。書きながら何度も読み返しては直しまくる私にはとても無理……(^^;

    そもそもが自分の読みたいものを自分で楽しめるようにカタチにしよう、という動機で書き始めてますんで、誰ひとりとして読んでくれる人がいなかったとしても書くことは止めませんね。書くために調べものをしたり資料を集めている時間がとても楽しいし、書いているときも世界に入り込んでいるので完全にトリップしています(笑)
    キャラクターたちは生きていますよね、私はプロットどおりに動かないとおいこらっと修正するほうですが、でもそっちに行きたいのか? と考えてみることはあります。そのおかげで死なせる予定だったあるキャラを、プロットに手を入れまくって生き残らせたこともあります。
    そしていちばん重要なのは、大団円を迎えることです。お話が終わらないと、キャラたちを道半ばで放置している気分になりますし、なにより自分もラストシーンが見たいですし。

    自分のことばかり、長くなってしまいすみません(汗)
    云いたかったのは、まさにこちらに書かれているとおり、完全同意します、ということです。

    作者からの返信

    烏丸千弦さん

    本当にあの音楽リスト最高です! スタカンまである~と狂喜乱舞しております。

    頭の中であまりにも壮大に、完璧に創り上げてしまうと、技術が追い付かない場合、出来上がりとの落差に耐えられないというのはあると想います。
    楽器を弾けず楽譜も書けないのに、ものすごい曲が頭にある人は結構大勢いると想うので。
    それらのほとんどは実際には外に出すと詰まらないものだったりするのですが、外に出さない限りは分からないんですよね。

    漫画もデビュー時は下手でも、そこからどんどん上達しますよね。
    脳内での完成が先行してしまうと、「下手から始めること」「日蔭の地道な努力」をやることが出来なくなるのかもしれないなーと。

    プロットを創らないほうが珍しいので、たいていの人は最初にだいたい決めているはずです。頂いたコメントの中の、遠実らいさんというBL畑の方も、身長や住んでいる街まで全部決めるとおっしゃってます。
    「知らない人のことは書けない」と云われていたので、キャラの設定は書き手が最初にその人と知り合いになるための過程なのだなぁと感心しました。

    登場人物の細かいパーソナルデータを造り込むのは意外と新しい手法で、それまでの小説指南本では、外観の詳細は読者の想像にゆだねるのが主流でした。描写するかしないかは別にして、自前のファンブックみたいにそれぞれのキャラのデータベースを創るのは、作者だけの特権ですよね。
    テーマ曲とかあてちゃう←これはわたしもやってます。
    トリップするのはすごく分かります。

    >書きながら連載できる人、すごいなあと思います。
    ほんとうに! これは心底そう想います。
    大長編を毎日更新されている方もいますもの。しかも愕くことに下手じゃないんですよ。まさに文章力という基礎体力がある方のはなれ業。

    自分のことばかり喋って下さるほうが聴いていて楽しいのと、出不精で聴き役タイプのわたしは実はすごく助かってます……。

  • 自主企画へ参加いただきありがとうございます。

    完結させることの大変さと大切さ、私もひしひしと感じています。
    というのも、以前カクヨムでエタってしまった話を、とにかく最後まで書き続けたことがあったのですが、その満足感たるやすごいものがありました! 大いに成長できたということも実感しています。

    今はその話をちゃんと突き詰めてカクヨムコンテストに応募できるよう、今度こそこのカクヨムの場で完結させようと思います。

    大変勇気づけられるお話、ありがとうございました!

    作者からの返信

    一沙さん、こんにちは。
    自主企画へ参加させていただきました。ありがとうございました。

    作者も物語も生き物なので、どうしも途中で止まってしまうことはあると想うのです。でもその理由がPVがあまり稼げないからというのは流石にもったいないなぁと。
    完結させることが出来ればコンテストにも完結作品として応募ができますし、よそのサイトでまとめて投稿することも、連載形式にもできます。カクヨムでふるわなくとも他のサイトなら喜んで読んでくれる読者がついてくれるかもしれません。

    なによりも自分がその物語の完結を見たくはありませんか? と想うのです。書き上げることで力もつきますし、また次の長篇も書けると想うのです。

    web長篇は読まれにくいのですが、PVの少なさに落ち込んでいる人の励みになればと想い書かせてもらいました。

  • はじめましてかと思ったら、二度目でした。
    タイトルの秀逸さに惹かれるのも、二度目です。

    今まで公募の賞に応募してたので
    終わらせる快感というのは同意見です。

    終わらせないと得られない物ってありますよね?
    これは体験してみないとわからないものがあります。

    そう考えると、設定狂の方は経験がないのかもしれません。

    もちろん、設定もプロットも
    自分に合った方法を取るべきと思います。

    しかし、物語を完結させるべきかどうかについては
    やはり、完結させるべきという気がします。

    ある意味、完結させることで、初めて物語になる
    という気もするので。

    とはいえ、道半ばの辛さというのは厳しいものですねえ。

    作者からの返信

    月井忠さん、こんにちは。
    レビューも入れて頂きありがとうございました。

    小説を出版社に持ち込んでいた昔は、読者がいないまま長篇を完結させるのが当たり前だったんですよね。
    なまじPVが可視化されているので、『読まれていない=この作品は駄目なんだとエタる』になりやすいのかも知れません。

    世界の名作だって、誰にも読まれないまま書いていた作品はいっぱいあります。少年少女向けの「赤毛のアン」「ハリー・ポッター」だってそうでした。本来、小説を書く人ってこういう人たちだと思ってるのですよ。自分の創った物語に一喜一憂して、「完結」を見たい人。

    どうしてもPVがないから途中で止めますっていう人は、「自分は並走してくれる読者がいないと書けないタイプなんだな」とそこのポイントを自覚して、次は読者が増える作品にしたらいいし、諸事情でエタることももちろんあります。でも少しでもその作品に未練があるなら捨てずに最後まで書いて欲しいと思って書かせてもらったエッセイなのです。

    プロットや設定は立てないほうが珍しいので、普通は立てるものなんですが、あまりにも頭の中ですごい傑作になってしまっていると、実際には画力がなくて描けない漫画と同じように、文字におこした時の落差に耐えられなくなってしまうのかなぁと。

    エッセイばかりが眼についてしまって赤面のいたりですが、読んで下さってありがとうございました。

  • 朝吹様、おはようございます、こんにちは、お疲れ様です。
    (界隈の挨拶ってどれが正しいのでしょうか)

    いきなり、コメント失礼します。
    タイトルに惹かれてここへ闖入しました。
    勝手に勇気づけられたので、ここに図々しくもお邪魔してコメントしています。
    御不快でしたら、申し訳ありません。

    私は「エタる」という言葉を知らなかったのですが
    正に、私はエタらせ危険度マックスです。
    承認欲求というか、全く反応ないのに書いても虚しいというか。
    もう、PVずっとゼロベースですから。
    見てもらえないのに意味ねーじゃん、というか。
    しかし、PVなどどうでも良いじゃないか、と改めて決意しているところです。
    私事で恐縮ですが、そもそも投稿サイトに投げているのは
    「誰も私の読みたいものを書いてくれないから、書こう」
    「私みたいなニッチなスーパーレアモンいるかもしれないから、その人のために書こう」
    という思いからで、多くの人に承認されたいからじゃなかった。
    初心に還ることが出来たのは、朝吹様のおかげであります。
    本当にありがとうございます。

    私も朝吹様に影響を受けて、
    プロット問題、設定資料問題について、近況ノートに書きました。
    もしよかったら、チラ見して下さると、即死一歩手前に嬉しいです。
    (他は、下品なことばっかり書いてあるから、閲覧はお止めになって!)

    本当に、ありがとうございます。
    今後のご活躍も楽しみにしております!

    作者からの返信

    遠実らいさん、こんにちは。

     遠実さんはBLの方なのですね、BLの方なら!
     BLの方こそ、自分が読みたいBLはこれだというものを書いているだけで脳内麻薬が流れ出てきて、誰にも読まれなくても、内なる欲求に突き動かされて書かれているイメージです。
     『書かずにはいられない』方が、BLには多そうなので(違っていたらすみません)

     ネットのお蔭で今でこそ書いたものがすぐに人の眼が触れるところに出てきていますが、ひと昔前など、誰もが誰にも読んでもらっていない状態で、ノートや原稿用紙を何冊も何枚も埋めていたと思うのです。あの原点に戻ればいいのではないかと。

     「カクヨムはわたしの家のノート」くらいに思って笑、こういうBLが好きなんだというところをお書きになればよいのでは? と想いました。
     そこから生まれた番外編なんかを自主企画で投稿できそうなところに入れてもいいし、あとは、あまり詳しくはないのですが、カクヨムではないサイトだとBLが独立したジャンルになっていませんか? そちらに投稿されてみるとか。

     「誰にも読まれていないのに書く意味があるのか、ないのか」は自分でその答えを見つけるしかなくて、「誰にも読まれていないから止める」という選択も自分でそう決めている方針ならば潔くて立派だと想います。
     でももし、未練があるのなら、やっぱり自分の生み出したキャラクターたちを最後まで書いてあげて欲しいなと思うのです。

     近況ノートも拝読させてもらいましたので、後でコメントさせてもらいますね。
     エッセイに眼を留めて下さり、ありがとうございました。

  • はじめまして。

    『エタらせると登場人物はそこで石化して止まったまま』

    という表現がとても心に刺さりました。
    確かに、言われなくてもその通りではあるけれど、言葉にされて改めて認識できるものだと思います。

    私も、忘れたら流石に面倒臭い、もう一度練り直しても綺麗に作り込めないなぁ、という根本的な設定や場面をポツリポツリと書き出しはすれど、ほとんど見切り発進に近い脳内プロッターなので最新話や先の話を書く時はいつも公開済みの話を読み返してヒヤヒヤしながら筆を執っています。

    現在執筆中の作品は縁あって、0とほぼ変わりませんが固定して読んで下さる方々がいるので、なんとか続けられています。

    私も今までちゃんと完結させられたと言える作品はないので、今生み出している物語の子供たち(登場人物)を石化させないよう、まだまだ先は長いですが頑張っていこうと思えました。

    作者からの返信

    石倉商兵衛さん、こんにちは。

     わたしも大風呂敷を広げてしまい、「これどうやって畳もう」と途中で悩んでいたこともあるので(畳めました)、エタる人の心境こそ実はよく分かります。
     あまり混沌としてくる前に、前から読み通したり、意識的に終わり方を詰めていくとよいのかもしれません。

     下の方にいただいたsnowdropさんのコメントで「枚数(文字数)を決めること」というのは完結に向けてのとてもいい指標なので参考になります。〇万字あたりで完結させると決めておくと、完結させるにはこの辺から風呂敷を畳まないといけないと意識して書くことになります。

     さまざまな理由で途中で止まることは当然あることなのですが、自分の創った物語に愛着と未練があるのなら、やはり自分の手で彼らの物語をちゃんと終わらせてあげて欲しいなと思うのです。
     この気持ちにはPVは関係なくて、頭の中に登場人物が動いていますので、「あの人たちをこのままにはしておけない」という気持ちで途中しんどくても最後まで書くことにしています。

     死ぬ時に、今まで書いた登場人物(子どもたち)のことを一人一人想い出しながら死にたいのです笑

     コメントありがとうございました。

  • 自分もプロットは書かない派の人間です。
    たまに設定だけ思いついてプロットメモみたいなのを書きはじめることはあるのですが、それをどんどんと書き足して行ってプロットのようなものを作ると、それに満足してしまって、小説を一話も書けていない自分がいたりします。

    長篇を書き上げた時の満足感。物語を書きあげたって感じで、それがたまらなく好きだったりします。だから、長篇書くの頑張れるのかなと思ったりもしています。

    作者からの返信

    意外です!オスオミさんもプロット書かない派なのですか?

    「馴れ」の問題でしょうか。
    立てなくても完結に辿り着くのに馴れてしまうと、こちらの方が全ての場面が新鮮で書いていて楽しいのですよね。
    伏線を仕込んでいく作品なら、それはそういう作品なので、ざっくり紙に書いたり、メモ用紙一枚くらいのメモまでは取ります。


    下書きの段階で本腰を入れてしてしまうとそこで満足してしまうのも分かります。
    「終わった」感がありすぎます。
    プロットを立てる方もばらばらで、そこまでキッチリ下書きされてない人は、実はプロット立てない側に書き方としては寄ってるかもしれません。
    書く段階で新鮮な要素があるかどうかはモチベーションにも関わってきて意外と大きいような気がします。

    編集済
  • そうですね。

    プロットを書く、書かないの書き方は、どちらの方法もあって、正解はないです。
    書き手の性格が関係していると思います。

    どちらにも良いところと悪いところがあります。
    プロットを考えずに書くと、作者も一人の読者として楽しむことができます。ただ、行き詰まりやすい。
    プロットがあると、長編は書きやすいです。でも作者は結末を知っているので新鮮味が薄れている。
    なので、両方の良いところを合わせているといいと思います。

    長編が完結しないのは、最初に枚数を決めてないからだと思います。原稿用紙換算350枚、と応募規定が決まっていて(いまは字数で表示されることが多い)限られた中で物語をまとめなくてはいけない。
    途中で止まってしまう人は、自分自身で、「これだけの文量の作品を必ず書く」と最初に決めて書き上げる訓練や練習をくり返せば書けるようになると思います。

    そういう練習にいいのは、大学ノート一冊に書く方法ですね。

    カクヨム等で長編の途中で止まるの人は、ダラダラ書いているのでは。だから長編を書き終えることができないのではと考えます。

    作者からの返信

    コメントをありがとうございます!

     事前にプロットを立てない方がかなり珍しいことは自覚しております。
     最初に立てましょうとなれば立てますが、今のところは新鮮味があるほうが書きやすいです。ただそれだけの理由です。

     デュマももし現代の人だったら出版社とあらかじめ打合せ時にきっちりプロットを決められて、現存している作品のような思いがけない展開はなかったんじゃないかなと推察します。
     デュマは「うーん」「なるほど」とか登場人物に云わせている間につぎの展開考えていますし、宝島も途中で視点が切り替わるんですが、あれも最初から「視点を切り替える話を書こう」と決めていたわけではなく、草稿の段階で「ここからどうしよう?」となって初めて視点切り替えています。

     某所でも書かせてもらったのですが、映画監督も最初に決めたとおりに、忠実にその通りにカットを撮影していく方と、ざっくり決めて撮影に突入して即興カットも入れて最後に一本に繋ぐ方といて、どちらも完成して「作品」になれば、云わなければ誰も分からない。
     頭の中にあるものをどうやって作品にまとめ上げるかのタイプの違いなのでしょうね。

     枚数制限(字数制限)があることが完結させるのに重要というのは確かにそうかも知れません。枚数に制限があればそろそろこの辺でまとめに向かわないとまずいということになるので、配分を考えながら書くことになりエタらせる癖のある人にはすごく練習になると想います。
     最初は大学ノート一冊のうちに完結まで持ち込むように練習すると塩梅がつかめて、二冊三冊と増やしていけるかもしれませんね。


     両方の良いところを合わせるのなら、大まかなプロットは立ててもあまり細部まで詰めず、多少の脱線はゆるしながら、でも結末は予定通りというところでしょうか。
     webでは長篇作品は読まれにくいので、限りなく自己満足を追求していくしかないのですが、「一つの作品にすること」だけは忘れないように心掛けたいと思います。

     勉強になりました、ありがとうございました。

  • お題、ありがとうございました! 私の方ではこのような回答になりました。
    https://kakuyomu.jp/works/16817139557886427757/episodes/16817330649034739467

    完結させること、その意義について、私は朝吹さまとほぼ同じ考えです。どんなに綿密で立派なプロットを組んでいても、完結しない=エタったのでは小説の登場人物たちも可哀相です。
    また、完結させるたび、小説家としてのステージが大きく上がるのではないか? という考えを私は持っています。
    どんなに人気で星の数が多くても、完結させたことのない作家より、読まれなくてもキッチリと完結させた作家の方が、今後の見通しが立つ信頼される作家だと言えると私は思うんです。
    ひとつの作品を終えられたときに得る経験値は、プロットや設定を細かく作り上げたときに得られるものよりも断然大きいと感じています。

    作者からの返信

     早々の回答をありがとうございました。

     読者さんの多くも隙間時間にさっと読めるもの(娯楽、ラブコメ、R18)を求めておられますから、よほどの長篇好きの読み手さんでない限り、そもそも手に取ることをされないのですよね。いまや文字数が1万字でも「多い」と想われるようです。自主企画も短篇に限るものが多いです。

     閲覧される時間は夜についで朝6時台が意外と多いようで、これは通勤通学の途上に電車の中で読んでいるからなのですが、朝ドラとか大河ドラマみたいにうまくその層に落とし込めたら、あるいは読んでもらえる長篇もあるとは思うのですけれど。そもそもそこを既にランキング上位の作品が占めてしまっていますよね。
     
     読まれないのは残念なのですが、長篇を完結させると確実に一歩伸びます。気持ちだけでも違います。長篇か中篇かに関係なく、「絶対に完結させる」これが力のつく早道だと、惣山さんと同じくわたしも想います。