The girl who loved by the Raven §3
「奥山さん、どういう意味ですか?」
「言ったとおりよ。那賀見さん、暫く休みなさい。これは会社からの命令でもあるわ」
会議室で向かい合って座る奥山優子が言っている。その隣でしょんぼりと肩身狭そうに私のマネージャーのミーちゃんが座っている。
「優、今アンタは活動出来る状態じゃない」
私の隣に座っている相川凛も同調してくる。
「私は何ともない! 至って正常よ! 昨日ウチに来て分かっただろうけど、普通に暮らしてるし、今日もここまでキチンと交通ルールを守って、普通に自転車を漕いで来た」
「ハルちゃん、お願いだから一度精神科で診てもらって……」
ミーちゃんまでもがそう言い出してくる。
「何でみんなしてそう事言うの!? 私が何かした!?」
私が立ち上がり座っていたパイプ椅子が倒れ耳障りな金属音が会議室に響く。静寂。皆が那賀見優の目を見ている。
「はぁ……。僕は医者じゃ無いから詳しい事は分からないが、とにかく君は一度診て貰うべきだ」
会議室の入り口に立ち、ここまでの会話を聞いていた矢崎竜が口を挟んで来た。
「今の君は疲れているんだ。自分では気付いていないかも知れないが」
矢崎がそう言いながら私が倒した椅子を立て直し、座る様に促すが優は座らない。
「だから私はなんとも……」
「何ともなくてもだ。それに、荒らし回っている人間達が少しでも手を引くように時間を稼ぐんだ」
「今私が配信をしなかったら、尚更荒らしに屈して逃げたと看做されるじゃないですか」
「ああそうだ逃げるんだ。君はデビュー時よりかなり自己評価が上がった様だが、未だただの一般人だ。そんな重責に耐えられる人間じゃない」
矢崎の歯に衣着せぬ言い分に怒りが有頂天に達する。矢崎が起こした椅子を蹴り飛ばし優は彼に詰め寄る。
「そんなに私の活動に文句があるなら私を切ればいいじゃないですか!? 社長でプロデューサーで、そして“七海ハル”を見捨てた無能だって烙印を押されっちまえ!!」
「いつもの論理的でクールな“那賀見優”さんはどこへ行ったんだ? 今の君はまるでだだをこねる5歳児だ」
「このヤロ……」
優が右手で拳を作り腕を振り上げようとしたその時、優の右側頭部へ激痛が走った。と思った次の瞬間には、優の視界はグレーの事務所の床のタイルマットが埋めていた。
「え……」
優の背後から、ロンドンブーツを履いた凛の強烈な右ハイキックがこめかみを撃ち抜いていた。
「ワオ……」
矢崎も目を丸くしている。うつ伏せで伸びている優の身体を仰向けにさせ、凛が馬乗りになり胸倉を掴む。
「バカかお前!? オメーと今までみたいにまたやって行きたいからこう言ってんだろーが!」
無言のまま凛を優は見下す様に睨みつける。
「私は、正気だ……」
そう小さく呟き、凛の身体を押しのける。よろけた凛が優の右横に跪く。
優はそのまま、ウィンドのオフィスを後にした。
ビル内の廊下や壁、物、あちこちに八つ当たりしながら優は外に出る。ここに来る時にいつも停める駐輪場の精算機にも100円玉を投入した後に一発蹴りを入れ、右足首には鈍い痛みが走った。自転車、愛車とも呼んでいた白いマウンテンバイクも乱暴に駐輪場から放り出し、寄りかかってきた隣の自転車も蹴り退け、その場を後にした。
「クソッ、クソクソクソッ」
ぶつぶつと一人呟きながら自転車を漕ぐ。信号を無視して道路を横断しようとして黒い軽バンに轢かれそうになる。
「どこ見てんだコラァ!」
「うっせぇ死ね!!」
怒鳴ってきたドライバーへ中指を立てながら吠えたて、尚も自転車を漕ぎ続ける。頭の右側面がずきずきする。熱い。大量の血が流れ出てる様な錯覚さえ覚える。
クソが、何故か涙が溢れてくる。そして無意識の内に足は私が嘗て住んでいたアパートの方角へ向い環状線を下っていた。
気付けば、1年前まで住んでいたアパートの前に着いていた。私が住んでいた部屋には既に入居者が居るらしく、外から窓際に干されている洗濯物の影が薄らと見える。私は特に何をするでもなくその場を去った。そして嘗て勤めていたコンビニにも立ち寄った。
「いらっしゃいませ〜」
店の入店音に合わせ、レジ横から声が聞こえる。恐らく店長の大場だ。
私はドリンクコーナーでハイネケンを……と思ったがこの店では取り扱っていないので安いレモン酎ハイを手に取りレジに向かった。
「いらっしゃいませ、年齢確認のボタンをお願いしま……」
そこまで来て漸く私が那賀見優だと気付いた。
「那賀見さん……。久しぶりだね」
「……ども」
私はそっけなく答える。ふとレジ横に置いてある使い捨てライターが目に入る。それを一つ取りカウンターに置く。
「ラキスト……いや、店長、一番強いタバコってどれっすか」
「え? あぁと……フィルター付いてないのでいいならショートピースとか……?」
全く私の思考を理解できていない大場は愚直に私の問いに答えた。私もそう答えられてもよく分からなかった。
「じゃあそれも1箱下さい」
「はい……。お会計541円になります。袋は要る?」
「いらないです」
「かしこまりました」
私は1,041円を出し、お釣りを受け取り去ろうとする。
「最近、古谷さんに会った?」
「え? いや……」
嘘ではない。そういえば本当に最近会った記憶が無いな、と思ったのだ。
「そっか。ちょっと前にここに来てさ、急に辞めた事とか謝って来たよ。ハハ、若いからそりゃ色々あるよね」
「はぁ……」
「秋田くんとも少し話してて、それから……ああ、そういえば、秋田くん……捕まっちゃったらしいんだ……。知らなかったよね?」
「そうなんですか」
「なんでも、一人暮らしの女の子の家に押し入ったとかで……。彼そんな事する様な子には見えなかったんだけどねぇ……」
その時、優がある事に気付く。
「え……古谷さん、秋田さんと何話してたんですか」
「いやぁ、流石に2人の会話の内容までは聞いてないよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「え? まぁ那賀見さんにまた会えて嬉しかったよ」
「店長もお元気で」
そう言い残し、足早に店を後にする。
あのクソ女、私を売りやがったのはアイツだったのか。『古谷あかり』。私の怒りは更に増長する。
店の前で酎ハイの缶を開け一口喉奥に流し込む。不味い。タバコの外装フィルムを剥がしその場に捨てる。中の銀紙もちぎり開けると10本のタバコが逆さの状態で入っていた。なんだこの取り辛いパッケージは、そう愚痴りながら1本を取り出し始めて分かった。フィルターってあの口を付ける部分の事だったのか。タバコの両方から葉っぱが見える。どちらから吸っていいのか分からず、取り敢えず片方を咥え火を付ける。凛が吸っていたタバコと同じ様に一気に吸うと、そのフィルターという物が無い所為でダイレクトに、そして大量に煙が口内に流れ込んでくる。思い切り一人咽せるが、すぐに慣れた。これはこれで美味い。そして明らかにラッキーストライクよりも身体に悪そうだ。
私は少し機嫌を取り戻し、飲酒と喫煙をきめながら自転車を漕ぎ自宅を目指した。
今日は珍しく、ハルちゃん、いや優先輩から呼び出された。最近色々疲れたから、前から気になってた代官山にあるカフェに2人で行こうと誘われたので、私は二つ返事で答えた。最近の先輩は変わった。2年近く前から彼女の事は知っているが、最近は一般的な女性の流行りもチェックする様になって、オシャレにも気を遣う様になって益々美しい。そして何より、相川凛と付き合う様になってからは何と言うか、色気というか余裕の様なものを感じる。周りの人間達は2人が付き合っていると気付かないのだろうか? それとも分かっていて触れていないだけなのか? 何で私じゃなくてあのアバズレを選んだのか理解できない。もしかして彼女に脅されて無理矢理関係を迫られてるのでは、と考えた事もあったが、あの2人で居る時の幸せそうな顔を見るとそうでは無いとは嫌でも分からされた。だからそれを壊してやりたいと、願わずにはいられなかった。
カフェの近くに着くと先輩からLINEが来た。お店近くのコンビニに居るらしいので、そこへ向かった。お店の裏にある細い道に先輩の自転車が置いてあるのが分かったので、そこで待っているとメッセージを送った。その瞬間、先輩がコンビニの方から現れた。
「あ、古谷さん」
「先輩! お待たせし……」
その言葉を言い切る前に、近づいてきた先輩の右手が私の顔面を殴りつけていた。唖然としてその場に座り込むと、表道からは見えない様にコンビニの裏の巨大なゴミ箱の影になる部分へ私を蹴って押しやった。
「クソ女、テメーだな秋田に情報漏らしたのは?」
マスクを取りながら彼女は蔑んだ冷たい目で私を見下してくる。
「あっ……えっ……」
コンクリート壁に背中をびたとくっ付いている私の顔面を思い切り右足の裏で蹴ってくる。
「フゴッ……」
マスクの下で鼻血が出ているのが分かる。壁に打ち付けられた後頭部からも鋭い痛みが襲ってくる。
「いつも配信してる時みてーにハキハキ喋れよクソ女」
次は思い切り下腹部を蹴られる。思わず胃液が逆流してくる感覚がする。
「ウッ、は、はひっ……わたあしが……あきたしゃんにいいました……」
「だよな? 台湾の件はお前のやった事じゃないな?」
「はっはい、それはしらないです……」
「チッ……」
彼女は露骨に舌打ちし、私の前にしゃがみ込んだ。ポケットから取り出したタバコに火をつける。
「テメー、やり返そうなんて思うなよ? 私の個人情報を漏らせば報復にお前の個人情報も、実家の両親も住所も晒してやる。それに秋田を唆した事も、バイト中にタバコやら売上騙してパクってたのもバラすからな?」
彼女の鋭い眼光に睨みつけられたまま、そのスラスラと出てくる言葉を聞き逃すまいと必死に首を縦に振りながら聞く。
それと同時に、今は私だけを見てくれている、バイト中の私の悪行についてまで見てくれていたという恍惚に浸り、意識は飛びそうになっていた。
「分かってんのかクソ女」
彼女は私の左脛のストッキングの上からタバコを押し付けてきた。
「あッあっつ、わかりました、わかりました……」
「これからも表面上はいつも通り仲良くしろよ“荒巻ユイ”。私に絶対逆らえないって事覚えとけ」
彼女はそう言い残し、自転車のワイヤーロックを外し去ってしまった。私は失禁してしまい、ここからどうやって帰ろうか、という思考に切り替わっていた。
『これからゲリラ配信、やりまぁす!』そうツイッターに投下し、私はすぐに配信準備に取り掛かった。時刻は20時半。気付けば私の謹慎期間の2週間はとっくに過ぎており、本当に久々の配信だ。そして予想はしていたが、そのツイートをした瞬間、V WINDの運営やミーちゃんから『配信はやめろ』『ツイートを取り消せ』等とメッセージや着信も来るが全て無視した。そして直ぐに配信開始ボタンを押す。
「みなさーん! お久しぶりでーーす!!」
私は上機嫌で第一声を上げる。
「いやー2週間、長いね〜! マジ配信したくてうずうずしてたわ〜!」
『ハルさーん!』『出所おめでとう』『生きとったか!』等とコメントも溢れている。視聴者数もみるみる増えていき、私は嬉し涙を零してしまう。
「ごめんな〜、みなさんご存知の“諸事情”の関係で、コメントはメン限にさせてもろてます〜〜」
その間にも私のiPhoneの電話や、Discordに延々と着信が来ている。
「謹慎中かー、あと何してたっけな〜」
配信開始してから40分程経ち、下らない雑談を延々続けていたのだが不意に部屋のドアが開く音がした。
「え」
思わず声を出してしまい、すぐにミュートにする。
「優! 配信止めろ!」
息を切らしながら凛が部屋へ上がってくる。
「勝手に入ってくんな人の家に!」
私も思い切り金切声を上げ玄関の方へ立ち向かっていく。
「お前バカか? 本気でV WINDクビになりたいんか?」
凛も怒鳴りながら私の両手を掴み動きを抑えようとしてくる。
「関係ねえだろ私がどうなろうと! 鍵返せやクソが!!」
凛が右手に握っていた鍵を取り返そうと、必死に彼女の右手を開かせようとする。
「やめろ!」
彼女が私を突き放した時、握っていた鍵の先端が私の左前腕を切り裂き、血が滴る。
「あっ、優、ごめ……」
そう彼女が一瞬怯んだ瞬間、私は尚も彼女に食らいつき強引に鍵を取り返す。
「出て行って、早く……」
私は血の滴る傷口を右手で必死に抑えながら冷たく言う。
「優……ごめんって……」
「出ていけ!!」
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