精霊神シクレア

 

 

 ルリアナとの戦闘中、シクレアは今に至るまでを思い出していた。余計なことを考える余裕はないはずなのに、浮かんでは消えていく。

 それでいて、しっかりとルリアナの攻撃は捌けていた。


(興味深いわ。何なのかしら、これ?)


 元々、戦闘向きではない。仲間の中で最も弱い自分が、雑念を挟んだ上で、自分より明らかに強いルリアナとここまで戦えていることが不思議だった。

 シクレアがルリアナと渡り合えている理由は、極度の集中にあった。それが体を動かす意識と、大切な者を想う気持ちを感じさせる意識とを分断していたのである。

 混ざり合い、混沌としていたなら、心は乱され足を引っ張り合っていただろう。だが綺麗に切り離された二つは、シクレアに普段以上の力を発揮させていた。


 シクレアは王都の側にある名もなき森で生まれた。連日、兵が見回りに来る為、小型の魔物しかおらず、大した危険はないところだった。

 そこで二十五年、ただ花の蜜や雨露を吸って過ごした。親は知らず、兄弟も知らない。自分と同じ姿の者を見ても、特に何かを思うことはなく、姿を見なくなっても、そういうものなのだろうと気にもしていなかった。


 ある日、シクレアは兵が花を摘んでいるのを見た。それはシクレアの縄張りのものだった。だが他のマンティスベビーが不用意に攻撃して殺されているのを見ていたシクレアは冷静だった。あの兵が花をどうするつもりなのかが気になった。


 それはシクレアが、初めて何かを興味深いと思った瞬間だった。


 シクレアはこっそりと兵の後をつけた。それまでは森の外に出たことはなかったが、兵の強さは知っていた。他の魔物に襲われる危険は低いだろうと考えた。

 実際、その通りだった。何の危険もなく、シクレアは王都を目の当たりにすることになった。そこに至るまでの間にも新たな発見は多かった。


 太陽の眩しさ。空の広さ。そして青さ。流れる白い雲。一面に広がる草原。目にしたことのない草花。吹き抜ける風の匂い。すべてが森とは違った。


 シクレアは知らないことが山のようにあることを知った。狭い世界で、花の蜜や雨露を吸ってただ生きてきた。それがすべてだと思っていたシクレアは衝撃を受けた。


 兵が向かった場所は墓だった。兵は花を備えて墓に語り掛けていた。何を話しているのかは分からなかったが、親しい相手と話しているように見えた。

 二十五年間、森にやって来る兵を観察してきていたので、シクレアは表情や行動から人の感情を推測できていた。その兵が石を友人にしているのかとまた興味を抱いた。


 更に兵の後をつけて行くと、城下町に入った。人が大勢いて圧倒された。流石に危険だと感じて脱出したが、外に出たところで好奇心が疼いた。特に、城に対して。

 漠然と、凄いものだと感じた。中がどうなっているのか気になり、空を飛んで観察した。しかし、そこまで高く飛んだことなどなかったので風に流された。

 それからシクレアは墓で暮らし、飛ぶ練習を重ねた。隠れる場所も多く、人が花を持ってくるので食べ物にも困らなかった。

 ただ、花を持ってくる人の表情を観察するうちに、段々と妙な気分になってきた。それが寂しさや憐れみであるということを、この時はまだ理解できていなかった。


 数日後、シクレアはどうにか壁を越え、城の庭園に入った。先住者はいたが、縄張り争いは起きなかった。それほど多くの花があり、しかも人の観察もできる。シクレアは楽園を見つけたと思った。ここが安住の地で、これ以上はない。そう思っていた。


(だけど、まだまだ先があったのよね!)


 シクレアは、ルリアナの繰り出す蹴りを躱して大鎌を振るう。ルリアナは羽ばたくのを止め、瞬間的に落下して斬撃を避ける。そして哄笑した。


「あっはははは! すごいわ! 力がみなぎってくる! ドルモア様は、すごいお方だわ! やっぱり私の見る目に間違いはなかった!」


「間違いだらけよ!」


 シクレアは右に一回転して大鎌を振るった。それがルリアナの左腕を掠める。


「何するのよっ!」


 ルリアナの回し蹴りがシクレアの脇腹に直撃する。

 その威力でシクレアは吹き飛ばされ、城に張られた防護壁に衝突した。


「あんたたち! あの女諸共、さっさと壁をぶっ壊しなさい!」


 ルリアナは竜騎兵たちに向かい声を張り上げる。防護壁に魔法攻撃をしていた竜騎兵たちが、シクレアに標的を移した。ワイバーンも火の球を吐き出し猛火を浴びせる。


 シクレアはどうにか集中砲火の中から抜け出したが、重傷を負っていた。ルリアナの蹴りで肋骨が粉砕され、激痛で飛ぶのがやっとの状態。大鎌も手から消えていた。


(これは……まずいわね……)


 脇腹を押さえ、攻撃を避けつつ距離をとる。しかし、ルリアナが追ってくる。


「あっはははは! どこに行くのよ! 逃さないわよ!」


 ルリアナが猛攻を仕掛けてきた。シクレアはふらふらと体を揺らしながら、なんとか致命傷にならない程度に攻撃を防ぎ続けた。

 間もなく、ルリアナが顔を顰めて肩で息をし始めた。


(おかしい……⁉ 何よ、これ……⁉)


 攻撃が当たらなくなっていた。左腕がズキズキと痛みだし体が重くなっている。対して、シクレアの動きはどんどん機敏になっているように感じられた。


 シクレアの手に大鎌が現れるのを見て、ルリアナは慌てて飛び退いた。横に振り抜かれた大鎌が鼻先を掠める。豪快に風を切る音が耳に入った。


「何を、したのよ……⁉」


 ルリアナが息を切らせて言った。たった数分。その間に立場が逆転していることが信じられなかった。


 シクレアは髪を掻き上げ、大量に桃色の吐息を吐いた。それは風に流されて漂い、吸い込んだ竜騎兵たちの攻撃の手を緩めさせた。


 ルリアナは困惑して喚くように竜騎兵に向かい叫んだ。だが反応が鈍い。ワイバーン共々表情を蕩けさせ、酔ったように飛ぶ。


「またあんたね⁉ 何をしたのよ⁉」


 再び問うルリアナに、シクレアは満面の笑みを向けた。


「なんであんたなんかに教えなきゃいけないのよ。バーカ」


 毒と治癒。そして陶酔の吐息による行動阻害と挑発。シクレアは仲間の中で最も弱いが、最もしぶとく生き残れる知恵とスキルを持っていた。

 

  

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