第19話 グリフォンの目

「まずは君の疑問に答えよう。この迷宮石は間違いなく本物。これが光を放っているということは、この場所が迷宮化していることを意味しておる。範囲は調べたかね?」

「それは、これからです」


 ベルーアは髭をさすりながら石を見つめ考え込む。

 エメリヒが意見を述べた。


「ベルーア卿。私は街の周囲の状況を知りたく思っています。ここで話して良いのかどうかは、私には分かりかねますが……」


 エメリヒはベルーアになんらかの助力を求めている。

 しかし、モリアの前でそれを話すかはベルーア次第。

 だから曖昧な言い方をしているのだろう。


「わしの魔法の秘密は墓まで持って行くつもりだったのじゃがな。お前もずうずうしいことを言うようになったの、エメリヒ」

「恐縮です」

「まあよいわ。どうせ老い先短い命。それにこの街で知られたところで、誰にもどうにもならぬ」


 その態度に、妙な既視感を覚える。

 グルイーザはこれまであれだけ人目を避けていながら、今はそのことにあまりこだわりが見られない。

 そして今、ベルーアも自身の魔法の秘密とやらに拘泥しないと言う。

 ふたりの魔術師は、この街の人間に秘密が漏れたところで問題ないと、そう言っているのだ。


「モリアよ。君はこれからどう行動するつもりかね?」

「僕は城壁から出て街の外を調査したいと考えています。ベルーアさんには、街の防衛について知恵を借りたいと同時に、上層部にも情報を伝えて頂ければと」

「つまりは領主に適切な指揮を執るよう促せということじゃな? わしに異論はないぞ。少し問題はあるがの」

「…………?」


 問題というのがなんのことかは分からないが、上層部内の話はモリアには関係ない。

 伝えるべきことは伝えた。

 ベルーアが了承してくれたので、街の防衛に関してモリアの出来ることは今はここまでだ。

 あとは任せておけばいい。


「モリア君、外部の調査はどのくらいの規模でおこなうつもりなのですか?」

「必要最低限の人数で。組合からは、特例開拓者のレミーを借りたいと思います」

「おいおい、レミーだけでいいのかよ?」

「調査ですので。人数が多いと逃げるとき大変です」

「それもそうか……」


 話の区切りが付いたところで、ベルーアが再び口をひらく。


「では、エメリヒの疑問に答えよう。今、街の周囲がどうなっておるか。わしの魔法、《グリフォンの目》で既に調べてある」


 ――グリフォンの目? それは二つ名のことじゃなかったのか?


 得意技が二つ名の由来になるのはままあることだ。

 それ自体に不思議はないが、ベルーアの魔法の名だったとは知らなかった。


「モリアは知らぬだろうかから説明しておこう。《グリフォンの目》とは上空に魔法の目を発生させ、地上を俯瞰する魔術の名だ。同時に、遥か遠方を見渡せる魔術でもある」

「…………!」


 最初に思い浮かんだ感想は、地図を作るのに便利そうな魔法だということである。

 同時に、戦争をおこなうときに極めて重要な役割を果たすであろうとも。


 先の会話から、ベルーアの魔法の秘密を知る者は少ないことが分かる。

 王国からしてみれば、王都でも国境でもない北の辺境にそんな重要人物を置く意味がない。

 国から危険視されたりしたら、北の辺境伯とて迷惑であろう。


 ――ほとんど誰も知らないということじゃないか。


 あるいはこの老人、グルイーザ以上に立場の危うい人物だ。

 突出しすぎた能力というのも考え物である。

 そして、会ったばかりのモリアにそれを話しても構わないという理由。

 ライシュタットの街は、それほどまでにまずい状況ということか。


「そんな魔法、秘密にするのも当然でしょうね……」

「細かい加減は難しいし持続も出来ん。だから例えば、戦場で敵陣が動く様子を見るなど無理じゃ。そう言って信じてもらえるかは別じゃがな」


 確かに信じてもらえないだろう。

 グリフォンの目という二つ名は、ベルーアが戦場で敵の動きをことごとく察知することから付けられた呼び名だと聞いている。

 つまり地図の話を抜きにしても、戦争の現場で使えない魔法だという話は、モリアからみても明らかに嘘なのである。

 歳を取って、今は本当に見えなくなっている可能性はあるかもしれないが。


「上空から街を見下ろしたところ、周囲の畑を除けばどの方角にもずっと樹海が広がっておる。街から第三開拓拠点への距離を超えるほどに」

「な……なんですって!?」

「いったいどうして、そんなことになっちまったんで?」


 ベルーアはエメリヒとギルターには答えず、迷宮石に目をやった。

 そして、モリアに話を振る。


「君や、君の協力者はどう考えているのかね?」

「周囲に樹海が発生したのではなく、街の場所が樹海の奥――北の迷宮の内部と入れ替わったのではないかと」

「ラゼルフが昔見つけた村と同じか。あやつめ、どうせならその現象についての研究をしていれば良かったものを……」


 モリアは内心大いに同意するものの、話が逸れそうなので無言で流した。

 エメリヒが思い出したように言う。


「開拓者からも妙な報告が上がっています。死体回収時に、石壁に埋まった獣の死体を発見したと。獣は身体の前後が壁を貫通して外に露出しており、取り出すために壁を壊す必要があったそうです」


 街中に現れた獣は、外から侵入したわけではないのかもしれない。

 モリアは自分の考えを述べる。


「地形が入れ替わったとき、元からその場所に居たんでしょうかね?」

「地形は入れ替わっても生き物は入れ替わらなかったってのか? なんでだ?」

「内部に生き物を取り込むことが迷宮の目的なのかもしれない。だったら迷宮内の獣を吐き出す理由がない。ただ、それを言うなら元の場所にあったであろう樹木も生き物なんだけどね」


 ギルターの疑問に対し、ベルーアとエメリヒも補足を入れる。


「ある程度は制約があるのじゃろうな」

「樹木が邪魔だと街を飲み込めないからとか、そんなところでしょうか」

「だったら人間だけを飲み込めば良かったじゃねえか……」

「ホッホ……確かにその通りじゃの」


 一理ある。

 魔法上のなんらかの制約があると考えれば、一応納得は出来てしまうのだが。

 それにしては無駄が多い機能だ。


 ――街ごと飲み込む意味、か。


「ベルーア卿、周囲の樹海から出るための具体的な距離はお分かりになりますか?」

「憶測半分の数値で良ければな」


 そんなことも分かるのかと興味深げに聞いていると、モリアのためかどうかは知らないが、その方法についての解説を始めてくれた。


「わしの魔法では、よく晴れた日であればライシュタットの街から北壁山脈が見える」


 ――北壁山脈!


 北の迷宮セプテントリオンと並ぶ伝承上の存在。北の果て。

 王国史上では辿り着いた者はもちろん、見た者さえいないとされていた。

 樹海の向こうに本当に山脈が存在したとしても、平野部の多い北の辺境からそれを見ることは叶わないからだ。


「樹海に入り、奥へと進めば山も、また南に見える王都も見え方が少しずつ変わってくる。その差異によって、北壁山脈のおおよその位置を推測したのだ。距離にして、街の元の位置から三百キロメートル」


 途方もない話だが、ベルーアにしか見えない景色を基にした数字なので真偽が全く分からない。


「以前はそれくらいはっきりと見えたのだが、最近は駄目じゃな。だから、今はだいたいの距離しか分からぬ」


 その方法で距離を測るには、まずグリフォンの目を会得しなければならないという難題があるのだ。

 多分、後世にこの技術が伝わることはないだろうとモリアは遠い目をする。


「第一から第十――ライシュタットから北壁山脈まで十の中継拠点を築くことで樹海を踏破する。それがわしの開拓計画だったのじゃ。街の現在地は、この計画でいうところの第七拠点に相当する」


 ギルターが目を見開き、エメリヒが息を呑む。

 第七開拓拠点が設営される予定だった場所というのはつまり。

 ライシュタットの元の位置からおよそ北に二百キロ、北壁山脈まで百キロの位置。


「ギルターを始めとした、この街最強の戦士たちが小隊を組み、南へと進めばあるいは樹海からの脱出が可能かもしれぬ。しかし――」


 老魔術師は、淡々とその事実を述べる。




「――この街の住民を全て救うことは、不可能なのじゃよ」




 重い事実に場はしばし沈黙した。

 今ここで聞けることは、これで全てかもしれない。


「調査に参加する人員には、街の周囲に関する情報を伝えてもいいですか?」

「構わんよ。街の議会でも伝えるつもりじゃったからの」

「分かりました、早速動きます。ギルター、レミーが向かった現場を教えてくれないかな?」

「お、おう」

「門を開けるのでしたら手配が必要ですよ。南門でいいのですか?」

「いえ……」


 探索する方角は、既に決めてある。


の手配をお願いします」

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