第15話 城壁回廊

 家屋であれば三階相当の高さまで階段を上り、塔の見張り台へと到着する。


 上階の窓から身を乗り出すと、街の四方にある城門のうち東と南の二箇所が見えた。

 いずれも門の内側で兵士が周囲を警戒している様子が伺える。

 どうやらどちらの門も無事のようだ。


 続いて街の外側を確認すべく塔内の反対側に行く。

 周囲はだいぶ暗くなってきているが、南側は地面が見えないほどではなかった。

 広がる畑も、城門から伸びる馬車道も記憶のそれと変わりは無い。


 何体かの獣が畑をうろついてこちらを伺っている。

 肉食ゆえか、畑の作物には興味がないようだ。


「さっき戦った獣と同じ種ですね。城壁を越えられるとは思えないんですが、どうやって侵入したんでしょう?」


 兵士たちはそれぞれ考えを述べる。


「ここから見えない北か西の門が破られたとか……」

「誰かが中に入れた可能性はありますかね?」


 他に思い付くことといえば、地下に抜け道でもあるか、後はやはり単純に壁を越えてきたか。

 今挙げられる理由はこれくらいか。

 なら次にすべきことは。


「僕ちょっと壁の上を周って、向こうの門の状態を見てきますよ」

「私たちは持ち場を離れられません。頼みます」


 見張り台には壁の上の回廊に通じる出入り口が二箇所ある。

 気になるのは北側だ。

 先にそこへ向かうべく、北の出入り口から回廊へ出た。


 回廊の壁には細い切り込みが等間隔で入っており、そこから外の様子を覗けるようになっている。

 アロースリットと呼ばれる防御用の狭間だ。

 この隙間から弓矢で外側を攻撃するわけである。


 北の辺境ではこんな設備はただの飾りだったが、これからは違う。

 時の北方辺境伯やこの街の領主は、半ば単なる見栄で強固な城塞都市を築いたのかもしれないが、それが活かされるときがやって来たのだ。


 回廊を真っ直ぐ進む分には、一周するにもあまり時間はかからないだろう。

 居住区の周りを壁で囲うライシュタットは、それほど大きい街ではない。

 東門の上を越え、北の景色が間近になってきた。

 木々の向こう側は全く見通せない。

 大河の向こう側にあった樹海が、そのまま眼前に迫って来たようにしか見えなかった。


「止まれ! 何者だ」


 城壁塔の衛兵から声が掛かる。松明の火が掲げられた。

 首の黒鉄札を指し示し、所属を名乗る。


「開拓者組合のモリアといいます。状況確認のため、許可を貰って回廊を周っています」

「そうか、ご苦労だな。向こうはどうなってる?」

「南側の門は無事です。北を経由して、西側はこれから調べます」


 ここの見張りも二名のようだ。

 城壁塔の中へ入ると、まずは内側から北の門を確認する。

 そこには獣や人の死骸が折り重なる、凄惨な光景が広がっていた。

 戦闘はもう終了しているようである。

 城門は閉まっていた。


「門は、いつから閉められていたんですか?」

「さっきデカい地響きみたいなのがあっただろう。そのときにはもう閉められた後だったんだ。あの瞬間に目の前に樹が生えるわ、街の中は獣だらけになるわで大騒ぎだった。それだけでも信じ難いんだが――」


 そう語る兵士は北側の窓を指す。

 モリアはそちらに移動して外を確認した。

 間近に生える木々は、やはり樹海のそれである。


「河が無いんだ。消えちまってる」


 ――河が消えた?


 窓から身を乗り出し地面を覗き込む。

 樹木群は確かに地面から普通に生えているように見える。

 一瞬で樹が生えたとか、あるいは樹が歩いてここまで来ただとか……いずれも馬鹿げた想像ではあるが。

 それほどまでに馬鹿げた現象がもし本当に起こったとしても、こうはならないだろう。


 北門の外側にある河川港の設備が見えた。

 その先にあるはずの河が、確かに無い。

 樹木群と城壁との距離は百メートル程度だろうか。

 樹は大きいものだと高さ二十メートルはある。


「この城壁は、外の獣から襲われたりはしませんでしたか?」

「それは大丈夫だった。もし街に侵入したのが樹海の獣でも、そう簡単にこの壁は越えられないはずだろ?」


 初めて樹海に入ったとき、襲いかかってきた獣のことをモリアは思い出す。

 図鑑の情報よりもかなり大型だったが、あの獣の能力は確か――


「樹海には木々の間を滑空して人を襲う獣が居ます。風の状態によっては、向こうの樹からここまで飛べないとは言い切れません」

「おいおい……勘弁してくれよ」

「今は無風なので大丈夫かと。……その割に寒くないですか?」

「そうなんだよ。この気温はちょっとおかしい。おかしいことだらけだ」




 衛兵に礼を言って塔から西に出る。

 左右の様子を見ながら北の城門へ進む。


 城門の上には先客が居た。

 軽装なので衛兵ではないと思われた。

 自分以外にも、開拓者が様子を見に来たのかもしれない。


 松明の掲げられた城壁塔からは離れ、辺りも暗くなってきている。

 その人物がはっきり見え始めたのは、塔と城門の中間地点を越えた頃からだ。

 二十歳前後と思しき細身の男だった。

 髪の色は銀髪、腰にはロングソード。

 服装も見慣れたような一般的開拓者の装備。


 いや……自分はあの服をいる。

 モリアにとって、男は見覚えのある人物だった。




「……フィム?」




 じっとこちらを見ていた男の表情は、周囲が暗いために窺うことは出来ない。

 まるで気付いてもらえるのを待っていたかのように、声を掛けた瞬間に男は動く。

 回廊の壁を飛び越え、男は跳び降りた。


「フィム!」


 モリアは北側の壁に身を乗り出し、城門の外側を凝視する。

 外側には松明などの地上の光源が一切なく、北側は城壁の影ということもあり、ほとんど見ることが出来ない。

 しかし、樹海に向けて何かが高速で駆けていく様子をかろうじて視認する。


 ――追うべきか?


 地上三階の高さ、しかも地面は暗くて見えない。

 この状況で跳び降りるのは自分には難しい。

 壁を伝って降りていたらとても追い付けまい。


 モリアは己の力を過信することはない。

 夜の樹海が、自分ひとりで容易く切り抜けられるような場所ではないことをよく承知している。

 ましてや樹海のように見えるのは、今まで河だった場所なのだ。

 余りにも未知の領域すぎる。

 追跡することは、早々にあきらめた。


 自分が探している、行方不明になった孤児院の同居者たち。

 そのうちのひとりである、あの男――フィムの真意は全く分からない。


 何故、ひとりなのか。

 何故、樹海に去っていったのか。

 そもそもあれは、本当にフィムだったのか。

 悪い予感だけが膨れ上がる。


 分かっているのは、あの男はモリアに見つかるのをわざわざ待っていたということだ。

 そして、北の方角へと去っていった。


 ――樹海の奥に、来いというのか。


「おい、モリア!」


 気付けば城門の位置まで歩いていた。

 門の内側、街中の地上から声を掛けられたようである。


 見下ろすと、声の主はギルターだった。

 肩に巨大な戦斧バトルアックスを担いでいる。

 なるほど、あれが本来の得物らしい。

 開拓者は木樵きこりの技能が重視されるため、斧を戦闘に応用できる者は多い。

 それにしても、あんな馬鹿でかい斧で効率良く樹を切れるとは思えないが。

 刃が分厚すぎて、もはやただの鈍器である。


 レミーも近くに居て、倒れた獣に息がないか確認して周っているようだ。

 ちらりとこちらを確認すると、作業に戻っていた。

 こんな激戦区の戦闘が既に終息しているのも、あのふたりの影響が大きかったことは想像に難くない。


「門をあと一箇所確認したら、合流します!」


 西のほうを指差して返答すると、そちらに向かって進む。




 北西の城壁塔からは西門の無事が確認できた。

 見張りからの証言は、北東のものと大差は無い。

 北は酷かったが、西にはそれほど獣の姿は確認できなかったようだ。


「そういうわけで、獣たちは四方の門から侵入したわけではなさそうです。北の樹上に居る獣には注意してください」

「分かった。上にもそう伝えとく」


 見張りの衛兵と別れると、城壁塔の一階から街に戻る。

 まだ何処に獣が潜んでいるかも分からないが、大勢は決したようだ。

 開拓者組合に向かうべく、ひとり歩く。

 辺り一帯には血の匂いが立ち込め、何処からともなく人々のすすり泣きや呻き声が聞こえてくる。


 ――樹海開拓で栄えた街が、樹海に飲まれ壊れていく。


 そして、その苦難の道はまだ始まったばかりなのかもしれない。

 モリアはそう予感せずにはいられなかった。

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