第10話 金のりんご

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「ここの院長が【悪魔の作物】派じゃなくてよかったっすね」

「……そうだな」


 マクシムはじゃがいもの皮を剥きながらおざなりに返す。クルトは蕪の葉の端をそろえ、包丁で短く刻んでいく。二人の動きには迷いがない。


「……よく初めての場所で料理ができますね」


 孤児院の厨房の入り口で呆然としていたエレーヌは、マノンの声でようやく我に返った。クルトはからりと笑って「厨房はどこの国もだいたい一緒」と応える。

 エレーヌはマクシムに近付いて、そうっと尋ねた。


「あの、何かできることはありますか?」

「エレーヌは指を怪我したら大変だから、座って待ってて」

「出たよ過保護」

「お前も煮るぞ」


 エレーヌはむっとした。マクシムの今の言葉は、過保護ではなく、子ども扱いだ。


「わたしもお手伝いできます」


 と薄い胸を張って主張すると、マクシムは「ごめん」と言ってテーブルの上の籠を見た。


「それなら、豆の筋取りをお願いしようかな」

「すじとり」


 って何だろう。エレーヌは促されるまま木のテーブルに寄せた椅子に座った。マクシムはエレーヌの前で実際に豆の筋取りをやってみせた。


「ここをこうして、ゆっくり引っ張る」

「こう?」

「うん、上手だ。できるところまでで大丈夫だから」


 むむ。エレーヌは唇をとんがらせた。こんもり豆が積み上がった籠は全部で三つ。絶対に最後までやり遂げようと誓って作業に集中する。

 エレーヌが慣れた頃合いを見計らい、マクシムはじゃがいもの皮剥きに戻った。


「刃物も重いものも持たせず、割れたら怪我するものに近付けず。オレ、若を見る目が変わりそう」


 と、クルトが呟く。マクシムは手元に視線を下ろしたまま小声で答えた。


「妹がいたらこんな感じだろう」

「えええ、無自覚こわ」

「何をこそこそと話してらっしゃるんです?」


 二人の間に、無表情のマノンが現れる。彼女は大きな干し肉の塊を抱えていた。


「子どもたちには、こちらを追加してください」

「うわっ美味そう。どうしたの、コレ」

「あたしの実家からです」

「へー、実家何してんの?」

「ただの商家です。では、お嬢さまのお手伝いに向かいます」

「ありがとうマノンちゃん! オレの蕪と玉ねぎのスープ楽しみにしててね!」


 マノンの眉間にくっきりと皺が刻まれる。迫力のある表情に、クルトは全く怯まない。マクシムは黙って干し肉を削いで鍋に放り込んだ。

 マノンはエレーヌの向かいの椅子に腰掛けた。主君の真剣な様子に苦笑をこぼす。


「今日全部を食べるわけではないので、筋取りはほどほどでいいんですよ」


 と、マノンが言う。確かにそうだろうけれど。エレーヌは「もうちょっとだけ」と返す。豆の筋取りは地味な作業だけれど、これがなかなか面白いのである。


「あのね、十回のうち一回は綺麗に取れるようになったわ」

「お嬢さまはお料理向いてるかもしれないですね。あたしは好きになれそうもないです」


 マノンは中産階級ブルジョアの令嬢で、エレーヌと同じく包丁を持ったことがない。それでも、エレーヌよりずっと手際は良い。エレーヌは羨望の眼差しで乳姉妹を見つめた。


「マノンはちゃんとお手伝いができてるじゃない」

「そりゃあ、伊達にお嬢さまより五年長く生きてないですから。……お嬢さまは、」

「なあに?」


 マノンが言葉を切ってしまったので、エレーヌは手元から視線を上げた。マノンの視線はエレーヌをすり抜けてマクシムに向いている。


「マノン?」

「……お嬢さまもじゃがいもを食べるんですね」

「もちろんよ。イシュルバートの皇妃さまだって召し上がってるんだから、大丈夫」


 マクシムによると、イシュルバートの皇帝は北の御料地で育てたじゃがいもを、国民に配るだけではなく、皇妃と共に食べ方を伝授したという。

 皇帝夫妻による積極的な宣伝が功をそうし、じゃがいも栽培を行う農民が増え、飢饉で死ぬ民は減り続けているらしい。


「今では、イシュルバートの宮廷料理はじゃがいもが主食になってるんですって」

「それもまたすごい話ですねえ……」


 エレーヌがマノンと筋取りに奮闘してる間に、マクシムとクルトは料理を作り終えてしまった。

 昼食を報せる鐘が鳴る。

 子どもたちが食堂に入ると、大皿に盛られたふかし芋と、ほこほこと湯気を立てる野菜のスープがずらりと並んでいた。わっと歓声が上がる。


「わーっ、なんだこれ!」

「お肉入ってる! お豆も!」

「パンは一人に一つ。横取りしないこと!」


 修道女マスールたちは子ども達にパンを配りながら、目を光らせた。しかし、さすがの修道女マスールも、大皿を見ると目を泳がせてしまう。エレーヌは上座に腰を下ろし、その様子を眺めていた。

 食事の祈りが終わって、子ども達が一斉にパンにかじりつく。エレーヌはパンではなくて、蒸したじゃがいもを自分の皿に取った。

 正面に座った院長がギョッとしている。エレーヌはにっこり笑って隣のマクシムを見た。


「いただきます」

「エレーヌ、口に合わなかったら無理しなくていいから」


 エレーヌは聞こえないふりをして、フォークとナイフを使ってじゃがいもを切り分けた。じゃがいもにナイフを入れると、ほんわりと柔らかい湯気が鼻腔をくすぐる。


(えいっ)


 と、口に放り込む。咀嚼する。エレーヌはぱちぱちと瞬きをして、一言もらした。


「おいしい」


 思わず、ふたくち、みくちと口に運んでしまう。エレーヌ好みの素朴な味わいである。

 じゃがいもは、ごつごつとした見た目からは想像できない、ほっこりとした食感だった。


「ほろほろしてて、おいしいです」


 エレーヌは顔を輝かせてマクシムに伝えた。マクシムは驚いたままかたまっている。

 上座の異変に、真っ先に反応したのは子ども達だ。


「おじょーさま、おいしいって」

「もぐもぐしてた」

「うん。ほろほろするって」

「おいらたべる!」

「あたしも!」


 そう言って、一人、また一人とじゃがいもに手を伸ばす。そして、大口をあけてぱくんと齧り付く。エレーヌは祈るような気持ちで子ども達の様子を伺った。


「うんめーっ!」

「ほんとだ、ほこほこほろほろしてる!」

「ねえ、お兄ちゃん、これなんていうの?」


 マクシムの目の前に座った女の子が、小首を傾げて尋ねる。マクシムは一瞬息を呑んでから、優しく教えた。


「じゃがいもっていう野菜だよ」

「ふーん。あたし、じゃがいもすき!」

「おいらも」

「あーん、マスール! ジルがあたちのじゃがいもとったの!」

「こらあんたたち! いっぱいあるんだから、ちゃんと落ち着いて食べなさい!」


 と叱りつける修道女の目は潤んでいた。その横顔を見て、エレーヌは胸が熱くなった。

 孤児院の子どもたちは、いつだって空腹を抱えている。特に最近は、パンを食べられる日は月に一度あるかないかだ。それは、王都も地方も同じである。


(それに、食べ応えもあるわ。これなら、パンがない間、主食にもできるはず)


 うまくいけば、小麦の輸入にかかる出費を抑えられるかもしれない。宮殿に帰ったら、兄に伝えてみよう。


「エレーヌ」


 呼び声に顔を上げると、マクシムがエレーヌを真摯に見つめていた。


「……ありがとう」

「わたしは、何も」

「君のおかげで、俺は自分を嫌いにならずに済む」


 と言うマクシムの深緑の瞳は、決意の光を帯びていた。

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