Shade Of Phantom

 机に伏していた澪が目を覚ましたのは、6時半過ぎのことだった。アラームが鳴るよりも30分近く早い。

 昨日、流雫との通話を終えた直後、澪は泣き疲れたのかそのまま寝落ちしたらしい。結奈と彩花の部屋を出るための理由だったシャワーも浴びず、せめてものディナー用にと彩花が詰めて寄越したパックも、彼女の部屋に置き去りにしたままだった。

 ……スマートフォンのニュースを見ると、完全鎮圧は夜中3時だったらしい。0時過ぎにも大きな火の手が上がったりと、再び激化の様相を呈し始めたが、しかしその音に屈さず、そして夢も見ていなかったから、疲労度は限界を超えていたのだと判る。

 窓から見える九州ドーム前は、今は燃やされた車や看板の撤去が行われている。

 バスタブに湯を張る時間は無く、澪は熱めのシャワーで済ませた。15分ぶりにセーラー服に袖を通すと、部屋のドアをノックする音が響く。

 結奈と彩花が、モーニングビュッフェに行こうと誘ってきた。ただ、折角彩花が澪のためにと詰めた昨日のパックが、手付かずで残っている。ビュッフェを断った澪は代わりにパックを受け取り、固くなったパンとポテトサラダ、冷え切ったクラムチャウダーで簡単に済ませた。

 固形物を口にしたのは24時間ぶりだが、それだけで十分だった。最後にアメニティのホットコーヒーを淹れたが、福岡に着いて19時間、初めてリラックスを感じた瞬間だった。

 夢も見ず9時間寝ていたことで、脳の疲れは感じない。頭はクリアだ。


 ……結奈と彩花は澪が戻った後、音楽を消して、漏れてくる澪の声に耳を傾けた。……泣きながら話す声が聞こえると、2人は再び音楽を流しながら、先刻の惨劇を忘れようと必死に、ベッドの上で抱き合っていた。好きな人と2人でいることが、どれほど心強いのか、そして澪が今、どれだけ寂しい思いを抱えているのか、思い知らされた気がした。

 あれだけ取り乱した澪は初めてで、正直2人も戸惑っていた。ただ、やはりそれは銃を握った、引き金を引いた者にしか判らないことで、自分たちには何も言えない、何もできない。

 それだけに、澪には山梨に住むシルバーヘアの少年が誰より必要なのだと思い、泣きじゃくる澪を少年……宇奈月流雫に任せた。


 修学旅行は貸切バスの乗り場が変わったこと、昨日の暴動で負傷して近くの病院に入院している担任の天狗平の代わりに、学年主任がクラスの引率を務めること、そして澪が最終日まで離脱することを除いて、本来の予定に戻った。

 あの後、天狗平は救急隊員に保護され、被弾しているために優先的に近くの災害拠点病院に搬送された。銃弾の摘出手術が無事終了し、入院は必要だが容体は比較的安定している、と伝えられ、3人は安心した。

 部屋のカードキーを学年主任に返却すると、黒いスーツの男がホテルに入ってきた。男の名は室堂常願。娘の迎えのためだ。

「目、真っ赤だな。眠れなかったのか」

と、真っ先に近寄ってきた娘に言う父に

「外が五月蝿くて」

と誤魔化した澪。……昨夜散々泣き腫らし、そのまま寝落ちし、シャワー前に慌てて目薬を差してみたが、今でも充血は収まっていなかった。

 結奈と彩花が父に挨拶すると、4人で少しだけ話をし、その後は学年主任と話をして、澪を外に待たせていた警察車両に乗せた。その直前

「これで修学旅行も平和になる」

と誰かが言ったのが聞こえ、結奈は反射的にその方向を睨む。彩花はその様子を見るなり

「あんなのより、澪の方が断然立派だから」

と結奈に向かって、しかしわざと周囲に聞こえるように宥めた。

 それは事実だったし、今から金曜日に福岡の空港で澪と再会するまでの3日半、2人は彼女の代わりに修学旅行を楽しむと云う任務を室堂父娘から与えられたのだ。そう云う連中に反応する暇は無い。

 しかし、澪は或る意味怒らせると一番厄介なのは彩花だと思った。尤も、あのカップルは揃って刑事の娘だと思っているが。


 昨日と同じテロ対策本部に着いたのは、9時過ぎだった。無機質で殺風景な取調室も、昨日と同じ部屋だった。

 デニムジャケットを背もたれに掛けた澪がパイプ椅子に座ると、父は早速、分厚い手帳を開く。

「さて、と。父親相手なら話しやすいだろう?」

と言った父に、娘はすかさず

「理想は、流雫がいることだけどね」

と言ってみせた。何時もの口調で、あくまでも元気も落ち着きを取り戻しているように見せることはできた。父は苦笑を浮かべながら、本題に入った。

 「……早速だが、昨夜撃ったと言ったな」

そのことは昨夜見た調書に書かれてあったが、本人からも聞きたかった。

「銃口が、結奈とあたしに向いてきたから……」

「修学旅行にまで銃を持ち込んだのか……」

父は淡々と答えた澪に、呆れ顔で言った。しかし、

「持っていないと不安で……」

と答える娘の気も、判らなくも無い。

 「……昨日、特別なものを見たりは?」

と問うた父に、澪は

「これと云って特には。結奈と彩花を気にすることで精一杯だったし」

と答える。ただ、初めて生で暴動を見たことで、それから早く逃げなければと云う気に駆られていた方が大きかった。

 そして澪は、今何よりも思うことを口にした。

「……空港で見たのも暴動も、全てトーキョーゲートの続きだと思ってる……」

「そのワードは……。まあ2人だからいいけどな」

そう言って、ベテラン刑事は溜め息をついた。澪に洩らしたのは酒に酔った自分で、一昨日の酒はもう少し控えるべきだったと思いながら、澪に問う。

「……どう云う意味だ?」

「……あたしが撃った政治家……地元は佐賀だったんでしょ?だから福岡でテロを起こして、デモを起こさせて……」

澪の言葉に、父は眉間に皺を寄せる。

 流雫との会話でもそうだったが、澪は流雫と自分を撃ち殺そうとした男、伊万里雅治の名前を口にしたがらない。それだけ、流雫と自分を殺されそうになったこと、そして美桜をトーキョーアタックで殺されたことを憎み続けていた。

 「おいおい、伊万里は死んでるんだぞ?まさか、残党の仕業なんて思ってるんじゃないだろうな」

「思ってるわ」

父の問いに即答した澪に、ベテラン刑事は

「……またマッチポンプ説か?」

と問うた。少し試す気で、小バカにしたような言い方をしてみたが、しかし澪は淡々と答える。

「抗議デモまでは。……カウンターデモは予想外で、だからあの暴動も予想外だったとは思うけど……」

そこまで言った娘に、父は睨みを利かせた。

 「……お前、まさか流雫くんにも話してないだろうな?」

「……残党説は寧ろ、流雫が言ってたことよ?」

澪のまさかの答えに

「何?」

と反応した父の睨みは厳しくなる。……昔は少し怖かったが、今は怖れない。それは澪が成長したと云うより、それ以上に怖い事を経験し過ぎたからか。

 「昨日の昼過ぎ、事情聴取が終わってホテルの時間まで1人だったから、流雫と話してたの。そこで言ってたわ?」

澪が言うと、父はパイプ椅子の背もたれに体を預けた。腕を組み、溜め息をつく。そして、事件と同時に前々から思っていたことを口にする。

 「……しかし、何故こうも流雫くんは、首を突っ込みたがるのか……」

澪にも、それは少しばかり謎だった。だが、何となくなら判ると思っていた。

 「……判らないわ。でも、未だトーキョーゲートが解明されていないからだと思ってる。流雫にとっては、トーキョーゲートが終わるまでは、トーキョーアタックすら終わらないんだと思う……」

澪は言った。昨日流雫が

「……未だ終わらないのかよ……」

と言ったことを思い出したからだ。

 問えば、流雫は隠すことなく答えるとは思うが、多分少なからず当たっている。

 「正直、あたしもそう思うわ。……昨日も思ってたけど、あたしが遭遇しただけでも、今までと似ていた気がしたもの」

「似ていた?何が?」

父の問いに、澪は答えた。

「背景と云うか構図と云うか。まるで、あの8月の続きを見せられているかのような。だから流雫の話も、すごく腑に落ちるの。マッチポンプ説も残党説も」

娘の答えに、父は

「……誰に似たんだか」

と言って溜め息をつく。

「誰の娘だと思ってるの?」

澪はそう返しながら、少し口角を上げる。その減らず口と仕草に、娘は思ったより病んでいないと父は安心した。そして、その表情は澪に安堵の溜め息をつかせた。


 昨夜、泣き疲れた澪が机に伏して寝ている頃に、常願は福岡に着いた。自爆の被害を受けたエリアは封鎖されていて、北側の到着口から地下鉄に乗るのは、一度外に出る必要が有った。常願は既に空港に乗り付けていた警察車両で、天神と云う市の中心部に位置する、テロ対策本部が設置された警察署へ到着した。22時頃の話だ。それからすぐ、澪の調書2件と空港の自爆テロの情報に目を通した。

 急遽確保した本部近くのビジネスホテルにチェックインしたのは、1時を回っていた。それで8時半には娘の迎えに行っているから、タフだ。

 1日に2度も起きた事件が気になるが、同時に澪のことが気懸かりだった。8月の空港で遭遇した……そしてあの政治家を撃った……テロの記憶も未だ新しい。……澪が病んでいないか。

 ただ、それは杞憂に終わったらしい。娘は決して強いとは思っていないが、山梨に住む恋人が支えになっているのも大きい。

 そう思った常願のスマートフォンが鳴る。弥陀ヶ原からだ。

「今河月に入りました。今から流雫くんと話をしてきます」

後輩の一報に先輩刑事は

「そうか、頼んだ」

とだけ言って、通話を終えると澪に言う。

 「弥陀ヶ原を河月に向かわせた。流雫くんのことでな」

「流雫を……?」

怪訝な目をした娘に、父は言った。

「3日前の秋葉原のことでな。俺は福岡の担当だ」

その言葉に澪は

「……福岡だけ?」

と問う。

 ……福岡の空港の自爆テロのためだけに、警視庁の刑事がわざわざ福岡へ出向くとは思わない。そして自分への取調は、土壇場で急に増えた仕事でしかない。

 「何が言いたい?」

「……隣の県はアレの地元よ?行かなくていいの?」

と澪は問い返す。元政治家をついにアレ呼ばわりだ。

 「……誰に似たのか」

と前置きして、常願は言った。その鋭さに観念するしかない。

 「元々、明日から佐賀に行くから、今夜福岡入りする予定だったんだ。それが空港テロと暴動で前倒しになった。今日は昨日の2件を調べる予定だったが、まさかその両方でお前が当事者になるとはな……」

父の愚痴混じりの言葉に

「仕方ないじゃない。先に銃口を向ける方が悪いんだから」

と何食わぬ顔で言う澪は、しかしふと遠い目をして呟いた。

 「……早くトーキョーゲートが終われば……流雫も何も気にしなくてよくなる……」

「急かしたって、急に解明するワケじゃない。ただ、少しでも早く解明できるよう、俺や弥陀ヶ原も全力で取り掛かっている。迷宮入りなどさせるか。まあ見てろ」

頼もしい父の言葉に、澪は頷いた。


 昨夜寝付きが悪かった流雫は、1時間目の授業から寝ないように睡魔と戦っていた。地味にしんどい戦いだが、勝てなくても死ぬワケではないから平和過ぎる。

 ……寝付きが悪いのは当然だった。あの後互いに

「おやすみ」

と言い合った後、流雫は手付かずだった宿題を始めた。量は多くなく、1時間もせず終わった。しかし、その後にボールペンから細書きサインペンに持ち替え、ルーズリーフをバインダーから外したのが原因だった。

 秋葉原のハロウィンを狙った襲撃事件、福岡の空港で起きた自爆テロ事件、そしてその抗議デモから発生した暴動……。次々と浮かぶ気になることを書き連ねていく。結局、その整理が終わったのは1時前だった。

 1時間目が終わり、トイレに行こうとした流雫の目に、ダークグレーのスーツを着た男が教頭に続いて歩いてくるのが見える。

「やあ、流雫くん」

と声を掛けてきた男に、少年は見覚えが有った。……いや、有ったどころの話じゃない。

「土曜日ぶりかな?」

と言った刑事に

「弥陀ヶ原さん?……どうして此処に?」

と流雫が問う。警視庁の刑事が、平日……しかも放課後ではなくこの時間に。何となくの理由は察しが付いていたが。

 「君を連れ去りに来た。……土曜と昨日のことでね」

「……弥陀ヶ原さんも大変だな……」

と、刑事の言葉に返した流雫は、しかし例のルーズリーフを持ってきていないことに少し分が悪く感じた。持ってきていれば、今日の突発的な取調ももっとスムーズに進むだろうに。

 ただ、それはあまりにも突然来た刑事が悪いのであって、自分に罪は無い。

「君の早退手続きは済ませてある。河月署までいいかな」

弥陀ヶ原は言う。流雫は頷いたが、そもそも拒否権など無かった。


 河月署では、流雫は取調室ではなく応接室に通された。秋葉原の時のような偶然を除いて、最初から弥陀ヶ原1人と話すのは初めてだった。

 その刑事は誰かと通話中らしく、流雫はソファに座って待っていた。2分後に、コーヒーが注がれた紙コップを2個持って部屋に入ってきた弥陀ヶ原に、流雫は問う。

「室堂さんは……」

「娘さんに事情聴取だからと、福岡に行ったよ」

「澪に?」

流雫は問う。

「福岡の暴動を受けてね、昨夜のうちに。今頃、あっちの署で娘さんと話しているハズだ。俺もだが、一連のテロ事件の専従は辛いよ」

と弥陀ヶ原は言う。尤もTG……もといトーキョーゲートはあまりにも複雑な事件だ、背後関係から何から洗い出しが必要で、地元東京を離れて山梨や福岡に行ったり。その苦労には同情する。

 同時に流雫は、澪も大概ツイていないと思った。折角の修学旅行が台無しじゃないか。自分のことは、どうでもよいが。

 「まあ、俺1人なのは君にとって珍しいから、そう思うのも無理は無いか」

そう言った弥陀ヶ原は、早速問うた。

「……先ずは秋葉原のこと、改めて何が有ったか聞かせてほしい。何しろ被疑者は4人中3人が死んでいて、君が捕らえた1人も黙秘を貫いていやがる」


 流雫は土曜日のことを思い出しながら、淡々と答えて行く。その最後に

「……正直、僕たちや事件そのものをゲーム感覚で見ていたことが……」

と言った。それが今でも引っ掛かる。

「……ゲームやアニメが大好きなオタクが群がる街だからな、或る意味当然だ……、……とは、俺は思わない。それならVRMMOだのFPSだのやっていればいいんだ。連中はその辺りはしっかりしている。ただ、今の時代はもっと厄介だ」

「現場や死体の写真を、奴らは平気で撮り、投稿したがる。何故だと思う?」

と最後に問うてきた弥陀ヶ原の目を見ながら、流雫は3月のことを思い出した。

 ……アフロディーテキャッスルから東京テレポート駅まで逃げ切った流雫と澪を、スマートフォンで撮っている連中がいて、それに警察官が怒鳴っていた。尤も、2人はそれどころではなかったが。

「怖い物見たさ……そう言っていいのか……」

数十秒経って流雫が出した答えに

「半分正解だ」

と弥陀ヶ原は言った。

 「事件や事故の映像に食い入るように見ることができるのは、画面越しに、あくまで他人事として見ることができるからだ。あんなの、連続で生で見てみろ?メンタルを壊すぞ?」

「君が言った、怖い物見たさ……つまり一種の好奇心から生まれるもの、それがヤジ馬だ。しかし、流石に生では目を向けられない。そこで、スマートフォンを緩衝材にするんだ。その場に居合わせたと云う特別感をキープしたまま、恐怖だけを除去するフィルター……と云った方が適切かもしれないな」

と言って、紙コップに入ったコーヒーを啜った弥陀ヶ原は続ける。

 「そして、投稿することで見ず知らずの他人と自分が見た非日常を共有し、残る恐怖心を完全に消し去りたい。勿論、ほぼリアルタイムの速報としては役立つが、そう云う負の側面も大きい。だからヤジ馬が厄介なんだ」

その言葉に、流雫は昨日の福岡の暴動を思い出した。

 澪のサポートは、SNSの投稿無しでは成り立たなかった。投稿を吟味する時間は無く、瞬時に情報を取捨選択する必要こそ有ったが、大いに役立った。……その上で……。

 「市民ジャーナリスト気取り……それも有ったりして」

流雫の一言に、弥陀ヶ原は目を丸くし、無意識に口角を上げた。

「……鋭い」

その声に、流雫は年齢相応の無邪気な微笑を見せた。

 弥陀ヶ原は何度も、テロに遭遇しては戦ってきた彼を見てきたが、常に色濃い影が付き纏い、沈んだような、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていただけに、微笑とは珍しい。

 「残念ながら、それも有る」

と言った弥陀ヶ原は続けた。

「困った奴らだ……、流雫くんもな。秋葉原でこそ撃たなかったからよかったようなものの、空港の件は流石に驚いたぞ。事情が事情とは云え、警察内でもちょっとして話題だからな」

 ……やはり、空港で元政治家を撃ったことはインパクトが大きかったようだ。しかも、目的が暗殺ではなく正当防衛だったことが、それに拍車を掛けていた。

「あれは……僕の意地とプライドだったから……」

そう言い返す流雫は、立ち上がる弥陀ヶ原には目を合わせず、少しだけ遠い目をして続けた。

「でも、澪に撃たせたのは……僕の過ちだった……。理想論だし、独り善がりなのも判ってるけど、澪には……人を撃つなんてしてほしくなかった……」

 東京の空港では無意識だったが、流雫が犯人の腹部を狙ったのは、最初に引き金を引いた時以来のことだった。何時ものように下半身を狙っていれば、澪の手を汚さなくて済んだのに。

 「できるなら、知らないまま生きていてほしかった……」

そう言った流雫の肩を、弥陀ヶ原は後ろから叩いた。

「誰より、彼女を気に懸けてるんだな」

その刑事の言葉に流雫は

「……僕には、澪しかいないから……」

と言い、しかし弥陀ヶ原に顔を向けて

「でも、僕みたいな困り者も、時には刺激的でしょ?」

と笑った。弥陀ヶ原は大きな溜め息をつき、言った。

「全く……とんでもないコンビだよ……」

 「褒めてるんですか?」

と返す流雫に

「褒めてないぞ」

と笑いながら返した弥陀ヶ原は、しかし流雫が少しだけ無理して笑っていたことに気付いていない。いや、気付かない方が好都合だった。


 「ルナの方はどう?」

澪からのメッセージが届いたのは、秋葉原での件が終わった頃だった。時間は11時半を回っている。小休憩で、流雫は出された2杯目のコーヒーを啜った。

「どうって……淡々と進んでる」

と流雫は打つ。

 途中脱線したものの、銃を撃たなかったことで割と早く進んでいた。撃っていれば、仮にそれが警察の目の前で、だったとしても厄介だった。尤も、2人はそれがどんな感じなのか身を以て知っているが。

「これから、昨日のこと。福岡でのことについて」

と流雫が打つと、澪は

「ルナって、昨日のことは無関係じゃ……」

と問うた。

「ミオと話したから、らしいよ?特に暴動の件については」

と流雫が返してくると、澪は

「……父からの指示ね……」

と打ち返しながら溜め息をつく。そして今度は流雫が問うた。

 「ミオの方は?」

「……昨日ルナが言ってたこと、話した。……あたしも同じだから」

と澪は返してきた。

 放課後、流雫は博多駅にいる澪と通話し、そして海浜タワーからホテルに辿り着くまでの間は数十分間通話状態のままだった。その時に話したこと……残党説か。外れていてほしいが、それは絶望的だった。

 少しだけ間を置いて、澪からのメッセージが届く。

「あと、どうしてルナが、ここまでTGに首を突っ込むのかって……」

「……どうしてって、そんなの……」

と打った流雫は、しかし答えに詰まる。端折って言えば美桜のため、だが正しく言えば……。

 「……TGが終わるまでは、トーキョーアタックは終わらない、から……?」

澪の答えに、流雫の手が止まる。図星だった。

「……流石はミオ」

とだけ返した流雫は、しかしふと思って続けた。

「でも、どうしてそう思ったの?」

 トーキョーゲートが解明されれば、大元の事件トーキョーアタックが解明され、終結する……と流雫は思っていた。

 それでも、2月に連続して発生した、河月の教会爆破テロと、その直後のホールセールストア襲撃テロは、流雫の頭ではトーキョーゲートとの関連性は弾き出されなかった。その2つは、もしかすると全くの別物なのかもしれない。

 ただ、それよりはトーキョーゲート、そしてトーキョーアタックだった。

 「昨日、あたしと話してた時、ルナ……未だ終わらないのかよって言ってたから……」

そう澪から送られてきたメッセージを見た流雫は、澪が博多駅の屋上にいた時のことだと思った。

「……それが終わらないと、美桜も浮かばれないと思うから……」

と打ちながら、昨日の言葉が無意識だったことに気付く。

 ……あの8月から1年2ヶ月、今まで遭遇したテロが亡霊のように纏わり付き、しかも昨日起きた事件が更に足に絡み付いてくるように思える。解明が、終結が、遠退くように感じて、それが流雫を苛立たせていた。

 弥陀ヶ原が入ってくる。流雫は

「また後で送るよ」

と打ち、スマートフォンを鞄に入れた。

「彼女相手かい?」

と問われた流雫は答える。

「僕の方はどんな感じか、と送られてきて……」

「犯人じゃないからな、緩いと云えば緩い」

と言いながら新しいコーヒーを啜った弥陀ヶ原はソファに座り、

「さて、続けようか。……今度は福岡の話だけど」

と言った。

 

 河月署での流雫への取調は、遅いランチを挟み午後も続いた。取り調べと云えば仰々しく聞こえるが、彼は犯人ではなく目撃者や参考人と云う立場で、実際周囲がイメージするほどのものでもない。そもそも、取調に応接室を使うこと自体、どうかと思ったりもするが、それだけ緩い。

 弥陀ヶ原が戻るまで少しだけ寝ていた流雫は、頭がクリアになっていた。そして、或る疑問も浮かんだ。

 ……福岡での暴動は、ただSNSとニュースをザッピングして、時々澪と話をしていただけだと話した。少し端折っているが、間違っていない。

「……しかし、彼女がホテルに戻ろうとする間、一部始終話していたんだろう?その間、何か感じたことは?」

弥陀ヶ原の問いに、流雫は答えた。

「……日本でこんな暴動になるとは思わなかったし、本来の用途と違った銃の使い方だし……。秋葉原でもそうだったけど、何か……新しい脅威と云うか……」

 「君はこの事態をどう見てる?」

弥陀ヶ原の更なる問いに

「どうって、僕は専門家じゃないし……」

と答えた流雫の目を見て、刑事は言った。

「ただ、君はあまりに鋭いところを突く。スナイパーみたいなものだ。それに、如何せん東京と河月で起きた一連のテロのほぼ全てに、当事者として関わってる。知識と経験は豊富だ」

「……褒めてるんですか?」

そう言った流雫の目は、笑っていなかった。

「半分は。……その上で、君はどう見てる?」

その言葉に、流雫は溜め息をつき、言った。

 「未だ、一連のテロは終わってない……。それに残党がいるなら……」

「残党?」

弥陀ヶ原は急に眉間に皺を寄せる。流雫は頷く。

「何処かに残っている難民を……言わば駒を匿って、何処かのタイミングで仕掛け……例えば昨日の自爆もそうだったりとか……」

弥陀ヶ原は無意識に、彼の声を遮る。

「……ちょっと待て。あれもOFA絡みの名残だと云うのか?」

 「……偉大なる日本のため、日本人の日本人による日本人の国家のため。そう言ってた奴の支持者が、わざわざ日本人を使い捨ての駒のように使うとは思えなくて。身元が特定されるのも不都合だろうし……」

流雫は言った。

「確かに、それなら身元不詳、正体不明の連中を使う方が効果的か……」

と腕を組みながら言った弥陀ヶ原に流雫は頷き、続けた。

 「不法入国の難民を匿っているのも、最大の目的はそのため。だから、逆に先週の秋葉原の犯人は、全員日本人だと思う……。僕が対峙したのもそれっぽかったけど、多分撃たれた他の3人も……」

「あの燃料だって、自爆攻撃に出るワケではなく単に牽制目的。ただ、あの反撃までは想定していなかったとは思うけど……」

と言って流雫は溜め息をついた。一瞬で険しくなった弥陀ヶ原の目線が、シルバーヘアの少年を捉えた。


 犯人の国籍は報道されていないが、全て日本人だった。燃料はガソリンだったが、直前に現場近くの家電量販店で売られていたオイル式ライター用のオイルを3本、現金で購入している4人組の男がいたことが判明している。

 取引履歴から購入者が特定されやすいキャッシュレスを避け、現金購入でポイントカードも出さない。それは特定を避けるための基本的な行動パターンだが、そもそもあれだけのことをして逃げ切れるとは思っていなかっただろうし、犯行直前にまとめ買いをしている時点で、少なからず突発的な部分が有ったことが判る。

 後は、トイレに入って予め空にしたボトル缶にオイルを移し替える。それなら、何処かの原付バイクなどからガソリンを盗んだりすること無く、合法的に燃料を調達できるし、怪しまれることなく燃料を持ち運べる。

 補充可能なオイル式ライターのオイル、その成分はキャンプ用具に使われるホワイトガソリン。だから燃焼力も高い。もし、あの時澪が浴びていれば……そう思うと背筋が凍る。

 ……燃料を撒いても火を点けても、どっちにしろ捕まることが判っていて、それでも思うことが有ったのかは知らないが、一暴れしようとした結果は自業自得でしかない。しかし……あのデスゲームに似た公開処刑は、流石にやり過ぎだと思う。それは、今も変わっていない。


 ……流雫の言い方には、大きなクセが有る。弥陀ヶ原も彼とは何度か話して判っているが、彼はこう云う時決まって、断言するような言い方をしない。語尾と云い、匂わせるような言い方ばかりだ。

 それは自信が無い、と云うよりは、あくまで自分の推測……それどころか妄想でしかないことを自覚してのことだろうが、その精度が高いから怖ろしい。

 「……警視庁に来ないか?いい刑事になる」

と気分転換代わりに戯けた弥陀ヶ原に、流雫は

「澪を護れるなら。弥陀ヶ原さんの後輩はイヤだけど」

と微笑みながら返した。振られた形の弥陀ヶ原は

「ったく……人をバカにしやがって」

と恨み節を吐くが、目は笑っていた。


 午後、早めのランチを済ませた室堂父娘は、しかし取調室の一角で互いに頭を抱えていた。

 澪は最終日まで福岡にいることになる。既に学校経由で別のビジネスホテルが確保されていた。そして、常願の佐賀入りも明日。つまり今日は時間が有ると云うことだ。

 そこで、過去に流雫も交えて話した時の情報から、改めて今回の事件の接点を探ろうとしていたが、泥沼に嵌まる感覚しか無かった。

 「……お前も不憫だ」

父の一言に、澪は声を上げた。

「え?」

「デートだの修学旅行だの、楽しいことが悉く潰されていく。それも全て犯罪のとばっちりでだ。呪われてるんじゃないか?」

と言った父に澪は

「……一度、お祓いした方がいいのかな」

と言って笑った。

 「笑い事じゃない」

「……逃れられないんだと思う。あたしも流雫も。だから、笑うしかないじゃない」

そう言って父の諭しを流した娘は、ふと遠い目をする。その様子に常願は、この数ヶ月燻っていた疑問を娘にぶつけた。

 「……お前、俺の子であることを恨んでないか?」

まさかの疑問に、一人娘は

「どうして?」

と問い返す。

 「最近、父と娘の関係ながらテロの話しかしていない。お前が遭遇しているから避けられないが、しかし普段の生活も含めて、何もかも美雪に任せっきりだ」

そう言った父の、何処か後ろめたさを漂わせる表情を見つめながら、澪は返した。

「恨んでいないわ。寧ろ幸せよ。今は特に忙しいのは知ってるし、仕事柄そう云う話に偏るのも判ってる。それに、あたしは不自由無く暮らせてる。それがどれだけ恵まれてるのか、判ってると思いたい」

 ……自分の恋人は、フランスの親元を離れて日本で暮らしていて、ビデオ通話ができると云っても実際に会えるのは年に1回。ペンションを営む居候先の親戚との関係はよい、とは云っても、やはり本物の家族ではない。手伝いに必死なのも、夢で逢ったかつての恋人曰く、元は寂しさを紛らわせようとしていたから。

 ……彼に失礼なのを承知で言えば、そう云う意味で恵まれない境遇の流雫を、恋人の立場から見てきた。だからこそごく普通と言われる家庭が有る自分は、それだけで恵まれていると思った。

「それならいいが……」

とだけ言った父に、澪は言った。

「あたしは父のこと、誇りに思ってるわ」

とだけ言って微笑んだ。

 時々、両親譲りの正義感が徒になることが有る。ただ、それは自分自身の問題であって、一度も父や母を恨んだことは無い。昨日だって、そうだった。

 娘が微かな曇りも無く微笑を浮かべたのを、久々に見た気がした父は

「偶には2人で晩飯に出るか、折角だしな。お前も九州に修学旅行に来て、何もしないまま帰るのも、癪に障るだろう」

と言った。昨日、海浜タワーに行っただけしか修学旅行での楽しみが無かった澪にとって、渡りに船だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る