4-1 Feeling Of Alienation

 1ヶ月前、渋谷の夜に微かに感じたハズの秋の気配は幻だったのか。そう疑いたいのは、急に肌寒くなった一方で、未だ紅葉に出会っていないからだろうか。

 一部SNSでは、地球が氷河期に入り始めただの何だのと騒がれているが、確かなのは季節の移ろいと云う日本の味が、薄れてきていると云うことだけだ。

 薄曇りの空模様に見舞われた、10月最後の土曜日。揺れる特急列車の座席に背中を押し付け、駅のコンビニで売られていた紙コップのホットコーヒーを飲む少年は、羽織っている薄手の白いUVカットパーカーを少し頼り無く感じた。下のネイビーのシャツは流石に長袖だったが、厚手のパーカーをそろそろ出すべきなのか。と云っても、フロントオープンにはこだわりたい……何となくだが。

 シルバーの外ハネショートヘアに、オッドアイと呼ばれる左右で異なる瞳の色はアンバーとライトブルー。この日本人離れした見た目は、よくも悪くも目立つ。それが原因で、とある人物に目を付けられたりもした。……それは意外なる形とは云え、一応の収束を見た。しかし、あまりにも意外過ぎるし、何より後味は最悪だった。

 ふと、少年のスマートフォンが短い通知音を鳴らす。メッセンジャーアプリからのもので、SNS経由で開いたニュース記事に重なるように表示されたメッセージには

「ルナ、何時ぐらいに着く?」

と書かれていた。ルナと呼ばれた少年……宇奈月流雫は

「11時前かな。あと50分ぐらい?」

と返した。

 山梨県東部の中都市、河月を発った特急列車のLEDの行き先表示は、東京。そして指定席特急券に印字された行き先は、新宿だった。


 東京中央国際空港と渋谷で、東京同時多発テロ事件、通称トーキョーアタックが発生したのは1年前、2023年8月のこと。それから1年の追悼式典でもテロが発生し、更に1ヶ月後には、全ての黒幕と思われていた男がメディアの目の前で殺害された。しかも部下の男に。

 ……それから1ヶ月。トーキョーアタックの真相については、真相を握るキーパーソンが殺害されたことで、予想以上に難航しているが、少しずつ解明されている。全てが明らかになるのも、時間の問題だろう。

 「ミオはまたホームに?」

流雫は先刻のメッセージに続けて問う。

「当然。少しでも長くいられるじゃない」

ミオ……室堂澪からのストレートな返事に、流雫は思わず微笑んだ。

 澪とのデートは、流雫が東京に出ることが多かった。澪も彼女の生活圏である特別区とは大凡正反対の河月には行きたいと思うが、何より彼が東京に出るのを好んでいた。

 流雫が居候するペンション、ユノディエールの手伝いはバイト代として還元され、それがデートの軍資金になっている。高速バスの方が数百円ほど安いのだが、世界一時間に正確と言われる鉄道の方が早く着き、少しでも長くいられる。


 スマートフォンで読んでいたニュースは、昨夜の警視庁の会見を纏めたものだった。

 ……警視庁が山梨県警との合同捜査を進めた結果、トーキョーアタックと今年に入って東京都内と河月市で発生した一連のテロ事件において、難民支援を手掛ける東京のNPO法人、ニッポンサポートワンフォーオール……略称OFAの全面的な関与が判明した。また、一連の黒幕と思われていた政治家の関与疑惑も、最終的にクロと断定した。

 主に東南アジアからの難民を貨物船に乗せ、公海上で合流した日本の貨物船に偽装した船に乗り換えさせる形で密入国させ、予め用意した宿舎に住まわせる。そしてテロ要員として「教育」し、日本でテロを起こさせる。

 その目的は本人たちは知らないが、3年ほど前から急激に増え始めた難民と、在日外国人の排斥が必要だと云う根拠で、そのためのマッチポンプのマッチとして……、簡単に言えば使い捨ての駒として扱われた。

 捜査は今後も続けられ、世界でも2番目に大きなテロと、それに関連する事件の全容解明に全力を尽くす、として会見は締め括られた。


 流雫は溜め息をついて、スマートフォンの画面を消す。

 ……言いたいことは山ほど有る。ただ、これでテロが起きなくなり、平和な日常が戻る……とは思わない。テロに関して、よく判らないことがあまりにも多過ぎる。

 ……黒幕の政治家、伊万里雅治と台風の空港で対峙したあの日、流雫はスマートフォンのボイスレコーダーアプリで、あの展望デッキで繰り広げられた会話の一部始終を録音していた。当然そのデータも、事情聴取を担当した顔見知りの刑事に引き渡した。だが、それが捜査の進展に寄与した……とは思っていない。

 ただ、経緯はどうあれ、かつての恋人を殺したトーキョーアタックの真相が明らかになる、そのための小さな風穴を開けることができただけでよかった。

 正直、伊万里のことなどどうでもよく、ただ何故彼女が死ななければならなかったのか、トーキョーアタックで殺さなければならなかったのか、その真相が知りたいだけだった。

 ……座席に深く身体を預けた流雫は、ふと昨日のことを思い出した。


 木曜日から2日間の日程で始まった中間試験、その最後の科目が終わった。その流れで始まったホームルームが2分で終わると、河月創成高校は週末に入った。

 どの部にも属さない流雫は筆記具をペンケースに入れ、鞄に入れてあったスマートフォンを取り出す。それと同時に端末が震え、ポップアップ通知でニュース速報が入ってきた。

「トーキョーアタック会見、夕方警視庁にて」

その見出しに、流雫は

「ついに……」

と呟いた。

 ……東京同時多発テロ事件、通称トーキョーアタックについての警視庁の会見が開かれる。何らかの進展が有ったのだろうか。

 奇しくも明日、澪と会う。多分その話も出てくるだろう。

 ……高校生のカップルが話すような話題ではないが、流雫と澪を引き寄せたのはトーキョーアタックと、それに端を発した銃刀法改正だった。

 そしてSNSで知り合って半年ほど経った4月、2人は恋人同士になった。今では、互いに背中を預けていられる存在だ。尤も、澪の存在を他に知る人はいないが。

 「仮に全容が判ったところで、欅平は帰ってこないしな」

と、教室の真ん中で声がした。

 ……またか、と思った流雫は溜め息をつき、立ち上がり鞄を手にする。それと同時に、同じ声で

「宇奈月が欅平を見殺しにしたようなもんだ」

と言うのが聞こえた。その声の主を囲んでいた5人の男子生徒が、それに合わせて薄笑いを浮かべるが、その光景に顔を向け、

「流石に言い過ぎじゃない!?」

と声を上げる少女がいた。腰までの長さの黒いロングヘアを揺らしながら立ち上がる。

「宇奈月がしくじらなけりゃ、お前だって被害に遭わなかったんだぞ?」

と言う中心的な男子生徒に、女子生徒は

「しくじりじゃない!里帰りの何が悪いの!?」

と迫った。その声を無視して、男子生徒は流雫に

「宇奈月、そうだろ?」

と問うた。

 ……欅平美桜。流雫とは同級生、そして恋人だった。2人が別れた原因は、トーキョーアタック。渋谷で犠牲になった368人のうちの1人だった。

 渋谷が大惨事に見舞われていた頃、フランスから戻ってきたばかりの流雫は、東京中央国際空港のターミナルで爆弾と銃撃のテロに遭遇し、警備員に助けを求めて、事態の収束を待ちながら怯えていた。その後、とある同級生から美桜の死を聞かされた。

 シルバーヘアの少年は

「……日本に残っていれば……こうなっていなかった、かな」

とだけ答え、鞄を手に教室を出た。黒いショートヘアを左右で分けた男子生徒は

、その様子を見下すような目で彼を見ていた。そして女子生徒は

「宇奈月くん!」

と声を上げ、その後を追った。


 ペンションに帰ろうと駐輪場に向かう流雫を追ってくる女子生徒は、ロードバイクのワイヤーロックを外していた流雫に追いついた。

 「好きなように言われて、何も思わないの?」

と、紺色のセーラー服を纏った彼女は問う。それに対して

「……でも、間違ってない。笹平さんだって、遭遇しなくて済んだハズだし」

と流雫は淡々と答えた。

 ……美桜が遭遇していなければ、彼女も遭遇していなかった。彼女は幸い無事だったが、それはそれだ。全ては結果論でしかない。

「……そう云う問題じゃないの」

笹平さん、と流雫が呼んだ少女は言った。

 笹平志織。流雫の同級生で、学級委員長を務めている。美桜とは最も仲がよかった。

 あの日、彼女は美桜と2人で渋谷に出掛け、そして同級生の死を最初に目撃した。急な腹痛で洗面所に駆け込んだことが、先に改札を出ていた美桜との運命を分かつことになるとは、彼女自身全く思っていなかった。

 「……学級委員長として、この異常事態を見過ごすワケにはいかない。……そうでしょ?」

と言った流雫に

「……私をバカにしたいの?」

と笹平は鋭い目を向けた。学級委員長である前に、生真面目な性格だ。

 しかし流雫は

 「……笹平さんがどう取り繕おうとしても、あれは僕の過ちのまま終わる。僕が何もかも悪い、それが連中の望みなんだ。当事者じゃないってのは、そう云うものだと思う」

と淡々と言い、ヘルメットを被ると続けた。

「……笹平さんの気遣いは有難いけどね。……それだけ、美桜の死は大きかった……笹平さんにとっても」

その言葉に、笹平の表情は少し曇る。

 ……彼女は、美桜の死に顔を目の当たりにした。だから流雫は、自分よりも笹平の方が辛いと思っている。

「辛いことや悲しいことで、他の誰かより大きい小さい、多い少ないなんて比べちゃダメだよ。他の人とは比べられないんだから」

澪の同級生だった大町の死を見届けたあの7月、流雫は澪にそう諭された。

 だが、無意識に比べては、自分の悲しみを押し殺そうとするクセはどうしても拭えなかった。

 自分だって美桜の死は辛いのに、そのことは隠そうとしている。そう思った笹平は、学校では基本的にポーカーフェイスの流雫に、いい顔はしていない。ポーカーフェイスと云えば聞こえはよいが、単に交遊に無頓着なだけだ。

 流雫はロードバイクのフレームに跨がると、ペダルに足を掛け、

「じゃあ、僕は帰るよ」

とだけ言い残し、学校を後にする。

 「……何もかも判ったようなフリして……」

と笹平は溜め息混じりに呟いたが、流雫には聞こえなかった。


 一言で言えば、流雫はクラス……どころか学校全体から疎まれている。彼自身、元々口数が少なく、同級生などとの接点も無い。そしてそれは、トーキョーアタックを境に酷くなった。

 美桜の死は流雫にとってタブーで、それ故迂闊に彼に近寄れないと思っていた連中が大半だったし、あれから1年が経った今でもそうだ。互いに会話どころか挨拶すら無く、宇奈月流雫と云う少年など最初からいないかのようだ。

 今し方の笹平との遣り取りが、彼が1年半前の入学以降、美桜以外の同級生と交わした最も長い会話だった。尤も、流雫は流雫で多方面に気を遣わなくて済む、と好都合に思っているが。

 しかし、同時に先刻のような、あの悲劇さえも流雫が元凶だと悪者にしたい連中もいる。その揶揄も罵声も、流雫は微塵も相手にする気は無かったが、しかし過ちだとは思い続けていた。

 ……そもそもフランスに帰郷せず日本に残っていれば、美桜を夏休みにデートに誘って、美桜の死を避けられたハズなのに。全ては結果論でしかない、それぐらい判っている。ただ、あの男子生徒曰くしくじった、そのリグレットだけが、あの日からどうしても頭を過る。

 ……それでも、流雫が疎外感を感じることは無かった。オンラインでもオフラインでも、澪と云う絶対的な存在が、流雫を支えていた。


 定刻より1分だけ遅れて、甲府からの特急列車は新宿駅に着いた。止まる寸前の車窓から、薄い黄色のシャツの上からネイビーのデニムジャケットを着て、ネイビーのスカートを履いた少女が立っているのが見える。ダークブラウンのセミロングヘアで、それが誰だか流雫には判る。

 「流雫!」

新宿で降りる十数人の乗客の最後だった少年の名を呼び、彼からの誕生日プレゼントだった、ティアドロップのブレスレットが飾る手を上げた少女、それが澪だった。

「澪!」

流雫は呼び返しながら手を上げる。澪からの誕生日プレゼントだった月のブレスレットが揺れた。

「1ヶ月ぶりだね」

と言う澪に流雫は

「長かった。毎日遣り取りしてるのにね」

と返す。

 最後に会ったのは、修学旅行を休んで取調を受けた日だ。それ以降もメッセンジャーアプリで毎日遣り取りしていたが、実際に会うことには全然及ばない。

 流雫は問う。

「何処行くんだっけ?」

「何も決めてなかったけど……秋葉原、どうかな?あのカフェも有るし」

と澪は言った。4月、流雫が日本に帰国したその日に澪に誘われて行った、コーヒーとホットケーキが美味いカフェだ。

「いいね、あそこ好き」

と流雫が言うと、澪は

「じゃあ行こう!」

と言い、流雫と指を絡めた。

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