2-11 Take A Sudden Turn

 6月最後の金曜日。水曜日に始まった2日間の期末試験は最終日を迎えた。梅雨時期だが、今日は昨日までとは打って変わって晴れた。

 正午、ようやく最後の試験が終わった。午後の授業は無く、土日は休み。つまり2日半、休みが有る計算だ。とは云え、流雫にとってはこの休みにやることは普段と何も変わらない。

 それより、ここ数日の軽い頭痛は、普段使わない頭を使ったからだ、と流雫は思っている。ただ、それからも漸く解放されるだろう。

 駐輪場でネイビーのロードバイクに辿り着いた流雫のスマートフォンが鳴る。澪からのメッセージだった。澪も今日まで期末試験で、午前中で終わったらしい。

「ルナ、気を付けてね?」

「えっ?」

そのメッセージに、流雫は思わず声を上げた。

 ……気を付けろ?一体どう云う……?

「いきなりどうしたの?」

その一言が気になり、すぐに打ち返す流雫に、澪はすぐ返答した。

「この前少し話題に出たOFAの施設に、強制捜査が入ったの。ニュース速報の通知が不具合らしいからアレだけど、サイトにはそう出てるわ」

 強制捜査。その言葉に、流雫は頭を力任せに殴られたような感覚がする。

 確かに、流雫のスマートフォンには通知は入っていない。だから澪がメッセージを送ってこなければ、多分ペンションに帰って知っただろう。ただ、澪から知らされると、何故か余計に不安感や緊張感が襲ってくる。

 流雫は問うた。

「そもそも、僕とOFAに何の関係が……」

「OFAの施設、地方に1箇所だけ有るってのはサイトに書いてあったじゃない?住所は公開されていなかったけど、河月だったらしいの。山梨だとは書かれてたけど、まさかルナの地元とはね……」

と澪は打ち返した。

 ……河月?流雫は眉間に皺を寄せる。彼自身河月に住むようになって10年は経つが、未だよく判っていない。

「河月の何処か判る?全然、思い当たる場所が無くて」

「ちょっと待って?すぐ調べるから」

澪は流雫に返す。その間に流雫はヘルメットを被り、指が露出したライディンググローブを填める。

 学校指定の通学鞄は2ウェイで、背負えるのは自転車、特にロードバイク乗りの流雫には好都合だった。ただ、背中が無防備になる弱点はフランスへの渡航でも常に意識しているため、その意味ではショルダーバッグの方が好きだった。それに、皮肉にもショルダーバッグの方が銃を取り出しやすい。

 澪からのメッセージが届いたのは、それから5分後だった。

「遅くなった」

と切り出した澪は

「SNSに場所特定の投稿が有ったから、引っ張ってきたわ」

と続け、更に次のメッセージで地図のURLを貼り付けていた。

 場所の緯度と経度が座標として記されたURLをタップした流雫のスマートフォンは、河月市の西側を表示していた。

 河月市には東京から甲府へ向かうNR線が通っているが、駅は3駅。その西に位置する西河月駅よりもまだ西で、その場所は郊外の住宅街から更に外れている。周辺も含めて安い土地を活用したのか、産廃処分場も含めたちょっとした工業団地の様相を呈していた。

 その一角に4階建てのOFA……ニッポンサポートワンフォーオール、山梨支部が有ることは、流雫には初耳だった。そもそも、河月湖に程近いペンションと学校、時々河月駅と南部の商業施設に行くだけて、そもそも西部に行く用事が無い。

 「意外だ……」

流雫は呟く。まさかそう云う所に、そう云う施設が有ったとは。

「ルナのペンションから近いの?」

「いや、自転車でも数十分は掛かるかな。湖畔でもないし、かなりの西寄りだし」

そう打った流雫は

「また後で送る。今から自転車で帰るから」

と連投し、ライディング用のサングラスを掛けると、再び地図アプリを開いた。


 かなりの西寄り、と澪には説明したが、正しくは西の端。線路と並行する国道は交通量が多い上に、大型車の往来も激しく、運転が億劫になる。ただ、その旧道は多少道路は狭いものの車の通りは少なく、その道を走ることにした。

 梅雨の晴れ間、自転車に乗るのはこう云う時しか無い。それは流雫にとって、好都合な口実だった。

 ヘッドライトとテールライトを点滅させ、ロードバイクを40分ほど走らせた流雫は、遠目に赤い回転灯が点滅していることに気付く。その前には車も数台。反対側には低い……と云っても周囲からすれば目立つ……ビル。彼処なのか?

 流雫は一度バス停に止め、位置をチェックする。……確かにそうだった。地図アプリには名前が書かれていないが、あの騒々しく見える場所は間違いなくOFAだった。

「……行くか」

そう呟いた流雫はペダルに足を掛けた。


 OFAのビルは、1階は小さな入口とシャッターしか無いが、2枚のシャッターは閉められていた。その前には黒塗りのワンボックスが3台止まっている。

 建物前は予想に反して静かだったが、同時に報道関係も数人集まっている。今夜のニュースの題材にする気だろうか。

 流雫はサングラスを外すと、スマートフォンの地図アプリを閉じてカメラアプリを起動させた。そして偶然通り掛かったから興味本位で、を装って2枚だけ、その全景を撮る。

 ……アフロディーテキャッスルで、自分たちに小さなカメラのレンズを向けてきた連中と、やっていることは変わらない。そう思った流雫は、無意識に苦笑を浮かべた。

 その直後、背後から太い声が響く。

「おい、見世物じゃないぞ」

聞き覚えが有る声の主に流雫が振り向くと、一瞬の間を置いて互いに目を見開いた。流雫の目が捉えたのは澪の父、室堂常願だったからだ。

「え?」

「それはこっちの台詞だ」

思わず声を上げた流雫に、常願は言う。まさかアンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が特徴的な少年が、こんな所にいるとは思わなかったらしい。

「何故こんな所にいるんだ?」

「えっと、河月で強制捜査ってニュースを見て……もう学校は終わったから、ちょっと行ってみようと……」

流雫は答える。澪の名前は出さなかったが、常願は

「大方、ニュースも澪から聞いたんだろう。……全く、探偵ごっこじゃないんだぞ」

と苦言を呈した。……バレていた。

 「まあ、君とは話が有るから、どっちにしろ夕方頃、ペンションには寄る予定だったんだ。あのルーズリーフの写真についてな」

と澪の父が言うと、流雫は

「……澪が見せたのか……」

と呟く。あくまでもただの妄想だから、と前置きしていれば、別に見せても問題は無かったのだが。

 しかし、

「……この強制捜査のきっかけは、あの写真だったんだがな」

と太い声で言われると、流雫は目を見開く。

「え……?」

……1ヶ月近く前の、あのルーズリーフがきっかけで……?

「話したいのはその事だ。……河月署へ任意同行、と云うことでよいかな?」

常願は問うた。眉間に皺を寄せたまま、流雫は頷いた。


 ロードバイクは常願が運転するワンボックスに積まれ、そのナビシートに流雫は乗る。

「いいロードバイクだな」

「フランスで安く買った奴を持ち込んで……。それより、ルーズリーフの写真は……」

流雫は問う。澪が見せただけ……だったのでは?

 「澪が見せてきたから、俺に送らせた。俺の携帯にも入っている」

と常願は言い、ボトルホルダーの缶コーヒーに手を付けて続けた。

「……最初に見た時、まさに酷い話だと思った。もしあれが全て真実なら、政治スキャンダルどころの話じゃないからな」

「しかし、俺は一蹴する気は無い。寧ろ興味深いと思っている。マッチポンプ説は署内でも驚かれたしな」

署内でも……?まさかの展開に流雫が逆に唖然としていると、遠目に河月署が見えた。

 相変わらず古めかしさが至る所に見られる建物の前に、ロードバイクごと降ろされた流雫は、常願に続いて取調室に入る。少しして、弥陀ヶ原がアイスコーヒーを淹れて入ってきた。

 「しかし、君とはよく会うね」

と弥陀ヶ原は言い、刑事と少年の前に氷が浮かぶアイスコーヒーのコップを置く。別に会いたいワケではないが、澪の父の後輩としてよく同行しているだけに、どうしても会うことが増える。

「強制捜査は終わりました」 

と弥陀ヶ原は言う。どうやら流雫が着いた時点で、粗方の捜査は終わっていたらしい。

「報告書は後で俺が書く。今は調書を書いてほしい」

常願は言う。弥陀ヶ原は

「はい」

とだけ返事し、常願の隣に座った。

 「……さて、何から話すか」

常願は切り出した。


 犯行声明が出されていなかったことを皮切りに問い始めた常願に、流雫は淡々と答え始めた。

 犯人が犯行声明を出すのは、犯人にとってテロは犯行ではなく、寧ろ正義の鉄槌だと思っている節が有る。そして各々の信念を……特に無知無関心な他人に知らしめるため。謂わばプロパガンダ的な役割も有る。

それはフランスで10年以上も発生しているテロを見ても判るし、日本人なら中東の様々な騒乱、争乱を見ると判りやすいか。

 しかし、日本で昨年から発生しているテロでは、トーキョーアタックも含めて、公に犯行声明が出たことは無い。全てが何者かの単発の……しかし規模的に愉快犯とするには無理が有るが……犯行ではない、とするなら、公に顔を出すことができない、犯行声明を出すことができない連中の仕業だと思えた。

 その後は以前ペンションで話したことと重複するが、その直後に起きた秋葉原のOFA立て籠もり事件で、犯人が何故服毒自殺をしたのか、そして難民が何故難民支援団体に牙を剥いたのかが気になった。そこまでの疑問を、ひたすら書き連ねて整理すると、マッチポンプ説は最も違和感が無かった。


 そこまで話すと、流雫は氷が溶け始めて少し薄くなったアイスコーヒーに口を付ける。

 日本では1995年、東京で地下鉄を狙って神経ガスを散布したテロ事件が起きた。数千人の死傷者を出したが、この時は犯行声明は出なかった。

 日本を乗っ取ろうと画策していたカルト教団の仕業だったが、警察を撹乱し、直後に控えていた強制捜査を免れることが目的の犯行だったからだ。尤も、この事件に関しては組織的関与が以前より疑われていたが、決定的な証拠は実行犯の1人……それも警察もノーマークだった……の自供まで待つこととなった。

 関与が知られると全てが終わる、それ故に犯行声明を出すワケにはいかない。経緯や事情は異なるが、それと似ているのではないか。

「俺にはやらなければならないことが有る、今捕まるワケにはいかないのだ」

などと云う理由で。


 ……今までの流雫の言葉を聞いていた常願は、目を丸くして言った。

「地下鉄サリン事件なんて、君が生まれる10年以上も昔の話だぞ?まさか知っているとは、物知りだな」

「……トーキョーアタックの後から、テロに関する記事を読んだりして……それだけは覚えてると云うだけで……」

そう答えた流雫に、常願は今何よりも思うことをぶつけた。

 「……それにしたって、何故そこまでテロを知りたがる?」

「どうしてテロに走るのか、何故テロでなければいけないのか……。……納得いかないと云うか、腑に落ちない事が多くて……、トーキョーアタックだって……」

流雫は恋人の父に、そう答えて唇を噛む。その相手は腕を組み、しかし言葉を失っていた。

 例えば、言論部でディベート大会に出場するのなら未だしも、流雫は端からそう云うものに興味が無い。それなら、こんな面白くもない、小難しいことなど忘れて、文字通り学校に通いながら我が世の春を謳歌していればいいのだ。

 それなのに、彼は泥沼に自ら頭から飛び込んでいる。澪からの話と、あのルーズリーフの写真で、ベテラン刑事はそうだと確信していた。そして、彼を少し不憫にも思う。

 その一方で流雫は、トーキョーアタックのフレーズだけで頭を過る、美桜の死と云う現実とまたしても戦っていた。何度、吹っ切れていると思っていて、そうでない現実を突き付けられたか。吹っ切れるハズはないと、判っているハズなのに。


 流雫が河月署を後にしたのは、15時半のことだった。90分以上いたことになる。

 常願は流雫の洞察力を評価していた。ただ、ジャンボメッセでの起死回生の一発のような、その中性的な顔とは裏腹の命知らずな一面は、流石に減点対象だったが。やはり苦言は呈されたが、流雫は聞き流した。

 ペンションに戻った流雫は、一度自室に入って着替えると、澪に先刻撮ったOFAのビルの外観写真を送る。

「これ、まさか……」

澪は目を丸くした。

 流雫は自転車で帰る、とは言っていたが、まさか家の正反対の方向へ寄り道するとは思っていない。いや、最早寄り道どころの距離じゃない。

「気になったから行ってみた」

流雫は返す。澪は軽く呆れ顔を浮かべて打った。

 「……ルナって意外と好奇心旺盛?……それに、もしかして父と会った?」

「うん、会った。あのルーズリーフのことで、警察署に連れて行かれたけどね」

その流雫の答えに、澪は更に問う。

「警察署に?どんなこと話したの?」

「色々。何故マッチポンプだと思ったのか、から色々と。ただ、あの日ミオに話したことをリピートしてるだけだった、かな」

そう打った流雫に、澪は続けて

 「あたしのこと、何か言ってた?」

と問う。

「特には。ただ、何故此処にいるのかと問われて、ニュースを見てとは答えたけど、大方ミオが教えたんだろうって。……まあ、間違ってはなかったけど」

「あたしもニュース速報を見ただけだから、或る意味間違ってはないんだけどね」

「しかし、何かこう……騒々しい感じはなかった。昼過ぎ、数分もいなかったけど」

流雫は打つ。

 普通、こう云う時は色々物々しい雰囲気になったりするものと思っていたが、それは全く見られなかった。流雫にとって或る意味意外だった。

「少し、用事を済ませてくるから、また夜送るよ」

流雫はそう打つと、ダイニングに下りて三毛猫柄のエプロンを纏った。日課の手伝いの始まりだ。


 宿泊客が使った食器を自動食器洗い機に突っ込んだ流雫は、一度自分の部屋に戻る。動画配信アプリを開くと、テレビと同時配信されている夜のニュースを選んだ。

 在京のテレビ局が配信しているそれは、ちょうど今日の強制捜査について触れていた。テレビ局と資本関係を持つ新聞社の社会部と政治部のデスクが、オンライン出演して解説していた。


 OFAへの強制捜査は、秋葉原での事件の被害者であることだけを見れば不自然だが、偶然OFAに関する別件の疑惑が持ち上がったためのものだった。

 それは、この立て篭もり事件で犯人に射殺された大町政挙……澪の同級生の父親……がOFAの理事を務めていたが、帝都通商と云う中堅商社を営んでいたことが関係している。

 銃刀法改正によって1人1丁のみ持つことが認められた銃は、複数のモデルから選ぶことができる。6発のオートマチック銃でセーフティロックは2箇所と云う仕様は共通のため、違いは口径と本体の大きさ、そして外観だけだ。

 しかし、国内に銃の生産ノウハウは無く、全て海外からの輸入だった。日本と云う、数千万丁規模の新たな巨大市場のためにどのメーカーも生産ラインを限界まで使って生産、輸出をした。

 その輸入販売業務は、銃の輸入を専門とする部署を有する商社が、自由入札で権利を落札する。数社の寡占状態となり、本来は自由競争の原則に反するが、銃と云う特殊性が例外を生んだ。

 そのうちの1社が、元々欧州系の家具や雑貨の輸入販売を手掛けていた帝都通商だった。高度経済成長期前に大町家によって、大町通商として創業されたこの中堅商社は、旧来からのヨーロッパとのコネクションを強みとして、軍需取引専門部署を新設した上で、銃の輸入販売権を落札することとなった。

 流雫や澪が持っている銃より大きめだが、その分ホールド感が高く口径も大きいドイツ製モデルを扱っていて、それが人気らしい。口径が大きければ、扱いに難儀する反面1発の殺傷能力が高いからだ。尤も、威力が高ければよいと云うものではないが。

 その帝都通商に、銃絡みの不透明な部分が発覚した。この日、新橋の帝都通商本社ビルにも家宅捜索が入っている。そして、OFAへの強制捜査はその関係と云う名目だった。あくまで名目だが。

 銃絡みの不透明な部分。それが何なのかは判らない。しかし、帝都通商の前経営者がOFAの前理事と云うだけで、OFAに家宅捜索が入ると云うのは名目にしたって弱い。

 ……国民の所持に指定されたモデル以外の銃の密輸に関わった、もしくは一時期海外で話題になった3Dプリンタで銃を製作した……、それなら理由としては尤もらしいが、それは今後の警察からの発表を待つしかない。


 そう締め括る形で、ニュースは終わっていた。流雫はアプリを閉じて、ベッドに寝転がるとメッセンジャーアプリを立ち上げる。澪のアイコンを選ぶと、流雫は文字を打ち始める。

「ニュースで流れてたけど、思ったより大変なことになってるっぽい」

その返事が届くのは、2分後のことだった。

「……予想外にも限度は有るわよ」

澪にとっても、こう云う形で事態が急転するとは思っていなかった。澪の返事は当然の反応だった。

「どんな形であれ、色々進展するといいけど」

流雫はそう入力して、送信ボタンを押した。

 ……これがどう云う方向に転ぶのか、流雫にも澪にも全く判らない。ただ、このまま何事も無く終わるとは思っていない。それだけは、2人の共通認識だった。


 流雫が送ってきたメッセージと同じで、今日のことがきっかけで色々進展すればいい、と澪は思った。このままテロが起きず、全てが終結すれば最高だ。

 しかし、何らかの事件が起きることは避けられないことを、同時に覚悟していた。今までが今までだったから、たとえ流雫がこのまま全てが解明されると言っても、信じることはできなかった。尤も、それは彼が一番覚悟しているだろうが。

 せめて、自分や結奈や彩花、そして流雫の身に何も無いことを、ただ願うしかない。

 「……ちょっと、気晴らしに東京に出ようかな……」

流雫は打つ。急な言葉に澪は問う。

「え?明日?」

「明後日。ペンションの買い出しの手伝いは有るけど、それが今月は明日に変わったから」

流雫は澪に答える。急に思い立っただけだから、澪に会えなくても仕方ない、とは思っていた。

 買い出しは決まって日曜日だったが、今月は土曜日になった。河月湖観光協会が毎年夏休みに開く観光キャンペーンの打ち合わせが、朝からビジターセンターで有るらしい。流雫が居候している湖畔のペンションを経営する親戚の鐘釣家は、その副会長を務めているだけに、出ないワケにはいかないと云う。

 「あたし、会えるよ?日曜は何も無いから」

澪は答える。梅雨時期だからと予定は空けていたが、流雫となら雨でも平気だった。

「何をするかも決めてないけど、それでもいいなら」

「その時に決めていいんじゃない?あたしはルナと一緒なら、何処でもいいから」

澪は流雫に答えた。この瞬間、1人で東京に出る突発的な予定がデートに変わった。

 互いに場所など何処でもよくて、ただ会えればよかった。

「じゃあ、ひとまず10時過ぎに新宿駅……かな?僕はどっちにしろ新宿で乗換だから」

「10時過ぎ?いいわよ」

澪は答え、目の前の手帳にその予定を書き入れる。

「急だけど、ルナに会えるのが楽しみ」

そう続けた澪は、ふと来年の今頃が気になった。


 来年は2人して大学受験だ。今のように会うことは、いくら受験対策を2人でやると云う名目が有っても難しくなる。メッセンジャーアプリが有るから、毎日でも話せるが、それでも寂しさを紛らわせることは恐らく難しい……と澪は思った。

 ただ、それだけで崩れるような関係なら、既に崩れている。何しろ、何度でも思うが、知り合うきっかけも初対面も、全てが異常だった。

 SNSのニュース記事のコメントがきっかけだったとしても、オンラインで知り合って結ばれた人は、特にオンラインが社会インフラの中心になっている現在では少なくない。

 しかし、初対面の日にテロに遭い、2人で最初にしたことがテロから逃げ延びることだったと云うのは、日本中の何処を探しても、室堂澪と宇奈月流雫の2人しかいないだろう。

 ……崩れるどころか、日を追う毎に強くなっていく。寂しくても、寂しいと思って泣いたとしても、でも耐えられる……かは判らない。

 ただ、1年も先の話を今気にしたって仕方ない。

 そう思って、澪は一度大きな溜め息をついてリセットし、天気予報のアプリを開く。……東京、昼間は強めの雨。澪は長袖にしようと決めた。


 急に決まったデート。しかし流雫は、何処に行くか迷っていた。ふと思い付きだったし、何しろ1人でと思っていた。澪と会えるのは嬉しいから、結果的には嬉しい悩みなのだが。

 少し迷った末、流雫は久々に空港に行ってみようと思った。あの日、全てが始まった東京中央国際空港。

 空港の展望デッキから見える東京の景色も綺麗だとは聞いたが、パリへのフライトは何時も夜中でデッキには立ち寄ったことは無く、東京へのフライトでも着いてすぐ列車に乗り換える。だから、意外とデッキに行ったことは無かった。

 雨っぽいが、澪さえ雨を厭わなければ、行ってみたかった。

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