王粲仲宣(おうさんちゅうせん)

王粲仲宣(おうさんちゅうせん) 

三国志巻二一 魏書二一など

一七七~二一七

兗州山陽郡高平県(現在の山東省済寧市微山県)


・劉琮側の、劉琮を曹操へ帰順させた立役者。

 まず劉表に仕えたが風貌の醜さから冷遇される。劉表が亡くなると蔡瑁と共に劉琮を後継者に仕立て上げる。すると直後に曹操が南下する。王粲は抗戦の構えを見せる劉琮を説得し、劉琮は曹操に降伏する運びとなった。

 

・のちに曹操に仕え、その後丞相掾属(曹操直属の部下)、軍謀祭酒を務めた。非常に博学であり、曹操のもとで行われた儀礼制度制定の大部分を担った。仕事に貪欲で、朝も夜も曹操と議論をし続けようとした。

 

・洛陽きっての名家の生まれだったが、幼くして父を失い、董卓の遷都により財を捨てて長安に移り住む。長安一の学者・蔡邕に可愛がられ膨大な蔵書を預かる(ことを約束される)が、その恩人蔡邕は逆賊として獄死。戦乱で荒廃した長安を捨て、やっとの思いで仕えた劉表には冷遇されるという不遇の人生。そのなかで膨大な博識を手に入れてきたと思えば、尋常じゃないハングリー精神の持ち主。


・格式高い名家に生まれながら長く不遇を経験し、それでも尚天才として名を響かせた。

当世から現代に至るまで誰しもが認める建安随一の詩人。


177年(熹平六年)王粲誕生。

188年(中平五年)王粲十二歳、父の王謙が何進の怒りを買い免職、間もなく病没する。

190年(初平元年)王粲十四歳、蔡邕に師事、蔵書を相続する。

192年(初平三年)王粲十六歳、王允に司徒等へ招聘されるも辞退する。

196年(建安元年)王粲二〇歳、この頃劉表に仕えたか。

197年(建安二年)王粲二一歳、この頃仙人の張仲景に短命を予言され仙薬を勧められるが、断る。

208年(建安十三年)曹操が丞相に就任。王粲三二歳、劉琮に曹操へ降伏させる。

211年(建安十六年)曹丕が五官中郎将に就任。

213年(建安十八年)王粲三七歳、荀攸と共に曹操へ魏公就任を進言する。曹操が魏公に就任する。

216年(建安二一年)曹操が魏王に進む。

217年(建安二二年)王粲四一歳、疫病により死去。


○作品紹介

「七哀詩」     

南登覇陵岸、廻首望長安。

南のかた登る覇陵の岸、首を廻して長安を望む。

南にある高台・覇陵のさきへ立ち、振り返って荒れ果てた長安を眺める。


若い少年であった王粲の、長安(漢王朝)との決別と、乱世への覚悟のことばとして、現在まで高く評価される。


同じく「七哀詩」より

悟彼下泉人、喟然傷心肝。

悟りぬ彼の下泉の人の、喟然として心肝を傷ましむるを。

悟ったのだ、あの亡き人が、息をついてその心を傷ませているのを。


「感傷詩人」by鈴木修次『漢魏詩の研究』

個人の悲哀を素直に詠む建安詩壇の試行錯誤を王粲は結晶させた。

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