第53話 イチャつく童貞、キレた元嫁を走らす(1)
空を浮き上がっていたはずなのに、沈んでいるような気もする。
青く暗い中天に空いた穴に吸い込まれたイッサクだったが、いきなり柔らかいものの上に落ちた。
それは滑らかな革張りの、かなり大きな深い茶色のソファーで、そこらのベッドより寝心地が良さそうだ。
腕の中で裸のままのリリウィもあたりを見回している。
イッサクたちが放り込まれたその部屋は、少々奇妙だった。
天井が低く、両側にスモークが貼られた窓が並び、小さな間接照明が部屋の中央のワイン色のダブルベッドを浮かび上がらせている。
部屋には強烈な香と、媚薬入りローションのツンとした甘い刺激臭と、そして男と女の匂いが満ちていて、むせ返りそうになる。
ワイン色のベッドの上には3人の裸の男女がいた。
全裸の男が大の字になっていびきをかき、裸の女が男の腕を枕にして寝ている。
そしてもう一人、やはり裸の女が、両腕で上半身を隠し、太ももを固く閉じて、突然の闖入者を凛乎として睨んでいた。
その女とイッサクは、お互いの顔を見て声を上げられないほど驚いた。
女はイッサクの前の妻であるミナだった。
よく見ると、いびきをかいているのはラヴクラフトで、その傍で寝ているもう一人の女はラヴクラフトの側近の一人だ。
奇妙な空間はラヴクラフトが作らせた、あの走るラブホテルの車両だった。
「よりによってぇ」
イッサクは手で顔を覆った。
ミナに見つかるのだけは絶対に避けないといけなかったのに、まさか自ら飛び込んでしまうとは。
頭を抱えるイッサク。
それを見上げていたリリウィの勘がピンと来た。
「あの人、もしかして例の?」
「そう。元嫁」
「へー……」
リリウィは物珍しそうにミナを観察した。
なによりまずは、とてつもない美人だ。
手足がスラリとしていて、胸と腰が描く曲線には女でも見惚れてしまう。
少し乱れている金色の髪にすら、情緒をかき乱されそうになる。
それにさすがは王妃というべきか、こんな場面でありながらも、俗塵を寄せ付けないオーラがあった。同時に、この人とは仲良くなれそうにないなと直感した。
ミナも、裸でイッサクの腕の中にいるリリウィを睨んでいた。
だがその目はどこか虚ろで、なにかぶつぶつと呟いている。
「うちよりキレイじゃん。あんな美人なら、いくら童貞のあんたでもキスぐらいはしたんでしょ?」
リリウィのどこか刺のある言葉に、イッサクははっとして声を上げた。
「俺の初キスの相手、お前だわ」
「え……マジ?あれが初キス?マジで?」
先刻、イッサクの口を無理やり塞いだのを思い出して、リリウィはやらかしたような、得意のような、妙な顔になった。
「へー、そう。アラサーで初キスって、キモい?」
「キモい言うな、地味に傷つくから。まあ、キスじゃ子供はできないし……、できないよな?」
イッサクは本気で心配している。
リリウィは呆れていたが、イッサクとその元妻を前にして妙なテンションになってきていた。
「だったら、うちらもマジで子作りしよっか?」
そうしてリリウィは舌なめずりして、イッサクにキスをし、舌を絡ませた。
突然のリリウィの蹂躙と柔肌のダイレクトアタックに、イッサクは慌てて引き離す。
「どうした!?急に!?」
リリウィは余韻を楽しむように自分の唇に指を当て笑う。
「サービス。初キスがあれじゃ、かわいそうだからね」
その時「ヒッ」と奇声がした。
いちゃつく二人を見ていたミナが、体を痙攣させながら「ヒ、ヒヒッ」と声を漏らしている。
痙攣のたびに、ぴたりと閉じたももの付け根の割れ目から、白い液体がドロリと流れ出し、ミナの奇声と、ブツブツとしたつぶやきは、段々と早くなっていく。
壊れたようなミナに、なんとも言い難い怖気を覚えながら、なにを呟いているのかと、イッサクは耳をそばだてた。
すると。
「お姫様抱っこしてキス、おヒッヒヒメ様抱っこしてキス、他の女をお姫様抱っこしてキス……」
これを延々と、ミナは高速で繰り返していた。
合間の奇声は「お姫様」のところで、うまく息ができていないせいらしい。
イッサクは心底呆れて思わずぼやいてしまう。
「そっちは、中出し3Pきめといて、なに言ってんだ」
するとミナの口の動きがぴたりと止まった。
目を伏せ、時が止まったように動かなくなった。
不気味だ。
何が起きているのかわからない。
だがこれは、絶体絶命の虎口から逃れるチャンスなのではないか?
イッサクはリリウィを膝の上に抱えたまま、そろりとドアに手を伸ばす。
ミナは動かない。
イッサクは、音を立てないよう、そっとドアを開ける。
ミナは何も言わない。
イッサクは床に落ちていた靴と白いニットを掴むと、パントマイムのように、スローモーションで体を車の外に滑らせ、しずかにドアを閉める。
「ごゆっくり〜」
最後にそう言い残すと、ミナの肩がビクンと跳ねた。
イッサクは急いでドアを閉め、大股で動くラブホテルから離れていく。
辛くも虎口を脱し、イッサクは大きく息を吐いた。
それから、さっき拝借した白いニットをリリウィの頭からかぶせやる。
ニットはオーバーサイズだったようで、リリウィを太ももの半ばまですっぽりと覆った。
「冷えるし、いくら祭りとはいえ、女の全裸はな」
「裸でも、目立たなかったかもよ」
リリウィがあたりを見回しながら言うので、イッサクも同じようにしてみると、黒塗りの動くラブホテルの周囲の状態に、唖然として声を失った。
晩秋の、もう夜明けも近い時間に関わらず、真っ裸の男女が雑魚寝していたのだ。
動くラブホテルのまわりだけではなかった。
大広場全体が、裸の人間たちでいっぱいだったのだ。
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