第17話 新しい恋の形。
「あらあら、可愛い娘さんだこと。これはお父さんが溺愛しちゃうのも無理ないわね」
「あはは……ご迷惑おかけして申し訳ありません、本当にありがとうございました」
「いいえ、いいのよ。これに懲りずに、また遊びに来て下さいね」
とても愛想のいい人だったな、次来たとき用にって、子供遊園地の乗り物券まで頂いちゃったよ。
これは来ない訳にはいかないなぁ。
子供遊園地なら菜穂も喜ぶだろうし、また向井先生を誘って……って、それはないか。
僕は彼女の告白を断ってしまったのだから、誘うのはむしろ失礼に当たる。
その為の先生呼びだし……そうだ、この乗り物券は純粋にプレゼントにしようかな。
幼稚園の子供たちなら、多分どこかの親御さんが欲しがるだろうし。
なんなら、期限もないし、将来の向井先生のお子さんに使って貰ってもいいぐらいだ。
「え、この乗り物券ですか? あは、じゃあまた来た時に使いましょうね」
結局、再度眠ってしまった菜穂をおぶりながら歩く帰り道。
早速プレゼントすると、向井先生はにこやかに笑顔になりながらこう言ってくれた。
「また次って……だって、僕は」
「別に、恋人じゃないと一緒に来れないって事はないですよね?」
「……それは、そうですけど」
「それに、さっきの返事……これはあくまで私の予想ですけど。高野崎さん」
とととっと前に行き、向井先生は振り返りながら僕達を見る。
「高野崎さんは、当面誰ともお付き合いはしない、そんな感じですよね?」
「……そう、ですけど。え、なんで分かったんですか?」
「それは乙女の感って奴です。ふふん、誰ともお付き合いしないのなら、私はそれでいいです。でも、一緒にいない方がいいって訳でもないんですよね?」
「そう、ですけど。でも向井先生、僕は全てを菜穂に捧げたいと思っています。それは絶対に譲れないし、変えるつもりはありません」
恋人になった場合、やはり恋人は自分最優先に考えて欲しいと思ってしまうに違いない。
だけど僕には菜穂がいる、恋人の為に菜穂をないがしろにするなんて、今の僕には到底出来そうにない。
もはや、この思いは信念と呼んでも良い。
絶対に譲らない一線、変わる事のない岩のようなものだと考えていたそれを、向井先生はあっさりと捻じ曲げてきた。
「高野崎さんはそれを特別だって感じてるみたいですけど……子供に全てを捧げない親なんて、いませんよ」
まだ日が高い帰り道で、向井先生は後ろ手に歩きながら、笑みを絶やさずに僕を見る。
彼女の言葉の矢がいとも簡単に僕の胸を貫き、打ち砕いた。
向井先生の言う通りだ、親なのだから、子供に全てを費やすのは当たり前のことなんだ。
それを盾にして僕は向井先生を拒んだのだけど、彼女からしたらそれはむしろ当然であり、受け入れる範疇の一つである可能性が高い。
……え、つまり、向井先生は。
「高野崎さん」
「は、はい」
「やっぱり、先生付けはなしにしませんか?」
「……え、えっと」
「それと、こうして三人の時は、お互い下の名前で呼びましょう。じゃないと、周囲からどんな家族? って思われちゃいますよ」
笑窪を作りながら、向井……いや、祥子さんは僕の横に並ぶ。
「それに、私って結構待てる女ですから。大丈夫、またこうして一緒にお出かけすれば、俊介さんだっていつか私を受け入れる日が来ますって。菜穂ちゃんもいつかは私の事をママって言う日が来るかもしれないですしね、その日が来たら……ふつつか者ですが、宜しくお願いします」
ほとんどプロポーズの様な言葉の羅列に、ちょっと歯がゆい思いをしながらも、祥子さんは「にひひっ」て白い歯を見せながら笑ってくれた。
まるで
帰り道――
やっぱり、祥子さんも相当に疲れていたのだろう。
助手席に座り、しばらくは色々な会話をしていたのだけど。
気づいたら背もたれに寄りかかり、すやすやと寝息を立て始めている。
『私、子供の城を探してきます!』
祥子さんが菜穂を探しに行く時、彼女は心の底から菜穂を心配してくれていた。
菜穂が見つかった後も、しばらくは動けない程に全力で走ってくれていたのだ。
彼女の想いは、もう言葉にされている。
僕がその想いを受け入れた方が、菜穂にもきっと良い影響を与えるのだろう。
娘にとって、お母さんという存在は一番親しくなれる最初の同性者だ。
男の僕では知りえない情報だって数多にある。
そんな時、気軽に何でも質問できる祥子さんの存在は、きっと菜穂にとって、とてつもなく大きいものに違いない。
「って……そんな一緒になる理由ばっかり考えてるのが、奥手って言われるんだよな」
一緒になった時のメリットデメリット、つまりは損得勘定で考える付き合い。
果たしてそんなものが恋と呼べるのだろうか?
多分、違うと思う。
恋はもっと直情的で、一緒にいたい、離れたくないって想い願うものだ。
僕が相手に求めている感情は、恋ではなく愛なのだと思う。
恋とは違い、一緒にいるのが当たり前、離れると苦しい。
相手がまるで空気の様な存在と感じる事が、愛だとよく言われている。
気を使うことなく、僕のダメな部分はダメと言い、怒ってくれる。
僕って男は言葉にされないと、自分じゃ全然気づけないダメな男だから。
時には僕だって反発し、喧嘩になる事もあると思う。
それでも離れることなく、気づけば食卓を囲み、共に笑う。
そんな理想を思い描くのだけど。
でもやっぱり、愛に昇華されるには、まずは恋をしないといけないんだ。
飛び級みたいな恋でもすれば、一気に恋は愛になるのかもしれないけど。
「そもそも……離婚からどのくらいしたら、恋ってしていいのかな」
高速道路をひた走り、ラジオも音楽もかけない車内で、ひとりごちる。
祥子さんに質問したら、多分某塾講師みたいな「今でしょ」って返事が来るのだろうけど。
人差し指をびしっと決めながら、叫ぶように言葉にする祥子さんを妄想し、一人にやける。
思っていた以上に、祥子さんは直球主義者だ。
大艦巨砲主義と言ってもいいくらいに、僕に想いをぶつけてきた。
あとは僕がそれを受け止めればいいだけ。
だけど……。
★向井祥子視点★
俊介さんの運転する車って、どうしてこうも気持ちいいのだろう。
行く時も感じていたけど、運転がとても上手いんだ。
一生懸命に話題を振っていたのだけど、気付いたら私も轟沈していた。
学生の時も、通学電車の中でしょっちゅう寝ちゃってたからなぁ。
なんか揺れる車内って気持ちいいのよね、気付いたら意識飛んじゃう。
菜穂ちゃんもすぐに寝ちゃって、俊介さんと二人きりの空間だから精一杯頑張ったのに。
意識が覚醒してから、自分が寝ていたことに気づく。
車が空気を切り裂く音と、タイヤが地面を蹴る音しか聞こえてこない。
適当な音楽を掛けていたはずなのに。
多分、俊介さんが私が寝た事に気づいて音量を下げてくれたんだ。
やっぱり優しい人。
目を開けて何か会話しないとって思うんだけど、早起きしてお弁当作ったりとか、菜穂ちゃんを探すのに全力疾走したとかで、体が言うことを聞かない。
休息を求めているーって、自分で分かる、分かるけど。
どうしようか悩んでいると、ふと、俊介さんの独り言が耳に飛び込んできた。
「離婚からどのくらいしたら、恋ってしていいのかな」
とても可愛い疑問だった。
秒で起き上がり、今すぐしましょう! って叫びたくなるけど。
それに待ったをかける私がいる。
俊介さんの性格上、彼は自分の中に正しい何かを見出せないと、納得がいかない人だ。
頑固ってことかな、そんな俊介さんなんだから、私はただひたすらに待てばいい。
恋に明確な理由が必要なのは、若い時だけだ。
今の私たちは、もう大人なのだから。
ただ、一緒にいる。
それが目に見えない、最大の理由だって気づくまで、私は一緒にいればいい。
ちょっと気がかりなのは、職場の女の存在かなぁ。
ある意味ほぼ毎日一緒にいる訳だし……私だって毎朝毎晩顔合わせてるけど。
……もっと、かな。
よし、そうと決まれば明日以降も頑張ろう。
顔も知らない女の人なんかに、絶対に負けないんだから。
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