02 獅子心王リチャード一世と欠地王ジョン

 リチャード一世が従軍した十字軍には、フランス国王フィリップ二世がいた。

 フィリップ二世はリチャードの従軍を褒め称え、ある提案をした。

「十字軍という聖なる行いの前に、私心など不要。互いの領土不可侵を誓おうではないか」

 フィリップが信心からそう言っているとは信じない。

 むしろ、聖地での戦いの最中での侵略を抑えたいのだろう。

 何しろ、リチャードの留守は、母アリエノールが守っている。アリエノールの策動を警戒しているのだろう。

「よかろう。こんな時に私事に煩わされるのは、御免だ」

 根っからの武人であるリチャードにとって、栄えある十字軍の戦いに専念したい。

 こうしてリチャードら十字軍は、イスラムの雄サラディンとの戦いに臨むことになった。


 サラディンとの戦いは、正に死闘。

 リチャードはアッコン陥落という戦果を上げたが、他の諸侯の軍勢は疲弊の極みにあった。

「もうよかろう」

 そのような状況の中、フィリップは病気と称して帰国してしまった。

 不審に思ったリチャードだが、サラディン相手に慣れぬ交渉に身を投じ、苦慮するうちにその不審の念を忘れてしまった。

 が。

ジョンが謀叛だと?」

 正確には、そのような気配があるとの母アリエノールからの知らせであった。

 やられた。

 フィリップは確かに領地争いはしていない。

 ただ、プランタジネットの中に種を蒔いただけだ。

 内乱という種を。


金雀枝プランタジネットの園に蒔かれたは、取り除かねばならない」

 急ぎ帰国の途に着くリチャードだが、思わぬ奇禍が彼を襲った。

 オーストリア公レオポルド五世による拘束である。

 十字軍にいたレオポルドだが、アッコンの戦いで旗を掲げたところ、リチャードの兵に叩き落され、その雪辱を狙っていたのだ。

「奇貨可居居くべし

 フィリップは今のうちにと、ジョンに即位を勧めた。

 しかしイングランド諸侯はそれを認めず、ジョンは中途半端な立ち位置になる。

 そして。

「悪魔が解き放たれた」

 当時のフィリップからジョンへと送られた書状の文面である。

 アリエノールは愛する息子リチャードのために莫大な身代金を払った。

 ついにリチャードは釈放され、金雀枝の国プランタジネットへと舞い戻った。


「二枚舌め」

 激昂するリチャードは、荒れ狂う獅子と化した。リチャードの猛攻はフランス軍を撃破し、フィリップも一時は身一つで逃げ出す羽目になったほどだ。

 だがフィリップは諦めず、リチャードの綻びを待ち続けた。

 そして。

「リチャードが死んだ?」

 攻城中のひと時、鎧を脱いだリチャードは、クロスボウを受け、あっさりと死んでしまった。

 嫡子はなく、近親者における男子は、弟ジョフロワの子アーサーと。

「弟に家督を」

 弟のジョンのみであった。



 欠地王ラックランド

 それは、ジョンが大陸側の領土を失ったことではなく、そもそも父ヘンリー二世が、ジョンに領地を与えなかったことに由来する。

 つまりそれだけジョンは、領土や、ましてや王位から遠い存在と見られていた。

 フランス王フィリップ二世の姦計により、王位を狙うという企みの首謀者とされたが、それにしたところで「成功するまい」と思い、それを理由にリチャードに釈明すると「それもそうか」と許されたほどだ。

 ところが。

リチャードが死んだ?」

 リチャードに嫡子はいない。当初、後継ぎに見られていたのは、リチャードの弟(ジョンの兄)ジョフロワの子、アーサーだった。

 しかしアーサーはフランス王室の庇護下にあり、フィリップ二世に臣従していた。

 それを知ったリチャードは、苦渋の選択でジョンを後継者に指名した。

「そうか」

 後世、失政と敗北に彩られ、史上最低の王として名を残すことになるジョンだが、実は愚かと言い切ることはできない男である。


 ジョンは王となった時、リチャードアリエノールによる国庫の浪費に唖然とした。

「散々だ」

 その浪費の最たるものが、リチャードの釈放のために払われた身代金である。

「このままフランスの攻勢を受け続ければ、じり貧だな」

 ジョンはフランスに対抗するため、離婚をして、新たにイザベラ・オブ・アングレームとの再婚を目指した。

 イザベラはその名のとおり、アングレームという土地の貴族の生まれ。それは大陸領を守る、最適な場所。

「これでアーサーを抑える」

 フランス王の臣下となっていたアーサーは、ジョンの策に歯噛みした。

 だがフィリップは、イザベラに婚約者がいたという点を取り上げた。

「ジョンよ、この非道について釈明を」

 ジョンとしては痛恨の極みであるが、アングレームがなければ、プランタジネットは劣勢。やむを得ずの再婚である。

 そしてフィリップは非道をただすと称して、ジョンに宣戦布告。

 一方アーサーは、ミラボーという城にアリエノールが滞在していることを知り、これを包囲。

 ジョンは追い詰められたかに見えた。


 この時のジョンの反応は早かった。

 彼は母からの救援を求める知らせを受け取ると、即座に進発、一三〇キロ余りある道のりを、二日で進軍した。

 ジョンはミラボー城を包囲するアーサーを逆包囲する。

「アーサーを生け捕りにせよ」

 アーサーは捕らえられ、ジョンの非凡さが光った戦いであったが、その後が悪かった。

「消えた?」

 捕らえたアーサーだが、消息不明となり、以後、歴史に出て来なくなる。

 それはジョンによるアーサーの暗殺とみなされ……諸侯に不審に思われ、大陸領の大半を失ってしまう。


 そして。

わらわがもっと、ジョンのことを……」

 八十歳を越えるアリエノールは、その生涯を終えた。

 アンジュー帝国の没落と、カペー朝の興隆を目の当たりにするという、盛者必衰の人生であった。

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