錯綜
錯綜 1-1
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蔦沼タワービルの最上階にある高級中華料理店は、昼時にも関わらず、さほど混んでいなかった。
ぶ厚い大判のメニューを開いて、伊藤京子が驚嘆した。
「うわ、ただの五目炒飯が、ぬわんと2200円だよ! しかも税別!」
青山裕一も目を輝かせ、
「あ、俺、この海老炒飯にするわ。ぬわんと3600円! しかも税別!」
若い二人の息の合った声に、兵藤信夫が失笑して言った。
「しかもスープは別だよ。いっそフカヒレ・スープでも頼むかい?」
展望階でも最高の一画を占めているだけに、勤め人が定食を食べに寄れるような店ではない。窓外には真夏の青空と奥羽山脈が広がり、眼下には蔦沼市全域を一望できる。
京子はメニューの表紙を
「これ、本革だよね」
「いや、型押しの模造皮革だな。でも、安物のビニールじゃない。この紙質にこのコーティングだと、結構高いぞ。たぶん全紙で3万はとられる」
兵藤は感心し、
「ほう、青山君は物知りなんだね」
「親父が建具なんかも仕切ってますから」
兵藤は、裕一に対する哀川拓也の評価が、確かであることを再認識した。宮大工という父親の仕事を、しっかり見ているようだ。
「俺、スープはいいです」
「じゃあ、あたしも五目炒飯だけで」
「二人とも遠慮しなくていいよ。取材相手の接待は、ちゃんと経費で落ちるから」
「じゃあ、俺、フカヒレ!」
「あたしは――えーと、これ! ツバメの巣! いっぺん食べてみたかったんだ」
どちらも高級食材のこと、スープだけで価格が海老炒飯を上回る。それでも兵藤は動じなかった。蔦沼市教育委員会の
自分も遠慮なく注文した後、兵藤は二人に言った。
「じゃあ、お昼が済んだら、僕の部屋で話を聞こう。伊東さんの話も詳しく聞きたい。青山君は動画の解説――そんな感じで」
女子の
裕一と京子は、上機嫌でうなずいた。
昼食後、地下駐車場に停めてあった兵藤の車で、駅前のビジネスホテルに移動する。
こちらは格安を謳う全国チェーンだけに、シングルルームは驚くほど狭い。ベッドとデスクの間は椅子の幅しかなく、裕一がトイレを借りたバスルームのバスタブなど、井戸かと疑うほど小さかった。
「立ったまま入るんですか、あの風呂」
デスクでパソコンを立ち上げている兵藤に、裕一が訊ねると、
「接待じゃなくて社員一人の宿泊だもの、会社も渋いさ。シャワーが使えるだけ上出来だ」
「へえ、一流出版社でも、そんなもんなんだ」
兵藤は曖昧に笑って聞き流した。
裕一と京子は並んでベッドに座り、兵藤がカメラから動画をコピーするのを待った。
「このベッドじゃ、うっかり押し倒すと転げ落ちるな」
裕一が冗談めかして言うと、京子は顔をしかめて、
「こんなセコいベッドで襲ってきたら、殴り殺すからね。東京ディズニーランドのホテルなら、考えないこともない。旅費は全部そっちもちで」
今度は裕一が顔をしかめ、
「川向こうのラブホじゃだめか?」
「殴り殺されるのと蹴り殺されるのと、どっちがいい?」
そこに兵藤が口を挟んだ。
「
兵藤はすでに動画を再生している。
「この真ん中にいる二人、偉そうなんだけど、役職とか判る? プレートの文字が小さすぎて、拡大しても読めないんだ」
やや傾いた画面には、超広角レンズだけに上下左右の壁が余分に写りこみ、ずらりと並んだ数人の男の顔が、ようやく判別できる程度である。
「はい。他のザコキャラはいちいち覚えてないけど、ボスキャラは覚えました。右のバーコード頭が学校指導課長、左の白髪頭が教育部長です。教育部長ってのが、あそこのラスボスみたいでした」
「教育部長なんだね、教育長じゃなくて」
「はい。他の連中も『部長』と呼んでました」
兵藤は、すでに調査済みだった市教の役職者の姓名をテキストエディタで確認しながら、教育部長の坂上孝平に『白髪』、学校指導課長の安田幹夫に『半
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