第17話
渦(ゲート)を抜けた先は映っていた風景と変わらない夕日に照らされ赤く染まる街並みだった。
そこへ飛び出す形で降り立ち、わたしは二人の間へ割って入った。
二人――背を血に染めてうつ伏せに地面へ倒れているロプちゃんともう一人、ロプちゃんに似た小さな女の子。その子は奇妙なことにロプちゃんと同じように怪我を負った背を向けたまま、血に濡れたナイフを握って佇んでいた。
夕日に伸びる女の子の影が、まともではない者と語っているかのように、その様子は異常さをほのめかしている。
そんな違和感から避け、わたしは倒れるロプちゃんへ駆け寄って膝をついた。
「大丈夫!?」
早く手当しないと。そう思い慌てて背中の傷をみる。
状態として、傷はそこまで深くない。刺されたナイフは小さな子供が持てるほどの小型ナイフだったということも幸いして、さほど大きな傷ではなかった。とはいえ、それでも手当は必要なほどで、止血しておかないとただでは済まないのは間違いない。
でも大丈夫。わたしは知っている。この程度であれば治すことは造作でもないことを。
無意識にロプちゃんの傷へ指で触れると、傷は銀の鱗粉を沸騰させて散らし傷の外側からそれが全体に広がり瞬く間に傷は繋がり消えて、元の綺麗な背中へと戻った。
どういうこと?
自分でもその動作自体に反射的に行ったものであり、疑問を持つが身に覚えない既視感がそれは自分の力を扱い治療したことを頭で理解していた。
夢の顕現――正確には自分の想像を現実に変換し奇跡として起こす。
燃料は自分の夢と意志力で、よりわたしの性格に合わない無茶な夢になればなるほど精神へ想い負荷がかかる。わたしの場合、傷の治療や人を守るモノの形成は向いているが、逆に傷つけ攻撃するという方向性のことになれば性格的にも想像力的にもイメージが上手くいかず難しくなるということになる。
ただし、そこさえ満たしていれば先ほどのように治療もできるし、ミカエちゃんやカレン達のように物理の法則を無視した常人ではありえない芸当も可能で、万能である反面、使用者であるわたし自身のセンスが問われる異能がわたし独自の能力であった。
それが、自分(エリーゼ)が教えてくれた力。
力としては奇跡としか形容できず、正直な話、わたしなんかには勿体ないぐらいの代物だ。けれど、わたしだからこんな力なのだろうと納得もする。
わたしは夢見がちだから、物語ばかり見出しているわたしはなるほど、間違いなくお姫様(エリーゼ)なのだろうと確信する。夢は憧れであり理想。彼女がわたしの写し身であるのなら、あの容姿もドレスも断じておかしなことではない。
わたしはお姫様が好き。お姫様になって誰かに守ってもらいたい。その結果が夢とエリーゼという存在として浮き彫りになったであろう。
力にまだ使い慣れはしないが、不思議と体になじんで知っているし、たっしゃに扱える自覚はある。ものすごく不思議な感覚だけれども、今はそんなこと気にしてられる場合ではない。
「リ……ア…」
「ロプちゃん」
微かにだが声が聞こえて、ロプちゃんは震える手でわたしの手を握った。
よかった……!
意識の戻ったロプちゃんが無事なことにホッとして胸をなでおろし、同時にわたしは見上げて背を見せ続ける女の子を見上げて睨む。
女の子も背中に怪我を負っていて、自然とその傷はロプちゃんと同じように銀の鱗粉をちらつかせて治っていく。
であればなるほど、この子やっぱり。
「あなた、ロプちゃんなんだよね」
傷の手当はロプちゃんにしかしていない、であるのに関わらず目の前の女の子も同じようにわたしの力で治っているということは二人は間違いなく繋がっていることを示してしていた。それが何らかの力によるものなのかは分からないが、ここは自分自身と出会うための世界。ならば、目の前にいるのはわたしの時と同じように、見た目は異なれどロプちゃん自身ということになる。
それに、夢中であるがゆえにこの世界のあらゆる現象(ルール)を理解できた。感じる。視界や素肌、直感的なもので。ロプちゃん自身の世界であるが、今のわたしにとっては夢は伴侶であり、自由に操れるともほどだ。規制はあるものの現実の世界よりも飛躍的にわたしへの恩恵は凄まじい。だから夢である以上気配のようなものを感じる。
雰囲気は違えど、二人は同じなのだと直観でもあったが知覚することができた。
ただ、違和感があるとすれば、一つだけ、一つだけおかしな点がある。
それは、ロプちゃんはこんなことをする子なんかじゃないないということだ。少なくともわたしの知るロプちゃんはいたずらはするけれども、こんなナイフで人を刺すなど、誰かを傷つけることなんかしない。
「どうしてこんなことするの?」
「アハハ――! ひどいなぁ、わたしを刺したのはそっちなのに。確かに煽ったのはわたしだけど、それで責められるのはおかしいとおもうな」
「刺したって……。ロプちゃん」
言われた答えに耳を疑い、わたしは倒れているロプちゃんを見る。
「そうだよ、リア……こんな奴、生きてちゃ、いけないんだ……」
ゆっくりと顔を伏せながら立つロプちゃんの声は震えていて、どす黒く熱とともに怒りがこもっていた。
こんなロプちゃん見たことない。それに、そうって。本当にロプちゃんが?
「もう一度そのナイフよこして、今度こそ殺してあげる」
「ロプちゃんっ」
「リアは黙って‼」
止めようとしたわたしへ突如として叫び散らすロプちゃんだが、女の子を睨むその眼には涙がにじんでいる。
本気で、本気でロプちゃんが……。
「アハハッ‼ ……ダメだよ」
管の高い笑い声の後に、冷めた一言が飛んだ。小さなロプちゃんが言い放つ。
「なにそれ、なんで……なんであなたばっかり……。そういうのが嫌いだって言うのッ‼」
「えっ……」
叫び、同時に女の子はナイフを振り飾ると自身の胸へと串刺した。
「かはっ――⁉」
「ロプちゃんっ!」
同時、迸る鮮血は女の子の物と、ロプちゃんの物だった。
自らの胸を串刺し膝をつく女の子と同じようにして胸から血を流して、口から血液を逆流させて吐き出し膝をつくロプちゃん。
とっさに、あまりのできごとに何が起きたかはわたしは理解できなかった。なんで、どうしてと疑問を持つ暇もなく、わたしは倒れるロプちゃんを受け止めた。
受け止めるとともにわたしは力を行使して傷口をふさぐ。
銀の鱗粉が散って傷口は塞がるが――
「ああっ――」
「いや……」
ロプちゃんの首筋がかき切れた。
飛び散る血は今まで最も凄まじく、その血を受けながらもわたしは必死にその傷口を押さえて力で治した。
ただ、なんで、どうしてと、想いながら。
治し続けるも、わたしの治癒を塗り替えるようにして女の子は自傷を続ける。
「うあっ」
腹が引き裂かれた。
「ううっ」
二の腕から手のひらまでまっすぐ皮膚が二つに割れた。
「ぐぅっ」
今度は額が裂けて可愛い顔を斜めに引き裂いた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――」
右目が潰れてぐりぐりと生き血がはじけて内部がえぐられる。
切り裂き、ほじくり、えぐり返す。へらで粘土の人形をぐちゃぐちゃにするかのように、ただただ冷淡に。ロプちゃんの体が、治しても治してもその自傷行為は止まらない。
「もう…。もうやめて!!」
ついにはわたしも悲鳴を上げた。我慢がならず自傷し続ける女の子に飛びつくと、勢いに負けてナイフは投げ飛ばされて、女の子を押し倒す形になって強引にその動きを止めた。
「もう、やめて…。やめてよ、お願い……」
涙ながらに懇願し、血だまりの中に濡れながら、ただわたしは女の子を癒し続けた。
傷はすべて癒えていき、全身から銀色の光が空へと溶けていく。
そして同時にミカエちゃんも女の子を治すとミカエちゃんの時の逆も然り。
「なんでこんなことするの……」
後ろから抱きしめて、女の子をがっしりとつかんで問う。
「なんで? おかしなことを聞くんだね? わたしはそういう物なんだよ?」
「きゃあっ――⁉」
次の瞬間、言葉が告げられると同時にわたしの体は視認できぬ謎の衝撃によって宙を舞った。
「り……あ……」
「くあっ……」
空へと弾き出された体はロプちゃんの後ろに落っこちて、レンガの地面にドサリと鈍い音を立てる。
痛い。何が起きたのか一瞬過ぎて理解はできなかった。打ち付けた肩や足の傷をもはや自動回復の域で治癒しつつ、起き上がると女の子も同じように立ち上がっていた。後ろを向いたまま。
その姿勢は、徹底して頑なにこちらを見ようとせず顔は決して見せない。なにかを隠ぺいするようなおこないで、異質さは依然として衰えない。
「アハハッ――‼ 許さない。なんで? なんであなたばかり友達がいるの? そんなの許さない。わたしはあなたなのに、なんで?
許さない。認めない――」
捻出する怒りの波動は視覚化するほどまでの呪いとなって、どす黒い煙に似た闇が女の子の全身から漏れ、吹き出る闇が周りのあらゆる物を死に至らしめる。
近くの家が朽ちた。空を闇が侵食して夕日が夕闇へと姿を変える。ここにあるものすべて苦というマイナス感情に変換して、ロプちゃんの夢の世界は変貌を遂げる。
女の子の感情と、その存在そのものを示し表すかのように。世界が変化を遂げ始める。
そしてそこから産み出された場所は一言で言えば便所だった。
レンガ造りの情景はすべてどろどろとした汚泥に変わり。夕日は消えて空に無限の闇が広がっている。
ここには、この場にはこの世のありとあらゆる醜い思想が集まっている。
怒り、憎しみ、悲しみ、苦しみ。破壊。狂気。居るだけで心を蝕み意識を壊すそれらは容赦なくわたしたちのことを蝕んだ。
「なに、これ……。頭が……」
頭が割れそう。
「うぐっ」
悲しい、怖い、苦しい、夢から伝わる気持に頭はぐちゃぐちゃに乱されて、何かを壊したいという異常な衝動にすら襲われる。これはまるで地獄の怨嗟を聞いているようで、謎の耳鳴りが脳を乱す。
間違いなくわたしはこの場に順応できず否定され、その存在すら押しつぶそうとされている。
その想いの重圧に頭が耐え切れなくなって頭痛をきたしてすごく痛い。この夢に繋がり夢の変化に敏感になったがゆえにその影響は絶望的に大きく、わたしは今間違いなく、真実に触れている。
これが、こんなのがロプちゃん?
この現象を起こしたのはあの子で、それは間違いなくロプちゃん。見れば目の前で起き上がったロプちゃんは何の障害も起きていない。
彼女は間違いなくこの空間に馴染んでいる。それも心地いいほどに。それは夢の中から感じられる。
でも、目の前のロプちゃんは苦しんでいた。
わたしのように物理的な物ではない、泣いて、困って、目の前の事実を受け入れられなくて。
立ち上がったロプちゃんが、否定をする。
「違う……こんなのはアタシじゃないっ‼」
耳を覆い、怨嗟をかきそうとして、しゃがみふさぎ漏らす言葉は戸惑いの声色を帯びている。
その行為に、小さなロプちゃんも小さく、あきらめたかのように否定をする。
「そうだよ、あなたなんかじゃない。だから、あなたなんか死ねえェエ‼ 死んでしまェエエ―――‼」
咆哮と共にいつの間にか握っていたナイフを自分自身の眉間に突き立てて、それから、それから――
「だめ……」
止めようとしても届かなかった。動き出したものの汚泥なった地面に足が沈み埋もれ手を伸ばしたけれども届かない。
突きつけられたナイフは串刺され、そして引き抜かれ、そして刺され、抜かれ、また刺されて、頭をぐちゃぐちゃにして掻き掻き出すようにする。
その行為は狂気としか言いようがなく。
わたしが声を挙げられたときは二人とも脳髄をゲロ同然の汚泥にしていて、二人とも躯と化していた。
「っ――‼ いやああああぁぁぁぁ‼」
それを前にして、頭痛をかえりみず沈んだ足を夢の施行にて強引に引き上げて、飛び出しロプちゃんへ飛びつく。
血に汚れるのも気にかけず頭を抱きしめて、壊れた当髄へ無限に癒しを願う。
頭が痛い、負の感情がわたしを蝕む、けど、こんなの、こんなの――っ‼
「ロプちゃんっ!」
力を使い癒そうとすればするほど、それを邪魔するかのように頭痛がひどくなる。締め付けられるような感覚から頭の中から弾けるような感覚へ変わり、意識が幾度となく飛びかける。
そのたびに歯を食いしばって力を強め、その反動で強くなった痛みで自分を押しとどめた。
何か、考えがあった訳でもない。ただ、治したくて、死んでほしくなくて。そのために無我夢中で力が否定されたら強引に強めていたに過ぎない。力をふり絞り、消費や底など気にも留めず無限に力の回転度数を上げ続ける。治療の速度は今までの数千倍異常の想像をし、癒しの想いは無尽蔵に、ただ治れ。蘇れ蘇れ蘇れ――どれだけ壊れても蘇れ。
渇望は力とかしてより一層、奇跡を体現させる。
けれど――わたしの力は一向にして効く余地がなかった。
効力は発揮され、傷から癒しによって銀の粉が散る現象は起きている。その実態から力が発動しているということは確実で、その吹き出る光は力の強さを示すかのように吹雪のように溢れんばかりに舞っている。であるのに、一切の傷が治らない。
というより、治った先から傷が元に戻るのだ。わたしの力と拮抗しているようで、壊れては治され、壊れては治されと振り子のようにいったり来たりしており、どうやらわたしの癒しはロプちゃんに否定されているようだった。
ここはロプちゃんの夢の世界。わたしはこの世界に干渉して夢を操る能力で、わたしの夢をロプちゃんの夢の世界に上塗りしている。だから許可さえ取れれば願えばなんでも叶う。けれど、それは逆に言えばロプちゃんに許可されなければ何もできないということになる。
もちろん、わたし自身の力でその否定を上回れない訳でもない。だが、それはあくまでもわたしの意思がロプちゃんを上回った場合での話で、いまこうして力が拮抗し押し負けている限りどうしようもない。それに何よりも、二人のロプちゃん自身がわたしを否定しているのだ。
想いの力がダイレクトに乗る夢の中での競り合いでは、単純に想いの起動力となる精神が強ければ強くなる。わたしとロプちゃんの精神強度はほぼ互角。互角であれば、夢を操る能力の特権から強引に力は行使できないことはない。だがそこに別の第三の物が介入すれば話が別だ。
ロプちゃん側には、もう一人のロプちゃんという聖器(ロザリオ)がついている。聖器(ロザリオ)はわたしを見ての通り奇跡を使う媒介であるが、それが意思をもって否定するとなるとわたし個人ではどうにもならない。
当たり前だ。聖器(ロザリオ)は奇跡の道具であり、ただの人よりも一種の上位的な存在とも言っていい。ならば、それに付随して精神性も常人ではありえない度合いを持っているのも必然だろう。それゆえ、そもそもの上限が違うため、いくらわたし個人だけでどうにかしようとしても到底歯が立つわけがない。
さらにそこにロプちゃん本人の想いも加われば一層超えるのは困難になるのだ。
でもなんで……。なんで自分から死ぬなんてこと……。
理由は分からないが何故かロプちゃん自身も私の治癒を拒んでいる現状。
理解ができないし、理解したくもない。ただ、わたしはいたずらっ子で元気で優しい、いるだけでみんなの励みになる、そんなロプちゃんが好きだから死なせたくない。それだけじゃ、それだけじゃダメだっていうの……。
頭が割れる。わたしも限界が近い。
最後の力を振り絞って、全力で力を廻して癒しの夢を広げる。
「なんで! なんでなの! 答えてよおおおおおぉぉ!!!!!」
叫び、こんな夢を否定して力の限り夢を放出する。今までにない以上に銀の鱗粉は舞って、力の影響範囲はロプちゃんだけにとどまらずこの穢れた世界すら治癒する。わたしの周囲一帯が影響範囲になって、間違いなく今の全力全開であった。無論、そこにはこれでダメだったなんていう不安は一切皆無。ただ治すために癒すために。ロプちゃんのためにわたし自身すら注ぎ込んで。と、その時ロプちゃんに抱き着き、癒すわたしに手を差し伸べるものがあった。
思いいっぱいに抱きしめていて、それが最初誰なのか分からなかったけれども、その正体はすぐに分かった。
「リア、大丈夫。聞いてあげてこの子の想いを、否定しないで上げて」
頭に手を添えられ言われ、ハッと見上げた時には姿はなかった。けれど、どうしてだろうか、ここにいることは感じ取れる。
お姉ちゃん……。
否定しないで。そう告げられて力をわたしは弱めた。わたしがロプちゃんを否定している。うんん。そんなハズはない。でも、ここは夢、ロプちゃんが願った想いが集まり固まってできた幻想郷であり、ここで起きることはすべてロプちゃんが願ったことなのだ。だとしたら、たしかになと。気づいて小さく笑みすらこぼれたのかもしれない。こうやって自害を選んだのもまあロプちゃん。だからそれを治すということはある種の彼女の否定ということにんあるのだろう。だから否定しないで。おねえちゃんの言うことは最もだ。わたしはわたしの想いを押し付けているだけ、だからロプちゃんもわたしを否定して傷の回復を拒む。
「どうすれば分かるよね」
響いた言葉に強い使命感を感じて、放出する力の中、わたしは小さく呟いた。
「うん……」
わたしはロプちゃんが大好きだから……。
優しく彼女を抱きしめて問うのだ。
「ロプちゃん、なんで……」
夢を媒介に、せめぎあう意思と意思のぶつかり合いの間へ念じて問う。きっと聞こえていると信じて、ロプちゃんが何を思って、わたしを拒むのかそれを。
■■■■■■■■
深い夢の奥底、拮抗する力の狭間。意識の海の奥底へと精神を集中させてもぐりこむ。
そこは真っ暗で、今よりももっと何もなくて、怨嗟と不安と満ちた異空。まるで地獄のようなうめき声が、ロプちゃんの夢の中よりもさらに多く聞こえる。そこで浮遊していて、わたしは下に降りたいと思い、願った通り浮遊している体をゆっくりと降下すると、ほどなくして現れた氷の大地へ降り立った。
すべて凍る氷山のようで、無限に広がるそれは物語に出てくる地獄の凍り付いた川であった。
この川の氷自体が地獄に落ちた何者かの魂で、氷って閉じ込められた怨嗟が聞こえ、不思議と冷気はなく寒さは感じず、ただ冷たいという感覚だけが伝わってくるという不思議な感覚だった。
「これはいったい……」
激しかった頭痛はない。
ここは夢とは違う、正真正銘ロプちゃんの心の中。カレンが作り出した夢とは異なる精神世界だ。力同士が衝突しあって繋がっているからこそこうして、ロプちゃんの心の中にわたしは入り込めた訳だけれども。
正直わたし自身も驚いている。できたことに、というよりはそもそもこんなことが可能なのかという非現実に驚いていた。
けれど、こうしてできている以上、わたしの能力の一部ということになる。理由は知らないし、どうやってやったのかもう覚えてすらいない。ただ必死になって助けようとしていたら、お姉ちゃんの声が聞こえてロプちゃんに教えてと願ったらこうなった。
静かに氷の川を歩き出す。どこにロプちゃんがいるのか分からないけれど、何となくこっちだなという感覚の元。常人では精神を病んで壊れるような狂気の奔流の上を歩き下っていく。
――そうして。
「リア……もうやめて……」
彼女はそこにいた。
凍りついた川の終わり。大きな池のように広がった場所の中心で膝を抱えていて、わたしへそうやって呟いた。
「ロプちゃん?」
声をかけたわたしにロプちゃんが気づきこちらを見る。
涙に濡れた顔で、困惑して、ずっと泣いていたことがわかる悲しい表情をしている。
「リア、なんで治すの?」
「なんでって、そんなのロプちゃんに死んでほしくないからだよ。ロプちゃんはなんでわたしを拒むの? みんなで試練を乗り越えようって約束したじゃない」
「それは……」
視線を落とし、少し間を置くとロプちゃんは泣きながら答えた。
「ごめん。やっぱり無理だった。見たでしょ? あれが本来のアタシ。アタシがいるとみんなを不幸にする。だから死んで閉じこもったのに……。
起きたらやっぱりほら、自分もリアも傷つけた。ただの嫉妬でこんなにもひどいことを、わたし(・・・)にもリアにも、だからもうやっぱり駄目なんだよ、わたしがいるとみんな不幸にする」
「そんなことない。ロプちゃんと一緒に居ると楽しいし、それにわたしが落ち込んでいたのを助けてくれたのはロプちゃんじゃない。
ロプちゃんがみんなを不幸にするなんてありえないよ」
「だからだよ」
「えっ?」
「わたし(・・・)なんてない方がいい。わたしが居ればまたみんなを不幸にする。それは決まっていることだし、わたしはそういう物だからどうしようもない。
だから――わたしはアタシ(・・・)が嫌い。アタシもわたし(・・・)が嫌い。
ほらね?」
ロプちゃん一人からかけられた言葉が、まるで二人の人物からの返事のように意志が乖離(かいり)する。
そうして、最後に言葉と共に向けられたのは笑顔だった。
その瞬間、世界は遠巻きに戻る。来た道を強制的に戻るかのように風景が逆戻り、わたしは元のカレンの夢へと吐き出される。
今の、ロザリオ(ロプちゃん)……。
「はっ、くうっ―――」
戻ってきたわたしを襲ったのは元の頭痛だった。
それも今までの比ではない。限界寸前の状況で、これ以上力を使い続ければ必死は覚悟の状態だった。
「もう……」
無理かもしれない。
それでも。
やっぱり。
ロプちゃんの意識の中、わたしが会話したのは間違いなくどちら共のだろう。その結果結局わたしは否定された訳だけども……。何が嫌いだ。
嫌いなんて嘘じゃないか。どちらのロプちゃんも結局のところ自分が誰かを傷つけるのが嫌いで、そうしないために相手を嫌いと言って死のうとしている。
わたしは不幸になって居ないというのに、勝手に悲観して、勝手に嫌って。
そんな勝手なこと許さない。
絶対に。
「ロプちゃんのバカアアアアアアアアッ!!」
最後の力を振り絞って、全力全開の癒しの夢を行使した。
夢の回転率は極限を超えて跳ね上がり、周囲の暗闇をわたしの夢で塗りつぶす。
もうだめかもしれないなんて弱音はない。ただ、ロプちゃんを助けたくて、自分さえもつぎ込んだ力を解き放つ。全身の血管が焼き切れて体中が裂けて血液が吹き出る。脳細胞が破裂し目から血の涙が溢れる。それでも、それでも、死んでほしくないという夢を願って。無我夢中でずっと泣いているロプちゃんへ手を差し伸べるのだ。
そうして、津波となって夢が広がる。
広がる夢(景色)はあの白薔薇の庭園。流出する力にロプちゃんの夢はそのままに、上からわたしの世界を重ねるという形で塗り替えて、ロプちゃんの夢でありながら、この世界の支配権はわたしにあるという歪んだ状況が顕現する。
同時に今までずっと聞こえていた亡者のような怨嗟や悲しみの感情は全てかき消え、頭痛も消え冴え亘っていた。
「なにが、わたしのせいだよっ‼ なにが、わたしを不幸にするだよっ‼ 全部ロプちゃんが勝手に思ってるだけじゃんっ‼ わたしはこうして無事だよっ‼ 勝手に閉じこもって勝手に否定して、わたしやミカエちゃんのことなんだと思ってるのっ‼ 今のロプちゃんはロプちゃんでしょ‼ 誰も傷つけないし、誰も不幸になんてしない子だよっ‼ もう一人の自分に頼って勝手にすねないで‼」
腹が立った。
言動とは逆の願いを描き続けている。本当は本来の自分をみんなに受け入れてほしかった、理解して欲しかった。だからそれができないのは前の全部がそういう物だからという、責任転換。
ロプちゃんの夢と繋がっている以上、わたしがこの街に来る前のどんな子だったのかは感情の波と共に感じ取れて理解できる。
今まで聖器(ロザリオ)を制御しておさい込めてこれた(・・・・・・)のだから、それのコントロールだってできる筈だろうに。久しぶりに出てきて怖くなった? それこそばかげている、今まで常時制御して扱えていたのだからそんなことはあり得ない。
そんなことで勝手な思い違いで死のうとするなんて許さない。
「現実を見るようにわたしに言ったのはロプちゃんじゃない、だったらロプちゃんもしっかり見てよ、誰も傷ついてないし、不幸になってないっ。むしろ、いまロプちゃんがしようとしてることがわたしにとってのわたし達にとっての不幸なんだよっ」
広がる力の奔流は器を失いあふれだし、細かな粒子となってわたし達の周りを輝かせる、白銀の雪原のような。真っ白い光が渦を巻いてロプちゃんを包んで、そうして、傷は癒された。
だから、わたしは咆哮する。
「いい加減起きてよ、このバカあああああああああ――!!」
勢いに任せてただ怒りと悲しみをぶつけ、わたしはロプちゃんの治った顔を打っていた。
「っ―――」
一瞬世界へ静寂の時が流れる。
「あっ……」
それから涙目のわたしの頬に手が触れた。
「いたいよ、リア……」
「ロプちゃん……」
抱きかかえていたロプちゃんは目を覚ましていて、泣いているわたしへ手を差し伸べていた。
「ごめん……」
「うんん、いい。こんなに傷だらけにして……。
それにリアの言いたいこと分かるから。
アタシは怖かったの。誰かがまたアタシのせいで傷ついて、死んじゃうなんて思うと怖くて怖くて、たまらなかった。だから、リアに怪我させないうちに死のうと……。
でも、ごめんもう大丈夫だよ。なにが良くて何がダメなのか。それにこれまでアタシがどうしてきたのかも分かったから」
そう言ってロプちゃんはゆっくりとわたしから離れ立ち上がる。
「ロプちゃん?」
「居るんでしょ? 出てきてよ」
「アハハ! 死ねばよかったのに――」
首をかしげるわたしをよそに、立ち上がったロプちゃんは振り返って庭園の広場の方を見て叫ぶと、空間に声が響いてそれは答えた。
白薔薇の花びらを数枚吹き散らす強い風が吹いて、視界を覆うとそこには小さな女の子が居た。
そこの子は間違いなく、ロプちゃんの聖器(ロザリオ)で無論のこと顔はこちらに見せず後ろを向いたまま。わたしの薔薇庭園の世界でもその異様さはにじみ出ている。
「どうするの? ロプちゃん」
「大丈夫だよリア。しなきゃいけないことは分かってるから」
そう言うと、一歩また一歩と歩をロプちゃんは進め始めた。わたしはそれに不安がいっぱいだけれども、止めたい気持ちを必要なことだからと抑えて見守る。
そうして数歩先にいた女の子へたどり着くと背後で止まってロプちゃんは静かに膝をついて女の子を抱きしめた。
「アタシはアンタが嫌い」
「わたしも嫌いよ」
「でもそれじゃあ、アンタを殺す理由にならない」
「なら、どうするの? このまま二人してみんなに嫌われる? それともリアとミカエを不幸にするの?」
「どっちも違う」
「…………」
「アンタを使う。アンタよりも嫌いな奴を倒すために、前みたいに楽しかった時に戻るために」
「そう……」
短くそれだけ返すと、深く小さなロプちゃんはため息をついた。それは何かに呆れているようで、安堵して気が抜けたようなものであった。
「ならせいぜいちゃんと使いこなしてよね。じゃないと今度は確実にあなたを殺してやる。リアやミカエを傷つけなんてさせない」
「うん……」
ロプちゃんが頷くと静かに小さなロプちゃんが薄れ始め、そして最後には消えさる。
抱きしめていたロプちゃんの前には何もなくなり、流れた涙を袖で拭ってロプちゃんは立ち上がった。
「終わった、の……」
「うん」
「よかった……」
何がおきたのか分からなかったわたしだが、ロプちゃんの返事に安堵して腰の力が抜ける。
「えへへ」
「あはは」
その様子に二人は顔を見合わせて、なんだかおかしくて笑い合った。
「でも、これでロプちゃんの試練は終わりだよね」
「多分」
「リア、体は大丈夫?」
「うん? うん。これぐらいここなら直ぐに治せるよ」
言って、傷や汚れなど無かったかのように。全てが消えるのを願って、事実それはなくなる。
「すご…」
「はあ、急に苦しそうにするから一時はどうなるかと……」
「苦しそう?」
「うん、現実の方ですごい苦しそうして、だからどうにか助けられないかなって思ってこっちへ来た……」
そこでわたしは静止する。
まって、まだ終わっていない。
苦しんでいたのはロプちゃんだけじゃない。ミカエちゃんもだ。
「どうしたの?」
「ロプちゃん大変だよ、ミカエちゃんも危ないっ! ふえっ⁉」
「リアッ⁉」
「ロプちゃん‼」
立ちあがり訴えかける間にも世界は収束を始める。
それはわたしの時のように吹き飛ばされるのではなく、むしろ風景の方が吹き飛ばされるかのように闇が遠くから吹き荒れて、真っ黒い影が覆ってお互いに手を差し伸べ触れ合おうとした時に二人とも飲み込まれた。
役目を失った世界が収束して消え去る。それは確かにロプちゃんの試練の終了を意味していてそれ自体は問題ない。
けれど、まだダメ。
まだミカエちゃんが残っている。
意志を闇の中で強く持ち、わたしは新たな夢の回廊(ゲート)を出現させて飛び込んだ。
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