青春に巣食う悪魔と私を救う青春

アミノ酸

第1話 プロローグ

「あなたが呼んでくれたの? よろしくねー。 三つの願いを叶えてあげられるんだけど、どうする?」

 立ち込めた煙の向こうから褐色の美少女が気安く話しかけてきた。

 非日常でしかないその光景に戸惑う中、アラビアンな服装が露出させた細い腰に思わず意識を奪われてしまった。


 宿題の無い春休み。高校二年生を間近に控えた三月下旬。

 俺は祖母の家に駆り出され、大掃除を手伝わされていた。

 年末に体調を崩してしまったことで昨年は大掃除が出来なかった、ということで年度末である今頃になって片づけをする羽目になってしまった。

 部屋でギターの練習をしているだけの空虚な一日ではあったので、たまにはこんなイベントがあっても良しとしよう。お小遣いをもらう大義名分も出来るし。

 祖母の家は大変物持ちが良く、十三年前に家を出たはずの叔母さんの部屋が、入るのに躊躇うほど、当時の女子高生の生活感を維持していた。

 仕事で忙しいから代わりに掃除しといて、という叔母さんからの伝言に辟易しつつ、持ち主のいない部屋を綺麗にする。

 普段は誰も使っていない為、一度どこかを雑巾で拭けばどこを掃除したのかがわかる程度には埃が溜まっていた。

 窓を開けると春らしい暖かい匂いがし、くしゃみが出る。原因は花粉か埃かわからない。

 早く終わらせてもどうせ別のところの手伝いをさせられるのに決まっているからな。適当に隅々まで掃除して、やったことを証明できればいいだろう。

 女子高生が使っていた部屋、というよりは十三年前の高校生が何にハマっていたのかが随所に見られ、プライバシーを侵害しない程度に物色させてもらう。

 それなりに使い込まれた単語帳や参考書、久しぶりに手に取るCD、加工が行き過ぎていないプリクラ。っていうかプリクラって当時はこんな小さかったんだなあ。

 メタルラックには今では第一線で活躍している女優の若かりし頃が表紙を飾ったファッション雑誌が置いてあり、古臭く感じながらも今とは違う可愛さを持つ読者モデルのピンナップから好みの子がいないかを探してしまう。

 誰に責められるわけでもないのに若干の罪悪感が芽生え始めたので掃除に戻ると、拳大の缶が目に留まる。

 持ってみると想像より軽く、金属製のものがぶつかり合う音がした。

 十中八九アクセサリーだろうな、と思い開けてみると予想通り指輪やピアスの類が雑に仕舞われていた。

 妃乃ひめのも四月から中学三年生になるし欲しがるものもあるかもなあ、と漁ってみると無骨な指輪が存在感を放っていた。

 指輪は非常にシンプルなデザインで彫刻などは施されておらず、まるで別々の指輪をくっつけたかの様に中央で素材が変わっていた。

 片一方はくすんだ銀色で、もう片一方は素材が分からないが黄土色のような金属だった。

 他に仕舞われていたアクセサリーが女性向けだったからか、比べて魅力的に見える。

 せっかくだから一度付けてみるか。

 普段指輪などアクセサリーは付けない主義なのだが、だからこそ興味が湧いた。叔母さんの思い出の品で無い様なら貰ってしまおうか。

 右手の人差し指にはめて、窓の近くでよく見てみる。少しくすんでいるものの、光に当てるとそれなりに見えた。

 指で擦ってみるとほんのり綺麗になった気がする。一生懸命に指で汚れを取っていると、指輪からかすかに煙が出始める。

 最初は埃が立ってしまったのかと思ったが、煙は断続的に湧き出しあっという間に身の丈ほどの高さまで上がる。

 何だか怖くなってしまい、指輪を抜くと最後の煙を出し抜くように勢いが増し、それに驚き床に放り投げてしまう。

 煙の向こう側が霞むほど濃くなってくると、ぼんやりと何かが見えてきた。

 煙を掻き分ける様に動いたそれは、こちらに手を振る少女だった。

「あなたが呼んでくれたの? よろしくねー。 三つの願いを叶えてあげられるんだけど、どうする?」


 指輪が煙を吐き出し、一人の少女が現れた。

 ベリーダンスの衣装のような真っ赤なドレス。

 健康的な細さを強調するようなウエスト。

 褐色の肌に凹凸のハッキリとした目鼻立ち。

 長い髪と睫毛に吸い込まれるようなグリーンの瞳。

 さっきまで見ていたファッション雑誌に載っていれば、それだけで売上が伸びそうな中東系の美少女だった。

 初めて感じる妖艶さと、突然の出来事に言葉を失っていると再び彼女が口を開く。

「おーい、どうしたのー? いきなり出てきてごめんねー。呼ばれるの久しぶりだからちょっとテンション上がっちゃってさ!」

 俺の顔を覗き込み、目の前で大げさに手を振る。

「誰ですか、あなた」

「聞こえてんじゃん。はじめましてー。指輪の魔神でーす。あなたの願いを叶えに来ました!」

 右手で小さく敬礼をし、舌を出してウインクするポーズは初めて見るはずなのに懐かしさと古臭さを感じるものの、文句のつけようがないほど可愛らしかった。

 指輪の魔神? 明らかに日本人じゃないけど日本語がしっかり通じるな。

 こういう時って警察? でも、説明の仕様が無くて頭がおかしいやつだと思われるに違いない。

「ねえねえ、不審がる気持ちも分かるけどさ。呼んだの君だからね? 願いを叶えたら消えるから忙しいならチャッチャと願いを言ってよね」

 腰に手を当て、左頬だけを膨らませる。全てがオーバーリアクションに感じるのはお国柄の違いか、この子自身の問題なのか。

「えーっとさ………。全然状況が良く分かってないんだけど、願い事を言えば帰るってこと?」

「うん! 三つまで叶えてあげるよ! さあ、何でも言ってごらん!」

 指を鳴らしてリズムを取りながら嬉しそうに煽ってくる。温度差を感じるテンションに段々と冷静になり、不思議な状況を受け入れてきてしまった。

「一応聞いておきたいんだけど、願いを叶えてもらうことに代償ってあるの? 『お前の寿命を半分もらう』みたいなやつとか」

 ずっと笑顔ではあったが、その上で声をあげて笑われた。

「そんなことしないよー。君の寿命もらってどうすんの。一つ願いを叶えたら今度は私の願いを叶えてもらうってだけ。大きな願い事をすると、それだけ大きな願いを聞いてもらうことになるから。そこんところヨロシク!」

 いやいや、だいぶリスクあるじゃねえか。何でそんな大事なことを説明しないでいれるんだ。

「例えば何だけど、一億円欲しいって願いを叶えてもらったら、どれぐらいの願いを叶えてあげないといけなくなるんだ?」

「お金系ねー。無理じゃないんだけど、一億円だとさすがにオススメしないかな。大事な人がいなくなっちゃうぐらいのことは起こるかも」

 何それ、めっちゃ怖い。一億円なんかよりも大事なものがあったって悟る昔話かよ。シャレにならん。

「ビビっちゃうと思うけど、ぶっちゃけそんなに気にしなくて大丈夫だと思うよ。君って全然邪悪そうじゃないし」

 暇なのか踊りたいのか身体を揺すりながら俺の願いを待っている。

 一つ叶えてもらったら一つ叶えてあげるって言うなら、軽めの願いで様子を見てみるか。

「好きな子と両想いにしてくれ」

「え、何なに? 恋バナ? いいじゃん、そういうの! あのね、相手の心を操作して恋愛を実らせることっていうのは出来ないの。ごめんね。代わりにこれはどう?」

 えいっと右手を俺の方に突き出すと一瞬真っ白な光で目が眩んだが、特に何も変化は感じない。

「今のは願いが叶ったのか?」

「うん。何回告白しても相手に嫌われない魔法をかけてあげたよ。これでバッチリいつかは両想いになるよ。頑張って!」

 グッと親指を立てて満足そうにしている。いや、頑張ってじゃねえよ。

「は? 待てまて。何勝手に願いを変えてるんだよ。おかしいだろ! っていうか出来ないことあるなら事前に言えよ! 今のは取り消してくれ!」

「無理だよ。一度かけた魔法を取り消すことは出来ないの。あと叶える願い事の数を増やすことと、命を奪うこと、死んだ人を蘇らせることも出来ないよ」

 大丈夫、大した願いじゃないから代償の願いも大したこと無いよ、とあっけらかんとして笑い飛ばす。

 勝手に願いを改変しておいて今度は自分の願いを叶えろなんて、なんてヤクザな魔神なんだ。このままペースを乱され続けるだろうからもっと慎重にならないと…………。

「じゃあ、私からの願いだけどねー。好きな子のこと教えて!」

 俺の周りをグルグル回りながら馴れ馴れしく肩を叩いてきたが、煙に触れたかのように通り抜けてしまった。実体のない幽霊に近い存在なのか。

 本人はそんなことはどこ吹く風という具合に、早く早く、と急かしてくる。

 まあ、減るものでもないからいいんだけどさ…………。


 麗千夜子うららちよこのことを知ったのは高校一年生の夏休みが明けてすぐの頃だった。

 せっかく出来た新しい友達、馴れてきた新しいクラスと一か月も距離を置いてしまい、どんなキャラとテンションで話をしていたか探っているような二学期の初めに目に留まった。

 サラリとなびいた綺麗な黒髪は肩甲骨の辺りまで伸びて、夏休み明けには思えない肌の白さだった。

 華奢なスタイルは文化部を思わせ、こんなに可愛い子がいたなんて、と驚いた。

 隣の一年C組の子だったのだが、一学期は全く気が付かなかった。まあ、後から聞いた話では一学期末ぐらいから徐々に垢抜けていったらしく、入学当初は地味で目立たなかったそうだ。

 幸いなことにC組には同じバンドを組むメンバーがいたので紹介してもらおうかと思ったが、すんでのところで立ち止まれた。

 直感だが、あの手の子はガツガツ行き過ぎない方がいい気がしたからだ。

 その後、図書委員だということが分かり、似合わないと自覚しつつ本を借りに行ったり、廊下ですれ違う時に視界に入れてドキドキしたりしていた。

 十二月の帰り道でちょっと話す機会があって、それから顔見知りぐらいにはなれたが連絡先も知らないし、向こうも俺のことは顔と名前と軽音部ってことぐらいしか知らないと思う。


 恥ずかしいが、いざ聞いてもらえると、もう少し話したくなってしまう。

 でも、魔神が男子高校生の恋バナを聞いてどれぐらい共感できるんだ?

「えー、めっちゃいいじゃーん! 甘酸っぱいなー、もう! 早く告っちゃえよー。写真とかないの?」

 俺の心配は全くの無駄に終わり、誰よりも親身になって聞いてくれた。この子は少しうるさいだけで悪い子じゃないのかもしれない。

「いいなー。会ってみたいなー。あ、今ので私の願い事はクリアね。二つ目の願い事はどうする?」

 本当に大したことのない願いで終わってしまった。まあ、この程度なら魔神だろうと悪魔だろうと実害はないので機嫌が良さそうなうちに早々にお帰りいただき、無かったことにするのがベストだろう。

「俺にはもう『何回告白しても相手から嫌われない』っていう呪いがかかっているんだよな?」

「魔法ね。今のわざとでしょ」

 目を細めて怪訝な顔をするも、冗談だよとでも言う様にすぐ華やいだ笑顔に戻る。

 二つ目の願いか。リスクを考えてもこれぐらいなら冒険してみたい。

「モテる男にしてくれ」

 さっきの願いでは何回告白しても良い、と回数制限が無くなったとはいえ、そもそも好意を持たれないのであれば意味がない。だったら、モテる男になって、その確率を上げればいい。

「モテる男って難しいこと言うねえ。人によって好みってものがあるからなあ……」

 少し悩む様に首を傾げていると、突然何かを閃いたようで、えいっと手を出し再び俺は光に包み込まれた。

 が、またしても外見には何の変化もなさそうだ。

「これってもしかして、俺の見た目は変えないで、世間一般的に俺がイケメン扱いされるようになったとか、そういう魔法か?」

「違うよ? 見た目は別に問題ないと思ったから中身を変えたんだよ。やっぱ魅力的な男って言うのは挫けず、諦めず何度でも立ち上がれる男かなって思ったから、君には折れない心をプレゼントしてみました! これで付き合ったも同然だね!」

「さっきから何で絶妙に遠回しなんだよ! 大体俺は元々諦め悪い方なんだよ!」

「そうなの? 魔神に恋愛関係のお願いしたり、自分をモテる様にしてほしいって言う人って、自分に自信が無くて、他力本願で、努力を嫌って、すぐに諦めて何も続かない人なのかと思っちゃって。まあ、でもメンタル強いに越したことはないから。私はそういう人好きー」

 アハハ、と明るく笑って乗り切っているつもりのようだが、全然フォローになっていないぞ。寧ろ余計に傷ついた。

「じゃあ、私から二つ目の願い事ね。何だかこの時代って面白そうだからお話聞かせてほしいんだよね。それかこの時代のことが分かる本とかあれば読ませてほしい」

 既に持ち合わせていたメンタルの強さを押し売りされたことと天秤にかけても、容易いお願いで本当に良かった。これで重い代償だったら目も当てられない。

 十三年前のファッション雑誌とCDを見せると、目を爛爛と輝かせて喜んでくれた。

「でも触れないだろ? どうしたらいいんだ?」

「あ、大丈夫。こうやれば中の情報は分かるから」

 まるで手がスキャナーにでもなっているかの様に雑誌とCDにかざして目を閉じる。

 何でもありだな、と思いながらも今更全く驚かなくなってしまった自分に驚いた。

 さて、二つ目の願いが終わった。あと一つか……。

「ラストはどうする? 君ぐらいの年齢だったらエッチなお願いとかあるんじゃないの?」

「そういうのは見ず知らずの得体の知れない魔神にはお願いしねえよ。っていうか後でどんな代償を払わされるかわからないのに、そんなお願いできるか」

 もっとも代償がなかったらもう少し検討したいところだが。

「私には呼んだ人を幸せにするっていう目的というか使命があるから、あんまり無難なお願いして終わりにはしてほしくないんだよねえ」

 実はさっきから頭をよぎっている願い事が一つある。

「確認なんだけど、あんたはもう長いこと魔神をしているのか?」

「一説によると人が誕生した時には既にいたとも言われています」

 なぜか偉そうに仰々しくかしこまった言い方をしてくるが、それが本当なのだとしたら。

「一つ目と二つ目の願いって結局『何度でも告白できる』と『告白が成功するまで諦めない心』ってことだよな。そうなると俺があと欲しいのは『アドバイス』なんだよ。そういう人の心についての魔術書というかどうやったら女の子を落とせるか、みたいなのを教えてくれ」

 これならそんなに重い代償も払わなくて良さそうだ。

 それに三つ目に突然お金やら何やらのジャンルの違う願い事をしてしまったら、一つ目と二つ目があまり活かせないままになってしまう。ここまで来たら恋愛系に寄せて、せめてそっちをバッチリ叶えたい。

「要は『好きな人から好かれるために恋愛のアドバイスが欲しい』ってことだよね? それなら出来ないこともないんだけど、ちゃんとアドバイス通り動けるの? それを疑っていたら意味がないよ」

「ああ、そこに関しては信じるよ。っていうか魔神だ魔法だなんて不思議なことに巻き込まれているんだからアドバイスぐらいは信じられるさ」

 俺は恋愛経験が貧困だから、それについて自論を掲げるつもりもない。

 ようし、と胸を張って肩を回す。

「君良い人そうだし、この時代のことももっと知りたいし、何よりその千夜子ちゃんと一回話してみたいからね。任せて」

 肩をグルグル回し、えいっと言って手から三度目の光を放った。

 直前に話していた言葉から察するにまたしても俺の願いを真正面から叶えてはくれなそうだったな………。もうどうにでもなってくれ。

 視界が冴えるも三度状況は何も変わっていない様に思える。

 煙が無くなり、魔神の輪郭がクッキリハッキリしていること以外は。

「おお! 成功した! やったー!」

 やったやった、と嬉しそうに跳ね回り、俺の手を取り、一緒に喜びを分かち合おうとしてくる。

 握ってきた手は柔らかく、暖かかった。

 これはもしかして……。

「お前、どんな魔法かけたの……?」

「え? 恋愛を成就させるためのアドバイスが欲しいんでしょ? いつでもアドバイスできるように実体化したんだよ。ずっとそれが当たり前のように指輪の中にいたからね。まさか出来るとは思っていなかったけど。いやあ、やってみるもんだね」

 笑い声がさっきよりも大きく、はっきりと聞こえてくる。

 呆然とその場に佇んでいると、お腹が鳴る音がした。

「今まで食事なんか取ったことなかったけど、実体化したからお腹空くんだ! じゃあ私からの願いは何か食べさせてもらうってことで!」

 こいつ、この後どうする気だよ……。

「という訳でこれから宜しくね。改めて私は指輪の魔神ライラって言うの。君は?」

「……元町一もとまちはじめだ」

 愛嬌と明るさと美貌については認めるが、どこか抜けていて喧しく、少し人の話を聞かない魔神と友達? になった。

 さて、家族に何て報告しよう……。

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