第ニ十七話「三つの崩壊 ‐ 衰亡」

    一  愛と苦難



 眠らない町ローゼンドーン。最先端の都市でもあったこの場所は、その瞼を重く閉じていた。

 「おい、扉を開けよ。騎士団である」

 「……」

 「……」

 騎士団小隊の小隊長を務めるバッカスは、暗がる町の戸を叩いて回っていた。

 「おい、扉を開けよ。騎士団である」

 「……」

 「……」

 返事は無く、息を殺して耳を澄ませる。手に持ったランプの黒く曇ったガラスの中で、ぱちりという音が大きく聞こえた。

 「ここにも、人はいないようですね」

 「次、行くぞ」

 「はっ」

 数個の揺らめく明かりの内、ひとつの光がふいっと消えた。

 「っち……おい、油は」

 「はっ、こちらであります」

 「入れ替えを頼む。他のランプも終わり次第、残りを確認しておくように。俺は……この上を見てくる。ああ、一人でいい」

 外付けの階段を上がる。今にも崩れそうだが、その絶妙に組み合わさった板に、手慣れた職人技のようなものを感じつつ、手すりをしっかりと持って一つずつ段を飛ばしながら上った。

 上がり切ったところでいくつかの並んだ扉が見えた。

 「おい、扉を開けよ。騎士団である。応答せよ」

 「なんだ、ここにはもう燃料はないぞ」

 「扉を開けよ」

 「ああったよ」

 ぎぎ、と扉が靴一足分だけ開いた。その隙間から老人が顔を出す。

 「燃料は」

 「アンタらが昨日取っていったんだろうが」

 「じゃぁその火跡ひあとはなんだ」

 「枝を燃やしてんだよ」

 「嘘を吐くな」

 そういうとバッカスは老人の腕を掴んだ。

 「ぎとついているこの黒い跡は一体なんと説明する。樹液シロップか?」

 「……っち」

 老人は懐から小瓶を取り出した。

 「これで全部か?」

 「おい、アンタなぁ。俺らからこれ以上取ってなんになる。来てから何日経ったってんだ? え? その間、なにかしたのかい? 枢機卿がアンタらに楯突たてついたってんで、とっ捕まっちまったんだろ? あいつらの方があったかかったよ。さっさと燃料のひとつでも取って恵んでくれよ。それぐらいやれよ!」

 「……お前たちはなにかしたのか?」

 「はあ?」

 「お前たちは私たちのためになにかしたのか、と聞いている」

 「なんで何もしないお前たちのためになにかせにゃならんのだ!」

 「私はお前たちを保護、管理している。再度虫が襲ってきた場合、私たちはお前たちを守る。継続可能な生活をするために燃料は徹底管理する。それの対価を寄こせと言っているんだ」

 「っは! ばかばかしい。話にならんね」

 そういうと扉をばたんと閉じてしまった。

 一瞬下を向いたあと、気を取り直して踵を返した。その途中、少し開いていた扉の隙間を念の為に覗いた。そこには子供とその母親と思われる死体が転がっており、異臭を放っていた。部屋には扉から入り込む月明り以外に明かりと呼ばれるものは一切入っていなかった。

 「どこもかしこも死体ばかりだ。ここは地獄か現実か」

 行きよりもゆっくりと階段を降りる。

 「バッカス隊長。燃料交換、全て終わりました!」

 「ああ、休憩も……十分だろう。行くぞ」

 置かれたランプを持つ。金具の部分がきぃと鳴った。

 「ガラスが汚れてかなわんな」



 「バッカス小隊長。成果を報告せよ」

 「はっ! 南西の地区を捜索。二十二名の生存者を確認。提出しましたとおりの燃料を確保しました」

 「……バッカス。燃料は本当にこれだけかい?」

 座っていた綺麗な身なりの青年がゆっくりと立った。その場に居る全員の呼吸は浅くなる。

 「はい。それですべてであります!」

 「ふうむ……私が見たところ、これは厳密に言えば燃料とは呼べないね。石炭をすり合わせ水に溶かしたものが油におおよそ半分入っている、実に……粗悪な液体だ。それに比べ……君、そうだよそこの君。君らはどこを? 南西の地区の外側を、ねえ……それで? ほうほう、これだけの燃料を見つけたわけだ……。君は見どころがあるね。彼と違って」

 冷や汗が滲み、それが甲冑に伝う。

 「ま、いいけどね。君が見つけたものは君が使っていいよ。次に僕のところに持ってくるときは、もう少しマシなものを寄こしてよね。せっかく君にはあの生意気なすーききょー? ってやつを任せてるんだから。期待してるよ」

 「じゃ、かいさーん。はあ、ちょっと君、爪研いでくれない? 暗くて見づらかったら燃料いれていいから。はーやーく」

 解散した小隊長らはおずおずとその場を去っていく。バッカスは自らの天幕てんまく※に戻る。甲冑を降ろし、布をねじって背中を拭いた。

 「バッカス隊長。中に入ってもよろしいでしょうか」

 「いいぞ、入れ。どうした」

 「失礼します。単刀直入に申し上げますが、私は……」

 「辞めたかったら辞めてもいいぞ」

 「え?」

 「二度は言わん。これでも小隊を率いているんだ。部下の気持ちを汲めん程、未熟ではない」

 「……私たちは弱い者を守るために力を付けてきたつもりです。しかし、今の我々は……むしろ追い詰めているとしか思えません」

 「言いたいことはそれだけか?」

 「バッカスさん。あなた程の人がどうしてヴィロス大隊長なんかに!」

 「口には気を付けろ……騎士に入団する時、誰になんと誓った?」

 「『まさに騎士になろうとならん者、女王クイーンに血肉を捧げよ。そのドレスを赤く染め、肉で腹を満たせ。女王に心を捧げよ。その冠に愛の宝石を嵌め、指輪は唇で潤せ。全ては彼女の仰せのままに』」

 「我々は弱い民の為にこの力を付けているわけではない。あくまで女王にこの身体の全てをお前は捧げた。ならばその女王がそうせよと命じたことに従うまで。違うか?」

 「それは……」

 「お前は女王を知らない。この身を捧げてしまうようなお方なのだ。例え、この立場になったとしても、それが女王直々の命であることに意味があるのだ……それこそが『喜び』なのだ」

 「バッカス隊長……」

 「さ、もう帰れ。あと、あまり薔薇騎士を舐めるんじゃあない。あいつらは側近に選ばれるだけの実力がある。『茨』とは一線を画す力を持っている。お前なんか何かしようとする前に『ちょん』で終わりだ。歯向かうくらいなら消えた方が賢明だ」

 「バッカス隊長の言いたいことはわかりました。私は私なりに答えを見つけます」

 「ああ、そうしろ。何度も言うが、俺はお前が居なくなっても見つけて咎めたりはしない。今日は良く寝ておけ。ここの空気は淀んでいるから体力に悪影響を及ぼすぞ」

 「ご忠告、感謝いたします。それでは、おやすみなさい」

 そういうとその青年は天幕を出ていった。敷かれた布にどさっと倒れ込む。吊るされたランプに懐から返却された小瓶を透かして見た。

 「粗悪、ねえ」

 薄黒い油の中にちらちらと細かい石炭が舞っており、その奥にランプの淡く黄色い光がまるで月のようにゆらゆらと浮かんでおり石炭の粉はそれにきらきらと反射していた。



※天幕:てんまく。布で作られた即席の住居のこと、テント。



    二  遭遇



 「ここはどこかしら……」

 一方ミシェル・シュールズマンというと、ステロ座での争いの後、町の抉れていた部分から穴を見つけ、一先ずこの穴に入っているところであった。

 「ええと、この穴……安全よね?」

 「そもそもここってさ、何?」

 「たぶん……炭鉱の……一部かも……?」

 ミシェルとその恋人であるイフリートは二人でその炭鉱とおぼしき穴を進んでいる。ミシェルがずんずんと進むため、付いて行くのに難儀していた。

 「これからどうするの?」

 「とりあえず、大河を渡って向こう側へ。繋がってると良いけど」

 「炭鉱掘るのにわざわざ深そうな川の下を進むと思うかい?」

 「思わないけど、ここまでの町よ? 非公認の縦穴や横穴のひとつくらいあるわよ」

 「ははっ、いっそ穴を空けてみてもいいかもね」

 「……」

 「え、本気?」

 丁度行き詰った場所に出たミシェルは、戻ろうとしたところでこの提案をこころよく受け入れた。懐から折れた杖を取り出す。

 「そういえばそれは?」

 先の戦いで活躍した折れた杖は薄汚れた紙に丁寧に包まれていた。

 「知らなかったっけ? あなたと出会うちょっと前に折ってしまったのよ。それから行方知れずでもう処分されたものだと思ったのだけれど……劇場から出る時にこれが置かれていて……」

 「ってことは、知り合いが大事に取っていたのかな?」

 「どうでしょう。随分と前のことのようだし……それに……」

 「それに?」

 「『魔女』と判決の下された人物の生きてきた証は全て禁忌になってしまうのよ」

 「触れちゃいけないってこと? なんで?」

 「再発防止ってところかしら。今現在私が生きてきた証拠は全て処分済み……のはずだったのだけれど、これがあるってことは……まあ今考えてもしょうがないわ。道を切り開かなくちゃ」

 「ちょっとまって、その折れた杖で魔法を使う気?」

 「これしかないじゃない。私の大胆なところ、好きなんでしょ?」

 「いやまあ、でもそれとこれとは……違うような気が、ってミシェル!」


――どごぉぉおん……!


 「げほっげほっ……大丈夫?」

 「大丈夫……でも道は……開けたみたい!」

 土埃が落ちついた時、その先に広がっていたのは石造りの空間であった。

 「なんとなく、見覚えがあるわね。もしかしてここって……」

 「間違いない、グランセロナーデの地下だ」

 「しっ……人の声が聞こえるわ」

 

 「音が聞こえたんだって……! 間違いない!」

 「そんなわけないだろ? 大半の住人は『最後の楽園』に向かったって話だろ? ここに残ってるのは、独房にいる枢機卿くらいだろ。ここ数日はもうすっかり大人しくなったとおもったがな……」

 「ああ、例えば、脱出したのかも……?」

 「いやぁ、無いと思うがねぇ」


 「あそこに行きましょう! 早く」

 開かれた牢の中の暗がりに隠れ、通り過ぎるのを待つ。

 「ふうぅ、相変わらず気味が悪いぜここ。もう何もないって」

 「でも万が一だなぁ」

 ミシェルはゆっくりと細く長い魔法の糸を伸ばし、いくつかの牢の鉄格子に括りつけ、それを一斉に閉めた。


――がしゃしゃん!!


 「ひいい! お、お化けぇええええ!」

 「あ、おいちょっと待てって!」

 二人が走り去って行ったのを見て、出ていく。

 「君って、少し意地悪になった?」

 「魅力的でしょ? ってあ、ちょ近づかないでよ、今汚れているから!」

 

――「おい、そこに誰かいるのか……?」


 ぎくっとした二人はその方を見る。人の気配はないと思っていた牢に誰かが座っているのに気が付いた。

 「……」

 「私はランドール。元枢機卿だ……決して怪しいものでも敵でもない。助けてほしい、力を貸してくれないか?」

 ランドール。ミシェル処刑の時に拘束する役割を担っていた枢機卿である。ミシェルにとっては苦い記憶が蘇る。自然と苦虫を嚙み潰したような顔になってしまう。

 「ええと、どうも……どうしてあなたは牢獄に?」

 「さっきのは、お前たちの仕業だな? 見ていたろう、あの甲冑の兵士たちを。法王が御逝去されてから、この町は城の連中に乗っ取られてしまったんだが」

 「ちょ、ちょっとまって、法王は、亡くなったの?」

 「……なんだお前、そんなことも知らなかったのか。もうアウトグランの誰でも知っていることだと思ったが」

 「甲冑の兵士は城の兵士って、城の連中が来ているの?」

 「お前は幽霊か何かか? もう数日前の話だぞ」

 ミシェルは劇場から抜け出してから、随分とさまよっていた。その時、何日か空いた家を使っていたが、いずれも鐘の鳴らないこの町では時間の間隔がすっかり狂っていたのである。

 「……まさか本当に死人じゃないよな?」

 「(いや、まあ正解ではあるのだけれど……)」

 「まあいい。一先ず扉を開けてくれないか? 腰が痛くてかなわんのでな」

 「あー、それはその……」

 ミシェルは言い淀んだ。

 「(ねえミシェル、ここは僕が開けようか? ミシェルは隠れておく?)」

 「(いいえ、どうせ今隠れてもしょうがないわ。思い出したらその時はその時よ)」

 「どうした。開けられない理由でもあるのか?」

 「別に、今空けるわ。ちょっとまってて」


――ぎぎぎ……


 「さてと、助かった。捕まった枢機卿は私だけだったからな、もう二度と月を拝めないと思ったよ。おや、もう一人いたのか。どうも」

 「どうも」

 「さて、と」

 突然、ランドールは持っていた大きな杖をミシェルの喉に突きつける。イフリートは反応ができなかった。

 「私が気が付かないとでも思ったか。魔女め」

 「……!」

 「未熟な魔女がいたものだ。なぜ、生きている?」

 「し、知らないわよ、そんなこと……!」

 「ふん、お前たちの仕業ではないか……手荒な真似をした。すまない」

 ランドールは杖を収めた。

 「ちょっと、一発殴って良いかな、ミシェル」

 「待ちなさい、イフリート。ランドールと言ったわね、何を勘ぐっていたのか聞かせて貰えるかしら。手荒な真似をしたというのなら、教えなさい」

 「これを見ろ」

 そういうと、持っていた杖の真ん中あたりをひねる。すると杖は半分に分かれた。そこから丸まった紙を開いてからミシェルに渡した。

 「これは……遺言? それに……これ私宛?」

 「ああ、私も最初にこの文書を見つけた時、驚いたよ。杖は死守しておいた。といってもこの杖にはもう力は残っていないから、城の騎士共にとって価値などなかったがな」

 「……魔女に売った首謀者は法王の他に三人、女王と学長、それに私の……!? 一体どういうことなの。『約束』ってなに?」

 「その御遺言によるとお前は『月の力』を持っているらしい。それが何なのか、わからないが、魔法とは違った特別な力なのだろう」

 「『失われた太陽』って――『かつて、このアウトグランの空は青色に染まっており、そこにはルビーよりも明るい‘太陽’という星が浮かんでいた。そこへよこしまな悪魔が、同じく空に浮かぶ月という星に魔法をかけた。月はたちまち太陽を喰らい尽くし、瞼を閉じても開いても変わらない程に暗くなっていた。そこへひとつの光が人々を照らした。その光は太陽にも負けない強い光であった』――って古い本の内容とそっくりな内容!」

 「それは、何の話だ?」

 「実家にある私の好きな本なの。誕生日にお母さまから頂いたのよ。といっても直接ではないけれど……」

 「お前のお父様なんだから直接聞けないのか?」

 「あのね、私はお父様から嫌われているし私も大嫌いなの。お母さまには会ったことすらない。複雑なの! それにそもそもあなた達が私を魔女として処刑したんだから、人としてすら会えないわよ」

 「それは、そうだったな。すまない」


――おい、誰と話している! 枢機卿以外に誰かいるぞ!


 「お前、声が大きいぞ」

 「どうしよ!」

 「ここは何とかしておく。いいか、今地上は地獄と化している。城の兵が好き放題やらかしている。私は囮となり他の枢機卿は皆民を引き連れて最後の楽園へと向かった」

 「最後の楽園って?」

 「ムーナロスティシエと呼ばれる南のほうにある大きな町だ。ここは俺に任せて行け」

 「ランドールは?」

 「好き放題やった借りを返せるんだ、やらなければ罰があたる。それにお前は法王にとって、特別なんだろう。法王様は私ではなく、お前に託したのだから」

 「騎士って相当強いって聞くわ。私たちもいた方が……」

 「ふん、舐めるなと言っているだろう。私に後れを取ったお前たちが居たところで足手まといだ。それに……」

 「『それに』なに?」

 「もういけ、早く!」

 二人は走り出す。いつの日かに気絶したイフリートを運んでいた細く狭い通路に辿り着く。

 

 ランドールは駆けつけてきた数名の騎士たちと対当する。静かに持っていた杖を元に戻した。

 「気を付けろ、あいつは枢機卿だ。法王の杖を持っているぞ!」

 「いや、あの杖は何の力も残っていない。純粋な手数ではこちらの方が有利のはずだ!」

 「おい、誰か早くバッカス隊長を呼べ! 緊急事態だ!」

 「まったく、騒がしい奴らだ。借りを返させてもらう」


 「(ミシェル・シュールズマン……人は二度も死ななくていい)」


 

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