第5話

長いロープを伝いながら10mか15m位潜って下りると、そこは360℃を深い青に囲まれた海の中だった。見渡す限りの、青。どんなに頑張って上を見上げても、大粒の雨が降り続いているであろう海面の様子をうかがい知ることは、もう出来なかった。海の中の世界は、どんな言葉でも表せない様な圧倒的な迫力で、僕の眼前に存在していた。


僕とAはお姉さんの後ろについて、海の中を泳ぎ始めた。海の中は海面よりもずっと泳ぎやすく、足ひれのキックだけですいすいと泳ぐことができた。バサロスタートが速い訳が、何となく分かる。海底の白い砂地の上には沖縄らしくサンゴ礁が連なっていた。期待していたほどカラフルではなかったが、生態系と呼ばれるだけあって、多くの小魚が見え隠れしていた。タコやイカの姿もあった。


その後僕らは黒いナマコと記念写真を撮ったり、姿を見せてくれたウミガメのタイマイと一緒に泳いだりして海の中の時間を過ごした。本当はアカウミガメかアオウミガメが良かったのだが、現れてくれただけでもタイマイに感謝しないといけないだろう。正直に言うと、どのカメがアオウミガメなのかも、よく分からないのだ。


初日と同じように、外れてしまったゴーグルやマウスピースをはめ直す訓練もした。ゴーグルを取ってから付けるまでの間、当然のことながら目に海水が入る訳だが、これがまた痛いのである。そしてマウスピースを放り出して探すのは、凄く怖い。それらのミッションを何とかクリアして、僕らは無事にライセンスを取得することが出来た。


小型船に戻ると、僕はやはり全身に疲れと重力を感じることになった。でもそこには、初日の後に感じた疲れとは違う、静かな充実感があった。結局僕は、最初から最後まで海というものの果てしなさと奥深さに怯え続けてはいたけれど、何とかダイビングのライセンスを取ることは出来たのだ。ちゃんとしたバディがいれば、多くの海を潜ることができるのだ。今後使うことは、たぶんなさそうだけれど。



あれから数年が経ち、今こうして自分の部屋でお姉さんが撮ってくれた海の中の写真を眺めていると、懐かしいようでいて、何だか不思議な気分になる。一瞬ではあったけれど、自分はこんな海の中の世界に居たのだと。そしてその世界を見て、肌で感じたのだと。そこはどこまでも青く、深い、そして少しひんやりとした世界だった。


地球上にいる全ての生き物たちは、この場所から生まれたのだ。だからこそ人々は、重い重いタンクの力を借りてでも、母なる海の中を自分の目で見たいと願うのかも知れない。自分の小ささを、そして世界の広さを、今よりもっと感じるために。

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沖縄でスキューバダイビングをした話 渚 孝人 @basketpianoman

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