第3話

じゃばじゃばと沖の方に向かうと、すぐに足は付かなくなり、波は高くなった。普通に犬かきで海面に顔を出していると塩辛い波がかぶって来るので、タンクから息をしていた方が楽なくらいだ。よし、じゃあゆっくりと潜ってみましょう!とお姉さんに合図され、僕らはみんな、青く美しい海底に向かって泳ぎ始めた・・・はずだった。


潜れない。


どうしてだろう。僕は一生懸命平泳ぎで海底に向かおうとしているのに、海面近くから全然動けないのである。他の2人は既にお姉さんと共に5mくらい潜ってしまっている。ただ焦りがつのる。焦ると余計力が入ってしまって潜れない。


もがいている僕を見かねたお姉さんが登って来て、潜れない原因を指摘してくれた。どうやら身長の割に体重が軽く、浮いてしまって潜れなかったようだ。筋肉マンが沈んでしまって泳げないやつの逆パターンである。お姉さんに貰った重りを2個ぐらい体に巻き付けて、僕はようやく潜り始めることが出来た。鼓膜が水圧でキーンとなり、タンクから酸素を吸う時の「シュパー、シュパー」という音だけが耳元で大きく響く。


潜ってから上を見上げてみると、僕は改めて海というものの深さに驚いた。海面は、遥か高い所でゆらゆらと揺れている。

たった5m、大したことないじゃないかとみなさんは言うかも知れない。でも普段プールすらあまり行かない人間にとって、5m潜るというのは実はとんでもないことなのである。今噛みしめているマウスピースを口から放してしまえば、待っているのはまさしく死である。大量に海水を飲み込んで、あっという間に意識を失ってしまうだろう。人は海の中に入った時、普段何の気無しに吸っている酸素が、いかにありがたいものであったのかを知るのだ。


ああ、また酸素のことを思い出してしまった。僕は恐怖から自然にタンクから酸素をたくさん吸い込もうとして、また過呼吸気味になってしまった。今度こそヤバい。こんな海の中で過呼吸になってしまったらシャレにならん。どうしよう。


その時だった。僕がどこかで教わった呼吸法を思い出したのは。

人間の呼吸というのは、みんな吸う方が大事だと思っている人が多いが、実は吐く方が大事なのだと。長くゆーっくりと息を吐けば、後は自然にしているだけで、必要な酸素は勝手に入って来る。しかし吐く方がおろそかになっていると、どんどん酸素がたまって来て過呼吸になってしまう。一体どこで聞いたのだろう?座禅の体験に行った時だっただろうか。


まあそんなことは今はいい。僕はただゆっくりと長く息を吐くことに集中した。吐く息が終わると短い吸気で酸素が十分に入って来る。そうしたらまたゆっくりと長く息を吐く。その繰り返しだ。繰り返している内に、段々心が落ち着いていくのが分かった。もう大丈夫だ。まだ怖いけれど、パニックになる程ではない。


その後僕らは、海中でゴーグルの中に水が入ってしまった時だとか、マウスピースが外れてしまった時の対処法だとかを練習した。僕にしてみたらかなりおっかない練習ではあったが、呼吸法に慣れたおかげか何とかこなすことが出来て、1日目は無事に終了したのであった。


海に入った時と同じ、とんでもなくぬるぬるの階段を登って陸に上がってみると、自分の身体がすごく重く感じた。全身が筋肉の疲労を訴えている。やれやれ明日は大海原に潜るのか、と考えると楽しみではあったが少し不安だった。そして僕のそんな一抹の不安は、残念ながら的中するのであった。

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