第7話 命の線引き②

 午後からの特訓は、日が暮れるまでに豊穣の森を一周するまで駆け抜ける、というものだった。

 山道を含めてフルマラソン三周分ほどの長さのコースを、短距離世界大会レベルの速さで数時間駆け抜けろ、という無理難題こそがゲオルクの試練なのだ。


「ねえ、ヒロセさん」


「なに」


「流石に無茶が過ぎるでしょ、これ」


「そう?」


「俺、体力テストのワースト争い、常連」


「私は中の上」


「でも、人間の限界、確実に超えてるって」


「転生したから?」


「ふわっとし過ぎてない!?」


 午後の特訓が始まってから二時間が経過し、山道に差し掛かったところでヒロの体力が尽き掛けていた。ミライは時速四十キロほどで駆け抜けており、それに着いていけていたのだが、それも限界に近くなってくる。


「おいおい遅すぎだろ〜、それでも転生者か?」


「むっ」


「クルトは、速すぎ、ほんと」


「村一番の俊足だからなっ!!」


 クルトは村での仕事を終えてから、給水係として転生者たちの倍以上の速さで木々を飛び移って来たらしかった。

 もはやヒロは、自動車並みの速さで木々を駆け抜ける人間が居る事実がおかしいとも思わなくなっていた。


「転生者は、負けない。絶対」


「言うじゃん。それじゃあ着いてきなよ!」


「ナカジマ」


「何さ」


 空返事を聞いたミライは真剣な面持ちを作り、昼休憩での悔しさを脚にこめて姿勢を低く作りはじめた。


「一緒に、ゴールしようね」


「それ絶対一緒にゴールしないやつ!?」


 結局ヒロは、疾駆する二人に置いてかれることとなった。


〜〜〜〜〜〜


「ナカジマ、ゴールするの遅い」


「ぜひゅー、うぇえ……」


 ヒロがゴールしたのは、ギリギリ日が暮れ切る前だった。ずっと前にゴールしたミライは、王国への報告書を書いている最中だった。

 その頃には汗で服も身体もずぶ濡れとなっており、過呼吸気味に大の字に寝転ぶしかなくなっていた。


「これをウォーミングアップとして毎朝行なう。その後は基礎能力訓練だ」


「ま、マジですか……?」


「これくらい出来なければ笑い物だ。他に質問はあるか」


「なら、もう一つ……」


 今にも消えそうな声で問いかける。


「訓練が終わったら幼馴染を探したいのですが、よろしいでしょうか……」


「今の貧弱な貴様を見せられるか? それともここで儂に殺されるか?」


「すみません、我慢します……」


 望みが叶いそうに無いとわかった途端、ヒロは胃の中のものをぶちまけながら意識を手放してしまった。


〜〜〜〜〜〜


 次の日、前世で走った距離以上を走らされたヒロは、全身筋肉痛で動けなくなっていた。

 しかしポーションを無理やり飲まされたことで全回復させられ、すぐにランニングへと駆り出された。

 なんとか走り切ったものの正午までに間に合わなかったため、もう一周追加で走らされることとなり、日が暮れる頃には再び胃の中のものを全て出して気絶した。

 筋肉が壊れれば、回復させられ再び地獄の鍛錬に駆り出される。これを繰り返せば、嫌でも身体は強くなってゆく。

 高校では非力で名が通っていたヒロも、1週間後にはしっかりとしたスタミナが身に付いていた。


「何をしている」


「あ……先生」


 この日、村は年に一度の祭りを行なっていた。古くなった家材や道具、死者の遺品を一斉に燃やし、物に宿った魂をもマナへと還す風習だ。そして出来た灰を麦粥に入れて飲み、感謝を告げるのだ。

 この村が「灰の村」と呼ばれるようになった理由も、この祭りから来ているのだという。


「これを燃やそうと思ったんです」


「先日の下手人の遺物ドロップアイテムか」


「はい。村を襲ったので、あの中で燃やすわけにもいかないと思いまして。コイツが命を奪ったお婆さんの遺品もありますし」


「だから暗がりで密やかに、か」


 やがて写真に火が広がってゆき、光の粒子となり天へと登ってゆく。

 それを見届けると同時に、ヒロは手のひらを合わせ、額の前に持ってゆき祈りを捧げ始める。


「……先生?」


 それを見たゲオルクも、同じように写真の前で跪き、手を合わせて祈り始めた。


「命への責は儂にもある。これが、貴様の世界の弔いなのだろう」


「……ありがとうございます。どうか、安らかに」


 二人が祈る先から、パチパチという音と、草とインクが焼ける匂いが広がる。

 最後の一片が光の粒子となったとき。


「――ありがとう」


 そんな声が聞こえた気がした。


「こんなとこで何してるの。お粥冷めちゃうわよ」


「オシッコなげーぞ。さてはウ○コか?」


「食事前にそんな言葉を出すな、この馬鹿孫」


 クルトへのデコピンを手土産に、老師と弟子は広場へと戻っていった。

 赤い粒子が煙と共に、天へと昇り、消えていった。


〜〜〜〜〜〜


「村の力自慢に腕相撲で負け、クルトには脚で負け、魔術の才能も空っきし。誇れるのは家事だけだな」


「……はい」


 ヒロの作った麦粥を飲みながら師がもたらした総評は、これであった。


「それ故、装備の能力を持つ意味が理解できんな。家事代行として、その道を極める能力を持てばよかっただろう」


「……それは」


「はぐらかすなよ。自分の本心と向き合えぬ者は、一生かかっても有象無象のままだ」


 言いたく無いと言わんばかりに目を逸らした転生者は、逃げ場を無くされ震えが止まらなくなる。


「えっと、それアタシたちも知らなくて」


「せっかくだし、知りたいから教えてくれよ!」


「黙っていろ」


 彼の邪魔をするな、と言わんばかりに孫たちを目で抑える。

 そして師の姿を見て意を決し、唾を飲み込み、重く口を開ける。


「……俺、勇者になりたいんです」


「勇者とは何だ」


「……剣と魔法で悪いやつを倒す、そんなカッコいい、存在です」


 少年の声は震え、頬は赤く染まり、目の焦点がぶれていた。


「そうか」


 ゲオルクは短く呟き、目の前の転生者と向き合いながら続ける。


「ならば問おう。貴様は、何のために勇者を目指す?」


「……え?」


 素っ頓狂な返事をしたヒロに、よく聞け、と師が告げる。


「一つ。よく観察しろ。己も他も含めて、全てを学びの糧としろ」


「観察?」


「勇者を目指す理由がわからぬうちは、決して強くなれると思うな」


「……っ」


 言葉を詰まらせながらも、ヒロは師匠からもたらされた教訓を懸命に噛み砕こうとしていた。


「そういや、ヒロセは?」


「奴は卒業だ。もう儂から学ぶことなど無い」


 クルトの問いに、短く祖父が答える。彼女は今、ヒロが灰の村周辺から出ない代わりに活動できるよう申請を出しているらしい。

 本人が直接出さなくても良いのかと続けて問うが、期限や条件、保証人などがあれば良いようだ。


「んだよ、ムカつく。せっかく今日は灰祭りだってのに!!」


「ほんとムカつくよね。あと頑張ってる人が報われないのも、さ」


 孫二人が愚痴をこぼすが、ヒロだけは違った。何かに気付いたように目を見開き、動きをぴたりと止めていた。


「まずは一歩目だな」


 そう呟く祖父の真意を、孫二人は理解できなかった。

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