「今日は家に引き返した方がいいよ」

 ぼんやり空を眺めている実散みちるにかけられた言葉は、どうやら足下から発せられたようだった。愚鈍な性分をせせら笑っているかのような鉛色の空は無性に苛立ちを覚えさせる。それもこれも、これから犯そうとする馬鹿な犯罪を反芻する心持ちが、そう映させたことは否めなかった。

「……」

 特に言葉も出ない。一度、腹を括ったのだからやるしかない。

「人の話はちゃんと聞こうね?」

 声の主はどうやら実散に対して言っているらしい。この瞬間まで、それはただの気のせいだとばかり思っていたが、それを目の当たりにして、ぎょっ、と目を瞬いた。

 マンホールの蓋を押し上げて――その扁平な後頭部で――つぶらな瞳が上目遣いに――太い眉と眉間の皺、どこか愛嬌のある顔――穴から窮屈そうに実散のことを見上げているおじさん――実際、髪や髭を小綺麗に整え、肌の調子も女性の実散のものよりずっと張りがある。だから、おじさんというよりも若々しい――井戸ならぬ下水道に続く穴から淡白な調子の声――やっと聞き取れるかどうかの際どい声量で――ずんぐり、とした体躯を無理に押し込めて穴の中に、座っていた。

 驚きは瞬間に断片的な情報を拾い上げて、実散の脳神経を駈け抜けて認識した。

 千円札のあのおじさんに似ているか? 実散は考える。夏目漱石? いや、如何にも博士といった出で立ちだったから、漱石だなんて洒落た感じではなかった。とはいえ、昔ちらりと父に見せられた記憶でしかないから、真実、そうとは限らない。

 敢えて言うなら、その相貌には記憶を刺激する普遍性が滲み出ていた。

 これはザーヒルだ、と実散は直観した。

 一見、薄汚い印象を覚えるおじさんの身なりを直視すると同時に、その瞬間から目を離すことができなくなっている自分を自覚して、背筋に冷たい汗が流れ落ちる。

 ザーヒル、ザーヒル……、ザーヒル。三は尊い数字。それは多を顕し、現実に多を現す。

 実散の言うザーヒルとは――年号制の廃止からいくらか経過した日本に蔓延し始めた奇病――とはいえ、あまりに主観的な症状であるため、思うように研究は進んでいないようである。一般的には、『ザーヒル性認知障害』、あるいは、端的に『ザーヒル』と呼ばれている。脳に腫瘍ができることで発生する幻覚症状とも違い、統合失調症に視られる脳内物質の異常による心的な幻覚症状とも違う。結果から述べれば、発症につながる原因を特定するためにも多くの患者の観察が必要であるなか、その臨床データになんら信憑性を見出せない、という些か奇妙な現状がゆえに『ザーヒル』という不確かな概念で論じられるのかもしれない。

 現在確認されているだけでも相当数の罹患者がおり、その潜在的な人数まで含めれば未知数とされている。身体による欠陥が原因ではないことは解っているものの、決定的な治療方法も確立されていない今、自然災害等に視られる『現象』的側面が強いものではないかとも言われている。

 ザーヒルの引用だが――ボルヘスがもたらした幻想性を皮肉にも病名に当てはめたのは、これを一種の原初的神経験であるとフェティシズムに傾倒する――彼らはこの現象を病気とは考えない――宣教師然とした一派の提言によるものである。白日夢にも似たザーヒルの突発的な――事実、交通事故に遭遇するより確率が高い!――性質ゆえにいつしかそのように呼称されるようになったとされている。

 などと、職業柄週刊誌を切り取ったスクラップブック――実際は彼女の彼女の所有物――の一節を諳んじながら、実散は胃が硬直していくような鈍い疼きを腹部に感じることができた。

 どうやら審判の時は近いようだ、と。

「今日はおとなしく家に帰りなさい」

 警告。そう捉えることもできる。半ば、放心状態の実散にその声はあまりに残酷だ。

 そこで、待てよ、と思考する。

 このおじさん顔のマンホール男のその位置、目線の角度。ともにスカートの内側を覗き見られているような気がしてならない。実際、実散がザーヒルの前に晒していた服装はやや丈の短いチェックのプリーツスカートに全体的にタイトなニットと緩いシルエットのジャケット。この装いに対して前田かなこから、「幼い」と困り顔で訴えられることが多いが。実はその困り顔見たさに〝幼さ〟を演出していると言ったらどう反応するか……彼女は笑ってくれるだろうか?

 とにかく、こんなわけのわからない存在に下着を見られることに憤りを感じた。それと同時に、今朝はどんな下着を選んだのだったか? 羞恥心の中にも矜持は隠れ潜んでいる。どうせ覗かれるならそれなりの物を身に着けていたい。下らない自意識ではあるけど、ここ数年のうちに――主に仕事の影響で――実散の自意識には屈折した面倒臭さのようなものが植え付けられていた。

「ちゃんと人の話はっ――」

 尚も声を上げるそれを無視して踏みつけにする。悲鳴も聞こえない。しかし、名前の思い出せない普遍性を持つおじさんの顔がそこかしこから、ずんぐりと持ち上がってこちらのことを見ているように感じていた。単なる錯覚と一蹴するにはザーヒルの纏う分厚い空気のようなものが辺りに残滓として漂っているのは確からしい。

 別段、マンホールごと踏みつけにしたことに瑕疵はない。重み、という存在感は無であり、それは目に映る幻以上の脅威とは言えない。

 どこか腑に落ちないものを感じることはあっても……。

 誰にでも起こりうる事実として認識も新たに、実散は歩みを再開させた。

 その先にあるものが、必ずしも幸福であるとは限らないのはなぜか? ザーヒルの結果で破滅することもあれば、寛解することもまたあり得ると、知識の上では心得ていたとしても、果たして導き出した答えが自分自身の行動の結果であったのかを客観的に認識することは難しい。

 結果であったというならば、実散にとって現実であったと認めることもできたはずだったのだから。

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