清々しい空気の中で

 さすが貴族のコテージと言うべきか、ベッドも借りている部屋のものと遜色ないほど寝心地がよかった。

 夕飯はバーベキューだったし、と若騎士は昨晩を振り返る。

 ラヴィールが暮らしていた街では、半年に一度収穫を祝ってバーベキュー大会を開催していた。街全体の催しのため、近所の子どもと肉を取り合ったりする会場は活気に溢れた雰囲気に包まれている。

 それがラヴィールの中の「バーベキュー」だった。

 だから一枚ずつ焼かれた肉が順に運ばれてきたときは目が点になった。

 どうやら平民と貴族とでは上品さというか楽しみ方が異なるらしい。


(美味かったけど、地元のバーベキューのが気楽ではあったんだよな)


 すこしでもマナーを間違えると、あのメイドが無表情で「やり直し」と冷たい眼差しを向けてくる。肉欲しさにわざとリテイクを求めてマナーを間違えると、

「……今度から、リテイクする度に食べる量を減らすようにしましょうか」と冷笑されてしまった。

 正直食い足りなさはあったものの肉は美味かったし十分満足できた。


 しかし。


 翌日に待っている、令嬢と交わした予定に対する不安とプレッシャーのせいで寝つけなかったのだ。たらふく胃に収めて湯船にまで浸かったというのに、心は夜が深まるにつれて落ち着かなくなっていった。提案したのはラヴィールのほうだが、だからといって緊張しないはずがなかった。

 そう。寝つけないまま夜が耽けてしまい、朝日が昇る時間が近づいているにも関わらずラヴィールの目はギンギンに冴えてしまっていた。

 さすがにこの時間から寝てしまうと二時間かそこらで起きるのは難しい。仕方なく体を起こした若騎士は陽が昇る前の森を歩き出した。

 朝露が足元を湿らすが、なぜだかそこまで不快には感じない。むしろ心地良さすら感じる。森の涼やかな空気が穏やかな心にしてしまうのだろうか。

 すぅ、と胸に新鮮な空気を取り入れたその瞬間、背中に大きな衝撃が走り地面に膝をついた。この痛みには覚えがある。

「……あら、誰かと思えば。失礼致しました」

 今回はさすがに腕を背中にむけて捻じるような技はかけてこなかった。とはいえ、

「いきなり同僚を蹴るのは酷くないですか」と文句を言う。

「不審者かと思って、つい」

 つい、で済まされた背中の痛みは結構なもので、怨念でも込めていそうな執念深さを感じた。

「つい、で済まさないでください」とは言うものの、正式に抗議したところでこのメイドが怒られることにはならないだろう。なにせ信頼の重みが違う。

 どうにもできない苛立ちを外に放出するように大きくため息を吐く。不満たらたらのラヴィールを無視し、メイドは「それはそうと」と話題を変えた。

「お嬢様が付近を案内してくださるそうですね。本来なら私も付いていくのですが、お嬢様にお使いを頼まれてしまったもので。不本意ですが、お嬢様の警護は頼みましたよ」

 嫌そうな顔で言うメイドに目が丸くなる。

「なにを驚いているんです」

 不機嫌そうに問うメイドに、

「いや……任せて、くれるんだなと」

 ラヴィールは正直に伝える。過保護とも言えるほど令嬢をガードしているメイドのことだから、てっきり二人きりにされることはないだろうと思っていたのだ。

 メイドは「簡単ですよ」と碧眼を細めた。

「仮にあなたがお嬢様を殺そうと画策していたとして、お嬢様を殺すことなどできませんから」

「はっ?」

 意味がわからずに素っ頓狂な声が出てしまう。騎士としての腕を舐められているのか、それとも令嬢はなにか自衛の術をもっているというのか。もしくは、令嬢の誘拐や暗殺など命知らずなことはよもやしないだろうという脅しだろうか。

 三つ目の考えが一番妥当な気がする。通常運転のメイドに対してため息しか出てこない。

「信じられないかもしれませんが、令嬢のことはお守りします。……あの人は、貴族なのにちっとも幸せそうではないので」

 余計な一言だったか、と冷や汗が背を伝う。しかしラヴィールの心配を他所に、メイドは「そうですか」と言った。詮索するでも怒っているでもないが、妙な緊張感が漂った。

「それより、暇ならビビの手伝いをしてあげてください。なにせ使用人が私とビビしかいないものですから」

 話を終わらせたメイドは「早く行け」と言いたげにコテージの方を指す。この人の仕事なのでは、という疑問をぶつける勇気などない若騎士は大人しくコテージへと向かった。


「──……さて」


 スッとかがみ、地面に転がっていた黒い物体を拾い上げる。若騎士の制服の襟に付けられていたものだった。令嬢に仕える前の仕事で度々使用していたものと瓜二つのに、ソッフィオーニはいち早く察知した。

 ラヴィールが引っつけていたのは超小型の盗聴器だった。もしかしたら若騎士がわざと付けていた可能性もあったためわざと強めに背中を蹴って様子を見たのだ。

 だが若騎士は盗聴器の存在を気にする素振りもなく、恨めしげにソッフィオーニを睨んだだけだった。


(一体どういうつもりなんだか)


 だれの仕業か、ということに関してはおおよそ検討がついている。直感が鋭い若騎士に気づかれずに盗聴器を仕込むなんて芸当、彼以上の実力者で、かつ彼が信頼している者でないと成し得ない──はずだが、なにか引っかかる。なにが引っかかるか、と問われるとわからないのだが。

 わからないといえば目的もそうだ。一体なんのためにラヴィールに盗聴器を仕込んだのか。令嬢との会話を聞くためだけであれば、若騎士よりもビビに仕掛けた方がよほど簡単だし情報も得られるだろう。


──胸騒ぎがした。


 だがソッフィオーニは「心配性が過ぎるか」と独りつぶやく。どこか掛け違っている。なぜだかそう感じたものの、きっとなにも起こらないと願望を込め、メイドは不安を胸の奥底に押し込めた。

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