各々の事情
このままでは駄目だ、とソッフィオーニは目を閉じる。陽が微かにしか覗かない部屋の中、一人と一匹はもう何日も椅子から動こうとしない。厳密には、一匹のほうは座っている少女の膝から動こうとしないのだ。
昼に散歩する習慣もなくなってしまっている。元々呪いのこともあり外に出ることを怖がっていたものの、眼帯やベールを着けるようになってからはよく外に出ていた。
令嬢が外どころか部屋を出ない理由は来客にある。オルガ嬢が専属騎士を雇ったという報告を受けた親戚筋が祝いと称して集まっているのだ。しかし集まった中にオルガ嬢を祝そうなどと考えている輩はいない。
オルガ嬢が齢10になり生誕祭のパーティーが開かれたときのこと。そのとき初めてソッフィオーニは親戚と顔を合わせたのだが、四年前の出来事とは思えないほど鮮明に、
「呪いがまた強くなったんだって?」
「本当に恐ろしい。悪魔に好かれるだなんて、あの子は前世でいったいどんな悪行をしたのかしら。そんな子がアランジュ家に来るだなんて……さっさと養子に出してしまったほうがよかったのではなくて?」
恨みがましい、厭いを隠そうともしない顔と愉しむような声で囁き合った。心無い言葉を平気で口にする連中の集まりに、いったいだれが好んで渦中へ飛び込むというのか。
毎年開かれる生誕祭も、今では貴族たちの間にて「主のいない生誕祭」と噂されている。その集まりに、主役であるはずのオルガ嬢が出席しなくなったからである。
しかし来客がいつ帰るかなどわからない。普通ならばそう長居はしないが、今回の集まりはなにもオルガ嬢の祝い目的だけではないらしいのだ。なんでもダルダンで失踪事件が多発しているのだとか。
国内で問題が起きると、領地を管理する貴族に共有される。問題に関するなにか詳細が掴めればそれを共有しなければならない。と、表向きはなされているがその真相は定かではない。
「──お嬢様」
呼びかけに対し、令嬢はやわらかな毛並みを撫でる手を止めて顔を上げる。
「このままではお体によくありません。外出しましょう」
メイドの提案に令嬢は黙りこくる。うんともすんとも反応がない。こういう態度は令嬢なりの抵抗なのだとソッフィオーニは知っている。
「別荘地へ参りましょう。奥方様も当主様も賛同してくださいました」
令嬢の息を呑む気配があった。膝の上に丸まっていたアレクはメイドと令嬢とを交互に見やる。
『別荘地……もしかして、しばらく戻ってこなくて良いと言われた?』
「期限は伺ってません」
そう、と受けた令嬢は『ありがとう』と紡ぐ。感謝よりも安堵が勝った声色を敏感に拾ったらしいアレクはぴくりと耳を揺らした。
『なんだよ。おまえ親と仲悪いのか?』
「おまえ……?」
『オルガって呼んで欲しいな!』
怒気漂う低い声を令嬢が遮った。メイドは小さく息をついてから「いいですか」と膝の上で震える獣に睨みをきかせる。
「お嬢様と親しくするのならば、それ相応の礼儀を身につけなければ恥をかくのはお嬢様です。お二人だけのときは、お嬢様がよろしいのでしたら私も口を
ソッフィオーニの無機質な声に対抗するように獣姿のアレクは唸り声をあげた。
『俺に貴族の振る舞いしろってか?嫌なこった』
「お嬢様の友人でいたいのなら呑み込みなさい」
メイドの命令口調に『そんな必要ない』と制止をかけたのはオルガ嬢だ。
「しかしお嬢様……」
反論しかけたメイドに令嬢は手を掲げた。メイドは口を閉ざす。
『他の人の目があるところでこの子と接したりする機会なんてないわ』
そうでしょう、と令嬢はメイドに同意を求める。
「断定するには時期尚早かと」とメイドは肯定しなかった。
「……別荘には、参りますか?気は楽になるかと」
話を戻したメイドに、令嬢は小さく首を縦にする。
『ええ 準備をお願い』
「かしこまりました」
一礼して部屋を出たメイドは扉を背にため息をついた。
結局トラブルのせいでラヴィールの私物を身につけることはできていない。忘れ物という形で部屋には置いてあるが、それを肌身離さず持ち歩くわけにいかない。
王子から借り受けた聖品も改まった場でしか使えない。万が一があっては困るからだ。
「ソフィさん?大丈夫ですか」
心配げに見上げてくるビビを前に、今は旅支度の最中だったと意識が浮上する。いつの間にかぼうっとしてしまっていたらしい。
「お疲れなのではありませんか?お嬢様もお休みになりましたし一息つかれてはいかがでしょう。実家から送られてきた茶葉が余っているのでよろしければ提供させてください」
いそいそとテーブルと椅子をセッティングするビビに促され、ソッフィオーニは椅子に座る。
「では、お言葉に甘えても良いですか?」と眉を下げて口角を緩めたメイドに、
「もちろんです!」
と興奮気味に受けたビビは忙しなく部屋を飛び出していった。
残されたソッフィオーニは「みなさん」と宙に向かって声をかけた。周りに人は誰もいない。キラキラと輝く光がだんだんと集結し、ソッフィオーニを囲った。
「気配はどうでした?」
ソッフィオーニの問いに、光のひとつが『当たりだった』と答えた。
『天使の加護だったよ!』
光の答えにソッフィオーニは「やはりそうでしたか」とうなずく。だがその表情は固い。
『それも結構ちゃんとした加護!』
やはり、とつぶやいたソッフィオーニの表情はますます険しくなる。だがすぐに眉間のしわを解き、
「……ありがとうございます。近いうち、またお礼を持っていきますね」と朗らかに微笑む。
ひとしきり喜んだ光たちはだんだん消えていき、最後には静寂だけが残された。
一人になったメイドは目を瞑る。
──だれにだって、知られたくないこと、知られたら困ることがある。
それは身に染みてわかっている。だからそう簡単に動いてはならない。こちらの事情ばかりを押しつけたところで、いったいだれがその要求を呑むというのか。尊重し、尊重されることで初めて信頼が成り立つ。わかっているが、と拳を握る。
どうやらあの若騎士の母親には天使の加護があるらしい。それを隠そうとする理由もあるのだろう。だが、だとしたらお嬢様の呪いを打ち明けたところで彼は協力してくれるだろうか。いや、そもそもお嬢様が彼に打ち明けることができるのだろうか。
眉間にしわを刻んでいたメイドだが、ふわりと漂ってきたほのかに甘く落ち着く香りに顔を上げる。ワゴンに乗せられたビビの持参品であるティーポットとカップが目についた。
「私のお父様が治める土地では紅茶の茶葉が特産品のひとつなんです。時期になると大量に送られてくるのですが、いつも飲みきれないほどの量で」
とビビはカップに紅茶を注ぐ。慣れた手つきですこし高い位置から注ぐ彼女はいつぞやのように得意げな顔をしていない。
「どうぞ」
湯気がほわりと香りを運ぶ。花のような香りに目を細め、くっとカップを傾ける。香りが甘めだから味も甘いかと思えばそうでもない。
「おいしいです。今度お嬢様にも淹れて差し上げてください」
「は、はいっ!」
頬を紅潮させ、期待に瞳を潤ませる。最初出会った頃はまさかここまで優秀なメイドに育つとは思わなかった。素直で、人を気遣えるような人間だということも知らなかった。
「生きていればね、人間何回だってやり直すことができる。でもだれだってできるわけじゃない。もう後がない、やるしかないんだって覚悟を決めた人だけが、自分で道を切り拓いていける。それを若い子に教えてあげるのが大人の役目だと思うの」
ソッフィオーニが育ての親から教わったことだ。
笑みを隠すようにカップに口をつけたメイドは「おいしい」とだれに言うともなくつぶやいた。
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