雰囲気が柔らかな紳士

 結局ラヴィールは一人その場に取り残され、兵にあっさり見つかり、屋敷を追い出されかけたところを上官に保護された。

「──いやほんとごめんって。そんなに怒るなよぉ」

 情けない顔と声で部下に謝罪する男に返ってきたのは、冷たい視線と声だった。

「上司の奔放に付き合わされたこっちは、なんの報酬もないどころか先方にマイナス印象植え付けたんですよ?怒るっていうか……言葉が出てこないってだけですよ」

「それもっとダメなやつ……」

 でも、と上官は口元を長い指で隠しながら横目でラヴィールを見下ろし、


「……果たしてマイナス印象になるかな」


 低く囁かれたものを聞き取れず、ラヴィールは眉をひそめる。

「御足労ありがとうございました。こちらの応接間で、しばしの間お待ちくださいとのことです」

 塵一つない真っ白な廊下を歩いていた騎士二人に、案内を任されたメイドが扉を開けて中へと促した。

 このメイドはお淑やかで品があり、ラヴィールの理想通りの人物メイドだった。

 メイドの背を見送り、部屋を見渡す。

 美しい小さな金の花柄が刺繍された、真っ白なクッションが二つ置かれた同系色の二人がけソファが、向かい合わせに置かれている。しかしどうにもそこに座ることが躊躇われ、ラヴィールはソファの後ろに控えるように立つ。

「ここの屋敷の人は平民だからって座らせないことはしないぞ」

 見透かしたように進んでソファに腰かける上司を睨みつけ、

「追い出されかけましたが」と言う。

「それは不法侵入したからだよ。平民だからじゃない」

「不法侵入って自覚はあるんだな」

 一応の常識は頭にあるらしい。


 気を取り直し、ラヴィールは天井の高い部屋を眺める。騎士の施設よりも綺麗な場所など滅多に訪れる機会がない彼からしたら、みやびすぎて恐れ多い。つまり居心地が悪い。

「なんていうか、高そうなやつが多いですね」

「やっぱりわかるものなのか?」

「……そりゃそうでしょ。意地が悪いですね」

 ラヴィールは不機嫌に言い捨てる。

「え?ああ、そうじゃなくて。良いものってのは誰が見てもわかるんだなって思っただけだ。そう深読みするなよ」

 と上司はラヴィールの肩を軽く叩いた。

「つってもお前の場合は難しいか……まぁ、少しずつ信頼できる人を増やせよ」

「小隊長は人を信じすぎて損しそうですけどね」

 嫌味に言い返され、上官は「お前は……」と苦い顔でため息混じりに呟く。


 コンコン、と戸が叩かれる音の後、淑やかな方のメイドがワゴンを押しながら入ってきた。

 木のワゴンには高価そうなティーセットが並べられている。

「主はもうすぐ参りますので、もう暫くお待ちくださいませ。お飲み物をその間お楽しみ頂ければと思うのですが、珈琲と紅茶はどちらになさいますか?」

 メイドの問に、上官が先に「紅茶をよろしく頼むよ」と笑む。

 だが連れの方は一向に答える気配がない。

 眉根を寄せ、

「そんなに悩んでるのか」と訊く。

 しかしラヴィールは目を瞬くと、

「オレ──いや、私の分もあるんですか」と困惑気味に言った。

 フュリスは「当たり前だろう」と息を吐き、手招きする。

「いいから、さっさと座れ。メイドがどう対応していいかわかんなくなるだろ」

 上官の指示に、ラヴィールは「すみません」と感情のこもらない声で謝罪し、上官の隣に腰を落とす。肌触りが良い上に弾力ある座り心地に、「分不相応」の文字が頭をよぎった。

「御二方とも紅茶でよろしいでしょうか?」

 メイドから向けられた笑顔に、ラヴィールは声を発することなく無愛想にうなずいた。しかしメイドはさして気に留めることなく、

「かしこまりました」とワゴンの上で手を動かし始めた。


「──お待たせ致しました」


 メイドはソーサーに乗せたカップを二つ、騎士たちの前に音を立てずに置く。その隣にはご丁寧に、ミルクと砂糖のカップを添えてあった。

「よろしければ紅茶のお供にどうぞ」

 とクッキーの乗った皿を二人の前に出すと、「では失礼致します」とワゴンを手に再び扉の外へ姿を消した。

「お、美味いなこれ。シェフがいいんだろうなぁ」

 既にクッキーを口に放り込んでいたらしい上官は、咀嚼しながらジャムクッキーを一つラヴィールに投げた。

「ちょっ 食べ物投げないでください」

 と言いつつ、ラヴィールは流れるようにクッキーを手に収める。

 手に取ってしまったものは食べるしかない。

 ラヴィールは一個を全て口に放り込んだ。

「……うまいっすね」

「あ、甘い物嫌いじゃなかったんだな。よかったよかった」

 渡す前に確認しろよ、という文句をクッキーと共に喉の奥へ押し込む。苦い気分が甘さに溶かされ、後には幸福感だけが残った。なんと素晴らしい食べ物だろうか。

 幸せを全面に出すラヴィールの横顔に、上官は密かに優しい眼差しを向けていた。


「待たせたね」


 扉の開閉音の後、ひょろりとした男がスティックを片手に入ってきた。

 煌びやかなスーツではなく、慎ましやかな服を纏う男を怪訝な目で見つめていると、頭を捕まれ、力任せに下を向かされた。

「アランジュさん、お久しぶりです。礼儀がなってない部下ですみません」

 アランジュ、との単語に血の気が引く。

 当たり前だ。貴族以外の誰が「待たせた」など偉そうな口ぶりで入ってくるのだ。

「確か──平民出の騎士だったかな?そりゃ、礼儀も作法も貴族私たちとは違うだろうね。これからの機会、きっと他の貴族と交流があるだろうから、フュリス君からしっかり習うといい。彼は社交界での評判がとても良いからね」

 ほんわかとした雰囲気の貴族に、ラヴィールは困惑した。

「温情を、ありがとうございます」と言葉を絞り出す。

 アランジュ邸の主こと、ツェルン・アランジュは「うんうん、そういうパフォーマンスも大事にね」との助言をした後、おもむろに骨ばった指を組み、


「それでいきなり本題なんだけどさ、君さえよければうちの娘の専属騎士になってほしいんだよね」


 優しげな、しかし真意の見えない笑みを浮かべた。

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