ク〇上司

 馬車の止まった場所を目にしたラヴィールは、思わずといった様子で上官を振り返った。

「こ、ここなんですか。この、どデカい建物……」

「そう。アランジュ邸は団に資金援助してくれてる家だと言ったろう?この王政が始まった初期から尽力した家の一つで、由緒正しい貴族一派。領民からの人気はとても高いことで有名な家だ」

 美術館や博物館と同等の大きさの邸宅を、ラヴィールは憎々しげに睨みつける。

「金はあるところにはあるってことですね」

 吐き捨てた言葉を否定せず、フュリスは「まぁなぁ」と苦笑する。

「だがさっきも言った通り、この家は領民からの人気がとても高いんだ。お前の貴族嫌いはこの家に当てはまらないと思うよ」

 ふい、と顔をそらすラヴィールの目は、「そんなわけないだろ」と言いたげに鋭く細められていた。



***



「じゃ、行こうか」


──と鼻歌を歌い出しそうなほどご機嫌だった男は、門番と話すうちにだんだん青ざめていった。


「……ええと、それは、つまり」

「はい。アリエッタ様からは、婚約者殿を敷地内へ入れないよう仰せつかっております」

 門番の容赦ない一言に、フュリスは膝を折って項垂うなだれた。

「どうするんですか」

 ラヴィールは追い返された上官に冷ややかな目を向ける。

「……どうするも、こうするも」

 むくりと体を起こしたフュリスは息を長く吐き出し、

「侵入するしかない」と騎士らしからぬ発言をした。

 耳を疑ったラヴィールは「はっ!?」と目を剥いて上官を見上げる。

「落ち着いてください!小隊長ともあろう人が何を血迷ったことを……!馬鹿をさらけ出すのは惚気話だけにしておけ!」

 手を震わせながらの必死の説得虚しく、

「大丈夫大丈夫。僕のお姫様はどうやら、自分の用意した障害を乗り越えて逢いに来て欲しいたちらしい。たぶん僕の愛を確かめたいんだろうな」

「いや絶対違ちげぇし……仮にもしそれが当たってたとしたら、今まで婚約者を放置したのはどうしてです」

 出張や身辺警護の依頼は入ってなかったのだから、会おうと思えば時間を作れたはずだ。

 フュリスは長い睫毛を上下させた後、ニヤリと唇に弧を描くなり、

「なんでだと思う?」と愉しげに言った。


(性格悪ッ)


 顔をしかめるラヴィールに背を向け、

「裏口から入ろう」と走り出す。

 こんな馬鹿げた不法侵入に加担したくなどない。

 しかし走り出す上官を見送った場合、確実に騎士としての生活を送ることはできなくなる。というのも、連れ出されたのは高級住宅が並ぶ、通称「貴族街」。いくら騎士の称号があったって、貴族様が「帰れ」と言えば街を追い出される。身分の証明をしてくれる上官がいなければ、この土地に足を踏み入れることすらできないのが彼の現状だ。

 即ち、今から会う予定だった貴族様の予定をほっぽりだすことになるわけで──、


 つまるところ、彼には「馬鹿を露見した上官の後を追う」選択肢しか残されていなかった。


「クソ上司……っ!」

「さっきから心の声漏れてんだけど!?僕一応小隊長だよ!敬って!」

「敬ってほしかったらそれ相応の行動をしろよ!」

 大声で怒鳴り合う二人の声を聞きつけ、警備兵が「なんだなんだ」と集まってくる。

「えっ ラルド侯がなぜ門の中に……」

 戸惑う兵たちに背を向け、二人は一目散に駆け出す。

「ふっつーに見つかってんじゃないか!どうするんです!これじゃ人生を賭けた鬼ごっこじゃないですか!」

 部下の悲痛な叫びに、フュリスは「うーん」と唸り、指を弾いた。

「よし。お前は裏庭の方へ、僕はお姫様の部屋へ行く。それで相手の戦力を分散しよう」

「なに良い作戦ふうにいってんだ!」

「良い作戦だぞ?実際。お前じゃまだ僕についてこれないだろう」

「……っそれは」

「まあまあ」と笑いかけながら部下の肩を軽く叩き、

「庭は左手のほうにある。これも修行だと思って捕まらないよう頑張れよ」

「上司の失態の尻拭いに付き合わされてるの間違いだろ……」

 嫌味を吐くも、フュリスは意に介することなく「乗りかかった船ってことにしておいてくれ」と笑いながら裏口の方へと走っていった。


 後方の方から聞こえてきた靴音に、ラヴィールは上官への愚痴を喉の奥に押し込み、指示された方角へ走り出した。

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