音楽と噓とマクドナルド
夏鎖
音楽と噓とマクドナルド
iPodにつながれた有線のイヤホンから流れるギャリギャリとしたギターカッティング。飽きるほど何度も聞いた電子的なレスポールの音色と、意味なんてない綺麗で怠惰の塊みたいな歌詞を吐き出すボーカルの中性的な声に聴覚のすべてを預ける。
音楽の授業で習う退屈なピアノ伴奏曲ではない。ベースギターが生み出す低音域が厚い私の好きなバンドの、私の一番好きな曲を放課後のマクドナルドで聴くと、ようやく青春を浪費する自分のことを忘れられる。
しかしそんな時間も四分三十三秒しか続かずに、私の意識は中高生とママ友のおしゃべりがごった返す店内に戻ってしまう。
イヤホンを外す。そのタイミングを狙ってか、目の前に何かが差し出される。
「ポテト、食べる?」
ありえないほど細い指先にしなっとしたフライドポテトを挟んだユキが小さく首をかしげて問う。その時さらりと一房髪がおでこから降りて、その絵画のようなワンシーンに何も言えずに黙ってしまう。
「いる?」
「えっ、あっ、うん」
返事を焦った私はポテトを手で受け取らずユキの口から直接ついばんだ。
「…………」
「……どうしたの? そんな顔して?」
「いや、直接食べると思ってなかったから」
「えっ? あっ! その――」
「いいよ。別に気にしてないし」
「ごめん」
「だから気にしてないって」
「でもなんか恋人同士みたいだったし……」
「はぁ? 何言ってるの?」
「ご、ごめん。ユキにはかっこいい彼氏いるもんね」
「いないよ。いないしツッコミたいところがたくさんある」
ユキはまだ宙に彷徨わせたままだった指で、今度は自分のためにポテトをつまんだ。
「ウミはほんとマイペースだよね」
「それはそうだけどユキもそうでしょ?」
「そうかな?」
「そうだよ」
会話が終わると今度はユキがワイヤレスのイヤホンとiPhone13で音楽を聴き始める。私の音楽の聴き方よりも五年も十年も進んだそれで聴くのは九十年代の洋楽、しかももう存在しないバンドの曲なのだから少し不思議に感じる。
月見が終わってグラコロが始まらない季節。指定校推薦での高校進学がほとんど決まっている私たちは一般受験組の焦燥感から逃げるように放課後のマクドナルドに立てこもった。ユキとは一年生の頃同じクラスだったがそこまで仲のよくない女の子だった。しかし私たちのクラスで受験がほとんど終わっていて部活もやっていない同性が私とユキしかいなかったこともあり夏休み前からなんとなく一緒に過ごすことが多くなり、今ではこうしてほぼ毎日放課後は一緒にいる。
まだ残っているコーラのSをずずっと音を立てて吸い込む。音楽を聴きながらインスタをリロードし続けるユキは薄く化粧をしていて、細工をしていない私とは別の世界の住人だと感じる。ユキは指定校推薦で校則が緩い制服の着こなしがみんなおしゃれな偏差値の高い都立高校に進学する。でも私はお世辞にも偏差値が高いとは言えない私立高校で――
(なんでユキは私と仲良くしてくれるのかな?)
これまで何度も自答して、出した答えはクラスでの境遇が似ていることとお互いに音楽が好きということだけだった。
私もまたイヤホンを耳につないで音楽を流す。最近YouTubeで見つけたアコースティックなシンガーソングライターの歌を流す。夜の寂しさを歌った歌詞がやけに耳に残った。
× × × × ×
音楽を聴くようになったのはいくつかのきっかけがあった。勉強もスポーツも得意ではなく友達もそれほど多くなかったこと。そんな私にお母さんがけいおん!を見せたこと。父親が中学生になると同時に七万円そこそこのノートパソコンを買い与えてくれたことだ。最初はなんとなくノートパソコンでけいおん!を見てYouTubeでけいおん!のOPやEDを流していただけだったのが、YouTubeで音楽を聴くようになると無限におすすめされる様々なバンド新曲を楽しみに待つようになった。好きになったバンドのCDを買って、中古のiPodとちょっと値段がするイヤホンを買って外でも音楽を聴いた。学校では没個性で目立たない私も音楽を聴くときだけは何者かになれた気がした。何者にもなれない青春から逃れられた気がした。特別なものを手に入れた気になれた。
だから音楽が好きだ。
× × × × ×
「そろそろ帰ろ」
ユキが猫みたいな伸びをする。ダサいAndroidに目をやると時刻は十八時過ぎだった。そろそろ帰らないと夕飯に間に合わないし、部活終わりの中高生がやってきて帰宅部の私たちなんとなく居づらくなってしまう。
「うん。行こっか」
「トイレ行ってくるから先に外出てて」
「わかった。片づけておくね」
「ありがと」
二人分の飲み物とポテトMの殻が乗ったトレイを片づけて私は店外へ。空はすっかり夕闇に染まっていて、日に日に短くなる明るい時間が卒業まで時間が刻一刻と迫ってくることを否が応でも自覚させる。
(そろそろマフラーも出そうかな……?)
そんなことを考えているとユキが小走りにやってきて、二人で並んで家路についた。ユキと私の家は徒歩で十五分以上離れているが、マクドナルドからの帰り道は途中まで一緒だ。
ユキと一緒に歩くとき、彼女は茶色のローファーで私の二歩半前を歩く。ユキが歩いた後にはシャンプーのいい香りときらきらが落ちているようで、それになぜか恐縮してしまってそこを避けて歩く。
「合唱祭って二週間後だっけ?」
「うん。私たちは出ないけどね」
私たちの学校では毎年市内のコンサートホールを貸し切って合唱祭が行われる。とはいえ受験を控えた三年生は自由参加で、吹奏楽部をはじめ音楽に関わりのある部活でもない限り学校で自習をするかそもそも登校しないかの二択だ。
「ウミは行く?」
「いかないよ。知っている子もいないし」
「そっか」
「ユキは行くつもりだったの?」
「まさか」
「だよね」
踏み切り差し掛かり満員の下り電車を待つ。あと十年もすれば私も満員電車を構成する一人になるのだろうか。
電車が通りすぎ周囲が動きだすと、私たちもその流れに引きずられるように前へ前へ。
「合唱祭の日、どこか行こうか」
「どこかって?」
「うーん……どこだろ? 映画とか?」
「見たい映画あるの?」
「ない。ないしそもそもアマプラで見るからいいかな?」
「ならどうして映画なんて言ったの……?」
「でも暇でしょ。みんな学校に自習しに行くだろうし」
「それはそうだけど……」
「そもそも――」
ウミとは私服で会うイメージがわかないや。なんて制服のスカートを翻して笑みを見せる。
私はどうしたらいいかわからずに、不細工に歯を見せた。
(私とユキの関係は――)
先ほども考えたユキとの距離感が頭をよぎる。ユキにとって私はどんな存在なんだろう? 彼女と同じ音楽が好きな女の子なのだろうか? そもそも友達なのだろうか? 放課後に時間をつぶすだけのクラスメイトなのだろうか?
わからない。わからない。ぐるぐると回る頭でユキより大きな歩幅でゆっくり歩く。こんなことで悩んでしまうことがきっと友達が少ない原因なのだろう。
「じゃあね」
「えっ、あっ、うん」
いつの間にか分かれ道にたどり着いていてユキは私を一瞥することなく十字路を右へ。ユキの背中が遠くなる。
私は半端にあげたままだった手をおろして十字路を左へ。iPodでお気に入りのバンドの曲を探す。その指先が少し冷たい。
× × × × ×
そうして変わらない毎日を過ごして合唱祭の日がやってきた。私はお母さんも父親もいなくなった家で怠惰に十時頃目を覚ました。寝起きの髪についた寝ぐせを枕元の櫛で梳かし、カーテンと窓を開けた。なくなりかけの金木犀の香りが部屋を満たす。
「朝ご飯を食べよう」
スマホはベッドに放りだしたまま、特に聞きたい曲もなくiPodを起動してイヤホンを耳に接続する。階段を降りて一階に行くと人間以外の家族である黒猫のアルファがにゃーと鳴いた。
「おはよう」
おでこをひとなでしてマグカップに牛乳を注ぎレンジで一分加熱する。その間に小さいパックのヨーグルトとスプーンを準備して温めた牛乳と一緒に朝食にする。いつだかユキに私の朝食について話すと「おなか弱いからすぐにゴロゴロしちゃいそう」なんて言っていた。確かに私はおなかを壊したことがないので腸内強者かもしれない。
(そういえばユキはなにしているのかな? どこか行ってるのかな?)
結局、合唱祭の日に二人でどこかに行くという話はなかったことになった。昨日もユキとはいつも通りマクドナルドでとりとめのない会話をして十字路で左右に別れた。
(私も出かけようかな……? お昼代節約すれば渋谷までの交通費はできるだろうからタワレコでもいってみようかな……? でも一人で渋谷に行くのはなんか怖い)
ちまちまとヨーグルトを食べながら今日の予定を考える。
(ユキは嫌かもしれないけど……一人でどこか行くのも家にいるのも嫌だな)
私は少し迷った末にユキにLINEを送る。
『いまなにしてるの?』
『外いる』
返信はすぐに来た。
『お出かけ中? 誰かと一緒?』
『今はひとり』
(今はってことはこれから誰かと会うのかな……?)
『ウミはひとりで暇してるの?』
『うん』
『吉祥寺これる? 三時くらいからなら遊べるよ』
「吉祥寺……」
家からなら電車とバスで三十分ほど。いけない距離ではない。
『暇だし行こうかな?』
『それじゃ三時頃また連絡するね。駅についたら教えて』
『了解(猫のスタンプ)』
私はヨーグルトを牛乳で流し込んでシンクでさっとマグカップを洗うと出かける準備をした。まだ時刻は十時だけど幼い頃から通いなれた吉祥寺なら時間のつぶし方も知っているしタワレコもある。パーカーとロングスカートに身を包んで財布とスマホとiPodくらいしか入っていないポーチを身に着ける。我ながら芋臭い恰好だなと思うけど、ユキに会うためのおしゃれするのもいつもの自分じゃない恰好をするのもなんか変だ。きっとこういう考え方がユキに「私服で会うイメージがない」なんて言われてしまう原因なのだろう。
黒猫にじゃあねと声をかけてコンバースのスニーカーをひっかけて外に出た。平日に私服で外に出る感覚は通り過ぎた夏休みを思い出させた。駅までの道のりを昨日の夜YouTubeで見つけたスリーピースのガールズバンドの曲を聴くことで乗り越ええて、さらにバスを乗り継いで吉祥寺へ。時刻は十一時。約束の時間まではまだまだ余裕がある。
(どこに行こうかな……)
タワレコで時間をつぶすには、中学生の私が行くには少し時間が早い気がする。お昼ご飯を食べるにも私がいけそうなのはマクドナルドくらいのものだし、そもそもおなかは空いていない。それならと雑多な駅前を抜けて井の頭公園に向かう。ここなら平日の昼間に私が一人でいても誰にも何も言われないだろう。
階段を下りて池――というにはいささか濁りすぎている――ほとりのベンチに腰を下ろす。まだお昼前だからか周りには子供連れとお年寄りしかおらずどこかのんびりとした時間が流れていた。
つなぎっぱなしのイヤホンから流れる音楽に聴力を集中させる。ユキとこの後どこで何をして遊ぶのか。全くイメージが湧かなくて、結局マクドナルドでだらだらしているシーンばかりが思い浮かぶ。
すると、ちょうどユキが目の前を通りかかった。
「「あっ」」
驚いた声は重なって、ユキの視線は私に。
私の視線はユキに寄り添うようにして歩く男の子に向けられた。
彼氏なんていないし。
いつかのユキの言葉が頭の中で再生されて、不思議そうに私を見つめる男の子の視線に耐え切れなくなって――
私は転がるように逃げ出した。
「ウミっ!」
ユキの声は風で聞こえなかったことにする。ぐるぐる回り始めた思考回路はもつれそうになる逃げ足でさらに加速する。
ユキは彼氏なんていないと言っていた。でもあんなに仲良さそうに一緒に歩いている。彼氏がいないのは嘘? でもなんで嘘を? 私は恋人がいることを話せないような、それくらいの距離感の友達なのだろうか。
井の頭公園を抜け出して吉祥寺の北口周辺へ。喧噪の中ならユキのことなんて考えなくていいだろう。
のどが渇く。気づいた時には自然と足がマクドナルドのほうへ向いていた。
「ウミ」
マクドナルドの入り口でユキが私を待ち構えていた。
「ユキ……」
「ウミならここに来ると思っていた」
微笑むユキの姿はなんだかいつも以上に大人っぽく見えた。フェミニンなコーディネートだからだろうか。パーカーを着ている自分がなんだか惨めに思う。
「えっと……その……」
「とりあえず中に入ろう」
言葉を探す私にユキは手を伸ばす。しなやかな指先に捕まえられた私は逃げ出すことができずにユキに導かれて店内へ。ユキはスプライト、私はミニッツメイドのSを頼んで適当な席に腰かけた。
「…………」
「…………」
飲み物を前にストローもささずに私たちは視線を合わせずにいた。
この沈黙をどうすればいいのか――答えは持ち合わせていない。
結局こらえ性のない私がユキに思考皆無の言葉を次々に吐き出す。
「えっとごめんね。デートの邪魔して。私、その、ユキに彼氏がいるなんて知らなくて。知らなかったというか前に彼氏いるの? って聞いた時はいないって言ってたから驚いて。ううんそれ以上にユキに恋人がいることすら教えられないような存在なんだって思うとその――」
「わー! 待って待って! ちゃんと全部話すから!」
ユキが私の両手をぎゅっと握る。
「まずアレは彼氏じゃない。幼馴染の男の子。といっても学年は一つ下だからウミは知らないと思うけど。今日は幼馴染の彼女の誕生日プレゼントを選ぶのを手伝ったあげただけ」
「そ、そうなの?」
「あとね」
ウミのことはちゃんと友達だと思ってるから。
少し恥ずかしそうにしたユキがかわいくてなんだか無償に抱きしめたくなってしまう。
「……えっと、ありがとう?」
「あー! もう! ご飯ここで食べよう! そしたらタワレコでも行こう!」
「う、うんっ!」
私が思っている以上に、ユキは私のことを――
音楽と噓とマクドナルド 夏鎖 @natusa_meu
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